19話 銀狐の少女
7日目の早朝。朝っぱらから物々しい雰囲気の王城は放っておいて、夜明け前から今日も剣術の朝練に勤しむ。
一通り終わって、病室の外の地べたに座り込むと両足を投げ出す。
すぐ横に顔を向けてみると、花の苗を花壇の鉢植えに移し終わったルリが、『車椅子』に座って瑠璃色の空を気持ちよさそうに見上げていた。
今朝は普段着の生成色のワンピースに着替えていて、綺麗な白髪をペールピンクのリボンで縛って首の横から胸元に下している。
「まだえらく早いけど、寝てなくていいのか?」
「はい。ふふふ、これでも普段から早起きさん、なんですよ」
「そうか」
座り込んだ位置から見上げるルリの胸の前に下げられた白い髪は、夜明け前のどこまでも透き通るような瑠璃色をした空のグラデーションに染まるように、淡い瑠璃色に輝いて見えていた。
「ルリのその髪も夜明け前の空の色を反射して、淡く瑠璃色に見えるんだな」
「あ、本当ですね、初めて気がつきました。ふふふ、クロセくんとお揃いでちょっとうれしいです」
あらためて自分の胸元の髪を見下ろして、くすくすと鈴をコロがすように笑う少女。
そこに向かって後ろから、朝も早いというのに近づきながら声をかけてくる、ちょっとだけ不機嫌そうに長い真紅の髪をなびかせたアリス。
「あんた達、何いい雰囲気出してるのよ。昨日の晩、何かあったの?」
「え? べ、別に何も」
そっぽを向いて紅い瞳の視線を彷徨わせるルリさん、口笛吹けていませんよ。
「あやしい……昨晩は突然、王城の周りに爆裂魔法が炸裂し始めて、王族は腰を抜かして大騒ぎだし、小心者の貴族連中は大慌てで逃げ出すし……いったい、あれは何だったのよ!」
「へ、へぇー」
「ソーナンダー」
「あんた達、あんなに大きな音させてたのに気がつかなかったの?」
「え? え~」
「い、いやぁ~」
「やっぱり、何か怪しいわねぇ……」
「そ、そうだ、三人で一緒に写真撮りましょう。クロセくんがスマホで撮ってくれるそうです」
紅と蒼のオッドアイの目を細めて睨むアリスの腕をルリが両手で取り、有無を言わさず『車椅子』に座るルリを囲んで三人で自撮り、パチリコ。
「えへへ、どんどん二人との思い出の写真が増えていきます~」
「うふふ、んーっ! もう、ルリったら可愛いんだからぁ!」
突然、ルリを抱きしめるとアリスがその頬に、スリスリし始める。
「わわ、クロセくん。アリスちゃんが……きゃあー」
「アリスも、ルリには甘々だよな」
「私って一人っ子だったから、可愛い妹が欲しかったのよ~」
「あれ? 私、おねーちゃんですよね? あれ? あれれ~?」
朝食はアリスもいるので王城内の食材を侍女さんに持って来てもらい、別に作っておいた柔らかお野菜たっぷりミネストローネも添えて、三人一緒に食べることにする。
最近のルリは既に自分でスプーンを持って食べられるまでに、ずいぶんと体調が回復していた。
「あら、このスープおいしいわね」
「ふふん、クロセくんが作ってくれるご飯はとってもおいしいんですよ」
「なんで、ルリが偉そうなのよ。そういえば、ハクローってばいっちょ前に料理ができるのよねぇ」
「何も大層な物はできないぞ? 家で姉貴達に餌をやったり、バイト先で店長達に賄いを作ったりしていただけだ」
家でもバイト先でもキッチンに立つのはいつも何故か俺だけだったことに、ちょっと視線を遠くする――いかんいかん、またキモいぞ。
「ああ、ハクローのお姉さん達は料理をしなかったのね……」
「自分で電子レンジを、チンぐらいはできていたけどな」
「それでも、すごいです。私がチンすると、なぜかお弁当が爆発するんですよぉ~。ナゼ?」
「ハクロー、電子レンジでチンは料理とは言わないわ。
それよりルリ、あんたいったい……あと、チンって言う電子レンジはもう最近では無いらしいわよ」
「「マジですか!」」
なんてことだ、家のは初期の頃の超強力マイクロ波で手加減なしの速攻加熱だったというのに……そういえばコンビニでは弁当を温めるときに、ピーピーって言ってた気がする。ちょっとショックだ。
「何言ってんのよ、最近はレンジがしゃべるわよ」
「おおー、マジか……」
「マジですか……」
あまりのショックにルリと二人で呆然としていると、急にルリがハッと思いついたように拳を握りしめて、紅い瞳をキラキラさせた明るい笑顔で、鬼の首でも取ったように叫ぶ。
「クロセくん、レンジとおしゃべりができれば、みんなでぼっち卒業です!」
「「それってたぶん違う」」
