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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
幕間 交錯する思惑――甘く熟れた毒の果実
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幕間:女狐の残り香と、施錠の音に溶ける境界線

――side. 井神 凉――


修学旅行から帰ってきて、最初の登校日となった月曜日の放課後。

俺は、隣を歩く玲茄と共に、人気のない特別教室棟の奥へと向かっていた。

目的地は、突き当たりにある生徒会室だ。


「……本当に、喧嘩だけはしないでくれよ」

「ふふっ。失礼ね、私はただ少しだけ"お話"をしに行くだけよ?」


くすくすと笑う玲茄の横顔を見下ろしながら、俺は内心で小さく息を吐いた。


事の発端は、修学旅行から帰宅した木曜日の夕方に遡る。

俺が定めたルールを守った上で俺の家に侵入していた美琴は、宣言通り俺のベッドで朝を迎え、まだ薄暗い時間に自分の家へと帰っていった。


問題は、その後だった。

修学旅行明けで、二年生だけが休みとなった金曜日の午前中。俺の家にやってきた玲茄、茉依、悠希の三人は、玄関に入るなりピタリと足を止め、スッと一切の感情を失ったかのように無表情になった。


そして三人は、誰も言葉を交わすことなく、一斉に家の窓を全開にし始めたのだ。

そのまま流れるような動作で、示し合わせたわけでもないのに、それぞれが的確な持ち場へと散っていく。茉依はリビングのソファ周辺を。悠希は脱衣所と風呂場を。そして玲茄は、俺の自室を。

そこはすべて、昨晩美琴が確かに痕跡(におい)を残していった場所だった。

ルール通りに彼女自身が完璧に清掃を済ませ、俺も念入りに換気をしておいたはずなのだが……。


俺はあえて口を出さず、ダイニングテーブルの椅子に座って静観していた。

やがて、二時間にも及ぶ徹底的な清掃が終わり、仕上げとばかりに三人が集まったのは、俺の部屋のベッドの上だった。

美琴が帰った直後に、俺自身の手で新しいものに交換しておいたはずのシーツ。その真新しい布の上で、三人はまるで自分たちの匂いを上書きして染み込ませるように、無言のままゴロゴロと何度も寝転がったのだ。


すべての儀式が終わった瞬間。

『――ふぅ、すっきりした! りょーくん、お昼ご飯どうする?』

『今日はお外に食べに行きますか?』

茉依と悠希は何事もなかったかのように、いつもの甘く可愛らしい笑顔に戻っていた。


ただ一人、玲茄だけが手元のスマホを操作しながら、俺に向かって目だけが笑っていない笑顔を浮かべたのだ。

『凉。月曜日の放課後、一緒に生徒会室に行きましょうね』と。



――


「……失礼します」


回想を振り切り、俺の隣で玲茄が生徒会室のドアを開けた。


「やあ。二人揃って、どうしたのかな?」


部屋の奥のデスクで待ち構えていたのは、生徒会長の折崎美琴だ。

いつも通りの完璧な生徒会長の仮面を被っているはずだが、俺と一夜を明かした彼女の肌は、数日たった今も隠しきれないほど艶やかな色気を帯びていた。


「ええ。ちょっとオイタが過ぎる女狐に、"忠告"と"お願い"をしに来たんです」


玲茄は一切の躊躇なく、美しい笑顔のまま毒の塗られた矢を放った。


バチッ、と。

目に見えない火花が、生徒会室の中央で激しく散った気がした。


俺は口を挟むことなく、近くのソファに腰を下ろした。

以前の俺なら、この二人が衝突することに胃を痛めていただろう。だが、今は違う。

俺の狂気を全肯定し、日常を回す玲茄も。俺の特例として君臨し、裏で暗躍する美琴も。どちらもすでに、俺の箱庭に属する"俺の所有物"だ。だから、焦る必要など何もない。ただ、この優秀な二人が物理的な喧嘩さえ起こさなければ、それでいい。


