15話 空と雪
空は静かに息を吐く。
それから、一歩だけ美景へ近づいた。
「俺さ、自分の”感覚”が嫌いなんだ」
その言葉に、美景が涙を滲ませたまま顔を上げた。
赤くなった目が、どこか不思議そうに空を見つめている。
空自身にも、なぜ今この話をしようと思ったのかは分からなかった。
慰めるためとか、励ますためとか、そんな綺麗な理由ではない気がする。
ただ、美景が自分だけを責めている顔を見ていたら、黙っていられなかった。
空は少しだけ視線を逸らし、静かに言葉を続ける。
「十年前に母親が死んで、パニックになってる俺と妹を前にして、父親は蒸発した」
美景の目がわずかに揺れた。
「酷い話だろ?」
空は乾いた笑みのようなものを浮かべる。
「でも、やっぱ血が繋がってるからかな」
握った拳に、じわりと力が入る。
「俺の”感覚”と、あいつの”感覚”は酷く似てるんだ」
美景は何も言わない。
ただ、涙の残る目で空を見ている。
空は構わず続けた。
「”感覚”を使う度に、あいつに近づいてる気がして」
喉の奥が少しだけ詰まる。
「いつしか俺は、”感覚”を封印した」
その言葉は、自分で言っていても妙だった。
封印、なんて大層なものじゃない。
ただ見ないようにして、使わないようにして、触れないようにしていただけだ。
それでも、空にとってはそれが精一杯だった。
「そんな矢先にだ」
そこで一度息を吐く。
「五年前の第二次異形大災害が起きた」
美景の表情が、さらに強張る。
けれど空は止まらなかった。
「例に漏れず、俺や妹も巻き込まれた」
あの日のことを思い出そうとすると、頭の奥がずきりと痛む。
燃える匂い。崩れた建物。誰かの悲鳴。
そして、自分にすがりつく小さな手。
「異形に囲まれて、妹は俺にすがりついた」
空の声が、ほんのわずかに低くなる。
「『助けて、お兄ちゃん』ってな」
教室の空気が、しんと静まる。
美景の涙も、その瞬間だけ止まったように見えた。
空は目を伏せたまま、言う。
「俺は、そんな状況でも動けなかったんだ」
その事実だけは、今でも鮮明だった。
「馬鹿だろ?」
笑うように言ったのに、少しも笑えていなかった。
「父親と似た力を使いたくないって理由だけで、俺はあんな状況にも関わらず、妹の懇願に応えなかった」
美景の唇がわずかに震える。
けれど空は、そこで止まるつもりはなかった。
「そこからの記憶は曖昧だけど、何とか救出されて気づいたら病院だった」
拳を握る。
爪が食い込む。
「その日から妹は、原因不明の病になって、今に至るまで入院を余儀なくされた」
海未のベッド。
白いシーツ。
細い腕。
無理に笑おうとする顔。
その全部が胸の奥に蘇ってくる。
「あいつを守れなかった俺は、のうのうと日々を暮らしてるのにだ」
声が掠れる。
「俺は、よりいっそう自分を呪うようになった」
言い切ってから、空はゆっくり息を吐いた。
教室の中は静かだった。
「そこからは、白雪も知ってる通りの俺だ」
空は少しだけ肩の力を抜き、どこか自嘲するように言った。
「自分が無感覚者みたいに振る舞った。俺には”感覚”なんてない、あれば妹を救えたはずなんだからってな」
美景は黙って聞いている。
赤い目がわずかに伏せられた。
「でも、そんな生活にも転機が訪れる」
空は続ける。
「事件に巻き込まれて、”感覚”を使うことになる」
その言葉に、美景の睫毛がぴくりと揺れた。
罪悪感を抱いたのか、赤くなった目をさらに伏せる。
空はそんな美景を見て、小さく笑った。
「最初は『VECに入れなんて冗談じゃない』って思った」
その言い方が少しだけおかしくて、美景がほんの少しだけ顔を上げる。
「でも、妹を助けられるかもって思ったり、同い年に俺より遥かに凄いやつがいるって知ったんだ」
美景は不思議そうに目を瞬いた。
空はその反応を見て、短く言う。
「お前だよ。白雪」
「……え」
「入隊を迫られた帰り、美晴に会ったんだ」
その時のことを思い出すように、空は少しだけ目を細めた。
「そこで、白雪がなんでVECにいるのか、ちょっとだけ聞いた」
美景がまた、はっきりと驚いた顔をする。
空は構わず続けた。
「妹を守るために、自分が怖いのを押し殺して強くなろうと戦っている」
そこで一度言葉を切る。
「片や俺はどうだ。いつまで経ってもいじけて、守るはずの妹にあたって」
自分で口にすると、やはり情けなかった。
けれど今は、それを誤魔化す気にもなれない。
「心底、情けないなって思った」
空は過去の自分を笑うみたいに、静かに告げる。
「俺が変わろうと思えたきっかけは、間違いなく白雪だ」
その言葉に、美景の目が大きく揺れた。
「任務でだってそうだ。初任務も、それ以降の任務も、白雪にはいっぱい助けられた」
空はまっすぐ美景を見る。
「それだけで、今回の一回なんて余裕でチャラだろ」
わざと少しだけおどけた調子で言う。
けれど、その言葉は紛れもなく本心だった。
神社での一件だけを切り取って、美景が自分の全部を否定するなんて、どうしても間違っていると思った。
「俺たちは二人で任務に行ったんだ」
空の声が、少しだけやわらかくなる。
「お互い支え合うなんて、当たり前だろ?」
その一言で、美景の目にまた涙が溜まった。
ぎゅっと唇を噛んで、泣くまいとしているのが分かる。
それでも、もう堪えきれないところまで来ていた。
空は一歩だけ近づく。
「なぁ、白雪」
静かに呼ぶ。
「俺には、お前が必要だ」
美景の肩が小さく震えた。
「俺の憧れの人を、弱いなんて言うなよ」
その言葉と同時に、空はそっと美景の頭へ手をのせた。
乱さないように、壊れものに触れるみたいに、優しく。
その瞬間、美景の中で張りつめていたものが、とうとう限界を迎えた。
「……っ、蒼月くん……」
掠れた声とともに、美景が空へ抱きつく。
制服の胸元へ顔を埋め、堪えきれなかった涙が一気に溢れ出した。
肩が震える。
嗚咽を押し殺そうとしているのに、呼吸がうまく整わない。
空は驚きで一瞬だけ固まった。
けれどすぐに、逃がさないように美景の背へそっと手を回す。
肩口が、じわりと濡れていく。
美景はそのまま、空の肩で涙を拭うように顔を押しつけた。
空は何も言わなかった。
ただ、泣きじゃくる美景の頭に置いた手をそのままに、静かに立っていた。
今はきっと、言葉を足すよりこのままの方がいい。
そう思えたからだ。
昼休みの空き教室は静かだった。
廊下の向こうから聞こえるざわめきだけが、ひどく遠い。
その静けさの中で、美景の震えだけが確かに空へ伝わっていた。




