45話 暴戻の勇者(下)
今回は上下話になっているため、2話連続投稿していますのでよろしくお願いします。上話を読まれていない方は申し訳ありませんが、前話の44話を先にお読みくださるようお願いします。
買い物の後で昼食を取って、ミラとクラリスにおまけのフランを護衛を兼ねて一度、王城まで戻ると城内が騒がしい。
「あの若手で一番凄腕のマルタン宮廷魔術師が、怪我して入院したらしいぞ」
「ああ、どうも【勇者】エイジがやったらしい」
「しかも、【勇者】エイジはフレデリック第一王子殿下のフィアンセを寝取ったとか」
「たった今、他の【勇者】達と一緒に騎士団訓練場に行ったようだったけど」
警備の騎士達の噂話を通りすがりに聞いていると、ゲンナリして来る。
「はあ……あのバカ平河、何やってんだ?」
「ハーレム増強計画でも始めたのかしら? ちょっとだけ、病室の様子を見てみましょう」
形の良い眉を寄せて、アリスが考え込むように人差し指を頬に当てる。
「そうだな、アリスの大ファンの怪我の具合も気になるしな」
「べ、別に……私はあんな奴、気になんか……」
わずかに頬をそ染めたアリスがソッポを向くと、珍しくルリがニヘヘ~と『車椅子』から覗き込む。
「はいはい、アリスちゃんはツンデレですからねぇ~」
「アリスおねーちゃん、ちゅんデレ?」
「フィもツンデレよ~」
意味が分かってるのか、コロンとフィもアリスの顔を覗き込むので、アリスは顔を背けると両手を一生懸命に振って逃げるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「【賢者】アリス様……ぐすん」
ルリの隣の病室では首に包帯を巻いて、擦れた声で泣いている宮廷魔術師のマルタンがベットで寝ていた。隣には暗い顔をした、宮廷魔術師団長が付き添っている。
「あんた……」
ベッドに歩み寄った、アリスが眉間に皺を寄せる。
すぐにわかった。
若いマルタンが宮廷魔術師としてそれでも長年培って来た魔法スキルの、そのすべてが【強奪】されてしまっていた。
もう、そこには何も残っていなかった。
大粒の涙をボロボロ流しながら、聞き取れないぐらいの擦れた声でマルタンは、その両手のひらから零れて消えてしまった自分の夢をアリスに語る。
「アリス様のような大魔術師に……成りたかったです」
「あいつめ!」
爆発するように紅蓮の魔力がアリスから放出され、そのまま病室から飛び出して行こうとする。
「待て! アリスでは、相性が悪い!」
「人の直向きな努力を、盗んだな! 許さん! 平河ぁ!」
まるで自分も過去に、同じように一途に努力して作り上げたものを、奪われて台無しにされてしまったことがあるかのように、紅と蒼の瞳オッドアイを鈍く輝かせてアリスが激昂する。
「アリス待て! 俺が行く。俺はユニークスキルばかりだから、奴は【強奪】できないっ」
他の一般スキルは自分の身体で身に付けたものだから、万が一盗まれても、もう一度やり直せるからなんとかなる――はずだ。
上位スキルの【解析】だけが心配だが、そこはそもそも【ドライスーツ(防壁)】で身体接触できないはずだし、最悪は何とでもなるだろうと結構安易に考えていた。
「ハクロー! でも!」
「まかせろ」
肩を怒らせてにじり寄ってくる、アリスの逆立てられた紅い髪をポンポンとできるだけ優しく叩くと、少し早足に病室を出るのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
王城の騎士団訓練場の真ん中では、天使にもらった【魔法剣・ゲオルギオス】を持ったまま、全身傷だらけの沢登生徒会長が地面に倒れ伏していた。
それを見下ろしながら、刃引きした片手剣を肩に担いでヘラヘラ笑う平河衛士は汗一つかいていない。
「なんだよ、そっちは伝説級の【魔法剣】とやらを使わせてやってるってのに、全然ダメダメじゃん。
そんなんで、よく【勇者】とか言ってられるな。こんな弱っちい【勇者】いらねーんじゃね?
