6-5
リンたちから遅れること数十分程度だろうか。リュウたちも小学校の中へと足を踏み入れていた。
「さてと、まずはどこから行くか、だな」
リュウは、生徒たちの下駄箱が並んでいるあたりでいったん足を止めて上を見上げた。アリスもそれに倣って上を見上げる。特にそこに何があるわけではないが、リュウの感覚としては上の方に何かがあるのを感じていた。
「お父さん!!」
ふいにショウがそう叫んで走り出した。上を向いていた二人は一瞬出遅れた。二人が視線を戻した時には、ショウの背中は一番近くの階段を駆け上っていくところだった。リュウもすぐにその後を追う。アリスは、すぐに反応ができずにリュウよりもいくらか遅れて慌てて追いかけた。
ショウは、生まれてこの方こんなに走ったことはなかった。そもそも、つい最近まで家から出たことなどほとんどなかった。ショウは、ずっと父親のアキラと二人だけで暮らしていた。アキラが言うことにはショウは重い病気で家から出たらすぐに倒れてしまうからということだった。そんな二人だけの生活に変化があったのは、およそ一年ぐらい前のことだった。
ある人物がアキラを訪ねて来たのだ。ショウはその人物を実際に見たことはなかった。だが、アキラがその人物に傾倒していることはすぐに分かった。その人物の話をするときにアキラはまるで子供のようにはしゃいでいた。そして、ある日突然アキラがショウに言った。
『ショウ!学校に行けることになったぞ!』
ショウは、学校というものが何なのかがまずわからなかった。でも、説明を聞いてすぐに行ってみたいという思いと怖いという思いがせめぎあった。何といっても、ショウはアキラ以外の人間というものに会ったことがないのだ。それでも、アキラから昔教師をしていたことを聞いて、その時の思い出話などを嬉しそうに話すのを見て興味を持った。アキラの昔話の中には、ハルカの話も含まれていた。自分と同じ年頃の子供たちがたくさんいるというのはどんな感じなのだろうか?徐々に学校というものへの憧れが膨れ上がっていった。
アキラはいつでもショウにはとても優しい。勉強もアキラがすべて教えてくれていた。学力的には全く問題がないらしい。後は、コミュニケーションの問題だ。こればっかりは、実際にやってみないことにはわからない。
そうこうするうちに、ショウが学校に通う段取りはすぐについた。実際に学校に通うまでにアキラから様々な注意事項を叩きこまれた。
1.あまり特定の友達と近づきすぎない
2.学校の行き帰りは特定の場所までは送り迎えをしてもらうこと
3.家に友達は呼ばない
4.友達の家にも遊びに行かない
5.神谷先生と仲良くなる
ほかにも、細かいことがたくさんあったが大きく分けるとこの五つになる。ただ、ショウには神谷先生と仲良くなるというのが理解できなかった。先生というくらいだから、勉強を教えてくれる存在だということは理解している。疑問に思いつつも、アキラの言うことに間違いなどあるはずないから、とにかく守らなくてはいけないと思った。
そして、いよいよ明日から学校に通うというその日にアキラが緊張した面持ちでショウの前に立った。
『ショウ。お前が学校で無理なく過ごせるようにちょっとした手術をこれからする。なーにちょっと眠っている間に終わるから心配はいらないよ』
そういうアキラの方が不安に思っていることが滲んで見えていた。だからショウはアキラを落ち着かせるように微笑む。
『大丈夫。ぼく、お父さんのこと信じてるから』
そして、ショウは眠りについた。次に起きた時にはすべてが終わっていて、そして、はっきりとその違いが感じられた。今まで痛いとか辛いとかよくわかってはいなかった。でも、今はそれがわかる。なぜなら、今まで感じたことがないほど体が軽く、飛んでいけるのではないかと思えるほどだったからだ。まるで世界が違うように感じられる。そして、今までがどれだけ自分が苦しい毎日を過ごしていたのかということに気づいた。
『お父さん!ぼく、すっごく元気みたい!』
アキラはショウの様子を見て、目を潤ませている。
『そうか、そうか。良かった。本当に、良かった・・・』
アキラは、そっとショウを抱きしめると『よかった』と同じ言葉を繰り返した。その日はそのまま眠り、次の日、目を覚ましたショウは微かな倦怠感を感じた。それは今まであまりにも馴染みすぎていて当たり前だったものだ。それでも、以前に比べればずっといい。それよりも、ショウはこれから通う学校というものが楽しみで仕方がなかった。
『お父さん、早く学校に行こう!』
はしゃぐショウを見てアキラは嬉しそうな顔を見せている。
『ショウ、今日はお父さんが学校まで送っていくよ。それから、帰るときは友達と帰るのはいいけど、一人になったら無理はしちゃいけないよ。お迎えのポイントまで来たらじっと待っているんだよ。わかったかい?』
『うん?でも、ぼく大丈夫だよ』
アキラは何も言わずに少し悲しそうな笑顔でショウの頭をなでた。
