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赤燈の街  作者: 漱木幽
8/12



 リーシャに腕を掴まれたまま、マリアベルは中央広場に向かっていた。

 進行方向は完全にリーシャ任せのため、どう道を辿ったかは覚えていられなかったが、すくなくとも視界の正面にあの煉瓦の塔が常に存在してるということは、底に向かっているということだろう。

 ようやく状況を呑みこんで思考がまとまったマリアベルは、リーシャの腕を振り払った。リーシャは遅かれ早かれマリアベルが暴れることを予測していたようで、特に驚きもせずにいつもの姿勢に戻り、怒りから肩で息をしているマリアベルを振りかえって、真正面から見据えた。

「あんたっ…… どういうつもり?」

「それは、こっちの台詞」

 あらかじめ用意されていたかのような単調さで、リーシャはマリアベルの言葉を撃ち返した。

「フランネから話を聞いた」

「フランネから?」

 マリアベルは掴まれていた腕にちらりと目をやる。結構な力で掴まれていたはずだが、なんともない。リーシャの手は予想通りにひんやりとしていて、すこし心地よかった気もする。色々と考えごとをしていた所為か、マリアベルの体は火照りっ放しだった。

「何を聞いたの? あたしが来ないって?」

「そう。――私の所為かも知れない、って言ってた」

 リーシャの言葉も視線も、普段と変わらない。しかし、声音や目元がほんのわずかに否定的な色を帯びていることに、マリアベルは過労居て気付くことが出来た。

 ――あたしを否定してる? なんでコイツが。

 リーシャが誰かの味方をし、誰かの敵になることは滅多にない。

 その姿勢は他人との関わり合いを畏れるあまりの防御策などではなく、単に合理的なものの考え方に端を発しているに過ぎない。

 争い事には是非がつこうが後ろめたくなるような禍根が残る。それを見越しての意味のある沈黙・中立を貫いているのである。――が、逆を言えばその禍根が「意味のある」ものだった場合はその限りではないと言えるだろう。リーシャはこの時、マリアベルの敵(と言っては語弊があるが)に回ることを「意味のあること」だと認識しているわけだ。

 そんなことなどつゆも知らないマリアベルは、ただ困惑してリーシャの言葉を待った。

「また怒らせてしまったのかもしれない、って」

 言葉足らずのリーシャは、ただ黙って目が泳いでいるマリアベルに業を煮やしたのか、自分なりにぽつりぽつりと話をつなげ始めた。

 今の今までリーシャはわざとこのような話し方をするのだと思い込んでいたマリアベルが、彼女がほんとうに口下手なのを察して合の手を入れるようになるまで、たっぷり十分は要しただろうか。

 フランネは朝から顔色が悪く―― アカデミー生は一度集まってから現地に行く手はずになっていた―― 朝食もまともに喉を通らなかったのではないか、というほどだった。

 たまたま見かけてたどたどしく声をかけると、もともと誰かに話してしまいたいと思いながら貯め込んでいたのだろう。フランネは勢いよく昨日の顛末を話して聞かせた。途中から溢れて来た涙やらはどうすることもできず、ただ止まるのを待つしかなかった。

 やがて泣きやんだ彼女は、またマリアベルの癪に触ってしまったのかもしれない、と言って黙り込んでしまった。その表情があまりに悲痛だったので、このままではいけないと思い、マリアベルを迎えにいくことを提案したが、フランネは弱々しく「それはやめておいたほうがいい」などというので、業を煮やして思わず出向いてしまった。――というのが、どうにかマリアベルがリーシャから聞き出したことの顛末であった。

 マリアベルは再び黙り込んだリーシャの顔を不躾に眺めながら、この無表情のどこにそんな激情を仕舞いこんでいたのだろうと思って、感心するやら呆れるやら、不可思議な心境に陥っていた。

「意外ね」

 気付けば口に出していた。

「何が?」

 初めてリーシャの口から疑問を投げかけるような言葉を聞いた気がする。その響きは妙に可愛らしくて、マリアベルは思わず頬がほころんでしまいそうになる。

「あんたがこんなお節介を焼くとは思わなかったから」

 先日もわざわざカンタスからの言伝を預かってくれてはいたが、あれはあくまで教師に頼まれたからであって、純粋にマリアベルの為とは言えないだろう。

 事実そうではないし、リーシャ本人も自分がそう思われているとはまったく考えてもみなかったが、マリアベルはリーシャがもっと―― 凄絶と揺るがない精神の持ち主だと思い込んでいた。他人と自分に明確な境界線を引き、不可侵を貫いていると思っていたのだ。