最強【勇者】でチートな俺様一人がいれば、オッケーだろ」
「その通りです! 王国一最強の【勇者】エイジ様がいれば他の者など必要ありません!」
模擬戦は既に終わっていたようで、平河衛士の傍に寄って行った奴隷のサラが興奮して叫んでいる。
しかし、対照的に暗い顔をして隣にいるジョスリーヌ第三王女は、俯き加減で平河衛士につぶやく。
「あれほど、私が大事とおっしゃっていたではないですか。他の女は、必要ないと」
「ん? ああ、姫様ってさぁ、ベッドで横になって転がってるだけで感度も悪いし、ぶっちゃけマグロ抱いてるみてーで、つまんねーんだもん。なんかなー、ってねぇ~」
「…………え?」
何を言われたのか分からず、顔を上げて高貴な口をポカンと開けたまま、固まってしまったジョスリーヌ第三王女。
なんつー話を王城のど真ん中でしてるんだ、あの馬鹿は。
この騎士団訓練場には取り囲むように、長瀬風紀委員長、宮野副生徒会長、マリーアンヌ第二王女、フレデリック第一王子と、後で分かったのだがそのフィアンセの公爵令嬢ミュリエル、元副騎士団長の元フィアンセの伯爵令嬢エルミール、平河衛士の奴隷女性達の九人に王国騎士団と豪華フルキャスト状態だった。
「【フレイムジャベリン】!」
切り裂くような爆発音と共に、問答無用で連続発射されたアリスの上位火魔法が平河衛士を襲う。
しかし、既に【加速】していたらしい平河衛士も、遅れながらも【ウオーターシールド】を【詠唱短縮】で重ね掛けして展開したようで、水飛沫と湯煙を周囲にまき散らしながらも何とか防ぎ切っていた。
「ぐあぁ――っちぃいいい! あっぶねーじゃねえか! 当たったらどーすんだよ!」
「殺しはしないわ、宮廷魔術師マルタンの魔法スキルを返してもらわなきゃいけないからね」
「馬鹿じゃねーの? んなもん、一度【強奪】したら返せる訳ねーだろ!」
やはりそうか、奪ったスキルは元の持ち主に返すことはできないんだ。これで決まった、平河は武力で鎮圧、無力化する。説得という選択肢は、無しだ。
「アリスはさがっていろ!」
「もう、日本人でも許さねぇ! てめーのLv10魔法スキルも全部【強奪】してやる!」
「させるか! 『マルチタスク』並列処理、同時展開、【HANABI(爆裂)】! 【チューブ(転移)】! 【ドライスーツ(防壁)】電撃最大出力!」
アリスに触れようと【加速】で急速接近する平河衛士の眼前の空間を、爆破して一瞬だけ怯ませて動きを止めると、ゼロ距離の空中に転移して後ろから首筋を掴み、電撃を最高電圧の連続パルスで印加してやった。
バリバリバリッ、と目も眩むような閃光と、張り裂ける炸裂音が屋外訓練場に鳴り響く。
「ぎゃぁああああああ!」
あ……、少しやりすぎたか? 膝から崩れ落ちた平河衛士は茶髪がチリチリに焦げて、あちこちから白い煙を上げているぞ。
まあ、無力化はできたんだから、いいかぁ。
『釣り糸(タングステン合金ワイヤー)』で手足をぐるぐる巻きにされて地面に転がされて、未だ痺れている平河衛士が白い煙を上げながら焦げ臭い声で叫んでいる。
「チートだ、ずるいぞ! だいたい【強奪】できないユニークスキルなんて、チートだろ! インチキだ!」
そんなことは分かってるさ、だから何だって言うんだ。
このスキルを返したら、ルリ達を日本に返してくれるとでも言うのか?
そうじゃないんだったら、手に入れた手段を使ってこの理不尽な異世界の全てからルリ達を守りながら生きていくしかないんだ。
誰にも文句なんか、絶対に言わせはしない。
それでも醜く喚き散らし続ける、地面に縛られて転がされた平河衛士を、黙ったままでポロポロと泣きながら、高そうなヒールで足蹴にする貴族令嬢二人がいた。
【従属の首輪】をつけた奴隷女性の九人も一緒になって、泣きながら蹴りを入れている。
集まった王国騎士団員を含めた男達は、その地獄の窯を開けたような鬼気迫る雰囲気に近づくことすらできず、遠巻きにそれを唯見ているだけだ。
「あー……怨まれてんなぁ」
「無理もないけどねぇ~。
あの貴族令嬢の二人は、フレデリック第一王子のフィアンセの公爵令嬢ミュリエルと、元副騎士団長の元フィアンセの伯爵令嬢エルミールね」
「でもやっぱり、平河くんを見ていると哀れを誘うのですから……不思議ですねぇ」
アリスとルリがため息混じりに、美女達に蹴り続けられる平河衛士を見つめる。
そのすぐそばで唖然、呆然、愕然としてしまっているジョスリーヌ第三王女なんて、さっきの平河衛士の暴言もあってか……口からエクトプラズムが出てないか、あれ。
それでも、没落貴族の元令嬢の奴隷サラだけは一人だけ、まだ平河衛士を庇っているみたいだ。
「ゆ、【勇者】エイジ様は、今回は、ちょっと調子が悪く、……たまたま、道端の石に、躓いただけで、ギロッ」
む、路傍の石で悪かったな。その石っころに瞬殺されたんだけど、見る目は変えないのか?
