↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【本編完結】四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第五章 名前を奪う光、歪に癒着する箱庭
51/122

皇帝の盤面、女王の招待状

 ――side. 宮藤 玲茄――


 文化祭の喧騒が遠い夢のように去り、校舎にいつもの静かな放課後が戻ってきた頃。

 私は一人、生徒会室の扉を叩いた。


「どうぞ」


 短い応答に促されて中に入ると、窓際で書類に目を通していた生徒会長――折崎美琴が、ペンを置いてこちらを見据えた。

 室内に他の役員の姿はない。彼女が意図的に人払いをしているのは明白だった。


「文化祭の片付けも一段落ついたようですね。お疲れ様でした、美琴さん」

「ああ。玲茄ちゃんも、クラスの出し物ご苦労だった」


 事務的な労いの言葉。

 私たちは互いに、一切の温度を含まない笑みを浮かべたまま、しばしの間、視線を交差させた。


「……結果はどうだ?」


 先に静寂を破ったのは、美琴だった。

 主語のない問い。けれど、それが何を指しているのか、私に分からないはずがない。


「以前より、ずっと安定しているだろう?」

「ええ。……より歪に、ね」

「歪でも、壊れないなら問題ない」


 美琴は淡々と、一切の悪びれる様子もなく言い切った。


「脆いガラス細工は、常に誰かが手を添えて守らなければならない。だが、完全に癒着した樹脂の塊なら、もう手放しても割れることはない。……そうだろう?」


 彼女の描いていた盤面。単なる無自覚な善意というわけではない。

 脆いものを強固にしてあげるという、一切の悪意がない、残酷なまでの"正しさ"。

 なるほど。彼女には最初からこの結末が"最善"だと見えていたのだ。


「君たちの"城"のバランスが完全に安定してしまえば、彼にもようやく"外"を見る余裕ができる。……私のための居場所を作る余裕がね」


 美琴が、薄く微笑む。


「お見事です、美琴さん。あなたがただの"正しい光"なら、私たちがここまで追い詰められることはなかったでしょうね」


 私はゆっくりと歩み寄り、彼女の対面にある来客用のソファに腰を下ろした。


「でも、あなたがその毒を注ぎ込んでくることは、最初からわかっていましたよ」

「……ほう」

「だから、私はあえて何もしなかった。茉依が壊れるのも、凉が自分の中の"なにか"に気づくのも、あなたの思惑が私たちを侵食するのを、ただ静観していたんです」


 美琴の眉が、微かにピクリと動いた。


「私の思惑を利用したと?」

「ええ。凉に、"主"として覚醒してもらうためには、あなたのような劇薬がどうしても必要だったから」


 美琴は自分のスペースを空けるために箱庭を固めさせ、私は凉を真の支配者にするために箱庭を固めさせた。

 目的は違う。だが、結果は同じだった。


「……君は、本当に底が知れないな、玲茄ちゃん」

「光栄です」


 私は優雅に足を組み、美琴を真っ直ぐに見つめ返した。


「美琴さん。凉は私たち三人の手前、あなたに対しては他人行儀な対応ばかりだったでしょう?」

「……ああ。彼は、私に対して壁を作っていたからな」

「ええ。でも、きっと本心はそうじゃないはずです。箱庭が安定した今なら、彼はもっと素直に、あなたと向き合えるかもしれない」


 私は、極上の甘さを含んだ声で、"皇帝"の首元にナイフを滑り込ませた。


「今度の休日、二人で出掛けてみたらどうかしら?」


 美琴が、わずかに目を見開く。

 私からの、まさかの"譲歩"――あるいは"招待状"。


「それが、美琴さんの望む形の"気持ち"なのかは、わかりませんけれど」


 凉はもう、美琴がかつて知っていた"優しい弟分"ではない。

 美琴がその深淵を覗き込んだとき、彼女は、果たしてそれに耐えられるのか。


「……いいだろう。君の提案、ありがたく受け取っておくよ」


 美琴は、不敵な笑みを浮かべて頷いた。

 私は立ち上がり、静かに一礼して生徒会室を後にする。


 扉が閉まる瞬間、冷たい廊下の空気が頬を撫でた。

 毒のテイスティングは終わった。

 次は、猛毒に浸かりきった怪物を、かつての飼い主に引き合わせる時間だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。