幕間:設計図にある、城壁の外側
――side. 折崎 美琴――
姿見の前に立つ彼を見て、私は思わず小さく息を吐いた。
「どうかな、みこねぇ。おかしくない?」
「……すごいな。その髪型、似合いすぎじゃないか」
私の家。リビングに立つ凉ちゃんと私は、着慣れた折崎高校の制服に身を包んでいた。
凉ちゃんは、髪の毛の一筋から、ネクタイの結び目、シャツのシワひとつに至るまで、恐ろしいほど緻密に整えられている。
どうして二人でこうしているかというと、毎年三月に開催される、私の父主催のレセプションパーティーへ行くためだ。
中学生の頃から、声をかけてはいたのだ。しかし、いつも「パーティーに一緒に出ない? おいしいものあるよ?」と誘っても、「学生が行く場じゃないよ」と袖にされていた。けれど今回は違った。
『今年もあるなら、参加したい。……俺たちの、将来のために』
そう言ってきた彼は、今日、三人の女の子たちに、服から髪のセットまで何から何まで完璧に"仕上げられて"送り出されてきたのだという。
「じゃあ、行こうか。エスコートよろしくね、凉ちゃん」
「うん。任せて」
家の前に手配されていた車に乗り込み、三十分ほど離れた、市内でも有数の豪華なホテルへと向かった。
――
煌びやかなシャンデリアが照らすホテルのエントランス。
会場のクローク前で、私たちは待っていた人物と合流した。
「おお、美琴! 今日も一段と綺麗だな! そして凉くん、よく来てくれたね!」
「お久しぶりです、叔父さん、叔母さん」
大声で私を褒めちぎる父と、その横で上品に微笑む母。
父は折崎高校を運営する法人の理事長であり、私を溺愛している。そして同時に、昔から大人びていて聡明だった甥の凉ちゃんのことを、とても気に入っていた。
「ええ、本当に。凉ちゃん、見ないうちにまた一段と男前になったわね」
私がそのまま歳を重ねたような容姿の母も、目を細めて凉ちゃんを歓迎する。
「今日は突然参加させていただきありがとうございます。みこねぇのエスコート役として、お役に立てればと思いまして」
凉ちゃんが少し大人びた口調でそう言うと、父は「頼もしいじゃないか」と上機嫌に笑い、私たちをレセプション会場へと促した。
会場内には、私が小さい頃から顔を知っている理事たちや、政財界のお偉いさん、そして学校の幹部教師たちの姿があった。
私は父の紹介で、次々と大人たちへ挨拶をしていく。そして必然的に、隣に立つ凉ちゃんにも話が及んだ。
「こちらは甥の井神凉です。美琴の一年下の、折崎高校の二年生でね」
「初めまして。井神凉と申します」
大人たちを前にしても、彼の態度は堂々としたものだった。へりくだりすぎず、かといって傲慢でもない、巧みな距離感を持った対応。
すると、一人の理事が「おお」と声を上げた。
「キミはたしか、夏の全国弁論大会で最優秀賞をとった井神くんだね! あの時のスピーチは実に素晴らしかった。感動したよ」
「身に余る光栄です。ありがとうございます」
凉ちゃんは柔らかく微笑み、大人たちと会話を交わしていく。
そして将来の話になったとき。凉ちゃんは、グラスを片手に静かに言葉を紡ぎ始めた。
「実は私、大学に進学して教員免許を取得した暁には……将来、この折崎高校の教師として戻ってきたいと考えているんです」
その言葉に、周りの大人たちがパッと顔を輝かせた。
「ほう、それは素晴らしい!」
「私一人ではありません」
凉ちゃんは、言葉を区切る絶妙な間をコントロールしながら、核心へと切り込んでいく。
「私の同級生に、宮藤玲茄、中里茉依、悠希という三人の女子生徒たちがいます。彼女たちもまた、私と同じく、将来は折崎高校の教師になりたい、と強く志しているんです」
「その名前、聞いたことがあるね。たしか、宮藤さんは英語、中里さんは理数系のコンテストで入賞していた子たちじゃないか」
それは、彼が弾き出した"綿密に計算された計画"だった。
数年後、折崎高校の教員たちの定年退職が重なり、新たな教員を大量に募集する時期が来る。彼はそのタイミングを見越して、今日この場で、理事長である父の血縁という強烈な地盤を使い、"四人セットでの採用"の種を蒔いたのだ。
「なんと。そんな優秀な生徒たちが全員、母校に戻ってきてくれるのか! それは心強い」
「ぜひ、待っているよ」
大人たちは、優秀な若者たちの愛校心と美しい夢に感動し、手放しで彼を称賛した。
私は、隣で静かに微笑む凉ちゃんの横顔を見つめながら、背筋に冷たいものが這い上がるのを感じていた。
彼は純粋な夢を語っているのではない。あの三人の女の子たちと、絶対に誰も干渉できない"最強の城"を、社会のシステムを利用して合法的に作ろうとしているのだ。
――
目的を達成した私たち二人は、大人たちよりも先に会場を後にした。
父によって手配された車に乗り込む。予定では、先に凉ちゃんの家に寄って彼を下ろし、そのあとに私の家へ向かう手筈になっている。
夜の街を走る車内。後部座席で、凉ちゃんは小さく息を吐いてネクタイを緩めた。
「本当にありがとう、みこねぇ。……今度、ちゃんと埋め合わせするから」
安堵したような彼の言葉に、私は静かに首を振った。
「なら……今日がいいな」
「今日?」
「凉ちゃん、覚えてる? 中学生の時、うちに泊まることにして、"友達"の家に泊まったこと」
私の言葉に、凉ちゃんの肩がピクッと跳ねた。
「そのとき、お返しに今度うちに泊まりに来てって言ったのに……あれ以来、一回も泊まりに来てくれてないじゃない」
「……あ」
私は、横に座る彼を見つめた。
「今日は私、家で一人なんだ。お父さんとお母さんは、あのホテルに泊まるから」
静かな車内に、車のエンジン音だけが低く響く。
凉ちゃんは少しの間黙考した後、ふっと苦笑いをこぼした。
「……そうだな。約束、守ってなかった」
彼はそう言うと、運転手に行き先の変更を告げた。自分の家ではなく、私の家へ、と。
「……ふふっ」
小さく、私にしか聞こえない声で「やった」と呟く。
今日の出来事を振り返る。
私もまた、教師を目指している。だからきっと、一年先に教師になった私が、この学校で凉ちゃんたちを迎えることになる。
彼が四人の箱庭を作り、私がそのさらに外側の擁壁を作る。
私が、彼が思い描く未来の地盤の一部になる。
――私が凉ちゃんと特別な関係を持てるのは、これがあるからなんだ。
私は、自分の胸の奥にある黒い感情を静かに肯定し、隣に座る凉ちゃんの腕に、そっと自分の体をすり寄せたのだった。




