14話 瑠璃ちゃん危機一髪
成り行きでシスター・フランの護衛もしながら三人でテクテクと王都まで戻る途中、修道女らしく「今度お礼がしたいので、大聖堂まで来ていただきたいのですが」としきりにお願いされた。確かに王城に会いに来るのは無理だろうしな。
そんなことよりも、今度から念のために郊外に出る時には、教会に言って護衛を付けるよう注意しながら、冒険者ギルドに向かう。
最終的にオーク34匹の一部が街道に出て来て教会のシスターが襲われ、その集落を殲滅したことを『採取』報告と一緒に受付の女性に説明すると、ようやくギルドマスターに報告を上げるとのことだった。
一緒に証言してくれたシスター・フランとはギルドで別れて、討伐証明部位を除いて全てを換金してから、ルリにおみあげを買いに大通り商店街の『ラング・ド・シャ』に寄って帰ることにする。
ああー、そう言えば、今日も剣が折れた。こうも毎日ポキポキ折れると……鍛冶屋にでも行ってカスタムメイドするしかないか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
病室の開けられた窓の外から、涼やかな風がレースのカーテンを揺らす。
窓の傍の机の上に置かれている『白いイベリスの鉢植え』――今年の春先にはキャンディータフトとも言われる、砂糖菓子のような可愛い花を咲かせていた――を見つめて、ベッドに座るルリは家族のことを思い出す。
(私、心臓が止まっていたから、元の世界では死んだことになっているに違いない。お父さんとお母さん、妹の詩織ちゃんも悲しんでるんだろうな。……泣いてしまっているかもしれない。
こんな病気ばかりの私をたくさん愛してくれたのに、何も親孝行することができなかった。大好きな詩織ちゃんにも、おねーちゃんらしいことは何もできなかったな。
こっちの世界で生きているって知ったら、みんなビックリするだろう。でも、きっと家族は喜んでくれるはずだ。
できれば恩返しができるといいんだけどなぁ。お父さんには異世界のお酒、お母さんには見たことない綺麗なお花、詩織ちゃんには可愛い髪飾りとかどうだろう、ふふふ。
そのためにも、クロセくんの言いつけを守って、ご飯をいっぱい食べて、いっぱい寝て……。
クロセくんとアリスちゃんの二人には迷惑ばっかりかけて何も返せていないのはつらいけど、まずはがんばって元気にならないと。
元の世界では死ぬと言われても、がんばってきたんだ。
この世界では生きていけるんだから、がんばるんだ。
ようやくできた友達たちと一緒に、どこまでも一生懸命がんばるんだ。)
その時、突然、大きな音がして病室の扉が開けられた。
病室に控えていた侍女が立ち上がり、扉に向かって困惑気味に声をかける。アリス達が帰って来たとしても、こんなに乱暴に扉を開けることは絶対に無いからだ。
「【勇者】様である淑女の病室に、了解もなく立ち入るとは何事ですか。人を呼びますよ」
ずかずかと数人の騎士と一緒に、二人の貴族の青年がニヤニヤしながら入って来る。金髪を真ん中で分けたぽっちゃり体型の男と付き従う長身のにやけた優男、その姿を見た侍女が驚く。
「え、エドモント王子殿下!」
「下がっておれ」
「しかし……」
「くどい」
するとスタスタとにやけ顔の優男がベッドに近づき、大仰な身振り手振りで自己紹介を始める。
「はじめまして、【勇者】殿。私はトレゾール伯爵嫡男のコージモと申します。そしてこちらにいらっしゃるのがエドモント第二王子殿下です」
突然のことに驚き、固まってしまっていたルリが我に返る。
(ビックリした。でも王子様なら、ちゃんとお話ししなきゃ。がんばれ……、がんばれ……、がんばれ)
「はじめまして……アイカワ・ルリです」
がんばって緊張に震える声で挨拶をしたルリがベッドの上でぺこりと頭を下げると、同じ年ぐらいに見えるぽっちゃり体型のエドモント第二王子が大げさに手を振る。
「ああ、そのままでかまわん。私は病人には寛大だからな」
「はあ……」
今の状況を理解できないルリを放置したまま、気にすることなく一歩前に進み出たトレゾール伯爵子息がまくしたてる。
「こちらのエドモント王子殿下が【勇者】殿の後見人となられることになった。よくよく感謝するのだな」
「え?」
「ついては病室もこの騎士団の別棟から、城内に移すことになる」
「ええ?」
「さあ、立てっ!」
「きゃ!」
トレゾール伯爵子息がルリの折れそうなほど細い手首を乱暴に掴んで、ベッドの上から引きずり降ろそうとする。
白いシーツがめくれてグシャグシャになり、その上に手首ごと引きずられたルリの身体が横倒しになって倒れ込んでしまう。
それと同時に強く掴まれた手首に痛みが走り、知らない男達にどこか知らない場所に連れ去られるという、経験したことの無い恐怖が込み上げて来る。
(え? なに? いや! こわい! こわい! たすけて! お父さん! お母さん!)
