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一方、家から連れ去られたはつは、大きなお屋敷の中にいた。綺麗な着物を着せられ、座り心地の良さそうな座布団の上で綺麗に正座をしている。そしてその目の前には、威厳のある恰幅の良い男性が同じように正座をし、恭しく両手をついて頭を下げている。
「やめて下さい!」
はつは、心底うんざりしたように目の前の男性に声をかけた。
「そういうわけには参りません。はつ様は、当家が責任を持ってお守りせねばならぬのです」
「わたくしはそんなことは望んでいません。早く家族の元へ返してください!」
男性はやっと顔を上げると眉間に皺を寄せた。
「なりませぬ。あのような者とは金輪際、縁を切っていただきます」
「なっ!」
あまりに理不尽な発言に、はつは言葉が出てこない。しかし、沸々と怒りが溢れ出してついには今まで出したことのないような声を出した。
「ふざけないでください!あなた方とはもう話すことはありません!勝手に帰らせていただきます!!」
はつは、話にならないと見切りをつけ、立ちあがろうとした。しかし、何故か足に力が入らなかった。それでもどうにかしようとその場でもがいてみたが、どんどん身体の力が抜けていく。
「な、にをーーー」
意識もどんどんと薄くなっていく。はつが最後に聞いたのは男の冷たい声だった。
「はつ様をレイジの元へ。あやつにも百目鬼家の末葉としての勤めを果たしてもらう」
次にはつが目覚めたのは、仄暗い部屋の中だった。寒気を感じたはつは、自分が何も身に纏っていないことに気がついた。そして、すぐ横に誰かの気配を感じた。
「誰!」
はつの鋭い声に、相手はゆっくりと上体を起こした。
「すみません」
相手の第一声はそれだった。声を聞く限り、男性だということはわかった。しかし、薄暗い部屋の中では相手の表情は全く見えなかった。ただ、その声には心底申し訳がないと思っている色がのっている。男ははつに手を伸ばしかけて、躊躇ったのちパタリと腕を下ろした。
「あなたは、誰ですか?」
少し落ち着いたはつが男に声をかけた。
「私は百目鬼家に連なるレイジと申す者です」
「百目鬼家?」
はつには全くもって聞き覚えのない家名だった。
「私もこのような強引なことはしたくなかったのです。しかし、私が弱いばかりにあなたを傷つけてしまった」
その言葉に、自分の今の状況と下腹に感じる鈍い痛みに顔がサッと青ざめるのを感じた。
「あなた、わたくしに何を、したの・・・?」
その時、部屋の中に月明かりが入り込みレイジの顔を浮き上がらせた。その顔は、作り物のように美しくこの世のものではないように見えた。
「あなたの貞操を汚しました」
レイジの言葉に、はつは絶望を感じ、意識が遠のいていくのを感じた。こんな所で気を失いたくないのにという最後の抵抗も虚しく、意識は重く暗い淵へと落ちていった。
はつが崩れ落ちる寸前で、レイジははつのことを受け止めた。
「すみません、はつ様。あなたのことは私が命に代えても守りますから、どうか・・・」
腕の中のはつをギュッと抱きしめると、レイジの瞳からは一筋涙が溢れ落ちていった。
はつは、その後幾度となく百目鬼家から逃げ出そうとしたが、悉く阻止されてしまっていた。はつは自分でも気がついていたが、自分がかなり運が良いことを知っていた。しかし、百目鬼家に来てからはその運の良さが働かなくなっているのにも気付いていた。
そして、そのまま数年が過ぎてしまっていた。その間に、はつとレイジの間には子供も産まれていた。最初は、確かに無理矢理だったかもしれないが、レイジと共に過ごすうちにその人となりを知り、いつしかレイジを憎めなくなっている自分を見つけ、自己嫌悪に陥ることもあった。しかし、産まれた子には何の罪もない。最初は不本意ではあったが、やはり子は可愛い。自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。とくじやリツのことを忘れたことはない。しかし、レイジとこの腕の中の我が子をこのまま放り出すことも出来ない。レイジは、はつが悩んでいることを見抜いていた。はつの気を少しでも休ませてあげたくて、遠出することを提案した。その遠出が、皆の運命を更に大きく変えてしまった。
