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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
幕間 交錯する思惑――甘く熟れた毒の果実
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幕間:狂信と絶望の"しるし"、夕闇に笑う共犯者

幕間ストーリーを数話挟みます。

 ――side. 長内 准(おさないじゅん)(生徒会副会長)――


 二年生が修学旅行へと旅立った、月曜日の放課後。

 静まり返った生徒会室には、俺と、生徒会長である折崎美琴の二人だけが残っていた。


 書類に目を通す彼女の美しい横顔を、俺は少し離れた席から見つめる。


 高校に入学した春、俺は彼女に一目惚れした。

 なんとか接点を持ちたいと足掻いたが、この進学校で最初に行われたテストで、俺の順位は学年の中間。対して、彼女は圧倒的なトップだった。


 そこからは、ただひたすらに自分との戦いだった。

 死に物狂いで勉強し、成績を上げた。今までまったく気にしていなかった身だしなみを整え、野暮ったい眼鏡を捨ててコンタクトに変えた。

 すべては、美琴になんとか追いつくために。彼女の隣に立つ"権利"を得るために。


 そうして彼女が生徒会長になり、俺が副会長に選ばれた時。ようやくここまで来た、と報われた気がした。

 生徒会の仕事を通じて会話をする機会はぐっと増え、彼女も、俺のことを右腕として信頼してくれているのを感じていた。

 最後の大仕事だった文化祭も、大成功でやり切った。


 俺には、ひとつ決めていたことがあった。

 文化祭が終わり、生徒会の仕事が落ち着いた頃。美琴に告白する、と。


 彼女には特定の男の影はない。今まで一番近くで支えてきたのは、間違いなく俺だ。

 文化祭前、彼女が妙に世話を焼いていた『井神凉』という二年生の存在は知っている。少し前に厄介な誹謗中傷の張り紙騒動を起こし、常に三人の女子を侍らせているという、鼻持ちならない男だ。

 だが、所詮はただの従弟。あんな不誠実なヤツが、高潔な美琴との色恋に絡むはずがない。俺はそう、自分に言い聞かせていた。


 今日、この生徒会室に二人しかいない状態。まさに今が、絶好のチャンスだった。


「……会長。いままで、本当にお疲れ様でした」


 俺が声をかけると、美琴はペンを置き、静かに微笑んだ。


「ああ。長内君も、よく私を支えてくれた。これで、私たちの大きな仕事も終わりだな」


 何度か、他愛のない言葉を交わす。

 そして俺は、机の下でギュッと拳を握り込み、いよいよ核心へと踏み込んだ。


「会長……いえ、折崎美琴さん」

「うん?」

「一年生の頃から、あなたのことが好きでした」


 美琴の目が、わずかに見開かれる。


「最初は、ただの高嶺の花への憧れでした。……でも、いつしかあなたに追いつきたい、あなたの隣に立ちたいと本気で思って、ここまで来ました」


 俺は立ち上がり、彼女を真っ直ぐに見つめた。


「どうか、俺と付き合っていただけませんか」


 静寂が下りる。

 美琴は真顔で俺の言葉をすべて受け止め、ふう、と静かに目を閉じた。

 しばらくして目を開けた彼女は、ほんの少しだけ、困ったように微笑んだ。


「私のことを、そこまで思ってくれていたとは……ありがとう」

「っ、なら……!」

「だが、すまない」


 俺が希望に顔を輝かせかけた瞬間、美琴の冷たい声がそれを断ち切った。


「君の思いには、応えられない」


 目の前が、真っ暗になった。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。二年半のすべてを懸けたのだ。


「……理由を、聞いてもいいですか」


 なんとか気持ちを落ち着け、声を絞り出す。

 美琴はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓際へと歩み寄った。


「君が私を追いかけて、隣に立ちたいと思ってくれたように……私にも、昔からずっと、隣に立ちたいと思っていた人がいるんだ」

「……え?」


 俺は絶句した。

 これだけ近くにいて、そんな素振りは一度も見せたことがなかったのに。そんなに強く思い続けていた相手が、彼女にいたというのか。


「もう……その方とお付き合いされているんですか?」

「いや、付き合っていないよ」


 美琴は即答した。

(ならば、まだ俺にもチャンスがあるのでは……?)

 一瞬そう考えたが、直後、彼女の言葉の違和感に気づく。


 隣に立ちたいと『思っていた』? なぜ、過去形なんだ?


