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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第五章 名前を奪う光、歪に癒着する箱庭
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正しい光と、見えない首輪

――side. 井神 凉――


空き教室を出た俺たちは、その足で体育館へと向かった。

ステージ前で指示出しを終えた美琴を見つけ、二人で歩み寄る。


「会長。先ほどは、すみませんでした」


俺が頭を下げると、隣で茉依も深くお辞儀をした。


「ごめんなさい、会長。私、急にパニックになっちゃって……。もう、大丈夫です」


茉依の顔に、先ほどまでの絶望や涙の跡はない。いつも通りの、少し照れくさそうな明るい笑顔だった。

美琴は少し驚いたように目を瞬かせた後、ふっと安堵の息を吐き、彼女もまた真摯に頭を下げた。


「いや、私の方こそ悪かった。君が一生懸命やっているところに、無神経な言葉をかけてしまって……本当にすまない」

「ううん、とんでもないです! 私こそ、足手まといになっちゃって。明後日からの本番、しっかりりょーくんのサポート頑張りますね!」


完璧な和解だった。

傍から見れば、プレッシャーで行き違っていた生徒同士が絆を深め直した、美しい青春の一幕にしか見えないだろう。


「……そうか。なら、良かった」


美琴は穏やかに微笑み返した。

だが、その視線は俺ではなく、茉依の顔を――正確には、茉依が俺の制服の袖を無意識に、けれど絶対に離さないほどの力で、きゅっと握りしめているその指先を、じっと見つめていた。



――


そして迎えた、文化祭本番。

校内は生徒や来場者の熱気で溢れ、スピーカーからは絶えず音楽とアナウンスが流れていた。


俺と茉依は、実行委員の腕章をつけ、トランシーバーで連絡を取り合いながら校内を駆け回っていた。

表向き、茉依の仕事ぶりは完璧だった。笑顔で来場者を案内し、トラブルがあればすぐさま俺に報告する。


ただ一つ、以前と明確に変わったことがある。

彼女はもう、自分から「誰かのために」と空回りして仕事を探しに行くことはなくなった。

俺が「ここにいてくれ」と言った場所にだけ留まり、俺が「これを頼む」と言ったことだけを完璧にこなす。俺の補助という役割だけに、自身の存在意義を集約させていた。


「凉ちゃん。ここの機材トラブルは直ったよ」


本部テントの前で、美琴がクリップボードを見ながら声をかけてきた。


「ありがとうございます。こっちの巡回も終わりました」

「お疲れ様。……そうだ。これから前倒しで後夜祭の準備に入るから、少し手分けをしよう。中里姉は体育館の裏口の確認を。凉ちゃんには、ここの備品を生徒会室に運んでもらって……」


美琴が茉依に点検用紙を手渡そうとした、その瞬間。


「すみません、会長」


俺は茉依の前にすっと半歩だけ踏み出し、美琴の言葉を遮った。


「備品の運搬は、茉依と一緒にやります。体育館の確認は、そのついでに回るので」

「え? いや、でもそれだと効率が……」

「大丈夫です。間に合わせます」


俺は、努めて穏やかな声で、しかし絶対に譲らないという意志を込めて美琴を見た。

茉依は俺の背中に半分隠れるようにして、ニコニコと微笑んでいる。彼女自身に、美琴の指示に従うという選択肢は存在していない。俺の言葉だけが、今の彼女の絶対的なルールだ。


俺と美琴の視線が、空中でぶつかる。

ほんの数秒の沈黙。

美琴の聡明な瞳が、わずかに揺れた。彼女は俺の目の奥にある"意味"を正確に察知し、ゆっくりと手元のクリップボードに視線を落とした。


「……わかった。よろしく頼む」

「はい」



――


昼過ぎ。実行委員のシフトに空きができた、一時間の自由時間。


「あーっ、疲れたぁ! でもすっごく楽しいね、りょーくん!」


校舎裏のベンチで飲み物を飲みながら、茉依が足をパタパタと揺らして笑った。


「そうだな。午後もこの調子ならなんとかなりそうだし」

「うんっ! あ、ねえねえりょーくん、これから一時間お休みでしょ? 折角だから、二人で二階のお化け屋敷に行こうよ! 私、ずっと行きたかったの!」


茉依が、俺の顔を下から覗き込んでくる。

それは、かつての彼女なら絶対に言わなかった言葉だ。彼女は常に"四人"の空気を何よりも大切にしていたはずだった。

今の茉依は、俺に依存しすぎるあまり、その視野が極端に狭くなっている。


俺は茉依の頭にポンと手を置き、優しく諭すように言った。


「……四人で、だろ?」

「えっ?」

「せっかくの文化祭なんだ。玲茄と悠希も揃って、四人で回らないと意味ないだろ」


俺がそう言って微笑むと、茉依はハッとしたように目を丸くし、それからすぐに満面の笑みを浮かべた。


「あ、そっか! そうだね! そうだった! れなっちとゆきもいなきゃ駄目だよね! ごめんごめん、私ちょっとテンション上がりすぎちゃって!」


軌道修正は、一瞬だった。

"四人のルール"を、彼女は一切の疑問を持たずに再インストールする。一般の生徒が見れば、ただの微笑ましいやり取りにしか見えないだろう。


俺はポケットからスマホを取り出し、玲茄にメッセージを送った。



――side. 宮藤 玲茄――


中庭のクレープ屋の前に、四人が揃った。

文化祭の喧騒の中、私たちの周囲だけは、透明なガラスで守られたように穏やかな空気が流れている。


「れなっちー! チョコバナナとイチゴ、どっちがいい!?」

「私はイチゴでお願い。悠希は?」

「私も、イチゴがいいです」


茉依が明るい声で注文を取りに行き、その後ろを悠希がトテトテとついていく。

その背中を見送りながら、私は目を細めて微笑んだ。


茉依の振る舞いは、以前の状態に戻っている。すれ違うクラスメイトたちも、楽しそうに笑う彼女を見て、何の疑問も抱いていない。


だが、私にははっきりと見える。

茉依の首に繋がれた、ひどく頑丈で、甘い鎖の存在が。

彼女はもう、自分の意思で四人の温度を保っているのではない。凉がそう望むから、その役割を演じているだけだ。


「……玲茄」


不意に、隣に立っていた凉が振り返り、周囲の喧騒に紛れるようにして私の耳元へ顔を寄せた。


「今回のことで、色々わかったよ」

「……」

「ありがとうな」


それは、美琴という劇薬の投入を静観し、彼に"茉依の管理"を決断させた私に対する、明確な感謝と共犯のサインだった。


凉がゆっくりと顔を離す。

その横顔には、かつての"優しいだけの管理者"の面影はない。


「どういたしまして」


私は唇だけでそう返し、クレープを持って戻ってきた茉依たちを笑顔で出迎えた。


その後、文化祭は大きなトラブルもなく、大成功のまま幕を閉じた。

後夜祭の特設ステージでバンドの演奏が最高潮を迎え、ボーカルのシャウトに熱狂する生徒たちの歓声が夜空に響き渡る。


誰も知らない。

この眩しい青春の光の裏側で、私たちの"名前のない楽園"が、さらに歪な形に変わったことを。

本日20:40に、あと二話公開します。

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