「女狐、とは手厳しいな。私はただ、許されたルールの範囲で凉ちゃんを堪能しただけだが?」

「ええ、それはわかっています。ですから、私たちのいない間にコソコソとつまみ食いをしたこと自体は不問にしてあげます。……でも、匂いを残しすぎよ。掃除する身にもなってちょうだい」


玲茄の言葉に、美琴は少しだけ目を丸くし、それからわざとらしく肩をすくめた。


「それはすまなかった。……でも、私が掃除をしても消えないくらい、手加減をしてくれなかったのは凉だよ?」

「……っ」


その優越感を滲ませた当てつけに、玲茄の眉がピクリと動く。

俺はあえて否定せず、ただ黙って足を組んだ。事実、俺にも責任の一端はあるからだ。


「……はぁ。まあ、いいわ。その話はここで終わりにしましょう。本題は別です」


玲茄が小さくため息をつき、空気を切り替える。


「あなたのことですから、智里さんに凉との現状をお話しされていますよね?」

「ああ。年末に帰国したら詳しく話を聞く、と息巻いていたよ」

「それ自体は問題ありません。智里さんは、私たちが相手なら必ず納得します」


玲茄はそこで言葉を区切り、美琴を真っ直ぐに見据えた。


「問題なのは、今回一緒に帰ってくる和哉さん――凉のお父様の方です」

「あー……」


玲茄の指摘に、美琴はあからさまに遠い目をした。

俺の父、井神和哉。合理的な母とは違い、何をしでかすか(あるいは何を考えているか)全く読めない、一癖も二癖もある男だ。


「そこに関しては、手出しができるのはあなたたちだけです。美琴さんと凉で、なんとかしてくださいね」

「もちろんさ。そして――お願いの方も、私のできる範囲で応えるよ」


美琴は口元に余裕の笑みを浮かべ、それから、ソファで静観している俺の方へと視線を向けた。


「ただ、迎撃の準備は大体できているようだが……まだ凉ちゃんの中で、具体的な"形"は決まっていないのだろう?」


二人の視線が、俺に集まる。

二つの約束までしか知らない玲茄。そして、本来何も知らないはずの美琴。

この二人は、俺だけに課せられた三つ目の約束について、もう感づいているのだろう。

俺はゆっくりと背もたれから体を起こし、落ち着いた声で答えた。


「ああ、まだ完全な形にはなってない。……けど、もう少しで見つかりそうなんだ」


焦りはない。両親が帰ってくる年末まで、まだ少しだけ時間はある。それに、三つ目の期限は一年後だ。それまでに、必ず俺自身の手で完成させてみせる。

俺の言葉を聞いた玲茄は、心底嬉しそうに微笑んだ。


「さすがですね、美琴さん。話が早くて助かるわ」


そう言うと、玲茄はくるりと踵を返し――生徒会室のドアに向かい、内側から『ガチャリ』と鍵をかけた。


「……おや」


「美琴さんとのお話も済みましたし。下校時刻まで、まだ少し時間がありますから」


鍵をかけた玲茄が、艶やかな足取りで俺の座るソファへと歩み寄ってくる。

その意図を察した美琴が、「ふふっ」と楽しそうに笑い声をこぼした。


「この展開は、さすがの私も想定していなかったな。……本当に、君は面白い子だ、玲茄ちゃん」


美琴もまたデスクから立ち上がり、玲茄と並ぶようにして、俺の正面へと近づいてきた。


俺の右側には、制服のリボンに手をかける玲茄。

俺の左側には、妖艶な笑みを浮かべる美琴。


二人の圧倒的な美しさと、むせ返るような甘い香りが、密室となった生徒会室を満たしていく。


「……まったく。どいつもこいつも、どうかしてるな」


俺は呆れたように悪態をつきながらも、両手を広げ、二人を受け入れる。

冬の気配が色濃く滲む放課後。俺たちの歪な関係は、誰の目にも触れない密室の裏側で、さらに深く、黒く、癒着していくのだった。

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