この世すべてのぼっち救済をもくろむ、【勇者】ルリさんの野望が潰えた瞬間だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「といわけで、ついに本日、ルリも念願の冒険者デビューです!」
「わー、ぱちぱちぱち」
「で、やってきました。ここが冒険者ギルドだ」
ルリを『車椅子』と共に【波乗り】で浮かして押しながら、ギルド会館の年季の入った扉を開けて建物の中に足を踏み入れる。
結局、あのままルリを一人で病室に置いておくことは危険と判断し、それならばといっそのこと一緒に連れてくることにした。
四六時中、常時【ドライスーツ(防壁)】がルリを守っているし、最強後衛のアリスの傍にいれば、それ以上に安全な場所はおそらくは無い。
「おー、特撮映画みたいです。わわ、ゲームの【勇者】みたいに大きな両手剣を背中に背負った人がいます。
わー、ツバが広いトンガリ帽をかぶって黒いマントを着た、魔法使いっぽい女の人が大きな杖を持っています~」
何をおっしゃる、ウサギさん。あなたが【勇者】なんですよ、ルリさん。それに、あなたの隣にいるアリスは【賢者】で【聖女】です。
『車椅子』に座ってお上りさんよろしく興奮気味に、きょろきょろするルリを取りあえず気の済むようにさせておいて、クエストボートを確認することにする。
うーん、特に森の深部への調査依頼があるわけでも無いのか……あれだけ高いエンカウント率でも危険は無いということか?
「おい、椅子のお嬢ちゃん、依頼ならあっちのカウンターだぜ」
「その椅子、押してってやろうか? 何なら、そのまま近くのホテルの個室まで押してってやるぜ? なんてな、へへへ」
あ、またゴンザ……ゴンの二人組だ。懲りないというか、分かってて絡んで来ているのか? ああ……アリスが紅と蒼のオッドアイを三角にして怒ってるぞ。
「あんた達、私の大切なルリに何言ってくれちゃってんのよ! 【ガストバズーカ】!」
「げ、お前は【紅の……ぎゃ――っ」
「ぎゃあ、またかぁ――っ!」
今回はさすがに手加減したのか、壁際まで吹き飛ばしただけだった。
ゴン達二人組が壁際でのびているのを放置して、受付の女性に苦笑されながらルリの冒険者登録をしてから、今日も元気にいつもの常時依頼の『採取クエスト』に出かける。
「おい、今の椅子の少女の鑑定結果は【勇しゃ」
「しっ! ギルドマスターからの指示は、黙認よ」
「うっ……そう、なんだが」
ギルド会館の扉を出る前に、カウンターの受付の女性とギルド職員の会話が漏れ聞こえてきていた。
やはりこの世界で国を跨いだ最大規模の戦闘組織であるはずの、冒険者ギルドの情報管理と危機管理体制には大きな問題があるようだった。ギルドに漏れた情報は、例え秘匿を約束されたとしても、全て一般公開されるも同然と考えた方がいいだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「首輪をした奴隷を殺すのって、初めてなんだよ。やっと異世界に来たって感じがしてきたねぇ」
「ぎゃああああ!」
王都の大通りから少し入った、スラム街の一角が鮮血に塗れていた。
唯一【従属の首輪】を付けていない、奴隷商と思われるでっぷりと腹がでた男は、両手両足をバラバラにされて転がっている。【従属の首輪】を付けた戦奴の男と女は腹を開かれて中身を路地裏にぶちまけていた。
「あ、あたしは娼婦もできるんだ、何でもしていいから、命だけは……かふっ」
大きな南蛮刀のような両手剣を片手で軽々と持った黒フードの男は、脚に縋りつく妖艶なプロポーションをした女の首をサックリと切り落としてから、血が噴き出る首の無い身体に残ったままの【従属の首輪】をむしり取って、しげしげと眺める。
「んなカビた汚いモンなんかいらないよ~、あれ? この首輪どうやって使うんだ、開かないぞ?」
「ひっ、ひっ、ひっ」
残り一人になった白銀色をした長い髪の狐人の少女が歯をカチカチ言わせながら、石畳の地面に座り込んだまま後ずさる。周囲の建物からは人の気配がするが、扉も窓も固く閉ざされ、誰も助けに出て来る者はいない。
「おっと、ケモ耳は最後のお・た・の・し・みに取ってあるんだからさぁ」
そう言うと、振り返って逃げ出す小柄な狐人の少女の白銀色のしっぽを掴むと、そのまま片手で軽々と目の高さまで吊り上げてしまう。
「ひいっ!」
宙づりになったまま、手足をバタバタさせて逃げようとする狐人の少女を、瞳孔が縦に裂けた赤い瞳で見下ろしながら、黒フードを深くかぶった男が口元を月のようにニタァ~と歪める。
「おー、暴れる暴れる。元の世界で、大型犬を殺した時に似ているか?
