7話 連携
初めの任務は、都市部ではなく人里離れた郊外でのものだった。
VECの専用車両に揺られながら、空と美景は目的地へ向かっていた。
窓の外に流れていく景色は、次第に建物の数を減らしていく。住宅地が途切れ、やがて見えるのはまばらな民家と、深い緑ばかりになった。
車内は静かだった。
運転席にはVEC非戦闘隊員が一人。
後部座席には空と美景が並んで座っている。
会話がないのは、別に気まずいからではなかった。
初任務の時とも、少し違う。
今はただ、互いに任務へ意識を向けているだけだった。
やがて車が速度を落とし、舗装された道の脇で停車する。
「着いたよ」
前の席から短く声がかかる。
空と美景はほぼ同時にドアを開けた。
「「ありがとうございます」」
二人で礼を言って、車を降りる。
外の空気は少しひんやりしていた。
人気のない山の麓。舗装路の先には登山道の入口があり、その周辺には封鎖のための簡易バリケードと立入禁止のテープが張られている。
人の気配はない。
静かすぎるくらい静かだった。
美景は現場を一瞥してから、すぐに空へ向き直った。
「ここに登山に来た人から異形の目撃情報があった」
仕事の時の声だった。
無駄がなく、短く、必要なことだけを並べる。
「恐らく下位種が複数体。被害者は現時点でゼロ。山の封鎖は完了してる」
美景は山道の先へ視線を向ける。
「山から出てくる前に処理しましょう」
「あぁ、了解だ」
空も短く答えた。
形式ばった確認だった。
だが、二人で動く以上、こういう共有は必要なのだと今は自然に分かる。
美景は空の返答を聞いて、小さく頷く。
「私が前を見ます。蒼月くんは周囲の警戒を」
「分かった」
それだけ言って、二人は並んで山道へ足を踏み入れた。
踏みしめる土の音が小さく響く。
木々のざわめきと、遠くで鳴く鳥の声だけが周囲にあった。
異形の気配は、まだない。
けれど、静かな山の空気の中には、確かにどこか不自然な淀みが混じっていた。
空は周囲へ意識を広げる。
猫屋との訓練以来、”感覚”を出すこと自体への躊躇いは以前より薄れてきていた。
まだ、自分の力だと割り切れているわけではない。
それでも、必要な時に出せなければ意味がないことだけは、身に染みて分かっている。
前を歩く美景は、一定の速度を崩さず進んでいく。
その背中を見ながら、空は小さく息を吐いた。
任務でこうして並んで歩くのも、もう初めてではない。
けれど、今回は明確に二人一組として動いている。その事実が、妙に意識に残った。
数分ほど進んだところで、美景が不意に足を止める。
「……いる」
声は小さい。
だが、はっきりしていた。
空もすぐに立ち止まり、視線を前方へ向ける。
木々の隙間。
少し開けた斜面の先に、白い影が揺れた。
一体。
二体。
そして、さらにその奥にもう一体。
人の形を歪に引き延ばしたような下位種が、斜面に散るように立っている。
空は無意識に息を整えた。
数は三。
想定通りといえば想定通りだ。
美景が小さく言う。
「まずは手前を私が抑える」
「奥は俺が見る」
「ええ」
それだけで十分だった。
次の瞬間、美景の手が振られる。
「”氷華”」
地面を走るように氷が広がる。
先頭の下位種の足元が一気に凍りつき、動きが鈍る。
同時に、異形たちがこちらへ気づいたように首を向けた。
一体が美景へ飛びかかる。
だが、その軌道を読むように美景は一歩だけずれ、振り抜いた手で横合いから氷柱を突き立てる。
下位種の身体が傾き、そのまま地面へ崩れた。
その間に、残る二体が動く。
一体は空の方へ。
もう一体は、斜面を回るように位置を変えた。
空は迷わず踏み込む。
「”模倣”――”斬体”」
胸の奥に熱が走る。
けれど、以前みたいな躊躇いはなかった。
飛び込んできた下位種へ拳を叩き込む。
打撃と同時に斬撃が走り、白い身体が裂けた。
一体目。
そのまま視線を奥へ向ける。
最後の一体は、美景の死角に回り込もうとしていた。
空はすぐに地面を蹴る。
「白雪!」
呼びかけに、美景がわずかに体勢を変える。
その隙に空が間へ割って入り、下位種の腕を受け流すようにして横腹へ肘を打ち込んだ。
「っ!」
斬撃が走る。
下位種の身体がくの字に折れ、そのまま斜面を転がった。
美景はすぐにそこへ氷を走らせる。
「――終わり」
短い声とともに、転がった下位種の身体が氷に呑まれ、砕けた。
静寂が戻る。
木々のざわめきだけが、さっきまでと同じように山を満たしていた。
空は小さく息を吐く。
時間にすれば、一分もかかっていない。
だが、二人での役割分担は想像以上に自然だった。
美景も周囲を警戒しながら、短く言う。
「討伐確認」
「ああ」
空も辺りを見回す。
他の気配はない。
少なくとも、この周辺に残っている下位種はいなさそうだった。
少しの間、二人はその場に立ったまま周囲を探る。
