15話 おいしいは正義
「ふぅ」
ようやくため息をついていると、我に返ったマリーアンヌ第二王女が病室の隅に立つ女騎士のタチアナ副騎士団長に指示を出していた。
「そこで唸っていて、五月蝿いトレゾール伯爵子息を運び出しなさい」
「……は」
すると安心して気が大きくなったのか、壁際から近寄って来た沢登生徒会長が高度に政治的な判断が必要とばかりに、責めるように問いただす。
「やり過ぎではないのか?」
「はあ? あんた、今まで一度たりとも動けないルリの見舞いにも来ないで、何言ってんのよ」
「そ、それは……」
不機嫌な声で言い返すアリスに言葉を詰まらせるが、そこに沢登生徒会長を助けるようにして、同じく正義の味方の長瀬風紀委員が割って入る。
「そんな言い方ないんじゃない? 私達だって色々あって忙しくて、でもあなた達が心配で来てあげたのに」
「はいはい、お忙しい【勇者】様ご一行は、とっととお引き取り下さいな」
どこまでも恩着せがましい長瀬風紀委員に、視線も合わせずアリスがひらひらと手を振る。
「な! それが年上に対する口の利き方?」
「はあ? ルリが危ない時に何もできない風紀委員様が、こんな時だけ年上ヅラ? 年を取るだけなら、猿でも取れるわよ」
「うっ」
これで年上と言うんだから呆れる。年上なら日本から連れてこられて異世界で孤立している年下の少年少女を、まとめるぐらいしてもらいたいもんだが。
まったくもって、どこかの自分勝手な年増の婆のようにしか見えねぇな。と六人の姉達を思い出す。
てか、拉致被害者の中で最年少のアリスに言われてんなよ、みっともねぇ。
「はいはーい、そろそろいいですかねぇ。病人がいるんだから、関係ない人は出て行った、行った」
疲労困憊のはずのルリを休ませるためパンパンと手を叩いて、仕方なくこの場を終息させようと声をかける。これだって、年上の仕事だろうに。
「関係ない人だなんて……」
長瀬風紀委員は傷を抉られたらしく、しょんぼりと肩を落として生徒会長達とすごすごと出て行く。
ありゃ? 俺も随分と機嫌が悪かったのかな。
部屋から出て行くときに、宮野副生徒会長がルリにぽわぽわとした声をかけていく。
「ルリちゃん、おだいじにねー」
「はい、ありがとうございます。宮野副生徒会長もお気をつけて」
「【勇者】カオリ殿は私にまかせておきなさい!」
突然出て来たフレデリック第一王子が割り込んできて、大きな声を出し始める。あんた居たのか、というか何もやってないよな、王子様。
「え? あれ? あれ?」
そのまま宮野副生徒会長はフレデリック第一王子と長瀬風紀委員に挟まれるようにして連れられて行ってしまう。
そして去り際に高堂先輩はなぜか嬉しそうに、「クロセくんっておもしろいよねぇ。これからも時々遊びに来るね~」と言ってスキップでもするように帰って行った。
余計な人達が帰って部屋が静になった後で、ふと一人忘れていたことに気づく。
「そう言えば、平河は見なかったな」
「それこそ、お忙しいんじゃないの?」
すごーく意味深な言い方をするアリスに、ちょっと頭を捻ってから平河衛士の【強奪】イベントを思い出す。
「あー、決闘の賞品でもらった貴族のフィアンセかぁ……」
「何よ、うらやましそうね」
「うらやましいんですか?」
なぜか目を細めて睨むアリスと、ベッドに座ったまま大きな紅い瞳で覗き込むように迫って来るルリさん。ついさっきまでは流石に顔色が悪かったが、少しは気分も落ち着いただろうか。
「何でさ、見も知らぬ異国の貴族令嬢と一緒だなんて、喜ぶのはあのお調子者の平河だけで、それ以外の人にとっては気が滅入る罰ゲームでしかないだろ?」
「それもそうよね」
「生粋のお嬢様とお話とか合うんでしょうか」
やさしいルリが頭の悪そうな平河の心配をする。確かにお貴族様の、しかも深層のご令嬢と一対一のコミュニケーションなんて考えただけで、ゾッとするな。
しかし、顎に人差し指を当てたアリスが、ちょっと考え込むような素振りで。
「ベッドの上じゃ、話なんてしないんじゃないの?」
「「え?」」
「え?」
平河衛士に連れて行かれるフィアンセの姿を見ていない、ルリはコテリとかわいく首を傾げているが、言ったアリス本人がなぜか顔を赤くしてソッポを向いてしまう。
赤くなるくらいなら言わなきゃいいのに、背伸びしたいお年頃の15才ということなのか。でも中学三年生なら、もう経験済みの女の子なんて世間一般ではザラだろうにさ。
姉貴達なんて早かったらしいぞ――っと、キモいと罵られた記憶が、やめやめ。
アリスが無駄に大人の会話にしてしまったので、「はぁ~」とため息をついて話を変えてあげようと、おもむろに【時空収納】から包みを取り出す。
「そんなことより、今日のおみあげは前回好評だった『ラング・ド・シャ』です」
「わーい、クロセくん。ありがとー」
明るい笑顔になったルリがラングドシャのクッキーを包みから取り出して、小さな両手で掴むとさっそくカリカリと食べ始める。
おお、いつ見てもなごむなあ、これ。もう白いウサ耳とマルしっぽを標準装備してもいいんではないだろうか。
「店員さんもお店も、すっごく可愛くて良かったんだけど、元の世界と比べるとどうしても品数がねぇ……」
「ここに無いので良いなら、いくつかは簡単に種類は増やせるよ?」
ちょっと不満そうに話すアリスに、懸命に食べていたからか可愛いほっぺを膨らませたルリが小首を傾げて答える。
