Phase・Ⅱ ルナポリス
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流血シーンがあります。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
流血レベル:額を割られたブッチャー未満
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時間は六時間ほど遡る。
惑星アポロニアの自転周期は約ニ十七時間。公転周期は三百ニ十四・七日で、地球年度に合わせて一公転周期で数年をカウントする惑星が多い中ではめずらしく、アポロニアの一年が公転周期にあたる。当然、完全には一致しないので、地球との年度時差が生じないように、一年が三百ニ十四日の年と三百ニ十五日の年を交互に設定している。一年は十三ヵ月。一ヵ月は二十五日(うるう月に変動あり)だが、計算によって定められた暦なので衛生の月齢とは連動していない。新年は〈13月〉で、うるうの調整をこの月で行う。
ヘリオス市では午後を少し過ぎたころになる。
その日の夕方には一躍、時の人となるエスメラルダは、外出するところをマンションのドアマンに目撃されていた。
スーリヤ通りのヴィラ・デルフォーリアは高級マンションとして有名な物件だ。
「行ってらっしゃい、ミズ・グリーン」
彼女のために正面のドアを開けてやりながらドアマンはおや、と思った。いつもと変わらず美しい女は、今日はどこか違うような感じがする。
違和感の正体は彼女がマンションの外に出てから判明した。
靴音をたてずに歩いていたのだ。
超一流モデルはハイヒールではなくスニーカーを履いていた。スニーカーの上に見える長い脚も……常にない装いだった。
エメラルドカットを模した玄関ドアの大きなガラスごしに彼が見たエスメラルダは、スリムなブラックジーンズを穿いている!
上半身はシンプルな白のシャツに色あざやかなスカーフをふわりと掛けているのだが……マニッシュなファッションの流行はいただけないなと、ドアマンは眉をひそませる。彼はスカートからのぞく、すんなりとした女性の脚をきれいだと思う人間なのだ。
しかしそんなことは彼女の知ったことではない。
スーリヤ通りの歩道を右手に向かいながら、抱えていたジャケットを羽織った。ドアマン氏が見ていたら落胆のため息をついたかもしれない──男物だ。
だが、似合いすぎるほどに、似合う。
ファッションとしてではなく趣味として着ているだけに、身体の動きにぴたりとなじむ着こなしだ。そしてエスメラルダはトレードマークのようにいつも身につけている緑色の宝石を使ったアクセサリー(今日は輸入品の中国大陸産翡翠のイヤリングだ)をはずして無造作にポケットに滑りこませ、それから、半ば背を覆っていた漆黒の長髪をひとつに束ねてジャケットの背中に入れてしまった。
角を折れてビルのあいだの細道に入ると同時に、お義理程度に開けられていたシャツのボタンを上まで全部かけ……ブランド品の大判スカーフで口紅をぬぐい、そのへんのゴミ箱に惜しげもなく捨てる!
スーリヤ通りと並行して走るダフネ通りに出てきたときには、アポロニア一の美女と呼ばれるはずの女性は、青年になりつつある少年のような外観をしていた。
天与の美貌はサングラスひとつで隠しきれはしないが、凛とした意志の強さを感じさせる面差しは柔和なものではない。背の高さとあちこちでっぱっていないスリムなボディのおかげで、一見しただけでは女性だと思う者はいないだろう。
そう──昼に夜に口紅を引く現在の職業に就いてからはさすがに性別をまちがえられたことはないが、それまでの彼女に出会った人間の最初の認識はハンサムな若者、だった。
いまや彼女はモデルのエスメラルダという姿を解いて、生のままの……本来の性質に戻りつつあった。
この男装の麗人の名はリュイ。
本名ではないが、十六歳までをその名で呼ばれて育っている。
ダフネ通りに出てすぐにリュイはタクシーを拾った。
「古い時計台まで」