本当に大丈夫かこの女、間違った変な方に向かって走って行かないだろうな。うげ、こっち睨んでるよ。
そういえば奴隷の女性達はサラの他にも九人いたけど、……ああ、我に返ると座り込んで涙と共に途方に暮れてしまっているなぁ。
これからは良くも悪くも、これまでのようには行かなくなるだろうからな。
そんな光景を一緒に見ていたミラとクラリスが、こちらを見ることなく小声でつぶやく。それにしてもこんな人の多い場所に二人共、珍しいな。
「ハクロー様、【勇者】エイジ様の処遇にもよりますが、おそらくは彼の明確な戦力となる、あの奴隷女性達からは遠ざけられると思います。
なので、彼女達は私の方で預からせていただくことにしたいと考えます」
「姫様、南部の別荘にはこれから侍女が不足することになりますので、下女メイド見習いとして教育すればよろしいかと」
「そうか、……悪いな」
「助かるわ」
「ミラさん、クラリスさんもありがとうございます」
「コロンも、ありがとでしゅ」
「フィも感謝しておくわ」
その素晴らしいプロポーションで背筋を伸ばして、凛としたオーラを発するミラレイア第一王女と後ろに控えた侍女のクラリスの、迷わず目の前の弱者に手を差し伸べるその高潔な後ろ姿に、思わず見惚れて礼を述べるのだった。
「もとはといえば王国が【勇者】の我儘に答えて、貸し与えてしまっていた奴隷の女性達です」
「姫様の言う通りで、資産的には王国に属することになっていますので、こちらに付け替えて引っ張るのも容易かと」
「ふう~、なら良かったな」
「変な趣味のヘンタイ貴族とかに、売られて行かなくて本当良かったわね」
「アリスちゃんの言う通り、この国は碌な貴族がいないですからねぇ」
権力を笠に着たアホ貴族に酷い目にあわされたことのあるアリスとルリが、思わず晴れ渡った遠くの青空を見上げてしまう。
「コロンも、しみじみホントでしゅ」
「そうね、フィでも救いようが無いわ」
実際、奴隷の身だったコロンとフィの身につまされるようなつぶやきに、一歩後ろに立っていた神聖皇国出身のシスター・フランは、ため息をつくように首をガックリとさせる。
「やっぱり、そんなにこの国の貴族というのは酷いのですか~?」
俺達の話が聞こえていたのか、奴隷の女性達九人は抱き合って泣きながら、ブンブンと首を縦に振って頷いていた。
「その者を、異世界人の平民エイジを殺せ! そんな奴は【勇者】なんかじゃない!」
「ま、まあ、まあ。ここは穏便に、穏便にねぇ~」
こちらも我に返ったのか、面子を潰されたフレデリック第一王子が何やら喚いている。それを止めているのは――ああ、宮野副生徒会長か。
生徒会長と風紀委員長はといえば――なんだ、まだ伸されたままボーッとしてるのかよ。いい加減、シャキッとしろよなぁ。
すると、後ろから白髪混じりの、しかし貫禄のある年配の貴族の男がやってこちらに来て――俺達に話しかけてきた。
「登城が遅れた儂らに代わり、うちの娘の仇をとってくれたことに感謝する。
何かあれば、儂のところまで来るといい。できる限りのことはすると約束しよう」
そう言うと、泣き崩れている公爵令嬢ミュリエルの肩を抱き、支えるようにしてフレデリック第一王子の傍まで行って居殺すように睨むと、これ以上はないというぐらい低い声で一言だけ発した。
「婚約は解消でよいですな」
「そ、それは」
年配の貴族は高齢になってから授かったんだろう愛娘を庇うように、そして守るように支えたまま、フレデリック第一王子の返事を聞くこともなく去って行った。
さっきまで感情的に任せて喚き散らしていたフレデリック第一王子は現実に立ち返ったのか、右手で何かを掴もうとするように、途中まで上げた状態で立ち尽くしている。
「フレデリック第一王子殿下のフィアンセである、ミュリエル様のお父上でカリエール公爵です」
「はい、姫様。言われるように先日数が減ってしまった残されし三公爵家で、つまりはそれだけ権力が集中している、しかも軍閥の筆頭になりますね」
「目に入れても痛くない大事な娘さんを平河に攫われたと聞きつけて、窮地に駆け付けて来たという訳か」
「ええ、クロセ様が【勇者】エイジ殿を止めていなければ、おそらくは……いえ確実にカリエール公爵が率いる王国全軍に磨り潰されて殺されていたでしょう」
侍女クラリスの王国の公爵事情に加えて、ミラレイア第一王女がその苛烈な人柄を思い起こすように、その存在感のある後ろ姿を見送りながらつぶやく。
私情で躊躇わず国軍を動かせるって、何それ怖っ!