うわぁ、雪ウサギのようで、そのまんまスッゴくかわいいぞ。などと、紅茶を煎れながら、ついほのぼのと見入ってしまう。
「え? ホントに?」
「私、入院が長くて暇だったので、おいしそうなお菓子のレシピを探して、よくネットサーフィンしていたんですよ。はっ! 私もクロセくんと同じ【サーファー】だったんですね、えへへ。
で、私は作れないんですが、妹の詩織ちゃんが家で作って病院に持って来てくれていて。
そのときのレシピは全て忘れていません、『おいしいは正義』です! おいしいの記憶は永久保存版です」
「おー、意外なところにルリの隠れた才能が」
えへん、とまだまだ細い胸を張るルリに、アリスがぱちぱちと拍手を送る。
俺と一緒だとうれしそうに微笑むルリに、それは【サーファー】とは言わないんだとも流石に言えず、そうか『おいしいは正義』だったのかと世界の真理に触れる。
しかし、アリスの方がおいしい物に対する判断は早かった。即断即決と言っても良い。
「明日、さっそく『ラング・ド・シャ』の男の娘に作ってもらいましょ」
「おいしくできるといいですね。えへへ~、楽しみです」
カリカリと両手で持つラングドシャのクッキーをかじりながら、ルリが紅い瞳を細めて微笑む。
クッキーをほおばる頬も少し丸くなってきた気がして、思わず白い長髪をなでる。なでなで、カリカリ、にへら~、なでなで、カリカリ、にへら~。
「は! また、何か二人だけで和んでる! 私も入れなさいよね~」
楽しそうに笑いながら、アリスが大切なルリの腕に安心したようにしがみつく。
すっかり日が暮れた病室で、異世界に来て初めて明日の楽しみができたと白く長い髪に紅い瞳をした少女はうれしそうに微笑む。
一人ぼっちの知らないどこかではなく、友達二人に囲まれた病室で幸せそうに微笑みを浮かべながら、それが私の楽しみだと鈴をコロがすような声で、少女はその思いを口にする。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜、ロウソクの灯りに照らされる王族専用の小さな部屋で、今日の騎士団別棟の病室での騒ぎについて、一人で報告に訪れ跪いているマリーアンヌ第二王女に、前に立つ国王が落ち着いた口調で問う。
「それで【賢者】で【聖女】の様子はどうだ」
「現時点で他の【勇者】をはるかにしのぐ力を顕現させております。今、機嫌を損ねるのは得策では無いかと」
「うむ、引き続き監視を続けろ。使えるならそれが【勇者】でなくてもかまわん。ああ、それからバカ息子は二人共、謹慎でもさせておけ」
「は」
部屋を出たマリーアンヌ第二王女は廊下で控えていた女騎士のタチアナ副騎士団長と共に歩きながら指示を出す。
「あなたは引き続き病室の三人の面倒を見るように。何かあればすぐに報告するよう」
「え……は、はい。……かしこまりました」
唇を噛み俯くタチアナ副騎士団長の様子に気づくことなく、マリーアンヌ第二王女はそのまま歩みを進める。薄暗い廊下には二人の歩く靴の音だけが静かに響いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夜になって、ようやく【ドライスーツ(防壁)】を完成させることができた。
これ以上なく痩せ細ったルリに、重い防御用装備をゴテゴテと装着させるわけにはいかないので、普段着の上から着こめるように考えていると、そういえば【サーファー】御用達の『ウェットスーツ』とは別に、ヨットなどで使用する『ドライスーツ』があるのを思い出した。
ざっくりと『ウェットスーツ』はスーツ内に海水を取り込んで濡れた身体との隙間で保温するものだが、『ドライスーツ』は服の上に着てスーツの中に海水を入れることなく防水遮断して乾燥した状態で保温するものだ。
このイメージで身体の周囲3cmぐらいの空間に個体の持つ魔力の固有振動周波数を利用して、外力に対して反発させる『魔素』の波動を構成させたもので……それよりも。
俺自身で十分な実験をした後にさっそく、ルリにも【ドライスーツ(防壁)】をかけてみる。
「どうだ? 何か変なところとかあれば言えよ」
「あ、何だか身体が、ぽかぽかあったかい気がします」
「本来の『ドライスーツ』の機能である温度調整で体温を保温もできるからな。逆に暑いときは、涼しくできるようにもなっているんだ」
『魔素』を能動的に流動させることで、防壁の内外で簡易な熱交換機能を追加してある。
俺が傍にいない時にも、この異世界の理不尽から、二十四時間何時でも何処でもこの防壁がルリを守ってくれるように。
「えへへ、クロセくん。ありがとうございます」
「さ、今日は疲れたろ? 少し早いけど、もう寝ようか」
「はい、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
異世界で5日目の夜を二人同じ部屋で迎えて、ようやく安心する。
ベッドの横の床に敷いたブランケットの上に横になって、すぐ目の前のルリが眠るベッドを見上げながら、今日は危機一髪だったと本当に肝を冷やす。
取り返しのつかなくなるようなことが無くて本当に良かった、世の中には失われてしまうと二度と元には戻せないものがあるのだ。
絶対に守るべき場所を見つめながら、俺の意識はしだいに沈んでいった。