運転手が尋ねる前に告げて、あとは黙りこむ。古い時計台というのはヘリオス市を縦横に走る地下鉄の駅のひとつで、この駅から北の市街地がルナポリスだ。
不夜城とスラムと、血と汗と涙で築かれた街──バイオレンスの都。
運転手はミラーで客を確認する。
まだ若いのに、この昼間っから歓楽街に足を運ぼうというのか。それともルナポリスの住人なのか──彼の胸中を推察してリュイは苦笑した。
それでも、ちゃんとタクシーは古い時計台駅の方角へと走っている。
ナイフか何か出されて、料金などふみたおされてしまうかもしれない──固唾をのみながら彼はブレーキを踏み、次いでクラッチを踏み、さらにブレーキを踏みこんだ。リュイは紙幣を一枚運転席に泳がせて車を降りる。
「お客さん! おつり……」
あわてて呼び止める運転手を無視して地下道に入る。駅をくぐってルナポリスへ抜けるつもりなのだ。
「……やけにキレイなにぃちゃんだったな」
ひとりごちると、彼はタクシーを発車させた。
いわゆる〈昼〉の世界に属する人々──陽の光のあたる場所でなんら後ろ暗い思いを抱くことなく生活できる善良なヘリオス市民──が思っているほど、日中のルナポリスは悪の巣窟めいた街ではない。〈夜〉の世界の人間たちが活動するのはやはり日が暮れてからということもある。
彼ら、あるいは彼女たちはたいてい夜明けすぎに眠りについて、夕刻に目を覚ます。
昼間のルナポリスで見かけられるのは、逆に昼働いて夜に休む労働者階級だ。
その多くは貧しい。
しかし懸命に、なんとか〈昼〉に生きられるようにと働いている。
ルナポリスに入ると、道に迷う様子もなくリュイは中華街に向かった。
その名のとおり、地球の中国大陸から移住してきた人々の子孫が住む街である。
地球人の同胞意識というのはけっこう根強く、ルナポリスには他にもEU街やステイツ、ムスリムなどといった民族街があった。もっとも、これはヘリオス以外の都市にもみられることで、地方へいくと都市そのものが単一民族で構成されているところもある。
リュイは中国大陸出身の、チャイニーズと呼ばれる人々の末裔ではないが、この街で生まれて育っている。モンゴロイドの肌と黒い髪は彼らに共通で、親近感があったのと、近隣の住人の人柄がよかったからだ。
血のつながりを重要視する民族の中で、エメラルドグリーンの瞳はめずらしいものだったが、周囲の人々は〈緑〉と呼んでかわいがってくれた。貧しいながらもあたたかい想いに包まれた記憶が、この街には眠っている。
上着で隠した髪が見えないようにと、襟を立てて歩いた。いくら昼間とはいえ、かつてここに住んでいたとはいえ、若い女の一人歩きに適した道など、ルナポリスにはない。
肉屋の角を曲がって八百屋と糸屋のあいだの路地に入る。
記憶を確かめるように一軒一軒を見上げながら、足取りはゆるめない。
揚げ饅頭の露店を出していた場所がすっきり片づけられていた。地方都市から流れてきたドラヴィダ系の金物屋とコーカサスの仕立屋は相変わらず並んでいるが……古びた郵便ポストの横の薬局が、閉められている。さびしげな面輪の美しい未亡人が風邪薬を処方してくれたのを、リュイは思い出した。
「──なにすんのよ、あんたたちっ」
ややだれた午睡を妨げるかのような悲鳴、というか、金切り声が聞こえてきたのはそのときだ。
以前ならば自分たちの通りで悲鳴があがろうものなら、肉屋のおやじがでっかい包丁を持ったまま様子を見に出てきたものだ。ところが、今日は出てこなかった。叫び声が悲痛というよりはあきらかに怒気に満ちており、その高く澄んだ声音を知らぬ者などこの界隈にはいないからだ。
「アイリン……」
リュイはかすかに笑った。その声の主を知っていた。幼なじみだ。
どこのどいつかは知らないが、彼女を怒らせるとはとんだ痴れ者だ。人生のキビシさを身をもって教えてもらえ──辛辣な審判を下したリュイの耳が銃声を捉えた。
即座に駆けだす。
アイリンは銃などという不粋な道具を用いずとも物事を適切に処理できる人間である。彼女を怒らせた馬鹿者は、丸腰の女性に発砲したのだ!
「アイリンっ!」
ぼぼぼここ──っっ!
