解けた髪と、想定外の引力
――side. 折崎 美琴――
休日の駅前広場。
待ち合わせの十分前、私はショーウィンドウのガラスに映る自分の姿を軽く確認した。
普段、学校ではきっちりとポニーテールに結い上げている長い髪を、今日は真っ直ぐに下ろしている。
髪を下ろすのは久しぶりだ。校内では必要のない柔らかさが、ガラスの中にあった。
少しだけ大人びたシルエットのコートを羽織り、私は静かに目を閉じた。
玲茄ちゃんからの、事実上の招待状。
『箱庭が安定した今なら、彼はもっと素直に、あなたと向き合えるかもしれない』
その言葉の裏にある意図は、痛いほど理解している。
彼女は、今の凉ちゃんが抱える"異常性"を私に見せつけ、私をこの盤面から退場させるつもりなのだ。
だが、私は負けない。彼らがどれほど歪に癒着していようと、私はその均衡を壊さず、同時に私自身の居場所をあの中に確保する。
それが、生徒会長として、そしてかつての"姉"としての余裕だ。
「……お待たせ、みこねぇ」
不意に、落ち着いた低い声が鼓膜を揺らした。
目を開けると、すぐ目の前に凉が立っていた。
「いや、私も今来たところだ。……今日は、会長ではなくみこねぇって呼んでくれるんだな」
「……うん。今日は、学校じゃないから」
凉ちゃんは静かに微笑んだ。
その表情を見た瞬間、私の背筋に、微かな電流のようなものが走った。
(……なんだ、今の感覚は)
私たちは並んで歩き出し、駅前の商業施設でウィンドウショッピングを楽しんだ。
彼の方から私の歩幅に合わせ、自然に私を庇う位置に立つ。レストランに入れば、私の好みを先回りしてスムーズに注文を済ませた。
昔の凉ちゃんは、もっと頼りなくて、すぐに私に泣きついてくるような可愛らしい弟分だった。
それが今はどうだ。隣を歩いているのは、一人の自立した、圧倒的な余裕を持つ"男"だ。
想定はしていた。彼が、あの三人を束ねる管理者として成長していることは。
だが、隣で直に触れるその"体感"は、私の想定をはるかに超えていた。
「改めて……文化祭、お疲れ様。中里姉たちも、あの後ゆっくり休めているか?」
食後のコーヒーを飲みながら、私はあえて三人の話題を振ってみた。
凉ちゃんの深淵を覗くための、探り針。
「うん。茉依も、今はすごく落ち着いてるよ。俺たちの"日常"は……元通りだ」
凉ちゃんはコーヒーカップを置き、私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、迷いがない。
私の言葉を測る気配すら、ない。
玲茄ちゃんが私に見せたかったのは、これか。
だが。
「……そうか。それは、良かった」
私はカップに口をつけ、ほんの少しだけ口角を上げた。
怖いわけではない。
むしろ――
この圧倒的な支配力を持つ男に――かつて私が守ってあげていたはずの少年に、完全にリードされているという事実が、私の奥底にある何かを甘く痺れさせていた。
「なあ、凉ちゃん」
「ん?」
「午後なんだが……久しぶりに、私の家に来ないか? 少し、昔のアルバムでも見ながら話したい」
それは、私のテリトリーへの誘い。
彼の拒絶を覚悟した上での、ギリギリの一手だった。
凉ちゃんは数秒、無表情のまま私を見つめ返し――やがて、小さく息を吐いた。
「……いいよ。行こうか」
「え……?」
「みこねぇの家、昔よくゲームさせてもらったよね。懐かしいな」
彼は、一切の警戒もなく私の領域に足を踏み入れた。
いや、違う。踏み入れたのではない。
彼は――
この瞬間。
私は、ピンと張り詰めていた背筋をふっと緩め、テーブルにそっと両肘をついて、カップ越しに彼を少しだけ上目遣いに見つめた。
「……ああ。行こう、凉ちゃん」
席を立ち、私に背を向けて歩き出した彼の大きな背中を見つめる。
玲茄ちゃん。君の計算は、少しだけ甘かったよ。
君の"王様"は、君たちが思っているより、ずっと欲張りだ。
私は解けた長い髪を揺らしながら、彼の隣へと小走りで歩み寄った。