遠出には、少人数の使用人のみを連れて、百目鬼家の別邸へと向かった。子供のことも本家の乳母に任せて久しぶりの二人だけの時間を過ごすつもりだった。
「はつ。今日はここでゆっくり過ごそう」
百目鬼家本家からは牛車で数日ほどしたところにある別邸だった。長閑な風景に、はつも目を細めて穏やかな表情を見せた。その様子に、レイジも頬を緩めた。
二人は、別邸でゆったりとした時間を過ごしていた。夜も更け二人が床に入った頃、別邸の外で不審な人影が二つ現れた。とくじと異国の青年だった。
「本当にはつはここにいるのですね」
「はい。確かな情報です」
とくじの瞳には、暗い炎が揺らめいて見えた。
はつとレイジは、床についたまま取り留めのない話をしていた。するとーーー。
「レイジ様。何か焦げ臭くはありませんか?」
はつの言葉にレイジも眉を顰めた。
「本当ですね。家の者が火の不始末でも出したのかもしれません。少し見てきますね」と言い起きあがろうとしたところで、部屋の襖がいきなり開いた。
「はつ!」
その声に、はつはハッとした。
「とくじ、さま?」
とくじは、部屋の中の光景を見て呆然とした。とくじには、二人が仲睦まじい夫婦のように見えた。怒りで頭が沸騰する。
「は、つ。あっしを裏切った、の、か・・・?」
どこで手に入れたのか、とくじの腰には刀が差してあった。とくじは、刀に手をかけそれを引き抜く。
「待ってください!」
はつの前にレイジが飛び出した。
「話を聞いてください!」
「問答無用!」
とくじは躊躇いもなく、目の前のレイジを切りつけた。
「ーーーっぐ、はっ・・・」
ばたりとレイジがその場に倒れた。
「レイジ様!」
はつは倒れたレイジに駆け寄った。
「はつ。なぜそんな男を助けようとする」
「とくじ様。お赦しください。レイジ様は悪くないのです」
「では、悪いのはお主と言うことなのか。あっしに隠れてこやつと逢瀬を重ねておったのか!」
「違います!わたくしはあなた様のことを本当にお慕いしております。今でも!」
はつの心からの声にとくじの動きが止まる。
「とくじ様」
ハラハラと涙を流しながら見上げてくるはつを見て、とくじは持っていた刀をポトリと落とした。
「は、つ」
両手を広げてはつを抱きしめようと一歩踏み出した。しかし、その胸元から鈍い光がきらめき、ついで鮮血が吹き上がった。
「あ、あ、あぁーーー!」
はつが悲鳴をあげる。とくじは不思議そうに自分の胸元を見てそして、後ろを振り返った。
「あ、あんた・・・?」
とくじがその場に崩れ落ちる。
「お疲れ様です。とくじさん。あなたの役目はここまでです。ありがとうございました」
綺麗に微笑む青年はまるで天から使わされた者のようだった。とくじは、青年の最後の言葉を理解することなくこの世を去っていった。はつは、倒れてくるとくじの体を抱きとめると、きっと青年を睨んだ。
「あなたは誰なのです!どうしてとくじ様を!」
「気の強い方は好きですよ。その前にーーー」
青年の視線の先をみて、はつの顔から血の気が引く。いそいでレイジの元へと行こうとしたが、自分の体が震えてしまって思うように動かないことに気づく。
「やめて!」
青年は、そんなはつを蔑むようにうっすらを笑みをたたえて、わざとゆっくりとレイジの方へと近づいていく。何とか、這うようにレイジの元へとたどり着いたはつは、レイジに覆いかぶさるように体を投げ出す。
「やはり、あなたは面白いですね。こいつはあなたのささやかな幸せを奪ったやつですよ。どうして庇う必要があるのですか?」