なにやら軽い金属が物体に打ちつけられたような音がしたほうへと、急ぐ。
「この卑怯者っ、それでも男なの? 恥を知りなさい、恥をっっ」
現場に到着したとき、アイリンはふたりの無頼漢を相手に奮闘していた。途中ずっと聞こえていたばこん、ぼこんという乾いた気の抜けた打撃音は、彼女がおかもちでそいつらを殴りつけている音だった。
素材にこだわる中華食堂、麒麟飯店の店主マオ(アイリンの父親)は妙に凝って、ジュラルミン製のおかもちを造らせたのだ。幸いにしてリュイ自身はそれをくらったことはないが、それで撃退された痴漢が二ダースは下らないというのがご近所の噂だった。
今回の痴漢は見るからによそ者だ。人種的特徴が、まるで違う。
最初の一撃で吹っ飛ばされたとおぼしき拳銃を三人目が拾いにきていた。
リュイはそのすぐ眼前で拳銃を踏みつける。
「なんだ、てめえっ」
かがんだまま顔を上げて凄んだ相手に、口元をにやりと歪めてみせた。
黒いサングラスに鋭く陽光がきらめく。
怖気づいてわずかに身を引いたところで銃から足をどけると、いぶかしそうな顔をしながらもしたたかに手をのばしてくる。
その瞬間を逃さず、うんとこさ遠くまで蹴り飛ばす。
男の怒髪が天を衝いたと見るや、顔面に靴底を見舞ってやった。
「! ふンがほがひがぁ〜!」
うまく言葉にならない叫びと鼻血を噴きながら、そいつは仲間のそばまでよたよた歩いていった。ジュラルミン製に殴られながらもひとりがそれに気づき、驚愕に青ざめる。
「わぁああああっっ、なんなんだーっ」
「リュイ!」
それでやっとリュイの参入を知ったアイリンが、おかもちを持ったまま首っ玉にかじりついてくる。
映画などでヒロインが正義の味方のヒーローに抱きつくという、あのシチュエーションだ。
アイリンを襲った時点ですでにこの三人組は悪役であることを認識していたはずなのに、ヒーローの出現で、自分たちがとんでもなく卑怯で悪辣で、汚いことをしているのだということを自覚させられた。正確には未遂なのだが、アイリンがすばやく被害者の仮面をかぶってしまったために開き直り、居直らなければならなくなってしまう。
「あーん、リュイぃ〜」
身長百五十八センチのアイリンと百八十近いリュイだ。
甘酸っぱい青春ムードのツーショットになっている。
なんとなく、三人組の意識には嫉妬のようなやっかみがまじってくる。
「だぁーっ! 人前でいちゃつくんじゃねぇ、ばーろー」
「かまうこたーねえっ。野郎、たたんじまおーぜ!」
鼻血男のほうは悪態をつくどころではなかったが、思いはひとつ、だった!
打ち合わせたように、驚くほどのチームワークで飛びかかろうと、した。
が──。
アイリンのジュラルミン製のほうが断然、速かった。
「感動の再会をっ、邪魔するでないわーっっ」
振り向きざまにひとり(ばこっ!)返すおかもちでさらにひとり(ぼこんっ!)叩きのめす。残るはリュイの靴底を味わわされた男のみで、容赦ない痛みを知った身体は恐怖にすくんで動かなくなっていた。
「……なぜ、アイリンを狙った?」
抑えているから反対に怖く聞こえる声で、リュイは訊いた。
女性だからという理由ではないことなど、わかりきっている。他の民族の街でそこの女性をどうこうしようものなら、無事にその街からは出られない。もしもその悪漢が袋叩きを免れたとしても、次にそこへ行くことなどできないような……行く気など起きないような目に遭わされるのがおちだ。
いくら荒んだ土地とはいえ、そういった意味での結束は固い。
もちろん、アイリンは危険な戯れを敢行する気にさせるほどには美しい娘だ。黒目がちの大きな瞳が印象的な顔立ちは、愛らしく整っている。手足が小さく、華奢な体形が、もう、めちゃくちゃかわいいのだ。今日だって、白いパフスリーブからのびる細い腕がコケティッシュにまぶしい。ぴったりしたサブリナパンツが似合う脚のラインもキュートだ。通りすがりに見初めて……魔が差したのだと言われればうなずける。
相手が大人だったら、それでリュイは納得しただろう。
しかし彼らはどう見てもまだ十代の少年だ。よその街で女の子に言い寄るようなお色気根性を発現させるなど、百万年早い!