やがて美景が小さく息を吐いた。
「これで終わりみたいね」
「そうだな」
空が答えると、美景は一瞬だけこちらを見た。
「今の、悪くなかったわね」
「……何が」
「連携」
それだけ言って、また前を向く。
あまりにもさらっとした言い方だった。
けれど、その一言で空はほんの少しだけ目を瞬かせる。
褒められた、のだと理解するまでに少し時間がかかった。
「……そうだな」
それだけ返すのが精一杯だった。
美景はそれ以上何も言わない。
ただ、封鎖地点へ戻るために踵を返した。
空もその背を追う。
山を下りながら、空はさっきの一瞬を思い返していた。
山道を下る足音が、静かな山の中に小さく響く。
封鎖地点へ戻る道すがら、しばらく二人とも何も言わなかった。
木々のざわめきと、踏みしめる土の音だけが続く。
その沈黙を破ったのは、空だった。
「……てか、驚かないんだな」
前を歩いていた美景が、わずかにだけ首を傾ける。
「何が?」
「俺の”感覚”」
空は視線を少し逸らしながら続けた。
「白雪の前で使ったの、まだ二回目だろ」
一回目はショッピングモール。
そして今。
そう口にすると、改めて奇妙な話だと思う。
自分でも整理しきれていない力を、美景はすでに二度見ている。
美景は少しだけ考えるような間を置いてから、静かに答えた。
「あぁ、驚いているわよ」
足は止めないまま、声だけが返ってくる。
「表情に出ないだけで」
空はその横顔を見る。
たしかに、そう言われればそんな気もした。
この少女は元々、感情を表に出す方ではない。
美景はそのまま続ける。
「ただ、納得の方が強いわ」
「納得?」
空が聞き返すと、美景はようやく少しだけこちらへ視線を寄越した。
「他者の”感覚”を再現する”感覚”でしょ」
その言葉に、空の足が一瞬だけ緩む。
美景は淡々としていた。
「だから、あの時も私の”感覚”を使えた」
まるで確認するように、だがすでに答えは出ている口調だった。
空は何も返さない。
否定しようと思えばできたかもしれない。
けれど、今さらこの場で誤魔化す意味も薄い。
それに、美景はもう答えを掴んでいる。
しばらく黙ってから、空は小さく息を吐いた。
「……そこまで分かってるなら、もう隠してる意味ないな」
「最初から、あまり隠しきれてなかったと思うけど」
その返しに、空は少しだけ顔をしかめる。
「言うなよ」
「事実よ」
あまりにもあっさり言われて、逆に言い返す気も失せる。
少しの沈黙が落ちる。
山の空気は相変わらず静かで、さっきまで異形がいたとは思えないほどだった。
空は前を向いたまま、低く言う。
「……気味悪くないのか」
今度は、美景の方が少しだけ黙った。
「自分の”感覚”を、他人が使うのが?」
「あぁ」
空は短く答える。
自分の”感覚”ですら持て余しているのに、他人から見ればなおさらだろうと思う。
便利とか珍しいとか、そういう話では済まないはずだ。
けれど、美景の返答は予想していたものとは少し違った。
「別に」
迷いのない声だった。
空が目を向けると、美景は前を見たまま続ける。
「気味悪いとは思わない」
「……そうか」
「だってそれも含めてあなたの力でしょ」
その言葉に、空は無意識に眉を動かした。
美景は構わず言う。
「使うのは他者の”感覚”の再現であっても、それを振るうのはあなたの意思よ」
「……」
「使うタイミングや使う力の選択はあなた次第」
そこでようやく、美景が少しだけこちらを見た。
「あなたがちゃんと扱えれば、すごく強い」
まっすぐな言葉だった。
評価とも、期待ともつく響き。
軽くもなければ、慰めでもない。
ただ事実としてそう言われているのが分かった。
空は少しだけ視線を逸らす。
「買いかぶりすぎだろ」
「そうかしら」
「そうだよ」
即答すると、美景はほんの少しだけ口元を和らげた。
笑った、というほどではない。
けれど、空気がわずかにやわらいだのは分かった。
「少なくとも、今日の任務では助かったわ」
その一言に、空は言葉を失う。
今日の任務。
自分が死角を埋めて、美景が仕留めた。
それだけのことだと思っていた。
だが、美景はそれをきちんと見ていたらしい。
空は小さく咳払いをして、前を向き直る。
「……お互い様だろ」
「ええ」
今度の返事は、少しだけやわらかかった。
それ以上、会話は続かなかった。
けれど、その沈黙はさっきまでと少し違う。
気まずさではなく、必要な言葉を交わした後の静けさだった。
やがて二人は封鎖地点へ戻り、待機していた車へ向かう。
最初の任務は、問題なく終わった。
その結果だけじゃない。
下り道で交わした短いやり取りもまた、空の中に静かに残っていた。
美景は、自分の”感覚”を知ってもなお、隣に立つことをやめない。
その事実が、少しだけ空の心を軽くしていた。




