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幸運の器  作者: ユキ。


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6-7

 入り口付近まで飛ばされたはずのショウが、いつの間にかリュウのすぐそばまで来ていた。その手には、先ほどリュウに突き刺さったナイフを持っている。

「ショウ、あぶねーからそんなもの置いておけ」

 ショウは、リュウの言葉が聞こえいないかのように、ただまっすぐに前を見ている。そのうつろな瞳はリュウを通り越して人としての原型をとどめていないアキラを見ていた。ショウは、そのままリュウの横を通り過ぎようとする。何か不穏なものを感じて、リュウはショウの両肩を掴んだ。そして、その瞳をのぞき込む。

「ショウ、聞こえているか?」

 ショウのその小さな体のどこにそんな力があるのか、リュウがずるずると押され始める。

「あれは、お父さんじゃない。ぼくがお父さんを元に戻さなくちゃ・・・」

「ショウ!ショウ!しっかりしろ!!」

 まるで目の前にいるリュウが見えていないかのように、ただただ前に進もうとする。リュウは、何とかしてショウを止めようとその体を抱きしめる。

「ショウ、頼むから俺の言葉を聞いてくれ」

 その言葉が届いたのか、ショウの動きが止まる。しかし、次の瞬間リュウは背中に焼けるような痛みを覚えた。体に力が入らずその場に頽れる。そして、ショウは再び何事もなかったように歩き出した。リュウはとっさにショウの手を掴もうとするが力が入らない。ショウの手に握られているナイフから血がしたたり落ちているのが見えた。

 ショウは、少しずつ少しずつアキラへと近づいて行っている。アキラは、何を思っているのかただ成り行きを見守っているようだった。

バタン!

 再び、乱暴に屋上のドアが開かれた。

「はあ、はあ、はあ、なんでアタシ毎回息切れしてるんだろう・・・」

 階段を数階分あがっただけとは思えないほど息を切らしているアリスだった。しばらくは、膝に手をつき下を向いて息を整えている。だから、まだ屋上の惨劇に気づいていない。

「ア、リス・・・」

 リュウが、何とか声を振り絞ってアリスを呼ぶ。そのあまりに弱々しい声にアリスは訝しげに顔を上げた。そして、自分の目に映っている光景が理解できず思考が止まった。リュウは、それには関わらずさらに語り掛ける。

「わりーんだけど・・・、リン、を、探してきて、く、れ・・・」

「えっ・・・えっ・・・?」

 アリスは、混乱の極みだった。あまりにも現実離れした目の前の光景に、自分が夢でも見ているように感じて動けない。

「アリス!」

 リュウが、力を振り絞って叫ぶ。そこでようやく、呪縛が解けたように体が動き出す。何か一言でも言葉をかければよかったのだろうが、思考の方はまだ追いついていなかった。ただ、本能で体が動き出す。アリスは回れ右をすると入ってきたばかりのドアから飛び出した。

 リュウは、アリスが出ていったのを確認するとショウの方へと向き直った。ショウは、あと数歩でアキラに手が届くところまで来ている。

 ショウが何をしようとしているのかはわからない。ただ、もしショウがアキラのことを傷つけることにでもなったら悔やんでも悔やみきれないだろう。今のショウは、明らかに常軌を逸している状態だ。父親を助けるつもりで、父親を傷つけることになるかもしれない。それだけは、阻止しなければいけない。

「ショウ!止まれ!!」

 リュウが一歩前に進む。それに反応したのはアキラの方だった。

「キサマはそこから一歩も動くな!!」

 ショウは、もうアキラのすぐそばまで来ていた。そして、その右手を大きく振りかぶりアキラへとその手を下ろそうとしていた。しかし、ショウの動きはあまりに緩慢で、アキラは容易くその腕を掴んだ。別の腕でそのナイフをもぎ取ると、無造作に投げ捨てる。そしてまた別の腕で再びショウの首を掴んだ。