「おまえたちのボスは、人質がいないと喧嘩もできない腰抜けか」
住む惑星が変わろうとも、いつの世であろうとも、不良少年と呼ばれる者たちがグループを形成するのはあたりまえの現象だ。ルナポリスでは民族街ごとにそれがあるようなものである。そして、多数のグループが林立すれば闘争が起こるのは、もはや歴史的なお約束なのだった。
リュイがこの街にいたころ、アイリンはグループのアイドル的存在だった。そのことを踏まえた言葉に、鼻血まみれの金髪碧眼の少年はぎくりと肩に力を入れる。
「そのツラはEUかステイツか……どっちもルオが嫌がってたとこだな」
事実そのものよりも、口にする名前のほうが、さもつまらなさげだ。
「ルオって……ルオ・イン?」
その名を聞いた少年がへんな顔をしたのを見て、表情を険しくさせる。チャイニーズグループのボスだったルオがらみで彼らはアイリンを狙ったわけでは、ないというのか。
「頭の黄色いやつらが嫌いなのはルオだけじゃないぜ」
だしぬけに背後から聞こえてきた声に、リュイは身体を硬くする。
うかつであった。
いくら目の前の悪漢に注意しながら考えこんでいたとはいえ、後ろに油断するとは。思索にふけりだしたときには彼がそこにいたことが、その言葉からわかる。
リュイは振り返らなかった。
「ショウ・ユンウェイ!」
代わりに相手を見た少年が小さく叫ぶ。リュイの知った名ではない。中華街のストリートキッズのボスは……代替わりしているのだ。
「ずいぶんと、遅かったね、ショウ」
不可解なのはマオ・アイリンの立場だった。
かつてリュイは、彼女のために、ルオと決闘したことがある。勝ったのはリュイだが、彼女を想うルオの心意気を認めてアプローチするのを許してやったのだ。
「悪い。ちょっと寄り道してた」
「あんた、またやったの!」
アイリンの口調は親しいものと話すときのものだ。アイリンの性格とルオの人柄(はなはだ不本意ながら)から鑑みて、彼女が心変わりしたとは思えない。ということは……弟分か何かの世話を焼いてやっているのだろう。この考えはほぼ正しかった。
ようやく振り向いたリュイの目に、自分よりも背の高い年かさの少年たちを従えるチャイニーズグループのボスの姿が映った。
アイリンが今年十八歳だから、本当に弟分だ。どうしたって十五より上に見えない。中華的表現をするなら、小竜か。小柄ではあるが、理知的な輝きを秘めた瞳を持つ妙に存在感のある少年だった。
ショウは三人組よりもリュイのほうを胡散くさそうに見ている。
敵ではないことを証明すべく、アイリンがリュイの左腕にしがみついたが、それはショウの胸中に警戒心を倍積みすることにしかならなかった。ルオの不在時にアイリンを守るのは、彼の役目なのだ。
「……ステイツのぼっちゃんたちを送ってさしあげろ。丁重に、だぞ」
静かな声で命令して背を向ける。
リュイのことは路上でカタをつけるべき問題ではなく、アイリンが彼を話のできる場所まで案内するたろうと読んでの行動である。
御多分にもれず、ショウはリュイを男だと思いこんでいるのだ。
五人ほどを残して不良少年たちはボスについてくる。目立って身体の大きな者が抱えて歩いている物体を見て、リュイはアイリンが「またやった」と言ったショウの寄り道がなんだったのかを知った。スチール板にプリントされた一種の看板を、どこぞの街頭からかっぱらってきたらしい。それは、一般的な男子には縁のない化粧品を宣伝するのが目的の広告物で……エスメラルダの横顔がアップになっていた。
「行こ、リュイ。お茶を淹れるわ」
腕にからんだままでアイリンが誘う。おとなしくリュイはそれに応じることにした。
このひとつ年下の幼なじみにリュイは弱い。
そして、アイリンの淹れてくれるお茶はおいしい。
「……代替わりしたとは、知らなかったな」
歩きながら切り出すと、アイリンが小さな顔を上げた。
「あれから三年もたっているもの。ルオだって、いつまでもジャリの頭目やってるわけにいかないでしょ」
「その筋に就職したのか?」
ストリートキッズは、たいてい成長すると〈夜〉の世界の人間になってしまう。不夜城をねぐらとして生きることしか、できない人種。
