48話 小さな家族の姿
24日目の朝からルリの様子がおかしい。
ベッドから起き上がるのも辛そうにしているが、まったく原因に心当たりが無い。異世界に転移して来て溜まった疲労か? それとも最近の心労か? 不味い、分からない。
まだ夜明け前の薄暗い病室でベッドに横たわる、ルリのおでこに手をそっと触れるが、熱があるようでもない。
間違いないか、自分の額を彼女の白い前髪を上げて白雪のように真っ白なおでこにくっ付けても、変わらない同じぐらいの温かさだ。
「熱は、無いようなんだが」
「だいじょうぶですよ」
澄んだ紅い瞳に白い睫毛をわずかに伏せて苦しそうに、少しだけ頬を染めて微笑むルリ。
いかん、不味い、陶磁器のように純白のほっぺが心なしか薄い桃色がかって見える。
不味い、不味い。どうしよう、どうしよう。そうだ、こういう時は【解析】で。
「【解析】しなくても理由は分かりますから、本当にだいじょうぶですよ」
「え? でも……、でもでも、それなら何で」
ブランケットから出されたルリの細い手を、両手で握り締めてアタフタしていると、妖精のフィを肩に乗せたコロンがアリスを連れて来てくれた。
アリスは俺を押し退けるようにして、ベッドのルリの隣に座ると頬に手を触れる。
「ルリ、気分は?」
「だいじょうぶです、ちょっとだけ重いようですが」
「そう。久しぶりだから、身体がビックリしているのかもね」
「横になっていれば、だいじょうぶですから」
「なんだ、なんだよ、アリスは理由が分かっているのか? ルリの体調が、悪い理由が……、知ってるなら」
「ハクロー。あんた、何で泣きそうな顔してんのよ」
アリスに遮られて、我に返る。
「え?」
「はぁ~……ルリ?」
「はい」
呆れたようなアリスが困ったように、やわらかく微笑むルリに視線を送ってから、ボソッとつぶやく。
「生理よ」
「はい?」
「だから、生理が来たのよ。ルリの場合、元の世界でも入院が長くて、その、久しぶりだったから、少し……ね」
「は……い?」
「ハクローくん、心配かけてすみません。だから、本当にだいじょうぶだから、あ」
がばっ、とブランケットをめくると淡い桜色をしたパジャマの上着の上から、ルリのお腹に触れる。少し温かい柔らかなお腹を感じていると、
「あんた何やってんのよ!」
ボカッ
「あいた!」
ルリの下腹部にかぶりつきで顔を寄せていた後頭部を、思い切りアリスに叩かれた。
後ろから頭を殴られて鼻先がぶつかったルリのお腹は、なんだかほんわりといい匂いががしてるのに気がつく。
「そうだ! 赤飯を炊かなきゃ!」
思い出した、姉貴達がやたらと赤飯を毎年のように炊いていたぞ。
ん? タイ米みたいのはあったが、そう言えば小豆って見たことない――気がする。
「大変だ! 小豆が無い!」
「ハクロー……あ、あんたねぇ」
「ハクローくん、だいじょうぶですよ。
ずいぶんと久しぶりですが、初めてではないのでお赤飯はまた今度、何かのお祝いのときにお願いしますね」
「お祝い……はっ! ルリ、でかした!」
「わわっ、……はい。ハクローくん、本当にありがとうございます」
もう訳が分からなくなって、パジャマ姿で横になったままのルリの身体を抱きしめてしまう。ルリはビックリしたようだったが、それでも俺の腕の下から背中に手を回して、よしよしとやさしく擦ってくれるのだった。さすり、さすり、さすり、さすり。
ポコン
「バカね、子供ができた訳じゃないのよ」
そう言って、ルリの白い長髪に顔を埋めてしまった俺の後頭部を、アリスが軽くゲンコツでたたく。
後ろにいるので彼女の顔は見えないが、その声は心からやさしい響きをしているのがわかった。
そうなんだ、あのルリの身体が、病気で死ぬ寸前のところまで弱り切っていたルリの身体が、病気をする前の健康な身体に、元の世界で入院する前の元気な身体に戻っているんだ、この世界で子供を産むことすらできるまでに回復してきている、こんな――こんな嬉しいことがあるもんか。
とても凄くいい匂いのする、ルリの柔らかな身体を抱きしめたままでいると、コロンも俺の背中を擦り始める。
