47話 脱獄
23日目のまだ夜が明けるずっと前の真夜中を過ぎた頃、王城の半地下牢屋の薄暗い廊下には数人のローブで顔を隠した男女が立っていた。
「【勇者】エイジ様、お迎えに上がりました」
鉄格子をはさんで牢屋の中には【従属の首輪】を付けられ、木製の手枷で両手を拘束されて、脚には重い金属の鎖がつながれた平河衛士がボロ布の上に横になっていた。
半地下牢屋に唯一ある鉄格子の小さな窓からは、今夜は月が見えなかった。
平河衛士はむっくりと起き上がると、ロウソクの灯りが溢れる鉄格子の向こうの通路の男女を睨む。
「誰だ」
「私です、サラです。準備に手間取り、遅くなって申し訳ありませんでした」
同じく【従属の首輪】を付けた、奴隷のサラだった。すると、後ろに立っていた貴族風の初老の男が口を挟む。
「【勇者】エイジ殿、まずはここを出てからお話をいたしましょうぞ。迎えの馬車を外に待たせてありますので」
「……わかった。早く俺をここから出せ」
ローブの男たちは守衛から借りたらしい鍵を使って、何の苦労も無く鉄格子の鍵を解錠して、平河衛士を守衛が一人もいない地下牢から外に連れ出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ここまで来れば、ひとまずは安心ですな」
王都の外壁を抜けた荒野の街道の脇に馬車を止めて、ローブを脱いだ初老の男がその顔を表す。やはり貴族が着る服で、腰には豪奢な装飾が施してあるレイピアを下げている。
「まずは、自己紹介じゃな。儂はデルボネル伯爵。【勇者】エイジ殿ほどの力量をこのまま牢屋で朽ちさせるが惜しいと考えて、ご助力させていただいている唯の老骨じゃ」
「【勇者】エイジ様、今回の救出はデルボネル伯爵様が全て段取りをしていただいたのですよ。私一人の力では、とてもこのようにあっさりとは行かなかったでしょう」
奴隷のサラが、苦労しましたとばかりに捲し立てる。それらを睨むように見ていた平河衛士は、鼻を鳴らす。
「ふん。で、これから何処へ行くんだ」
「【勇者】殿には、このまま儂と帝国に行っていただく」
「帝国って、王国の東側にある隣の国か?」
「そうじゃ、すでに帝国の上層部とは話が付けてあって、まあ有体に言えば亡命じゃな」
何でも無いとでも言うように、デルボネル伯爵はそう言うってのけた。これには平河衛士も、そしてサラも目を丸くする。
「あんた、一体何者だ」
「儂か? 儂はさっきも言ったが、王国の貴族でデルボネル伯爵じゃな、そして長きに渡って偉大なる帝国に仕える……そうじゃなスパイとか間諜とか言うと、少し格好が良いかの」
「うわ。そんなのが伯爵って、王国はどうなってるんだよ」
「わっははは。こんなのは良くある話じゃ、難しく考えることなど無いの」
ざっくばらんな性格のようで、デルボネル伯爵はそれこそザックリと話をまとめてしまっていた。流石の平河衛士も、これには笑い出すしかなかった。
「ははは、分かったよ。面白そうだから乗ってやるよ」
「【勇者】エイジ様、しかしそれでは」
驚きを隠すことができないサラは、平河衛士を止めようとするが。
「五月蝿いなあ。もう、この国に居てもしょうがないだろ?」
「で、でもそれでは……」
「五月蝿いってんだよ、何だよお前。だったら、ついて来なくて良いよ。
行こうぜっ、伯爵!」
そう言って、奴隷のサラを置いてサッサと馬車の方に歩き始める。何を言われたのか理解できず、荒野にポツンと一人取り残されるサラ。
「……え?」
「良いのですかな?」
馬車に乗ったデルボネル伯爵が念のためにと声をかけるが、当の平河衛士はサッパリしたように笑顔で答える。
「ああ、良いの良いの。帝国でまた新しいハーレム作るから」
「まあ、それで良いのであれば構わんのじゃが。ふむ……出せ」
そう言うと、荒野の街道を馬車は走り出す。一人【従属の首輪】を付けた奴隷のサラを、その場に残したまま。
「そ、そんな。【勇者】エイジ様、私は……私は」
