第2章8話 精霊樹の守護結界
次の朝の夜明け前から完全な寝不足に目を充血させたまま、二本の直刀【カタナ】を取り出して【二刀流】に構え、昨晩のことを振り払うように無言で素振りを繰り返した後、さっさと朝食を済ませるとホテルをチェックアウトしてその街を出ることにした。
アリスと二人して寝不足で異常に機嫌の悪い有様に、みんなから心配されてしまったのはちょっと不味かったかもしれない。
ようやくビーチェの操る馬車が煉瓦造りの門をくぐって街を出ようとする頃、【精霊使い】のルリが後ろを振り返ってつぶやく。
「あれ? 今、ジュリエッタちゃんとロメオくんが『どうもありがとうございました』って言ってたよ」
「え? どこどこ、んん~……見えませんね。【精霊樹の加護】の儀式がうまくいったのか、聞きたかったのに~。残念です」
「でも姫様、しっかり者の二人のことですから、きっと大丈夫ですよ。それにこの街に古より伝わる儀式なのだから、うまくいかなければちゃんと大人に聞きますよ」
ああ、そういえばルリは精霊と言葉を交わすことができるんだった。しかし、この距離で丘の上の精霊の声が届くのか――危なかった。
それにしても、やはりミラとクラリスでも王都の隣町とはいえ古くからの儀式の行きつく先については知らないようだ。
アリスと俺は馬車の後部座席に崩れ込むように肩を寄せ合って、ただ黙って目を閉じていた。
「ハク様とアリスおねーちゃんは、お疲れでネンネでしゅ」
「……フィも寝ることにする~」
コロンが朝から寝たふりをしたままの、アリスと俺の心配をしてくれる。
妖精であるフィは、二匹の白い蛇の姿をした精霊となってしまった二人の声には、気がつかないことにしたようだった。
「くかぁ~」
そのすぐ横で朝ご飯をお腹いっぱい食べた、ぽんこつフランが幸せそうに涎を垂らしながら朝っぱらから爆睡していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
冒険者ギルドでは、窓口のカウンターで受付係のお兄さんとベテランの冒険者が小声でこそこそと話をしていた。
「遠くの森から、複数のオークの集団が外に出ているのが確認されている。こんなことは、ここ百年なかったことだぞ」
「ああ、この街にはもう精霊樹の結界はないんだ。もしものときのためにも、念のために何組かパーティーを哨戒に出した方がいいな」
二人が苦虫を噛み潰したような顔でぶつぶつ言い合っていると、大きな音をたてながら扉を開けて若い冒険者が飛び込んで来る。
「た、大変だ!」
「うるせーぞ! 今は取り込んでんだ、後にしろ」
「それどころじゃねーんだ、ジュリエッタとロメオが!」
「どうした、儀式がうまくいかなかったのか?」
嫌われ者の領主子爵夫妻と違って、領主の息子であるロメオは教会職員のジュリエッタの両親と一緒に街の手伝いをよくしていたので、可愛い二人は小さなこの街で人気者だった。
「そ、それが……」
「何だ、どうしたんだ。はっきり言えよ」
真っ青な顔をした若い冒険者の肩を、ベテランの冒険者が揺する。
「死んだ……精霊樹の前で」
「何ぃ!」
「どうゆうことだ!」
小さな二人をよく知るギルドの職員も冒険者達も、ぎょっとして詰め寄って来る。
「今朝、たまたま精霊樹の前を通ったら、二人が冷たくなって倒れていたんだよ!」
「なんでだ……精霊樹の加護を受ける儀式をしたんじゃなかったのか?」
「白い蛇の精霊様が見当たらなくなってからは結界も消えて、儀式も上手くいったのを聞いたことがなかったが」
古株のギルド職員が思い出したようにつぶやく。
「だからってよぉ……儀式に失敗したからって、死んだりなんかするもんかよ!」
「すぐ、領主代行の奥様を呼びに行け! 俺達は精霊樹まで行くぞっ」
大慌てでギルドのお兄さんや冒険者達が、乱暴に扉を開けて外に駆け出していく。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ジュリエッタ! ロメオ!」
精霊樹の祠の前で固く握り締められた小さな手をつないだまま、寄り添うように横になる小さな二人の亡骸を揺すって、ギルド職員と冒険者達が大声で叫ぶ。
「くそっ! なんでこんなことに」
「昨日まであんなに元気にしていたってのに」
「うおっ、ビックリした!」
呆然となる人々の前に精霊樹の根元の洞から、二匹の小さな白い蛇が寄り添うように姿を現していた。
