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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
幕間 水底から覗く夜明けの前に
111/111

幕間:設計図にある、城壁の外側

 ――side. 折崎 美琴――


 姿見の前に立つ彼を見て、私は思わず小さく息を吐いた。


「どうかな、みこねぇ。おかしくない?」

「……すごいな。その髪型、似合いすぎじゃないか」


 私の家。リビングに立つ凉ちゃんと私は、着慣れた折崎高校の制服に身を包んでいた。

 凉ちゃんは、髪の毛の一筋から、ネクタイの結び目、シャツのシワひとつに至るまで、恐ろしいほど緻密に整えられている。


 どうして二人でこうしているかというと、毎年三月に開催される、私の父主催のレセプションパーティーへ行くためだ。

 中学生の頃から、声をかけてはいたのだ。しかし、いつも「パーティーに一緒に出ない? おいしいものあるよ?」と誘っても、「学生が行く場じゃないよ」と袖にされていた。けれど今回は違った。

『今年もあるなら、参加したい。……俺たちの、将来のために』

 そう言ってきた彼は、今日、三人の女の子たちに、服から髪のセットまで何から何まで完璧に"仕上げられて"送り出されてきたのだという。


「じゃあ、行こうか。エスコートよろしくね、凉ちゃん」

「うん。任せて」


 家の前に手配されていた車に乗り込み、三十分ほど離れた、市内でも有数の豪華なホテルへと向かった。



 ――


 煌びやかなシャンデリアが照らすホテルのエントランス。

 会場のクローク前で、私たちは待っていた人物と合流した。


「おお、美琴! 今日も一段と綺麗だな! そして凉くん、よく来てくれたね!」

「お久しぶりです、叔父さん、叔母さん」


 大声で私を褒めちぎる父と、その横で上品に微笑む母。

 父は折崎高校を運営する法人の理事長であり、私を溺愛している。そして同時に、昔から大人びていて聡明だった甥の凉ちゃんのことを、とても気に入っていた。

「ええ、本当に。凉ちゃん、見ないうちにまた一段と男前になったわね」

 私がそのまま歳を重ねたような容姿の母も、目を細めて凉ちゃんを歓迎する。


「今日は突然参加させていただきありがとうございます。みこねぇのエスコート役として、お役に立てればと思いまして」

 凉ちゃんが少し大人びた口調でそう言うと、父は「頼もしいじゃないか」と上機嫌に笑い、私たちをレセプション会場へと促した。


 会場内には、私が小さい頃から顔を知っている理事たちや、政財界のお偉いさん、そして学校の幹部教師たちの姿があった。

 私は父の紹介で、次々と大人たちへ挨拶をしていく。そして必然的に、隣に立つ凉ちゃんにも話が及んだ。


「こちらは甥の井神凉です。美琴の一年下の、折崎高校の二年生でね」

「初めまして。井神凉と申します」


 大人たちを前にしても、彼の態度は堂々としたものだった。へりくだりすぎず、かといって傲慢(ごうまん)でもない、巧みな距離感を持った対応。

 すると、一人の理事が「おお」と声を上げた。

「キミはたしか、夏の全国弁論大会で最優秀賞をとった井神くんだね! あの時のスピーチは実に素晴らしかった。感動したよ」

「身に余る光栄です。ありがとうございます」


 凉ちゃんは柔らかく微笑み、大人たちと会話を交わしていく。

 そして将来の話になったとき。凉ちゃんは、グラスを片手に静かに言葉を紡ぎ始めた。


「実は私、大学に進学して教員免許を取得した暁には……将来、この折崎高校の教師として戻ってきたいと考えているんです」


 その言葉に、周りの大人たちがパッと顔を輝かせた。

「ほう、それは素晴らしい!」

「私一人ではありません」

 凉ちゃんは、言葉を区切る絶妙な間をコントロールしながら、核心へと切り込んでいく。

「私の同級生に、宮藤玲茄、中里茉依、悠希という三人の女子生徒たちがいます。彼女たちもまた、私と同じく、将来は折崎高校の教師になりたい、と強く志しているんです」

「その名前、聞いたことがあるね。たしか、宮藤さんは英語、中里さんは理数系のコンテストで入賞していた子たちじゃないか」


 それは、彼が弾き出した"綿密に計算された計画"だった。

 数年後、折崎高校の教員たちの定年退職が重なり、新たな教員を大量に募集する時期が来る。彼はそのタイミングを見越して、今日この場で、理事長である父の血縁という強烈な地盤を使い、"四人セットでの採用"の種を蒔いたのだ。


「なんと。そんな優秀な生徒たちが全員、母校に戻ってきてくれるのか! それは心強い」

「ぜひ、待っているよ」


 大人たちは、優秀な若者たちの愛校心と美しい夢に感動し、手放しで彼を称賛した。


 私は、隣で静かに微笑む凉ちゃんの横顔を見つめながら、背筋に冷たいものが這い上がるのを感じていた。

 彼は純粋な夢を語っているのではない。あの三人の女の子たちと、絶対に誰も干渉できない"最強の城"を、社会のシステムを利用して合法的に作ろうとしているのだ。



 ――


 目的を達成した私たち二人は、大人たちよりも先に会場を後にした。

 父によって手配された車に乗り込む。予定では、先に凉ちゃんの家に寄って彼を下ろし、そのあとに私の家へ向かう手筈になっている。


 夜の街を走る車内。後部座席で、凉ちゃんは小さく息を吐いてネクタイを緩めた。

「本当にありがとう、みこねぇ。……今度、ちゃんと埋め合わせするから」

 安堵したような彼の言葉に、私は静かに首を振った。


「なら……今日がいいな」

「今日?」

「凉ちゃん、覚えてる? 中学生の時、うちに泊まることにして、"友達"の家に泊まったこと」


 私の言葉に、凉ちゃんの肩がピクッと跳ねた。

「そのとき、お返しに今度うちに泊まりに来てって言ったのに……あれ以来、一回も泊まりに来てくれてないじゃない」

「……あ」


 私は、横に座る彼を見つめた。

「今日は私、家で一人なんだ。お父さんとお母さんは、あのホテルに泊まるから」


 静かな車内に、車のエンジン音だけが低く響く。

 凉ちゃんは少しの間黙考(もっこう)した後、ふっと苦笑いをこぼした。


「……そうだな。約束、守ってなかった」


 彼はそう言うと、運転手に行き先の変更を告げた。自分の家ではなく、私の家へ、と。


「……ふふっ」

 小さく、私にしか聞こえない声で「やった」と呟く。


 今日の出来事を振り返る。

 私もまた、教師を目指している。だからきっと、一年先に教師になった私が、この学校で凉ちゃんたちを迎えることになる。


 彼が四人の箱庭を作り、私がそのさらに外側の擁壁を作る。

 私が、彼が思い描く未来の地盤の一部になる。

 ――私が凉ちゃんと特別な関係を持てるのは、これがあるからなんだ。


 私は、自分の胸の奥にある黒い感情を静かに肯定し、隣に座る凉ちゃんの腕に、そっと自分の体をすり寄せたのだった。

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