分厚い雲に遮られて月の見えない暗闇の夜空の下、周囲には何も無い荒野が広がるその場所で、たった一人で残されて、没落貴族の元令嬢の奴隷のサラは呆然と立ち尽くすしかなかった。
唯、唯、何が起きているのか理解することができないでいた。
何故、何もない真っ暗な荒野で一人自分は立ち尽くしているのか、全く理解することができずに自分に問い続けるのだった。
何故と。何故なのかと。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夜が明けると、何だか王城の中は大騒ぎだった。そこらじゅうを、騎士やら文官やらが走り回っている。
昨日、平河衛士が大騒動を起こしたばかりなので、思いっきり悪い予感しかしないのは、危険予知のスキルでも習得する兆候なんだろうか。
このまま病室にいても情報がつかめないので、剣術と歩行の朝練を手早く終わらせて朝食もそこそこに、裏庭の庭園へと向かう。
すると、既にミラとクラリスにアリスが来て待ち構えていた。
だいぶ切羽詰まった表情で、ミラが前置きを無視して結論から説明を始める。
「かなり情報が錯綜しているのですが、これまで集めた情報を整理しますと、【勇者】エイジ様がどうもデルボネル伯爵の手引きで脱獄したのは確かようです」
「嘘っ! あの馬鹿、逃げてどうすんのよ」
ギョッとして、アリスが大声を上げる。
「あちゃ~、この異世界で逃げ場なんかあるのか?」
「それが未確認情報なのですが、どうも帝国に逃げたとの噂が出回っており、王城じゅうの王侯貴族が大騒ぎしております」
ミラに続いて、クラリスが爆弾を投下する。
「帝国? 【勇者】が戦う相手じゃないのよ、それって」
「何で、そんなことになってんだ?」
「実は【勇者】エイジ様の奴隷のサラが王都郊外へ出てすぐの荒野で発見されたのですが、その……混乱しており要領を得ないで困っているようです」
「サラが? 一人でか? 荒野に?」
ミラ自身がここが良く分からない、といった様子で困惑したように話すので、聞いている方も変な質問をしてしまう。すると、代わりにしっかりした口調でクラリスが後を補う。
「姫様はお優しいので……奴隷のサラは一人荒野の真ん中で錯乱した状態だったようです」
「まさか伯爵と脱走を手引きしたが、最後にバカ平河に……」
「置き去りにされたのね」
アリスがおそらくは正解であろう、残酷な答えをつぶやく。
「たぶんな……その場合、奴隷のサラはどうなる?」
「これまでの問題の多い言動もありますし、万が一にも【勇者】エイジ様が敵国である帝国に逃げたことが確認されますと、国家反逆罪に問われることは間違いありません。
良くて犯罪奴隷として鉱山送り、最悪は――極刑かと」
ミラレイア第一王女が苦しそうに、あまりに予想通りの答えを絞り出すように口にするので、思わず天を仰ぐ。
「くぁあ……あの馬鹿」
「国王達はサラをどうしてるの?」
アリスが捕まっている奴隷のサラの扱いを気にすると、ミラが実際にその場を遠くからでも見てきたのか、ため息をつく。
「拷問してでも【勇者】エイジ様の行き先を吐かせるようにと、騒ぐ貴族達を抑えるのに必死のようです」
「そりゃそうか。下手に奴隷のサラに死なれて行き先不明になったバカ平河が、後で帝国と一緒に攻めて来たら笑い話じゃ済まなくなるからな」
「下手をすると、奴隷のサラの暗殺もあるかもしれないわね」
アリスが顎に手を当てて思案顔をする。この状況をさらに混乱させようとする勢力にしてみれば、十分にあり得る話だ。
「しかし殺されなくて、女の身で犯罪奴隷として鉱山に送られたとしても……」
「色々な意味でそんなに長くは生きられませんね。元貴族令嬢としてはどちらの苦しみが短いかは明白かと」
言葉を濁すミラの後を引く継ぐように、同じく貴族の令嬢である侍女のクラリスが身も蓋もないことを言い切る。
「おおぅ……本当にあの大馬鹿めぇ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「うまくいったみたいだねぇ。しっかし、普通あそこで置いて行かれるもんかねぇ、あの奴隷女。