「白い蛇の精霊様だ!」
「しかも、二匹もいるぞ」
集まった人々が再び騒然となる中、
「しっ!」
「何か聞こえる!」
「え?」
駆けつけた冒険者の誰かが静かにするように呼びかけると、
『……まも……の……が……くる……けっか……い……の……なか……に……』
全ての人々の耳元で、聞いたことのある声がかすかに聞こえてくる。
「魔物が来るだと!」
「精霊樹の守護結界が復活したというのか!」
人々は慌てて精霊樹の丘の周りを見回すと、確かに薄くきらめく結界が精霊樹の周囲50mほどに張り巡らされており、丘の向こうから数匹の豚の顔をした人型の魔物がやって来るのが見える。
「まだ小さいが、確かに結界ができているみたいだぞ」
「それに向こうに見えるのは……魔物か? 例の遠くの森から出てきたっていうオークなのか? なんで、こんな所まで」
冒険者達はそれぞれに剣を抜くと、結界の切れ目まで出て周囲警戒を始める。
「おい、領主代行の奥様が来たぞ!」
豪華な馬車が精霊樹に向かって駆けて来て停止し、豪奢なドレスを着た中年の貴族婦人が降り立つ。
「そこをどきなさい、ロメオはどこなの! 今、死んだりしたら、領主代行を解任されてしまうじゃないの!」
目を血走らせて、真っ赤な口紅を塗った口を大きく開けると唾を飛ばしながら、凄い剣幕でヒステリックに怒鳴り散らす領主代行のコワル子爵夫人が、ずかずかと大股に精霊樹に向かって近づいて来る。
集まったギルド職員も冒険者達も道をあけながらも、ロメオの継母であるコワル子爵の後妻のヒステリー婆を冷たい視線で睨みつける。
次期領主であるロメオと仲の良かった可愛いジュリエッタを、事あるごとにこの年増女が虐めていたことを全員がよく知っていたのだ。
「奥様、さあこちらに」
そんな中、まだ若い一人の赤い短髪のイケメンの冒険者が、領主代行の中年女に向かって媚びを売るように歩み寄り、手を取って上り坂を支えて丘を昇り始める。
しかし、精霊樹の結界の切れ目まで来た領主代行の継母は、それ以上は前に進むことができなかった。
「何よ、これは! そっちに行けないじゃないのよ!」
「あれ? 俺も行けないぞ」
領主代行の手を引いていた若いイケメンの冒険者も、なぜか精霊結界に阻まれていた。
「ああ、邪な人間は精霊樹の守護結界に入れないと、ずいぶんと昔に聞いたことがあるが」
冒険者ギルドの老年の職員が、そういえばと思い出したようにつぶやく。
「キイーッ! この私が邪だとでも言うのですか! こんな役立たずなウドの大木は、今すぐ切り倒してしまいなさい!」
「な、何て罰当たりなことを」
「これでは、精霊樹の守護結界に入れなくて当然だ」
集まった街の人々からも、ブーイングが聞こえ始める。
そして冒険者達の誘導で、領主代行の後から集まって来た街の人々が見せつけるように、精霊樹の守護結界の中に何の抵抗も無く入ってしまう。
「お前達! 私はこの街の領主代行ですよ! ロメオの死体をこっちに寄こしなさい!」
「お、おい、俺も入れてくれよ……あれ? あれは、魔物……オークの群れじゃないのか?」
領主代行と一緒に結界に入れずにいた若いイケメンの冒険者が振り返って、精霊樹の丘に近づいて来る魔物に気がつく。
「ああ、お前は確か昨日ジュリエッタとロメオの依頼を受ける前の、【聖女】様に因縁を付けていた馬鹿者か」
ようやく顔を思い出したギルド受付のお兄さんが、なるほどと頷くと、後ろからゾロゾロとやって来る街の人々に大きな声をかける。
「オークの集団がこっちに向かっているぞ! 早く精霊樹の守護結界の中に避難するんだ!」
「「「うわー、たすけて!」」」
近くまで集まっていた街の人々は、領主代行の子爵夫人と若いイケメン冒険者の二人の横を通り過ぎると、全員がスッと精霊樹の守護結界の中へと次々に入ることができていた。
「ひぃ! お、オークですって? あなた達、この私を助けなさい! わ、私はこの街の領主代行ですよ!」
「次期領主のロメオが死んじまったら、お前なんて領主代行でも何でも無くなるんだろうが!」
「そうだそうだ、可愛いあのジュリエッタを隣町のロリコン下種エロ領主にくれてやろうとしたくせに!」
「ロメオとジュリエッタをずっと虐めていたクソ婆が、何言ってやがる!」
薄く光を反射する結界にしがみつくようにして、額から溢れ始めた脂汗と唾を飛ばして喚き散らす領主代行に、結界の中の街の人々から罵声が投げつけられる。