「いいえ。彼はいま、ヘリオスの中枢区域街にいる。赤竜コンツェルンの秘書統括室で働いているのだそうよ」
「赤竜……」
リュイが顔をしかめる。微笑みがアイリンの唇を彩った。
「まだ嫌ってるの? 赤竜コンツェルン」
「べつに会社そのものは嫌いじゃないさ。一流も一流、超一流企業体だ。作るもの、売ってるもの流通サービス、非の打ちどころがないね。経営者が気にくわないだけで」
「あらぁ。鯔背というか女侠というか、カッコいいじゃない、あのおばあちゃん」
咲王辰子の出世話は、文字どおりのサクセスストーリーとして有名だ。地球で生まれ、育った若き日の辰子が結婚したのはジャパニーズマフィア、赤竜会のボスだった。しかし彼女が娘をもうけて間もなく夫は夭折、組をたたんで辰子はアポロニアに移住し、会社を創ったのだ。女手ひとつで苦労した共通意識からか、アポロニア首相のオーガスタ・メラビーとは、親交が厚いという。
まあ、一言でいうと、非常に有能な老女だ。アイリンの見たところ、リュイはこの企業家を毛嫌いしている。それが辰子の血も涙もないと噂される経営方針のためなのか、できる女性への対抗意識ゆえかは不明だが。
「しっかし、あの悪たれも一人前にスーツを着るようになるとはね」
四つ年上の、元チャイニーズグループのボスをつかまえてリュイは悪たれ呼ばわりをした。アイリンの腕に左腕をからめとられているのでよく見えないのだが……しっとりとした女らしさを感じる少女に、そっと笑いかける。
「アイリンの花嫁姿を見るのも、そう先のことじゃなさそうだな」
アイリンは強い娘だ。ルナポリスに生まれてはいても〈昼〉の世界でも自分を見失わずに生きていけるはず。そのためにルオは一流企業に就職したのだろうから。
「リュイ……」
ためらいがちに、今度はアイリンが尋ねた。
「いままでどこに?」
「中枢区域街にいた。働いてた」
「なにをして?」
ただならぬ勢いに、リュイは気圧されそうになる。
「なにって、モデルだよ。スカウトされたの、知ってるだろ」
実はトップモデル、エスメラルダ・グリーンの誕生は笑いなくしては語れないエピソードなのである。当然それは、関係者のみぞ知る最重要秘密事項だが。
三年と少し前──。
地球から流れてきた聖バレンタインの日とかいう風習の記事用に、ワイルド系の美少年を探していたカメラマンがリュイを見かけてスカウトした。性別の誤認を、彼は痛恨の一撃によって正されたが、報酬の意外な多さに寛容にリュイは依頼を受けた。そして……かわいく着飾った少女に照れくさそうに花束を手渡すシーンだの、頬にキスされてとまどうシーンだのを撮影したあとに、少年は美女へと姿を変えたのだ。
幼なじみのアイリンでさえ、エスメラルダがリュイだと気づいていないくらいに、その転身は巧妙なものだった。同じ瞳の色で、同じ闇色の髪でも、彼女たち──あるいは彼と彼女──は違いすぎる。
男装した姿を発表されたのが最初の一回こっきりだったので、アイリンは心配しているのだ。
「ほんとうに?」
「わたしは嘘は言わない。仕事があって、帰ってこられなかった。わりと、これでも忙しいんだよ」
「帰ってきた、って言ったの?」
なんとも微妙な表情をした少女にリュイはうなずく。
どこへ、という言外の質問にも答える。
「そう。まとまった……二週間の休暇がとれたから、うちへ帰ってきたんだ」
そこは、ほとんど廃墟に近いビルの中にある二間と生活ユニットしかない部屋だ。
「あの部屋へ?」
生業の真偽はともかく、リュイは金銭的に困ってはいないらしい。いくら最低よりは多少ましというレベルでも、使いもしない部屋を三年間も借りっぱなしにするゆとりがあるのだから。
──このひとが話すまで余計な詮索なんて、しなくてもいい……。
彼女は心の中でひとつ決めると、言った。
「ごはんはあたしに任せてね」
中華飯店の娘だ。腕には自信がある。レパートリーも、広い。
「すまない、頼むよ」
白い歯をのぞかせるリュイの笑顔は、昔と変わらずさわやかで……たまらず胸ときめいてしまうアイリンなのであった。
── るなぽりす ───────
高級マンションなのでヴィラ・デルフォーリアには27時間ドアマンが常駐し、視認してドアを手で開けています。