「ウッ、クッ・・・」

 ショウは、苦しさにしばらくもがいていたが気を失ってしまったのか、ぱたりと動きが止まった。

「おい!なんで自分の子供を傷つけようとするんだ!」

「私はね、ショウのことを愛しているんだよ」

 そう言うアキラの顔は確かに、子を愛する親の顔をしているように見えた。

「だったらーーー」

 リュウが言葉を続けるより前に、アキラの様子がおかしくなる。

「コイツは存在しちゃいけないんだ!!」

 先ほどまでとは全く逆のまるで仇敵にでも会ったかのような顔で今度はショウを見ている。

「いや、違う。私は誰よりもショウを愛しているんだ!!」

「嘘つけ!こいつなど生まれてこなければ良かったと思ったはずだ!」

「そんなことはない!そんなことはない!私は本当にショウが生まれてくるのを楽しみにしていたんだ!!」

「生まれてくるまでは、だろう?その結果、何が起こった!」

「うるさい!うるさい!!うるさい!!!」

 まるで、二つの人格が入れ替わるように表情と言動が移ろう。リュウは、アキラの意識がこちらに向いていない隙に二人のすぐそばまで移動していた。

 アキラに気づかれないように、ショウの腕をそっとつ掴む。その状態で、ショウの首を締めあげているアキラの腕に触れた。

「ギャーーー!!」

 ショウを掴んでいた腕が緩んだすきに、ショウを引き寄せてアキラから離れる。

 アキラは、錯乱したように暴れまわっている。そして、屋上の淵から足を滑らせた。その瞬間の顔をリュウは見逃さなかった。まるで、ホッとしたような穏やかな表情だった。だが、このままアキラを死なせるわけにはいかない。

 アキラは、全てを諦め目を閉じると落ちるままに身を任せた。そして、そのまま落下するだろうと思っていたいたが、強い力で腕を掴まれた。リュウだった。

「バカヤロウ!ショウを一人にするつもりか!」

「なに、しているんだ・・・?」

 心底理解できないという表情でアキラがリュウを見上げる。

「何って、あんたを助けんだよ!」

 リュウの能力のせいなのか、アキラから生えていた腕は消え、表情も普段のものに戻っている。

「君に何の得があるというんだ。私は、何度も君を傷つけたんだぞ」

「そんなことはどーでもいいんだよ!俺、もう限界なんだから頼むから自力で上がってくれよ」

 リュウの言葉は嘘ではない。掴んでいる腕から血が伝い落ち今にも滑って離れてしまいそうだ。しかし、リュウは、動くのもやっとのはずなのに、それでもその瞳は諦めていなかった。

バタン!

 再び背後で屋上のドアが開く音がした。リュウは、振り返ることはできなかったがそれが誰なのかがすぐに分かった。しかし、それは今ここにいるはずがない人物だったので動揺して思わず手が滑りそうになった。

 タタタタタと軽い足音が近づいてきた。そして、横から細い腕がリュウと一緒にアキラの腕を掴む。

「ハルカ・・・、なんで・・・?」

 リュウは、信じられない思いで横にいるハルカの顔を見た。ハルカは、少し照れくさそうに頬を赤らめたが、リュウの状態を間近に見て目を見開いた。

「リュウキ、なんでこんな・・・」

 ハルカは、キュッと口をかみしめるとすぐに真剣な顔をして腕に力を込めた。

「とにかく、早く先生を引き上げちゃいましょう」

「あ、ああ。そうだな」

 二人で力を合わせて引き上げようと思ったところで、ハルカはふと気配を感じてちらりと背後を見た。そこには、月明りに照らされてとても奇麗な笑顔を見せながらナイフを振り上げているショウがいた。まるで天使のような微笑みとは不釣り合いなギラギラと鈍く赤い瞳には残忍さが宿っていた。普段のショウとは明らかに違う雰囲気に圧倒されて一瞬出遅れた。明らかにショウは、リュウにそのナイフを振り下ろそうとしていた。言葉で伝えるにはもう遅い。ハルカは瞬間的に左手で渾身の力を込めてリュウのことを横に突き飛ばした。その結果どうなるかなど考えもせずに。ただでさえ滑りやすくなっていたうえに、ハルカの不意打ちでリュウは、アキラから完全に手を放してしまった。その瞬間がスローモーションのようにリュウの目に焼きつく。ハルカのホッとしたような表情。そして、それはすぐに少し困ったような表情に変わった。ハルカの口が動く。

「ごめんね」

 その直後、アキラの体重を支え切れずにアキラと共にハルカが屋上から落下していく。

「ハルカ!ハルカーーー!!!!」

バタン!!

