セイリス編第二話「暁光の月 二の日」
朝は、静かだった。
祈りの余韻が、まだ礼拝堂に残っている時間。
誰もがその静けさを壊さぬように歩いている。
セイリスもまた、その一人だった。
孤児院の裏手にある修道院は古い。
石壁はところどころ欠け、風が通るたびにかすかな音を立てる。
それでもそこには人がいた。
生きるための場所だった。
「今日も支援に出る者がいる」
年配の修道士の声が響く。
セイリスは顔を上げた。
戦災地。
その言葉は、もはや珍しくない。
どこへ行っても聞くようになっていた。
「東の村へ三名」
「北街道へ二名」
淡々と告げられるそれは、祈りと同じくらい日常になっている。
セイリスは、懐の袋にそっと手を添えた。
(これも、祈りの形)
そう教えられてきた。
だが、ふと胸の奥に小さな違和感が生まれる。
(本当に、それだけで届くのだろうか)
すぐに首を振った。
(いけない)
それは、あってはならない問いだ。
祈る。
静かに、深く。
「神よ」
声にならない声。
(どうか、迷わせないでください)
その日、セイリスは出立しなかった。
支援隊はすでに発った後だった。
彼女の役目は、ここに残ること。
祈りを続けること。
そして、残された場所を守ることだった。
午後。
修道院の外が、わずかに騒がしくなる。
運び込まれた担架。
泥と血の匂い。
「間に合わなかった者だ」
誰かが呟いた。
セイリスは息を呑む。
その顔を、見てしまう。
目を閉じたままの男。
呼吸は、もうない。
それでも、誰かが言った。
「もっと早く楽にしてやるべきだった」
セイリスの指先が震える。
(楽にする……?)
それは祈りの言葉ではなかった。
「まだ……生きていました」
思わず声が漏れる。
「だが、今は違う」
年配の修道士が静かに答える。
その声には怒りはない。
ただ、積み重ねてきた時間だけがあった。
「救うとは、生かすことだけではない」
セイリスは理解できない。
理解してはいけない、とも思う。
だが目の前の“死”は、祈りの形をしていなかった。
ただ、そこに在るだけだった。
夕暮れ。
修道院の廊下を歩く。
窓の外で、風が揺れている。
(生きること)
(救うこと)
(そして、死)
どれが正しいのかは、まだ分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
「私は、見なければならない」
小さく呟く。
祈りは続く。
だがその祈りは、もう以前と同じ形ではなかった。