「うわぁ~。あの馬鹿、誰の娘に手を出してんのよ」
「それじゃ、貴族家として平河との関係を認めていた、伯爵家の令嬢エルミールはどうなるんだ? 元副騎士団長の元フィアンセだったはずだが……まだあそこで一人ポツンと立ってるぞ。家には――帰れるのか?」
悲哀を全身に漂わせた、美しいはずの貴族令嬢の余りにも哀れな姿に、思わず要らない台詞を吐いてしまう。
「それは……難しいかもしれませんね」
「姫様、この場はハッキリと言われた方が良いかと。
クロセ様、心やさしい姫様は言葉を濁されましたが、現実的に今さら伯爵家に帰ったところで居場所はありませんし、異世界のしかも平民で最悪は大罪人となるような男と関係を持った、傷物の貴族令嬢をほしいという貴族家は、間違いなくこの王国にはありません」
「おおぅ……どうすんだよ、あの大馬鹿」
「それは元副騎士団長で彼女のフィアンセだった、ランベール殿も同じことです。
彼の軽率な行動が、一人の貴族令嬢の幸せな未来があったはずの、人生の行き場を奪ったのですから」
ミラの辛辣な言葉に、誰もがそもそもの原因となってしまった今はここにいない、傲慢さ故に一人の女性の人生を台無しにした男のことを思い出す。
「ああ……どいつもこいつも。そういえば、元副騎士団長の妹ちゃんは伯爵令嬢のエルミールをお姉様って呼んで懐いていたようけど。はあ~、クソっ」
「クロセ様、姫様、ひとまず王城の客室を一つ用意させておきます。その後のことは、伯爵家と相談した上で」
どうしようもないことは取り敢えず置いておいて、彼女をこの場から退避させてあげようとしてくれるクラリスに、静かに答えるミラ。
「分かりました。よろしく頼みましたよ」
「本当、ありがとうな……はあ~」
盛大にため息をつくと、さっきから誰も話しかけることなく放置されている、俯いたまま動かないマリーアンヌ第二王女に、嫌々仕方なく本当は必要ないのかもしれないが凄く後ろ向きな気分で話しかける。
「おい、平河はどうなる?」
「捕縛しておいて、貴殿がそれを聞きますか?」
ようやく、キッと青い瞳を睨むように上げるマリーアンヌ第二王女と、その珍しく無責任な台詞に反射的に反応してしまうアリス。
「マリー、あんたね!」
「いいよ、アリス。くっくっくっ、お前にそんなことを言われる日が来るとはな……。
結局はバカ平河を逮捕することもできずに、これまでも事態が悪化するのを黙って見ていて、嫌な所は見ないフリをして放置し続けた挙げ句の果てにアイツの人生を棒に振らせた、全ての元凶であるマリーアンヌ第二王女姫殿下様に言われたくは無いな」
「う……」
「黙ってないで、答えろ。ヤツをこの世界に呼んだのは、お前だぞ」
再び俯いて眉間に盛大に皺を寄せて唇を強く噛んだマリーアンヌ第二王女を、俺は何としても逃すつもりは無い。
すると、ストロベリーブロンドの前髪に長い睫毛と青い目を伏せたまま、ポツポツと零れるように――氷結の思考でまとめただろう考えをつぶやき始める。
「兄上――第一王子の立場もありますが、カリエール公爵がどう出るかによります。最悪は首を差し出すことに」
「そこは、お前が何とかしろ。
ヤツの我儘を許していたのは、お前達王国の責任だ。その責任に見合うだけの義務を果たせ。絶対に暗殺もさせるなよ」
「……分かりました。できる限りのことを」
「やるんだ。勝手にヤツを呼んでおいて、いらなくなったからと殺したりしたら、その責任をお前ら全員に取ってもらうぞ」
言い逃れを許さず遮って、最も重要な要求を突きつける。
そうだ、あんな馬鹿な平河衛士だが、日本にいれば偽りの力に騙されることも人生を勘違いすることもなく、そして牢屋につながれることもなかったはずだ。
「肝に銘じておきます」
「頼むな」