 リンが、屋上のドアを開けたのはハルカが落下する直前だった。リンの目には、ハルカに突き飛ばされて横に倒れこむリュウと今まさに落下しようとしているハルカ、そして、その背後でまるで糸が切れたかのようにばたりと倒れ込むショウの姿だった。

 すぐにハルカの後を追おうと屋上の縁から身を乗り出そうとするリュウを目の当たりにして、リンの体は思考するよりも速くに動いた。

「リューーウ!!!」

 リンは、おそらく今までで一番速く走ったのではないかというくらいの速度でリュウの元へとたどり着くと、その首根っこを摑まえて後ろへと引き倒した。

「クソッ!離せ!リン!!」

「何言ってるんですか!離すわけないでしょう!!」

 普通の状態だったら、リンがリュウに力で叶うことはないのだが、リンはリュウのことを羽交い絞めにして初めてリュウが尋常じゃない量の出血をしていることに気がついた。どんどんとリュウの体から力が抜けていくのを感じる。

「リュウ、落ち着いてください!自分がケガしていることわかってますか!?」

「そんなことは、どうでもいいんだよ!!」

 そんな状態でも、リュウは屋上の淵へ行こうともがいている。

「リュウ、お兄ちゃん・・・」

 二人の背後で、消え入りそうな声が聞こえた。ビクリと肩を震わせてリュウの動きが止まる。

「ねえ、お兄ちゃん。お父さんは?」

 リュウは、血が滲むほどこぶしを握り締めてゆっくりと振り返った。リュウは、瞳いっぱいに涙を浮かべてじっと自分の言葉を待っているショウを見た。リュウにしては珍しく言葉が出てこない。何て言えばいいのか全く分からなかった。何も言わないリュウから何かを察したのか、それまで我慢していた涙がショウの頬へと伝い落ちる。そうなってしまったらもう最後。涙はとめどなく流れ続け、行き場のない言葉が止まらなくなる。

「お兄ちゃんの嘘つき!お父さんを助けてくれるって言ったじゃん!!信じてたのに!信じてたのに!!許さない!絶対に許さない!!!」

 リュウは、それでも何も言えなかった。謝ればいいのか?いや、謝るのは違う。それは、自分がただ楽になりたいだけの言葉だ。だったら、何が言えるのか。リュウは、今までこんなに純粋な悪意を向けられたことがなかった。リュウは、ただひたすらにショウからの言葉を甘受するしかなかった。

「許さない!許さない!許さない!!」

 ただ同じ言葉を繰り返すショウの様子がおかしくなり始めた。徐々にショウの体の周りに黒い靄のようなものがまとわりつきだした。その靄は少しずつ大きくなっていく。それと反比例するように、ショウの体の輪郭があいまいになっていく。

「ショウ!!ダメだ!!」

 リュウはショウへと腕を伸ばすが、すでに実態がないもののように掴むことができない。ショウの存在がその黒い靄にすべて飲み込まれそうになったその瞬間、眩しい光が一瞬辺りを照らした。光が引いた後にはショウの姿はすっかり消えてなくなっていた。その代わりに、リュウのポケットがぼんやりと明るく光っていた。リュウがポケットに手を突っ込むとその正体を引っ張り出した。

 それは、クロードから持たされたお守りの箱だった。その箱の光を見ていたら、不思議とまだ希望を捨てちゃいけない気がしてきた。

「リン、頼む。ハルカとショウの父ちゃんが落ちたんだ。探してくれねーか」

 リュウは、こんな時でも自分よりも誰かを心配している。リンは、リュウとは違って至って冷静に考えていた。おそらく、落ちた二人は助からないだろう。それでも、リュウを安心させられるなら思ってないことでも言える。

「・・・わかりました。ちゃんと探しますから、リュウは自分のことだけを考えてください」

 屋上を照らしているのは月明りのみ。その明かりだけではリュウの状態を正確に測ることはできない。しかし、リュウの状態もかなり逼迫しているように思えた。

「リン、頼む・・・な・・・」

 リュウの手から力が抜けぱたりと下に落ちる。

「リュウ!!」

 リュウの口元に顔を近づけてみる。荒くはあるが息はある。どうやら、気を失ってしまったようだ。

バタン!

 何度目になるのか、再び屋上のドアが乱暴に開かれた。カノンとメグ、そしてアリスが駆け込んできた。リンは、正直安堵した。リュウを一人残して離れることなどできなかったので、渡りに船でまずはカノンに声をかける。

「ちょうど良かった。カノン、百目鬼家に連絡してください。リュウが大けがをしています」

「ッ!リュウくん、そんな!!」

 カノンは、一瞬絶句したがすぐに自分が何をするべきなのかを理解して行動に移した。リンは、その様子を見て次にメグに視線を向けた。

「メグ。すみませんが善哉家に連絡してすぐに人を寄こしてもらってください。僕は、ひとまずリュウの応急処置をします」

「わかりましたわ。その、リュウ様は・・・」

「大丈夫。リュウはこんなことで死んだりしません」

 自分に言い聞かせるようにリンは強い意志を込めて言葉にした。

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