 リーシャのほうはこちらも意外に思いつつも、どこか納得した様子で一度だけ頷いた。

「正直」

 前置き、リーシャは淡々と話しだす。

「あなたたちの間にどんな歴史があって、絆があるかなんて私にはわからない。積極的に知ろうとも思わない。あなたたちの関係の中で、あなたたちがどんなことをしようとも、私には関係がない。……はず。でも」

「でも?」

「他人にあんな顔をさせて放っておくのは、ろくでもないこと。わかってるくせにこたえてあげようとしないのも、ろくでもないこと。あなたはそれをわかってるはず。それでも何もしない。見てるととても腹が立つ。意地を張るのは勝手。それは自分との勝負。それに他人を巻き込むのはナンセンス」

 一言一句切り捨てるような叱責。――叱責なのだろうか、これは。

 マリアベルは自分の頑なな思惑の虚をつかれた驚きと、淡々と無表情にそれが行われたことに動揺して、しばらく何も言えずに立ち尽くした。

 たしかにマリアベルはフランネの言いたいことや思い遣りを察していたにも関わらず、それを無碍にしたのだ。それには自分の意見や姿勢を体現するという明確な意図があったにしろ、親友を泣かせてまで貫き通す意味があるのかどうかは疑問だ。

 意地を張るのは勝手。けれど、人を巻き込むのはナンセンス。

 自分はただ、盲目的な人々とは違うのだ、ということを証明したかった。皆とは違う行動を取ることでそれを体現することはできそうではあったが、マリアベルは確実に孤立するだろう。マリアベルはそれで構わなくても、フランネはそれを看過することが出来ない。自分が覚悟していれば済むという問題ではないのだ。ようやくそれに気付く。

 急に自分のプライドがちっぽけなものに思えて来て、マリアベルは余計に広場に顔を出しづらくなった。今更フランネに会うと思うと、どんな顔をしていいかわからない。――あの優しい友人が自分を簡単に許してくれるだろうという予感はあったが、それが余計にバツの悪さを運んでくる。

「なんのために口が、言葉があるのか。考えて。もし自分で意地を通したいのなら、きちんと彼女を納得させて、安心させてあげればいい。きっと信じてくれる。言わなくてもわかってくれる。じゃ、だめ。人は一度相手に関心を持ったら、伝えること、訊くことをやめちゃいけない」

 マリアベルはフランネは自分の姿勢を知っているから、人並み外れたことを仕出かそうとしても黙って見届けてくれるだろうと思っていた。事実、何も言わなったとしても、フランネはそうしただろう。しかし、心中に言い知れぬ不安と、何も言ってくれないマリアベルに対していくらか不信感を持つかもしれない。それはお互いの為にならないだろうし、想像すればするほど、マリアベルのほうも厭な気持になってくる。

「関係を持ち続けることは、お互いを知り続けること。自分を全部理解できるのは自分だけ。だから。きっといつまで経っても通じ合えない、わかってもらえないところはある。時間が経てば変わってしまうことだってある。だから、自分が思ったこと、なるべく口にした方がいい。大切な人。知り合いたい人には」

 リーシャはマリアベルとフランネに「関わる」ことを決めた所為か、言葉を惜しむ様子はない。

 マリアベルはさきほどの―― もう何時間も前のことに思えるが―― セキトウとのやりとりを思い出した。彼はマリアベルを知ろうと思うから、憶測めいたことを口にするのだと言った。それをマリアベルが否定でも肯定でもすれば、彼はマリアベルについてひとつ知ったことになる。無論、限りなく存在する要素のほんのわずかな一部分にすぎないが。

 その「ほんの一部分」を、マリアベルは無駄と決めて、セキトウの言葉を否定も肯定もしなかった。曖昧にしか答えることが出来ずに、自分を明かすことを先延ばしにしているセキトウはずるいかもしれないが、すくなくともマリアベルが知ることを拒んでいるわけではなく、誠実だ。リーシャには無駄に知り合うことを是としない、ある意味マリアベルが見抜いた凄絶さが存在する。しかし関わると決めたら自分の思ったことをきちんと言動で示すことができる。――それにくらべれば、マリアベルがいかに排他的でこもりがちな根性をしているか。

 マリアベルは赤面して俯いた。その腕を再びリーシャの手が取る。

「もうすぐ始まる。反省なら後で出来るから」

「え、え」

 ぐいぐいと引っ張られる腕に、前かがみになりながらついていくマリアベル。

 ――普通ここは決意を新たにする場面ではないのか。リーシャは気が利くのか利かないのか、どちらにしろ普段態度に出ないだけで、かなり強引―― もといアクティブなタイプのようだ。

 言いたいことだけ言って、マリアベルが納得したと見るや、あとは当たって砕けろとばかりに連れて行こうとする。おかげでマリアベルは殊勝なことを言わずに済んだが、その分だけ「心の準備」はできなかった。



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