18話 二人で
隊室を出る。
扉が閉まると、廊下の空気は少しだけ冷たかった。
しばらく無言のまま歩いてから、空は隣へ視線を向ける。
美景はまっすぐ前を見ている。
表情は静かだ。
けれど、指先がほんの少しだけ強張っているのが見えた。
空は一瞬だけ迷って、それから短く言う。
「白雪」
「……なに」
返事は落ち着いていた。
「大丈夫か」
美景はすぐには答えなかった。
数歩分の沈黙のあと、ようやく口を開く。
「大丈夫」
その答えは、以前よりずっとまっすぐだった。
「今度は、動ける」
空はその横顔を見る。
強がりだけではない。
怖さが消えたわけでもない。
それでも、それを抱えたまま前へ出ようとしている顔だった。
空は小さく息を吐く。
「ならいい」
「それだけ?」
「それだけだ」
少しだけ間が空く。
それから、美景が本当に小さく口元を和らげた。
「蒼月くんも、無茶しないで」
「お前に言われたくない」
「今回は私の方が先に言ったから、私の勝ちよ」
「そういう問題か?」
ぽつりと交わしたそんなやり取りが、思ったより自然だった。
廊下の先、窓の外には曇った空が見える。
◇
現場到着後、猫屋と別れた二人は、郊外の旧道にある廃トンネルの前に立っていた。
周囲に人の気配はない。
封鎖はすでに済んでいるらしく、入口の手前には簡易バリケードと規制線が張られている。
薄曇りの空の下、口を開けたトンネルだけが黒く沈んで見えた。
「じゃあ行くか」
空が短く言う。
「ええ」
美景も頷いた。
その顔はまだ少しだけ固い。
だが、声には迷いがなかった。
それだけで空は小さく息を吐き、先へ足を踏み出す。
トンネルの中へ入ると、すぐに空気が変わった。
湿っている。
外よりもひんやりとしていて、壁面から染み出した水がところどころ黒く筋を作っていた。
照明はもう生きていないらしく、内部はかなり暗い。
二人の持つライトだけが、前方を細く照らしている。
気配はない。
異形の存在を示すような音も、動きも、今のところは感じられない。
そのせいで、余計に自分たちの足音だけが耳についた。
コツ、コツ、と靴底が床を打つたび、その音が長く反響する。
空は周囲へ意識を向けながら進む。
静かすぎる。
だが、こういう時ほど油断はできない。
何もいないのか、潜んでいるのか、そのどちらかはまだ分からなかった。
しばらく進んだところで、美景がふと足を止めた。
「……蒼月くん」
空もすぐに立ち止まり、ライトの先を向ける。
トンネルの側面。
そこだけ、コンクリートが大きく抉られていた。
裂けるように削れた跡。
表面を撫でるようなものではなく、硬い壁そのものが無理やり削ぎ取られたような傷だ。
「これは……」
空が低く呟く。
美景がライトを少し近づけ、冷静に観察する。
「明らかになにかの爪痕ね」
その声音は、さっきよりも仕事のものに戻っていた。
「車ではつかない跡。しかもこの大きさなら、野生動物はありえない」
空も壁の傷を見ながら頷く。
「異形……。中位種は確定だな」
「ええ」
美景が短く応じる。
そして、ほんのわずかに息を整えるようにして続けた。
「引き締めましょう」
その言葉に、空も小さく頷いた。
「分かった」
トンネルの奥は、まだ暗いままだった。
何が潜んでいるのか。
どこから来るのか。
まだ見えない。
だが少なくとも、ここに“何か”がいたことだけは、もう疑いようがなかった。
二人は視線を交わすことなく、けれど自然に歩調を揃えて、再びトンネルの奥へ進んでいった。