優しい父親も母親もここにはいない。それどころか、このままではハクローやアリスのいない場所に連れて行かれてしまうだろう。その凍り付くような恐怖がルリの心臓を鷲掴みにする。
(こわい! こわいよ! たすけて! たすけて、クロセくん!)
「ぃゃあぁ――――――――――っ!」
鈴を鳴らすような美しい声がこれ以上ないほどのかん高い悲鳴を上げ、ルリの腰まで届くほど長く白い髪がベッドの上にばら撒かれるように舞い散る。
◆◇◆◇◆◇◆◇
シスター・フランと別れて疲れた足取りで、アリスと二人でトボトボと王城内の騎士団の別棟の病室の傍まで帰って来る。
この時、王都の中だと気を抜いて【ソナー(探査)】を切っていたことを、これほど後悔するとは。
毎朝、剣術の朝練をしている病室のすぐ外まで来ると、窓からはベッドの上のルリの腕を掴んで引きずり回す貴族の男の姿が目に入って来た。
スローモーションで散らばるようにルリの長い白髪が宙に舞い、同時につんざくような悲鳴が辺りに響き渡る。
その瞬間、目の前が真っ紅になって、一瞬で【時空魔法】により【ビーチフラッグ(加速)】を何重にも重ね掛けし、『蒼い光弾』となった身体はいくつもの魔法陣を背に病室の窓に向かって起爆し発射される。
爆音と共に開けられていた窓枠ごと突き破り、外から飛び込んできた『蒼い光弾』はトレゾール伯爵子息の左顎を打ち抜いて壁まで吹き飛ばすと、蒼白い煙を上げてようやく停止した。
蒼い光をゆらゆらと全身から漂わせながら、ベッドの上に倒れ込むルリを背中にかばうと、ギロリと病室内を見回しながら振り向かずに声をかける。
「ルリ、無事か?」
「は、はい」
「な、何だ。何ごとだ!」
慌てた声を上げる、ぽっちゃりエドモント第二王子。壁に強かに激突したトレゾール伯爵子息だったが、すぐさま起き上がると腰の細剣を抜いて飛びかかって来る。
「次期伯爵のこの僕に何てことを! 無礼討ちにしてくれる!」
ちっ、剣は全て折れて今は手持ちが無い!