「よーし、よーし。ハク様、よーし、よーし」
「よし、よし。ハクロー、よし、よし」
妖精のフィも俺の肩に乗って、コロンの真似をして俺の髪を擦り始めた。その時、とても大事なことを思い出す。
「は! 生理用品を用意しなくちゃ!」
ルリをゆっくりと横たえてから、がばっ、と起き上がる。そうだ思い出した、女性用ナプキンとか何とかたくさん種類が必要だったはずだ。
「「え?」」
「確か、……う~ん、う~ん」
唸りながら家のあちこちに落ちていた、色々なタイプの形状を思い出しながら【時空錬金】に全魔力を放り込むと最大出力で『時空錬成』を緊急起動させる。
「くおおお、おおー、こ、これで良いのか?」
そう言ってベッドの上にこれでもかと、額に冷や汗を掻きつつも何も無い空間から、ポコポコと各種生理用品の山を出し続ける。
「わわ、ハクローくん。これぐらいで、いいですから。もう、いいですから」
慌てたルリが俺の腕を取って止めるが、アリスはベッドの上に山積みにされた各種生理用品をつつきながら呆れたようにつぶやく。
「相変わらず、ハクローの【時空錬金】って一般用品に限っては何でもありね」
「ルリ、ほら、これで良いのか? それともこれか?」
「あ、いえ、その」
とりあえず適当な生理用品を取ってルリに渡そうとするが、頬を赤くして受け取ろうとしない。違ったか? どれだ?
どれなんだろうと悩んでいると、アリスがさらに呆れたように肩を竦めて見せる。
「あんたねぇ、せめて透けてない灰色の袋にでも入れて、中身が見えないようにしてから出しなさいよ」
「え? そうなのか? 家には」
「ああ、リビングと廊下にたくさん落ちてたのね」
アリスがなぜか遠くを見ながら、手をヒラヒラとさせている。
「よく知ってるな。他にも台所とか玄関と洗面台の横にも」
「もう分かったから! そのダンジョン攻略はまた今度ね」
なぜか叫び出すアリスが、ヒラヒラさせていた手をシッシッとする。
「それじゃ、ほらルリ。流石にここじゃな、トイレに連れてってやるから、腕を回せ」
そう言ってから、ルリを横抱きにしようと腕をルリのお尻の下に入れようとするが。
「くおらぁ!」
ボカッ
「あいた!」
「あんた、ルリをトイレに連れてってどうすんのよ!」
「え? だって、ここじゃ」
「アリスちゃん、だいじょうぶですよぉー。ハクローくんには最初の頃はぁー、動けなかったのでぇー、看病でトイレに連れていってもらっていてぇー、全部見られていますからぁー」
そう言うと、光彩を失くした紅い瞳の視線を凄く遠くにやり、何を思い出したのか、ちょっと放心したような無表情になってしまった。
「ハクロー、あんたは! お年頃の16才の乙女に、何てことしてくれてんのよ!」
「痛い痛い、痛い。アリス、痛い」
突然叫び始めたアリスが、俺の耳を摘まんで引っ張り始めた。
「えー、動けない病人の看病をするのは当たり前だろ?」
「くっ、この男は……最初から侍女をキチンと付けておけば、こんなことには――いや、しかしあの頃は、それはそれで危険が」
何かブツブツ言い始めてしまったアリスは放っとくとして。今度はコロンが珍しく可愛い頬をプンと膨らませて、人差し指をピンと立てながら可愛い顔を寄せて来る。
「ハク様、めっですよ」
「お? そうだ、コロンももう直ぐ必要になるだろうから、この中から好きなの」
「やめぃっちゅーとろうがぁ!」
バカンッ
「あいたー!」
とうとうアリスにベッドサイドに置いてあった金属トレイで殴られた。なぜだ。あ、アリスに抱きしめられているコロンが、可愛い顔を真っ赤にして金色の瞳を涙目にして睨んでるぞ。
「ハクロー、コロンをいぢめるなー」
ぽかぽか、ぽかぽか。
うーん、妖精フィまでが肩の上に乗って頭を叩いているんだが。
するとゆっくりと身体を起こしたルリがベッドに置いた俺の手を握ると、駄目な子に言い聞かせるように、とつとつと話し始める。
「コロンちゃんには、私達が渡してあげますので。だいじょうぶですから。まかせてくださいね」
んー、お父さんは何だか疎外感が半端ないのですが、一般のご家庭ではそうゆうもんなんだろうか。やっぱり、家が変なだけか?
