1 prologue
【view:unknown】
夜の秋葉原は表通りはともかく裏通りは治安がいいとは言えない。
かつての秋葉原では『戦争』が起こり、街が無法地帯と化したこともあった。
今現在の秋葉原はそれに比べれば落ち着いたといえるのだが、裏通りではまだまだ治安が悪かった。
少なくとも年端の行かない少女が歩くには少々物騒であるのは間違いない。
「……遅くなっちゃったわよ、全く」
そんな薄暗い場所を1人の少女が家路を急ぐように歩いている。
彼女は真面目な少女であった。
真面目であることは彼女の矜持であったし、周囲もそこに彼女の価値を見出していた。
少々真面目すぎて潔癖症なところもあったが、おおよそそれは彼女の美点で美徳であった。
そんな彼女であったがゆえに、中々まとまらない議題を放り出して帰ることもなく、皆が帰った後も1人、会議の議事録をまとめて遅くなってしまった。
それは責められることでもなければ、むしろ褒められてしかるべきなのだが、いくら遅くなったからといって、いくら家路を急ぐ為とはいえ、この時間のこの道を選んだのは間違いであった。
(うっわー、バカっぽいのが集まってる……)
この辺りを根城にしているのだろう、限りなく刹那的に現在を生きている若者たちが周囲の迷惑も顧みずたむろしていた。
彼女はああいう欲望だけを抽出し、それを集めて作った病原体のような人種が反吐がでるほど嫌いであった。
それこそ視界に収めるのも汚らわしいと思っている。
残念ながら、彼女の学校生活は欲望に率直な人種で溢れかえっており、日々それを正そうと奮闘しているのだった。
学校が終わった後でもこんな人種を視界に収めることになった運命を呪う。
「…………?」
「……………………」
目が合った。
少女を認識した若者達は獲物を前にした肉食獣(というと獣に失礼だが)のようにギラギラと欲望を隠そうともせず少女の方に寄ってきた。
少女にとっては彼らが視界にいるだけでも不愉快だったというのに、近くに寄られたため不愉快を通り越して怒りさえ感じていた。
(こっちこないで)
と心の中で言ったが、当然の如く相手は気にもしない。
問題があるとすれば例え声に出して叫んでいたとしても、彼らは聞くつもりがなかったということだが。
「…………へへ」
「おー、スタイルいいじゃん」
ニヤニヤとした笑いを隠そうともせず、少女の目の前で品定めをしていた。
「ナンパなら間に合ってるので。どっか行ってよ」
不機嫌さを隠そうともせずに、ぴしゃりと言い放つ。
こういう手合いは少しでも隙を見せると食い下がってくる。
断るときはなるべく不機嫌な風を装った方が、相手も諦めてくれることが多い。
「うっはwwツンデレキタコレ!」
だが、相手はそのようなこと気にしてもいない。
「そもそもナンパなんかじゃねぇよ? オレは3次元女なんか女とは思ってねぇしな」
彼女の誤算は彼らがそんなぬるい手合いではなかったことだ。
彼ら3人のうちの1人が彼女の機嫌を意にも介さず肩に手を回し、胸を鷲づかみにする。
「ちょっ…………!!」
「オレらにとって楽しいことをするだけだから。アンタはただ遊び道具として遊ばせてくれるだけでいいんだよ」
「そうそう、ちょっと一緒に遊ぼう! 久しぶりの萌えキャラだよ、うっひょう!」
「やめっ…………、やめてッ!! やめなさいよっ!!」
少女の意思なんて存在していないかのように身体のあちこちを触りだしている。
ここが仮にも公共の場であることも彼らには些細なことであるようだ。
実際この道を通る者はほとんどおらず、彼らにとってはプライベートスペースのようなものだった。
それはそのまま彼女の危機が誰にも知られないということを意味しているのだが。
「2、3日くらいだからいいじゃん。なぁ」
今、触られているだけでも吐き気がするというのに…………!!
2、3日も何をするというのか…………!!
彼女は今自分がとんでもない危機的状況に陥っていることを理解する。
男達は彼女の抵抗を抑える為に仰向けに寝転ばせ、両手両足を押さえていた。
口も塞がれ、助けを呼ぶことも出来ない。
必死に手や足を動かし抵抗を試みるが、小柄な少女の力では男達を退けることはできない。
それでも諦めずに抵抗を続け暴れると、男の1人が、
「3次元女が暴れんな」
ぱしんっと頬を打つ。
眼鏡が外れ、アスファルトにかしゃんと硬質な音が響いた。
それで、少女にはじゅうぶんだった。
男はさほど強く頬を打ったわけではない。
しかし、生まれて初めて純粋な悪意から来る暴力に晒された少女には世界が崩壊するかのような衝撃だった。
心を折られるのに十分すぎる暴力だった。
絶望感に、視界が暗くなる。
(こんな……、なんで……こんな…………)
恐怖で思考が纏まらず、自分を組み敷いている人物もはっきりと認識できなくなっている。
暗がりで覆いかぶさってくるこの影たちは…………悪魔だ。
そんな思いが頭をよぎる。
少女にとって男達はまさしく悪魔だった。
暴力的で、理不尽で、唐突で、希望がない。
暗い路地の片隅で、悪魔の嗤いのようにかちゃかちゃという音が少女の耳朶を打つ。
かちゃかちゃ。
悪魔が哂う。
かちゃかちゃ。
悪魔が嗤う。
かちゃかちゃ。
悪魔がワラう。
かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃか―――
涙が流れる。
自分は絶対に悪くないのに…………、間違ったこともしてないのに…………!!
理由なき理不尽が許せなかった。
何もできない自分が悔しかった。
いいように弄ばれようとしているのが悲しかった。
恐怖と怒りと悔しさと悲しみと様々な負の感情が渦を巻いている。
少女は真面目であった。
真面目であったが為に、他人と衝突したこともあったが、
真面目であったが為に、人を傷つけないように気をつけてきたし、
真面目であったが為に、人から傷つけられることもなかった。
でも今は真面目であることは役に立たない。
真面目でいることにどれほどの価値があるというのだろう…………。
(…………なら)
価値のないものは捨ててしまおう。
役に立たないものは持たなくていい。
害になるものは綺麗にしなきゃ。
きっとそれで世界は変わる。
秋葉原の路地裏の暗がりで。
今、彼女の魂の在り方が換わる。
―――そして、彼女は真面目であることを辞めた。