「あなたに何がわかるというのですか!」
顔だけ青年の方に向けてはつが叫ぶ。しかし、次の瞬間はつは戦慄した。青年が、この場に似つかわしくない恍惚とした表情で自分を見ていたからだ。
「はつさん。あなたが欲しい」
青年の言葉に、はつはただただ大きく首を横に振ることしかできない。あまりの恐怖に声すら出なくなってしまった。
「は、つは・・・渡さ・・・な・・・い」
はつの下にいたレイジがどうにか体を起こすと、今度は自分がはつを守るようにはつの体を包み込んだ。自分の腕の中で震えているはつを守りたい。ただその一心だった。
「あなたはいりません」
青年のまったく温度のない声が聞こえる。どうしたら、こんなにも人を震え上がらせる声が出せるのか。こんな状況ではあったが、レイジは興味が引かれて青年の顔を見上げた。そして、青年の少し泣き出しそうにも見える顔を見た。
「レイジ様?」
はつに呼ばれて現実に引き戻される。
「はつ。すまない。あなたを守ると誓ったのに・・・」
「いいえ、レイジ様のせいではありません。それに、十分守ってもらっています」
レイジの腕に包まれて、いつの間にかはつの震えは止まっていた。レイジを安心させるように笑顔を見せる。次の瞬間、二人は感じたことがないような力によって無理やり引きはがされてしまった。
「なんなんですか。あなたたち。あなたたちを見ていると本当に気分が悪くなります」
気づくとレイジは青年に首を掴まれ、半分宙に浮かぶ形で持ち上げられていた。
「レイジ様!」
はつが駆け寄ろうとするが、青年は無表情のまま首を掴んでいない方で持っている刀をレイジの胸に突き立てた。
「ごふっ」
レイジの口から血が溢れ出る。
「あぁ!レイジ様!なんてことを、なんてことを!!」
「そう言うのはいいですよ」
青年は懐から何かを取り出すとレイジに縋りつくはつの首へとそれを突き刺した。
「な、に、を・・・」
はつの意識はすぐに闇の中へと落ちていった。
「やっと会えましたね。ワタシの狙いはもとよりあなただけ。まあ、とんだ掘り出し物もありましたけどね」
青年は、はつを担ぐと静かに闇の中へ紛れていった。その後、屋敷は大きな炎に包まれ起こった出来事ごと飲み込んでいった。
リツは落ち着かない様子で家の前を掃除していた。遠くの方から近づいてくる人影が見えた。その人物の髪色は、陽の光を受けてキラキラと黄金色に輝いている。リツは、持っていた箒を放り出すとその人物に駆け寄った。
「異人様!」
青年は、息切らせ駆け寄ってくるリツを手を広げて迎え入れた。
「異人様!父さまと母さまは!?」
リツは、青年の腕の中で踠きながら顔を上げようとしたが、青年の抱きしめる力の強さにそれが出来ない。青年の肩が小刻みに揺れているように感じた。
「異人、さ、ま?」
リツの鼓動は自分の意思とは関係なく、どんどん速くなっていくのを感じた。
「異人様。なぜ、何もおっしゃってくださらないのですか?」
もう、顔を見上げる気力も無くなったリツはポツリとそう呟いた。その耳元に青年の言葉が落ちる。
「すみません。お二人ともお助けすることが・・・」
青年の口からこぼれ落ちた言葉が、リツの耳から全身へと駆け巡っていき、最終的にはリツの中心に暗く絶えることのない火を灯した。静かにその頬に涙が溢れていく。きらきら煌めいていた雫はやがて赤黒く変わる。青年は優しくリツの頭を撫でた。
「大丈夫。リツ。君のことは、ワタシが守りますから」
その言葉に、リツは衝動的に青年へと縋りついた。
「異人様!何だってします。ですから、おいらに力を!」
「大丈夫です。わかっています。全てワタシに任せてください」
青年の口から紡がれる言葉は、リツにとっては蜘蛛の糸のようにか細いが何物にも変え難い一筋の光となった。しかし、リツはその時青年がどんな表情をしていたかは知らない。その口元が、この上なく楽しそうに歪められたことを。