ううぅ、その内、コロンが「ハク様、バッチイからあっち行って」とか言い出したら、どうしよう――死ねるかも。
「ああ、ハクローくんが死んだ魚のような目になってしまって……。
ハクローくん、ハクローくんってば。ああ~、どうしよう帰って来ませんよ」
「ルリもそんな、アンポンタンなハクローなんか放っとけばいいのよ。はあ~。あんまり、甘やかさない方がいいわよ」
腰に手を当てたアリスがため息をつくが、俺の手を握ったままのルリは白い睫毛を伏せながら薄く微笑む。
「けどですね、あのときハクローくんが傍にいてくれなかったら、私、生きていなかったと思うんですよ。
平河くんは自分の行動の結果、切り捨てられちゃいましたけど、私の場合は最初から王国に見捨てられていましたから」
「ルリ……」
「でもハクローくんが、ずっと一緒にいてくれました。昼も夜もずっと一緒にい続けてくれました。
がんばれ、がんばれって言ってくれました。だから、がんばって歩けるようにもなりました。
そして女の子として、赤ちゃんを産むこともできるようになりそうです。えへへ~」
そのルリの、同性の女が見てもハッとするほど澄み切った美しい笑顔に、ようやくホッとしたのかアリスも文字通り【聖女】のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべるのだった。
「そう……、よかったわね」
「ええ、あの元の世界で死ぬしかなかった自分からすると、この世界で自分の赤ちゃんを抱くことができるような未来を想像できるなんて、本当に夢のようです」
手を握られた耳元でそんな声を聴きながら、ふと我に返ると思い出したように、ゆっくりとやさしくルリの柔らかい身体を抱きしめる。
安心できるように、守るようにと抱きしめて、そして祈るようにつぶやく。
「……ルリ、がんばれ……ルリ。がんばれ、ルリ。……すごいぞ、ルリ。すごいことなんだ。だからがんばろう、一緒にがんばろう、な、ルリ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ、ハクローくん。
だいじょうぶですから、私は幸せですよ。幸せになりますよ」
腕の下からそっと背中に回したルリの両手が、ポンポンとあやすように撫でる。しばらくするとアリスとコロンの手が俺の背中を撫でてくる。そしていつの間にか、フィも頭を撫でていた。
そうよねと、アリスがまるで母親のような優しい母性に溢れる声でつぶやく。
「ルリが赤ちゃんを産んだら、私にも抱かせなさいよね」
「コロンも抱きたい」
「フィもー」
ここに、幸せを誓う一人の少女と、その夢をかなえると、必ずかなえてみせると、彼女の幸せを守り抜くんだと傍らに立ち、そっと寄り添う小さな家族の姿。
この世界にできて間もない、ほんの小さな家族の姿があった。