さてと、どっからバラすかなぁ……耳からかなぁ、……やっぱ、尻尾は最後だよな」
鮮血に染まったスラムの路地裏に、狐人の少女のしっぽを掴んで立つ、黒フードの男の声にならない笑い声だけが反響する。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「クロセくんも、アリスちゃんも、すっごく強いのでビックリしました!
アリスちゃんの魔法がこう、ドカァーって、それでクロセくんが、ピューって走って行って、それでそれで」
王都の大通りを『車椅子』に座って押されながら帰って来ているルリが、興奮して身振り手振りでアリスと俺の狩りをプレイバックしてみせる。
今日は昨日までと違い、森の入り口も特にエンカウント率が異常に高いということもなかった。
『薬草』が『採取クエスト』に必要な最低数量が集まるまで魔物狩りを続けて、今日はルリが初めてということもあるし、疲れるといけないので、少し早めに王都に帰って来たのだ。
「ふふん、そりゃそうよ。【賢者】で【聖女】の私にかかれば、ザコ魔物なんてちょろいもんよ!」
「おお~、さすがアリスちゃんです」
白銀プレートの下の薄い胸を張ってふんぞり返るアリスを、ルリがキラキラした紅い瞳で両手を握って見上げる。
その時、最近は王都城壁の中だろうと常時発動して索敵範囲が拡大していた【ソナー(探査)】に敵影マーカーの反応が――しかも、その周りには複数の死亡マーカーまである。
こんな街のド真ん中に? クソッ、しかもこの敵影って魔物じゃなくて、人間じゃないか!
見た目で<敵>と判定できる魔物と違って、見ただけでは<敵/味方>の判別が付かない『人間の姿をした敵』が一番やっかいだった。
この前のように、人間の姿をして何食わぬ顔で近づいて来て、後ろから奇襲されると全く対処できない。絶対に逃がしてはいけないヤツ――敵だ。
その時突然、ルリが見えるはずの無いマーカーが差す方向を、その紅い瞳で見据えると叫ぶ。
「クロセくん、運命の子です。お願いっ、助けて!」
「アリス、あっちだ!」
路地裏を指差して叫ぶと、ルリの【ドライスーツ(防壁)】を白く発光するまで最大に強化して、浮かせた『車椅子』ごと【ビーチフラッグ(加速)】で最大加速をかける。
「わきゃ!」
「え? ハクロー!」
ルリの悲鳴とアリスの声にかまわず、大通り裏の路地を突き進む。すれ違う通行人が驚いて慌てて避けるのを、縫うように駆け抜ける。
【遠目の魔眼】で状況を確認したアリスが、後から【加速】で追いついて来る。
「見えた!」
そこには左手で長い白銀髪の少女を吊り上げて、右手の大きな南蛮刀を振り上げている黒いフードの男がいた。
「ん?」
こちらに気付いた黒フードを深くかぶった男が、ニヤッと笑って左手で掴んで吊り上げていた――あれは、しっぽか! ――に向かって無慈悲に南蛮刀を振り下ろす。
「ひいぃぃぃぃぃっ!」
「くそっ!」
金色の瞳を大きく開き、口の小さな牙をむいた少女の声にならない悲鳴を聞きながら、【時空魔法】で瞬時に【ビーチフラッグ(加速)】を重ね掛けして複数の魔法陣を背負った『蒼い光弾』となって、爆音と共に黒フードの男めがけて射出される。
しっぽを切り取られた少女が地面に落下する前に抱き止めると、そのままの勢いで黒フードの男に【ドライスーツ(防壁)】を前方に最大展開したまま、肩から激突するように体当たりして、黒フードの男を路地裏の壁まで吹き飛ばす。
「ぐがあっ!」
「ハクロー!」
「アリスはルリを頼む!」
すぐ後ろに置いてきた『車椅子』のルリをアリスにまかせて、割れた壁からのっそりと起き上がるフードの男に対峙する。