とことん、ツイてないんだろうねぇ~。
まあ、今回は結構おもしろかったかも。でもそろそろお終いにするかなぁ~、くくく」
王城の中で平河衛士の逆襲を恐れて走り回る貴族達を、閉められた雨戸の隙間から見ながら、のんびりと考え事をする黒いフードを深くかぶった男。
男がたたずむ雨戸が閉じられたままの薄暗い空き部屋の、その足元にはお腹を開けられて周囲に内臓を陳列された貴族令嬢が一人。
彼女の口には取り出された、自身の子宮が猿轡のように押し込められていた。
「ぶ……ぶぅ……」
ピク、ピク、ピクと痙攣しながらも鼻から漏れる息からも、こんな状態で何故かまだ僅かに息があるようだった。
「んじゃ、こっちもそろそろお終いにするか、な?」
大振りのナイフを手にした黒フードの男の口が三日月のように、ニヤァ~っと耳まで裂ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「構わん、見つけ出して必ず殺せ。ただし、【勇者】カオリ殿には知られないようにな」
王城の王族専用の執務室のひとつ、重厚な椅子に座り指示を出すフレデリック第一王子。
「既に東の帝国との国境には、警戒を厳にさせております。街道の町を順番に追い立てて行けば、もはや時間の問題かと」
「あの老獪なデルボネル伯爵が一緒なんだぞ、何人かき集めても良いから包囲して袋のネズミにしろ」
「はっ。ところで、吐かせたこの奴隷女はいかがいたしましょうか」
部屋の隅で縄で椅子に縛り付けられたまま、首から金属の【従属の首輪】をぶら下げて気を失っている奴隷のサラ。
殴られたのか顔は腫れ上がり、赤黒く膨れた瞼で目が塞がれている。足元には何枚もの生爪が剥がされて、血と肉を付けたまま落ちていた。
「糞尿臭くてかなわん。さっさと、地下牢に連れていけ。絶対に殺すなよ、あの盗人エイジの死体の前で八つ裂きにしてやるんだからな」
「御意」
縄を解かれてぐったりした奴隷のサラを、引きずって連れ出す黒い軽装の男達。
それを見送ったフレデリック第一王子は、ふん、と鼻を鳴らすと部屋付きの侍女に明るい声で指示する。
「私はこれから【勇者】カオリ殿ところへ行ってくる。その間にこの糞尿臭い部屋を片付けておけ」
「かしこまりました」
ウキウキとしたような軽い足取りで部屋から出て行く第一王子を、お辞儀をした姿勢のままで見送る侍女の姿だけが、一人の少女の鮮血と汗と涙と涎と鼻水とそして糞尿の臭いで咽せ返る執務室に残されていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その第一王子が向かった宮野副生徒会長の部屋には、日も高いというのにいつもの三人が集まっていた。今日は城内の騒ぎのために、戦闘訓練が急きょ中止にされてしまっていたためだ。
「平河くん、何で脱走なんてしちゃったんだろう」
「堪え性が無いみたいだったから、我慢できなかったんじゃないの?」
窓際の席に座り心配する副生徒会長の言葉に、かなり投げやりに返す長瀬風紀委員長。「お前はいらない」と言われたことを、相当根に持っているようだ。
「しかし本当にあの【勇者】の戦力で帝国に行かれると、かなり不味いことになる。逆恨みした平河が帝国の先兵として攻め込んで来た時のために、確実に俺達の訓練は加速するだろうし、本格的に【賢者】で【聖女】である赤坂達の実戦配備も検討されるだろう」
「あの子達が、人の言うことなんか聞くかしら」
沢登生徒会長の的確な政治的状況判断を聞いても、後輩にもかかわらず自分達に尊敬の念を抱かず、全く言うことを聞かないアリス達に、風紀委員長は不信感をあらわにする。
元の世界で自分に懐いて後を付いて来ていた可愛い後輩の少女達と、全く敬意を払う気配すらなく明らかに違うその態度に、自身の理解が及ばないことに苛立ちを募らせていた。