「……会長の思いは、叶ったんですか?」


 俺が恐る恐る尋ねると、美琴は窓の外――空の彼方へ視線をずらし、陶然とした声で呟いた。


「ああ、叶ったんだ。……私がどうしても欲しかったものが、ね」


 その瞬間、俺の脳内で、すべてのピースが最悪の形で繋がってしまった。

 付き合ってはいない。だが、昔から思っている相手。そして、願いが叶った相手。

 ……あの、張り紙騒動の。三人の女を侍らせている、あの二年生の男。


「まさか……」


 俺は無意識のうちに美琴に駆け寄り、彼女の華奢な両肩をガシッと掴んで詰め寄っていた。


「どうしてですか、会長! なぜあんなヤツを……! それじゃあ、あなたは絶対に幸せになれない!」

「……長内君」


 俺の悲痛な叫びに対し、美琴は一切の感情を排した、ひどく冷たい目で俺を見つめ返した。


「君なら、わかるだろう?」

「え……?」

「何もかもをかなぐり捨てて、ただ一つの目標に向けて走り続ける、狂気とも言える"思い"。……それは、他人から『幸せになれない』などととやかく言われて、簡単にあきらめられるものなのか?」


「――――っ」


 俺は、息を呑んだ。

 二年半、彼女のためだけにすべてを捨てて努力してきた俺自身の執念を、彼女は理解した上で、それと同じか、それ以上の狂気を"あの男"に向けていると言い放ったのだ。


 もう、どうしようもない。俺が入る隙など、最初からなかったのだ。


 絶望を悟り、力が抜けかけた俺の視線が、ふと下へ落ちる。

 美琴の肩に置いた俺の手に力が加わり、彼女のブラウスの襟元がわずかにズレた、その時だった。


「……あ」


 彼女の白く細い首筋の付け根。

 普段は決して見えないその場所に、赤紫色の、生々しい"しるし"がくっきりと刻まれているのを見つけてしまった。


 ――ああ、そうか。

 ――彼女の言う『願いが叶った』というのは。そういう、ことか。


「っ……ぁ……」


 俺は弾かれたように彼女から手を離し、そのままその場に崩れ落ちた。

 床に這いつくばる俺を見下ろし、美琴は淡々と告げる。


「君の気持ちは受け取った。だが、あきらめてくれ。……それと、このことは内密にな」


 背を向け、生徒会室のドアノブに手をかける彼女の背中から、有無を言わさぬ圧が放たれる。


「私も"彼"も……手荒なことは、したくないんだ」


 パタン、と。

 静かな扉の音とともに、俺の二年半の青春は、無残に砕け散ったのだった。



 ――side. 折崎 美琴――


「ふふっ」


 一人で帰路に就く道すがら。私は誰にも見られないよう、小さく吐息を漏らして笑った。


(やはり、今日だったか)


 長内君が、文化祭が終わり、二年生が旅立ったこのタイミングで私に告白してくることは、彼の視線や態度からとうに察知していた。

 彼は優秀で、ひたむきな男だ。ただ単純に言葉で断ったところで、絶対にあきらめないだろう。


 だからこそ、あえて彼に"気づくきっかけ"だけをほのめかし、答えに自らたどり着かせたのだ。

 そして、彼が感情的になって私に触れた瞬間にだけ見えるように仕込んでおいた、とどめの"しるし"。あれを見た時の彼の絶望に染まった顔。これであきらめてくれるはずだ。


「……君ごときでは、私の隣には立てないよ」


 夕暮れの空に向かって、ポツリと冷たい言葉を吐き捨てる。

 私の隣は、そして私のすべてを支配する絶対的な主は、たった一人しかいないのだから。



 ――昨日の夕方。修学旅行前日。


 リビングのソファの上で、私は彼の膝の上に跨り、その首に腕を回していた。


「……美琴、あんまり動くな」

「ん……ふふっ、ごめんね。嬉しくて」


 こうしている時だけは、『みこねぇ』でも『凉ちゃん』でもない。

 学校で見せる生徒会長としての仮面は、彼の前では簡単に溶けて剥がれ落ちてしまう。


 至近距離で凉の息遣いを感じながら、耳元で甘く囁いた。


「凉……ここに"しるし"、つけて……?」

「……」


 私が自分の首筋――襟元の少し下あたりを指差すと、凉はわずかに眉をひそめて黙り込んだ。


「服を着れば見えない場所だから。それに……数日間だけ、残っていればいいの。私には、それが必要なの……」


 私が懇願するように瞳を潤ませると、凉は観念したように小さくため息をついた。

 そして、私の首筋に顔を埋め、ちゅっ、と音を立てて、指定した場所に軽く吸い付いた。


 チリチリとした微かな痛みと、彼に所有されているという圧倒的な悦び。


「……ありがとう。凉、だいすき」


 私は彼への服従と愛情を示すように、その腕の中に身を委ね、甘美な充足感に包まれていた。



 ――


(……あの子たちは今頃、京都のホテルか)


 私は小さく息をつき、コートのポケットに手を入れた。

 指先に触れるのは、冷たい金属の感触。凉の家の"合鍵"だ。


「さて……次は修学旅行から帰った日、だな」


 私は、長内君に向けた冷酷な顔とは全く違う、ひどく甘く、だらしない笑みを浮かべながら、夕闇の迫る道を歩き続けた。

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