それから、数日実際に学校に通ってみてわかった。学校にいる間は、ショウは今までにないくらい調子がいい。友達もたくさんできて、ショウは学校が大好きになった。友達はみんなショウに親切で仲良くしてくれている。神谷先生も、とっても優しくて奇麗な先生で、一目見て大好きになった。
その一方、ショウと同じクラスの子供たちがケガしたり病気になったりということが多発していた。ただ、ショウは今まで父親以外とほとんど交流することがなかったので、そのあたりの常識がわかっていなかった。どんなに友達がケガしても病気になってもそういうものだとしか認識できていなかったのだ。
でも、あの日友達がショウのすぐそばで倒れてしまった。その時になって初めて、もしかしたらこの状況は自分のせいではないのかと思ってしまった。そう思ってしまったら、ショウは怖くなった。だから、それからしばらくは特定の人と二人きりになったりしないようにしていた。自分が約束を守れていなかったから、友達は倒れてしまったんだと自分を責めた。
幸いなことに、そのあとほどなくして夏休みへと突入した。正直、ショウはホッとしていた。これで、しばらくは誰も傷つくことがないかもしれないと。
そして、ショウはリュウとリンに再会した。帰り道で出会った時、すぐには思い出せなかったが、リュウの手を取った時にすぐに思い出した。あの日、友達を失うかもしれないという恐怖を感じた時に触れられた肩の暖かさと優しい眼差し。そして、安心感のある大きな手。あの安心感は、父親のアキラからも感じたことがなかった。リュウはショウの中ですぐに特別になった。父親とも学校の友達とも違う言葉では表せない特別だ。
しかし、あの日、アキラはリュウを傷つけた。ショウには、それは今まで生きた中で一番大きな衝撃を受けたことだった。ずっとあの日のことを聞きたかった。だけど、アキラはあの日からおかしくなってしまっていた。
そして今、目の前を逃げていくアキラの姿がある。この機会を逃してはいけないと感じた。あの家から出て別の場所でならアキラに聞ける気がした。だから、何も考えずにアキラの背中を追う。
リュウたちから離れて、ただひたすら足を動かしていた。最初のうちはすぐにでも追いつけるのではないかと思った。しかし、階を上がっていくにつれどんどん自分の足が重くなっていくのを感じた。3階まで来たところでガクリと膝が落ちた。今までに感じたことがない息苦しさを感じる。目の前が真っ暗になって自分の体が意思とは別に倒れていくのを感じた。すぐにでも大きな衝撃を感じるだろうと感じたその瞬間、大きくて暖かいものに包まれた。ゆっくりと目を開けると厳しい表情をしているリュウの顔が目に入った。
「ショウ!!」
ショウが倒れる寸前で、リュウはその体を抱きかかえた。小学六年生にしては小柄なショウの体はすっぽりとリュウの腕の中に納まった。
「リュウ、お兄ちゃん・・・」
「はー、良かった。ショウ、あんまり心配かけるなよ」
「ごめんね」
少し遅れて息を切らしながらアリスが合流した。
「はあ、はあ・・・。やっと追いついた・・・。ちょっと、二人とも速いのよ」
「アリス、もうちょっと運動した方がいいぞ」
「なによ。アタシは一般的な女子大生だからね!」
文句を言いながらも、まだ荒い息使いのアリスを見てリュウとショウは目を見合わせてクスっと笑う。リュウは、ショウの様子を見てそっと立たせた。
「ショウ、もう大丈夫か?」
「うん、本当にごめんね。ぼくは大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ、二人は急がないでいいからゆっくりおいで。俺は、ちょっと先に行くから」
リュウは、階段の上を見る。そこにはこちらの様子をうかがっているアキラがいた。そして、リュウの言葉を聞くや否や再び走り出した。
「アリス、ショウのこと任せた」
リュウは、ショウをアリスに預けるとすぐさま行動に移した。リュウの姿はあっという間に階段の上へと消えていく。
「はー、元気だなー」
「あはは。アリスさん、おばあさんみたいだよ」
「っおば!いやいや、それはちょっと行き過ぎでしょ。おばさん通り越しておばあさんって!」
そうは言うが、アリスはちょっとした異変を感じていた。リュウがいなくなった瞬間、一気に体が重くなった気がしたのだ。確かに、急な運動をして息切れはしていたがこの倦怠感は少し異常に思える。
そして、逆にショウは、さっき倒れたとは思えないほど元気そうに見える。
「アリスさん、早く行こう!」
「え、ええ。そうね」
アリスは重い体を奮い立たせてショウの手を取ると階段を上りだした。アリスの体はドンドン重くなる。階段を上るのすら辛くなってくる。でも、早く後を追わなくちゃいけないと気持ちだけは焦る。そんなアリスの様子をショウが心配そうにのぞき込む。自分も早く追いかけたいだろうに、アリスを心配して歩幅を合わせてくれている。リュウの言葉通りに、二人はゆっくりと屋上へと向かう階段を昇って行った。