「お、俺は関係ねーだろ? なぁ、助けてくれよ。頼むよぉ!」
「お前は昨日のことをジュリエッタとロメオが見ていたのに、気がついてなかったのか?」
「え?」
領主代行の横でやっぱり同じように涙と小便を垂れ流しながら、若いイケメンの冒険者が唖然としていると、後ろから走ってやって来るオークの怒号が聞こえてくる。
「「「グウォオオオオ!」」」
「ひぃいいい、ぎゃあああああ! 嫌よ、嫌よぉ、何で私がぁ」
「うわぁ! 助けてぇ、ぎゃあああああ! 痛い、痛いぃ、俺はこんなぁ」
オーク達は精霊樹の守護結界の中には目もくれずに、結界の外にいた領主代行の子爵夫人と若いイケメンの冒険者の手足をへし折ると、生きたまま担ぎ上げてあっという間に街とは別方向のどこかに向かって走り去ってしまった。
その後ろ姿を見送る冒険者とギルドのお兄さんがつぶやき合う。
「ああ~、あれじゃ子爵夫人は苗床にされちまうかもな」
「若い冒険者の方は死ぬまで、寄ってたかって玩具にされるのがオチだろうな」
イケメン冒険者のパーティーメンバーの女達は、真っ青な顔で歯をガチガチ言わせながら、自分達は安全な精霊樹の守護結界の中で、パートナーのはずの彼が連れ去られて行くのを呆然と見送るしかなかった。
「とにかく、一度、冒険者ギルドに帰ってギルドマスターに報告だ」
「ジュリエッタとロメオの亡骸も丁重に、街まで運ばないといけないしな」
雲ひとつない青空の下、天にそびえる精霊樹の根元の洞には、小さな二匹の白い蛇がまるで寄り添うようにして、そんな街の人々の様子を赤い瞳でじっと見ているのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
涼しい風が吹き込む馬車の後部座席でわずかに響く心地よい振動に、どっぷりと睡眠に沈み込んで昼食の時間も起きることはなく。
結局、俺は夕暮れ前の野営地の草原に着くまで全く気がつかなかった。
見通しの良い足首までの高さの草原に【砂の城】を出して、茜色に染まった空の下で、アリスと俺は二人で伸びをしながら苦笑していた。
「ハクロー、大丈夫?」
「ん? ああ、……ありがとな」
「ううん」
綺麗な茜色の空を見上げたままで、ふと思い出したようにつぶやく。
「あのさ、人間が精霊になるって、この世界でもそんなに簡単なことじゃないはずだよな」
「そうね、精霊化できるほどの穢れ無き純愛を貫くって、どうゆうことなのかしら」
「さあ、現代日本人の俺達には、きっと理解できない――のかもしれない」
いや、理解してはいけない――共感はしたとしても、決して理解してはいけない、そんな気がする。
草原の地平線に沈みゆく夕陽を見ながら、天に向けて伸ばしていた手を、隣りに立つアリスの肩にそっと抱きしめるように乗せると、アリスも俺の腰に腕を回してくる。
しばらくそうして茜色をした空が完全に暮れなずむまで、二人でただ黙って肩を寄せ合って立ち尽くしていた。
そこにあるのは、純愛などではなく、情愛でもなく、友愛ですらなく、きっと生まれたばかりの小さな家族愛だったり、わずかばかりの親愛というものだったりするのかもしれないけれど。
この異世界のどこまでも広い空の下で、純粋な暴力では無い得体の知れない何かに――そんな理不尽で凶暴な何かに決して負けないようにと、俺達だけの愛の形を育む。
「さあ、昼食ってないから腹へったし、夕飯食いに行こうか」
「うん」
そう頷くと沈んだ夕陽に背を向けて振り返り、肩を抱き合ったままゆっくり歩いて戻って来ると、みんなが【砂の城】の前で黙って並んで心配そうに待っていた。
たぶん、みんなからは日没に照らされた茜色の空が逆光になって、俺達二人の顔は見えてはいないんだろうと思う。
だから声色だけでもと、できるだけ明るく聞こえるように二人を代表してみんなに声をかける。
「悪い、待たせちまった。食事にしよーか」
「うん、ハクローくん。アリスちゃんも、おかえりなさい」
腰の前に両手を握りしめたルリが、草原の涼風に白い長髪を揺らしながら、紅い瞳をわずかに細めて薄く微笑む。
その透き通るように美しい笑顔に安堵すると共に、零れ落ちそうになる涙を、逆光の中、必死に堪えるようにして、アリスと二人で震える擦れた声で答えるのだった。
「ああ、ただいま」
「ええ、ただいま」
「「「「「おかえり」」」」」




