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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第三章 有限の楽園 ――あるいは、明日の足音
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三つの約束、一つの期限

――side. 井神 凉――


リビングの空気は、精密機器を扱う作業室のように張り詰めていた。

ダイニングテーブルには、家計簿、成績表、そして生活スケジュールの管理シートが整然と並べられている。


母さんは、それらを一枚ずつ、指先で弾くようにめくっていく。

感情の読めない瞳が、数字の羅列をスキャンしていく。


「――テストの成績は、四人とも学年10位以内をキープ。特に茉依さんは数学の偏差値が上がっているわね」

「あ、はい。りょーくんに……教えてもらって、頑張りました」


茉依が背筋を伸ばし、模範的な回答をする。

母さんは「そう」と短く頷き、次のページへ進んだ。


「家計の収支も問題なし。食費の変動も許容範囲内。……むしろ、私が送金している額よりもかなり切り詰めているようだけど」

「特売日を活用しています。それに、栄養バランスを崩さない範囲で、自炊のレパートリーを増やしましたので」


今度は玲茄が答える。

彼女の顔には、完璧な笑顔が貼り付いている。

母さんの視線が、玲茄のネックレスに一瞬留まり、そして資料に戻った。


「結構よ。リソース管理ができているのは評価するわ」


そこから、話題は学校生活全般、そして連休の旅行へと移行した。


「夏休み前の連休に、友人と旅行に行ったそうね」

「はい。クラスメイトの綿部くんと、白峰さんと一緒に海へ」

「綿部くんと、白峰さんね」


その名前を聞いた瞬間、母さんの目がわずかに細まった。


「彼らは、あなたたちの関係を知っているの?」

「……深くは、知りません。ただの仲の良いグループとして接しています」

「そう。外部との接触において、ボロを出さずに"普通の高校生"を演じきれている、ということね」


母さんは、俺たちが"楽しかった思い出"として語るべき旅行を、"外部接触のテストケース"として処理した。

楽しかったか、などとは聞かない。

トラブルはなかったか。疑われなかったか。その一点のみが、彼女の関心事だ。


「悠希さん」

不意に、母さんが名を呼んだ。

お茶のお代わりを入れようと待機していた悠希が、びくりと身体を震わせる。


「は、はい」

「あなたは、その旅行で何を得たの?」


唐突な質問。

悠希が助けを求めるように俺を見るが、俺が口を挟むより早く、母さんの視線がそれを遮断した。


「……私は、その……みんなに迷惑をかけないように、荷物の管理と、あとかたづけを……」

「違うわ」

母さんは冷ややかに切り捨てる。

「あなた個人の経験として、何を感じたのかを聞いているの」

「……え、っと……海が、綺麗で……みんなが笑っていて、私も、嬉しくて……」


しどろもどろになりながら答える悠希を、母さんは数秒間見つめ、興味を失ったように視線を外した。


「……まぁ、いいわ。情緒の安定は確認できたということで」


母さんは資料をテーブルに置き、両手を組んだ。


「報告は以上で結構よ。三人とも、二階の凉の部屋で待っていなさい。……凉、あなたは残って」


「はい」

「……わかりました」


三人が一斉に立ち上がる。

玲茄が心配そうに俺を一瞥し、茉依が唇を噛み、悠希が何度も振り返りながら、俺の部屋へと消えていった。


パタン、とドアが閉まる。

その音が、俺と母さんを二人きりの空間に封じ込めた。



――


三人の気配が遠のいたことを確認してから、母さんはカップに残った紅茶を飲み干した。

張り詰めていた緊張が、わずかに種類を変える。

"監査"から、"商談"へ。


「……よく躾けられているわね」


母さんが静かに言った。

その言葉には、皮肉と、純粋な感心が半々に混じっていた。


「躾けたわけじゃない。みんな、自分たちで考えて動いているんだ」

「いいえ、あれはあなたの作品よ。彼女たちの言動、立ち振る舞い、思考回路。すべてに"井神凉"というフィルタがかかっている。……異様な光景ね」


母さんは淡々と事実を突きつけてくる。

否定はできなかった。俺が管理者としてルールを敷き、彼女たちがそれに適応した結果が、今のあの姿だ。


「それで……母さんの評価は」

「及第点よ。今のところはね」


母さんはテーブルの上の資料を指先で叩いた。


「成績優秀、品行方正。家事能力も高く、金銭管理もできている。表面的には、文句のつけようがない"優良物件"だわ」


ほっと息を吐きそうになる俺を、母さんの次の言葉が釘付けにした。


「けれど、凉。"三つの約束"はどうなっているの?」


心臓が、嫌な音を立てた。


この生活を始める際、俺は両親と三つの約束をした。

一つ、四人の関係を崩さないこと。

二つ、この関係に恋人などの線を引かないこと。


そして、三つ目。


「……三年の十二月までに、この関係性をどうしていくのか、具体案を出すこと」


俺が低い声で答えると、母さんは満足げに頷いた。


「そう。その期限が近づいているわ」


母さんは身を乗り出し、ビジネスパートナーに損切りを迫るような目で俺を見た。


心音が、やけに近くで響いている。

次の呼吸のタイミングが分からない。喉が乾いているのに、唾を飲み込めない。


「今のままじゃ、社会には通用しないわよ」

「通用しない……?」

「ええ。今は"高校生"というモラトリアムの中にいるから許されているだけ。大学へ行くにしろ、就職するにしろ、社会に出れば"名前のない関係"なんてものは通用しない。社会は、"記録できないもの"を存在として扱わないの」


母さんの言葉は、正論すぎて反論の余地がなかった。

俺たちが必死に守っている"曖昧さ"は、社会システムの中ではバグでしかない。


「彼女たちをいつまで飼い殺しにするつもり? 彼女たちの将来を思うなら、あなたが決断しなさい」


母さんの声には、悪意はない。

あるのは、徹底したリアリズムと、歪な状況にある息子たちへの、彼女なりの危惧だ。


「誰か一人を選ぶのか、あるいは全員と別れて解散するのか。……この"おままごと"をいつ畳むのか、具体的なプランを出しなさい」


「……まだ、時間はあります」

「時間は有限のリソースなの。気づいたときには、手遅れになっているものよ」


母さんは腕時計に目を落とし、すぐに顔を上げた。

その表情から情は消え、再び冷徹な監査官の仮面が装着される。


「さて。全体報告は終わったわ。ここからは三人のヒアリングに移りましょうか」


母さんはリストを見据え、俺にそう告げた。


「三人を呼びなさい。全員、同時にね」

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