とっさに腰のウォレットチェーンのフックを外すと、シルバーの鞭のようにしならせながら、接近して来たトレゾール伯爵子息の細剣の刺突をすれ違うようにかわして懐に飛び込むと、その顔をめがけて力任せに横殴りに振り抜く。
「ぎゃあっ!」
ひるんで細剣を取り落としたトレゾール伯爵子息の背後に、床すれすれの無理な姿勢から【ビーチフラッグ(加速)】で骨を軋ませながら瞬時に回り込むと、首にウォレットチェーンを巻き付けて縛り上げる。
「ぐえっ!」
そのままベッドサイドまで引きずって、ルリを背中に隠すと再び声をかける。
「ケガはないか?」
「手首がヒリヒリするだけで、大丈夫です」
振り返って見るとルリの細い手首には強く握られた痕が痣のようにくっきりと残っていた。ドクンッ、再び目の前が紅く染まる。
「くおのっ!」
後ろから首を吊ったトレゾール伯爵子息の両膝を、横から【身体強化】を最大にした力一杯のローキックで蹴り抜いて砕くと、無理やり膝立ちにさせる。
「ぎゃぁー! 痛い、痛いぃ、ひたいぃ!」
涙と鼻水と涎を垂れ流しながら、絶叫を続けるトレゾール伯爵子息を見て、驚きの余り目を見開いたエドモント第二王子が震える声で叫ぶ。
「き、貴様、何者だ! わ、私は、エドモント第二王子、であるぞ! ひ、控えろ!」
「んあぁ、俺か? クロセ・ハクローだ」
「召喚者か、我が国を敵に回すつもりか!」
「【ガストバズーカ】!」
凄まじい轟音と爆風に、病室の開けっぱなしだった扉の前に立ち塞がっていた金属鎧を着た騎士2人が、紙切れのように吹き飛ばされる。
そしてブーツの音を響かせて、埃が舞う扉の前に立ったのは真紅のドレスアーマーのスカートをひるがえしたアリスだった。
「何ぃ? うくっ、アリス殿か!」
真紅の長髪をなびかせて乱入して来たアリスの姿に、悪戯を見つかった子供のようにエドモント第二王子が悪態をつく。
「あんた、私のルリに何してくれちゃってんのよ!」
【加速】を使い疾風のように廊下から部屋に飛び込んできた、アリスが長い紅髪を逆立てて大声で吠え―――その周囲の空間が吹き出される紅い魔力で、ぐにゃりと歪む。
そのあまりの圧倒的な威圧に、言い訳をするように前に差し出された両手とへっぴり腰の両膝をガクガクと震わせ始めるエドモント第二王子は、どもりながらも。
「い、いや、こいつが、急に」
「窓の外からあんた達がルリを攫おうとしたのを見たから、飛び込んで来たに決まってんでしょ! 一国の王子ともあろう者が、口から出まかせなど見苦しいわよ!」
「うぐっ」
「マリーアァンヌッ!」
必死に言葉を濁すエドモント第二王子を怒鳴りつけ、何事かと後から遅れて病室に駆け込んできたマリーアンヌ第二王女を、アリスが敬称を無視して呼びつける。その後ろには生徒会長達三人組と高堂先輩、女騎士も見える。
「は、はい!」
「これが、この国の総意か!」
アリスがその全身から揺らめく紅蓮の魔力で真紅の髪を逆立てたまま、妖しく輝く紅と蒼のオッドアイで睨みつける。
「け、決してそのようなことは……」
「では、こいつはどうする? 消し炭にして見せようか?」
アリスの細めたオッドアイがエドモント第二王子を捉えると、ぽっちゃり王子は腰を抜かしてヘタリ込んでしまう。
「ひいぃ!」
「お、お怒りをお沈め下さい。二度とこのようなことがないよう、この二人には必ずやきつく申し付けますので」
マリーアンヌ第二王女が額から脂汗を流しながら必死に取り繕うが、エドモント第二王子が限界を超えた恐怖に耐え切れずにとうとう逆切れしてしまう。
「ゆ、【勇者】でもないくせにぃー!」
「んあ? 【賢者】で【聖女】な私に、バカ王子が何か文句でもあんのか?」
「ひぅ」
「俺はただの【サーファー】だけどな」
アリスのそのまんま極道の姉御ようなセリフにビビった、ぽっちゃりエドモント第二王子へと、ボソッとつぶやいてみる。
するとマリーアンヌ第二王女が凍り付くほど声を低くして、ブルブル震えるエドモント第二王子に向かって最後通告を伝える。
「兄上、お引き取りを」
涙を溜めた虚ろな目を彷徨わせる実兄に、血を分けた妹として温情を込めてもう一度だけ告げる。
「お引き取りを!」
「……こ、このままで済ますと思うなよ!」
次の瞬間、陽炎のように揺らめく魔力をまとったアリスの左手がエドモント第二王子に向けられ、その周囲にファイヤーボール数十個を大量の熱を放出させながら【無詠唱】で瞬時に発生させる。
「やっぱ、バカは消し炭か?」
「ひゃぁ~~~っ」
堪え切れずお漏らしを垂れ流しながら、一目散で病室から逃げ出すぽっちゃりエドモント第二王子を、ガシャガシャと金属鎧の音を立てながら騎士達が後ろを追いかけていくのだった。