何故正しい筈の自分の言うことに、ことごとく逆らって来るのか、考えを巡らすことすらしないでいる自分自身に気付くことは遂に無かった。
「あの子達のことより、そろそろまたあの第一王子がやって来る頃よ。早く逃げないと」
「わわ、そうです。早く行きましょう」
慌てて席を立ってしまう宮野副生徒会長と、それに反して座ったまま手を振る沢登生徒会長。
「俺は平河のことを聞いておきたいから、二人だけで行ってくれ」
「沢登君、分かりました。平河くんのこと、よろしくお願いしますね」
「香織、行くわよ」
「わあ、琳ちゃん待ってください~」
よほど第一王子に会いたくないのか、とっとと出て行く二人を見送ると、椅子に腰をかけたまま天井を仰ぎ見てつぶやく。
「間違っていない。俺は間違っていない筈だ。間違っているのは、あいつらの方だ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「邪魔な貴族の馬鹿共と一緒に煩わしいクソ叔父を一気に片付けられて、その矛先をまんまと【聖女】殿達になすり付けることに成功した矢先に、……何だこれは、どうしてこんなことになっている!」
王城の薄暗い一室で、国王は呼び付けたマリーアンヌ第二王女に怒声を浴びせる。部屋にはロウソクの灯りさえ無い。
「ご命令に従い、こちら側の召喚【勇者】の最大戦力である、エイジの能力を性急に伸ばすことを優先させた結果かと」
「自由に伸ばし過ぎだ! 勝手放題しおって、挙げ句、よりによって帝国にくれてやるとは……」
「しかし、あの性格です。御することは帝国といえど難し」
「そんなもの使い捨てにするなら、【洗脳】スキルを使えばどうとでもなる!」
「それでもその場合、長期に渡る運用は難しく、相当に使い勝手は悪くなる筈です」
「とにかく一刻も早く残りの【勇者】四人を仕上げろ。【聖女】達はいざという時に、帝国とエイジの盾にできればそれで良い。
因縁のあるエイジに対する戦力としては、最適の囮となるはずだ。どんなことをしても、【聖女】達を決して逃がすでないぞ」
「御意」
「そういえば、ジョスリーヌはどうしておる」
「第三王女は……ショックを受けて自室に」
「ふん、エイジとのことは揉み消せ。ほとぼりが冷めたら、どこか遠くにでも輿入れさせる。まったく、あいつもつくづく運が無い、上手く手綱を握っておれば良かったものを」
「……少々お時間が必要になるかと」
「構わん、元々が本人の意思だ、たまたまでも上手くいけば良いぐらいのものだったが……結局は使えんヤツだ」
「……それでは、捜索隊の準備がありますので」
「うむ。……いや待て、【聖女】達は今一度謁見に呼んで、儂自ら頭を押さえておくか。異世界人だからと、あまり自由にさせ過ぎるのも考え物よ」
跪いた姿勢から立ち上がろうとしてマリーアンヌ第二王女は表情の無い顔を少しだけ上げると、父である国王の苛立つ顔を窺う。
普段であれば浅知恵はあるし、適当な裁定ならできるぐらいの才覚もある――実際に自身の叔父を追い込むことで政敵を排除して宰相派を沈黙させもした。
しかし、それが通用するのも自分の理解がおよぶ範囲の国内に関してのみで、国外の――そう言った意味では、帝国の脅威という国難や、ましてや全く理解の及ばない異世界から来た平民の少年少女に対しては、あまりに凡庸過ぎた。
まだ38才という若さで早世した、英雄王とまで言われた前国王とは、比べるべくもない。
そう、このままでは王国は滅ぶ、それがマリーアンヌ第二王女には冷徹な頭脳で理解できてしまっていた。
「……ひと段落しましたら準備いたします」
「よし行け」
薄暗い廊下を歩くマリーアンヌ第二王女が後ろを振り返ることなく、後ろに控えているはずのその名を呼ぶ。
「タチアナ副騎士団長、捜索隊の準備状況の報告と明後日以降での国王陛下の謁見の……タチアナ? あなた、聞いているのですか?」
立ち止まり振り向いた先には、廊下の端まで誰の姿も無かった。
「……いない?」