黙ったままのルリ、アリス、コロン、フィ、ミラ、クラリス、フランの視線を背に受けながら、本当に頼むと心から頭を下げる。
日本から誘拐されて来て、自業自得とはいえその中の一人でも命を奪われる事態となれば、次は自分ではないかというやり切れない恐怖に――現実に気がついてしまう者達が出るはずだ。
いずれは、仕方がないことだ――しかし、今は力が足りない。まだ早い――早過ぎる。
少人数でも大きな権力とその物量に決して潰されることのない――剣もそうだが、やはり決定的な戦力差を付けることができる、絶対的な――そう、言うなれば無敵の魔法力を手に入れることが必要だ。
そのためには、やはり魔法学園に行く必要がある。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜、鉄格子のある小さな窓から綺麗な月が見えるものの、酷くジメジメして異臭が漂う半地下牢。
ロウソクの灯りも無い石壁と石床でできたその牢屋では、【従属の首輪】を首に付け、手枷に足首には鉄の鎖につながれた、平河衛士が右手の親指の爪を噛みながらブツブツ呟いていた。
「俺は【勇者】なんだぞ、最強チートスキルなんだぞ、それなのに何で!」
天使には伸びしろの無い武器やスキルではなく、未来永劫に拡張、拡大して成長し続ける【強奪】のスキルを要求した。
計算通りに、剣術関連のスキルを手に入れて身体になじませて、レベルも上がって魔力量も増えて、やっと待望の魔法関連のスキルも奪うことができて、何もかもがこれからという時に。
日本のゲーム知識を駆使して【強奪】で最強のスキル構成を構築して、これから誰もが足元にも及ばない最強伝説を作りあげていくはずだったのだ。
奴隷ハーレムも手に入れた、大貴族の令嬢達も手に入れた、日本では無理だった多くの美女達を侍らせることもできた。
これから、これからだったんだ。
それなのに、何で……。
何でなんだ、あんな【勇者】ですらない、たいしたスキルも持っていないヤツに。
もう一度、もう一度リセットして、やり直すことができれば……今持っている強力なスキルを惜しげもなく最初から使い切って、強くてニューゲームができるのに!
しばらくするとつぶやく声も聞こえなくなり、ひたすら爪を噛む音だけが牢屋の通路にどこまでも響いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月光の差し込む病室の窓から雲の無い夜空を見上げると、綺麗な月が見えた。
何をするでもなく窓辺から夜空に輝く月を眺め続けていると、ルリが薬指に指輪を付けた方の手で、俺の心臓に近い方の手をやさしく握る。
ふと見ると『車椅子』に座り、紅い瞳を少しだけ細めながら見上げる、透き通るような白い頬に長い白髪をさらさらとかけて、桜色をした唇の端をほんの少しだけ上げて微笑みかける少女。
「私もそろそろ苗字ではなく、仲間っぽく名前で呼んでみたいのですが。ちょっと私の名前を呼んでみてもらえますか?」
「急にどうし…………ルリ」
「はい、ハクローくん」
「あぁ、ルリ」
「はい、ハクローくん。えへへ」
そう鈴をコロがすような声で微笑みながら答えると、握ったやわらかなその細い指に少しだけ力を込めてきた。
『車椅子』に座ったルリはそれとは反対の左手を伸ばすと、窓から入って来る風に紅い長髪を揺らしながら、さくらんぼのような唇を尖らせて、夜空に浮かぶ月を睨むアリスの右手を握る。
金髪を虹色の羽に触れさせる妖精フィを肩にのせたコロンも、白銀色の狐耳に長髪としっぽをゆっくりと振りながら、空いている俺の右手を黙って握ってくる。
肩を並べ、手と手をつないだ四人と肩に乗った一人を入れた、ほんの小さな家族で見上げる窓の外には、かつて日本で見たのと同じ夜月がそこには変わらずあった。