「(【波乗り】起動準備! 【HANABI(爆裂)】起動準備!)」
口の中で覚えたての攻撃魔法を発動待機させながら、【ソナー(探査)】で黒フードの男ごと周囲を俯瞰して、ターゲッティングを完了させると迎撃体勢を準備する。
「くくっ」
ニヤ~ッと笑う、起き上がった黒いフードをかぶった男は、大きな南蛮刀を腰の鞘にしまうと、何かが裂けるような重低音と共に背中にコウモリのような漆黒の翼を広げ、地面の石畳を蹴って空に向かい、砂埃を巻き上げて垂直に飛び上がった。
「何!」
あっけにとられて上を見上げるが、裏路地の建物に遮られてすぐに見えなくなってしまう。
「しまった、それよりも!」
すぐに周りを見回して切り取られた少女の白銀色のしっぽを拾うと、胸に抱きしめている意識を失った白銀の髪を真っ赤に染めた少女の臀部に押し付ける。
「くっつけ! くっつけ!」
「ハクロー、……それは、もう」
近くに落ちていた、少女のものと思われるふたつの白銀色の狐耳を両手で持って、くやしそうにアリスが俺につぶやく。
これは明らかに部位欠損だ、アリスの上位回復魔法でも治すことはできはしない。
それは聞いた、知っている。わかってる。そんなの、わかっちゃいるが。
それでも、
「くっつけ! 治れ!」
「クロセくん……がんばれ、がんばれぇ」
それでも白銀色の長髪を赤く染めた少女を、胸の中に抱きしめたまま小さく叫ぶ俺に、『車椅子』のルリが「がんばれ、がんばれ」と祈るように、言魂を捧げる。
すると少女の体が薄く蒼白い光りを放つと、まるで最初からそうであったように白銀のしっぽがくっついていた。
あわててアリスが持っていた両方の耳を少女の頭に押し付ける。すると、ふたつともまるで最初から切り取られていなかったかのように、しっかりと赤く染まった銀髪の少女の頭に付いているのだった。
――【女神■■■■■■■の加護】によりスキル【限界突破】を強制開放しました。
――オリジナルスペル【ライフセーバー(救命)】を取得しました。
「ハクロー、それって超位回復魔法……」
目の前が霞んで頭がズキズキ痛い、全身に脂汗が噴き出るのがわかる。騒ぎに気付いて集まって来た、王都警備の騎士団員が背中にコウモリ羽の悪魔の逃亡を確認したと、アリスと話をしている。
「クロセくん、顔色がすごく悪いですよ」
「……帰るぞ」
朦朧とした頭で白銀髪の狐人の少女を胸に横抱きしたまま、ルリの『車椅子』を押そうとする俺に、アリスが慌てて取って代る。
「ルリはあたしが押していくから。ハクローはその子をお願い」
額から脂汗を垂らしながら頷くのも億劫で、たぶん10才にも満たない小さな銀狐の少女を腕の中に抱きしめたまま、大通りに向かって俯き加減に歩き出す。
「ひぃぃっ!」
「つっ!」
王都の大通りをトボトボと歩いて王城の医務室へと連れて帰る途中で、気を失ったままの銀狐の少女は突然声も無く、うなされるように手足をバタつかせて暴れ出し、抱きしめていた腕を振りほどくようにして肩に噛みつき、力の限りその小さな牙を立てる。
「クロセくん!」
「ハクロー!」
「大丈夫……大丈夫だから……ほら、大丈夫だ」
それでも、両腕で胸に包むように抱きしめていると小さな牙を離して、スゥスゥと寝息をたて始めた。全身から流れ出る脂汗が止まらない。
「ハクロー、あんた……ほら、こっち向いて、【ヒール】。これで肩の血は止まったわ」
「クロセくん、少し休みますか?」
「……いや、いい」
意識があるうちに早く帰らないと……ここは危険だ。この世界は、危険だ。