抗う力
村の広場には、村人たちが輪を作るように集まっていた。その真ん中には、縄をかけられ神兵に足蹴にされているアッサイの姿がある。
ケゼムによると、リーダーさえ名乗り出れば他は見逃してやると言われ、アッサイが名乗り出たらしい。
しかし、その割には様子がおかしかった。
「答えろ! 神殿内に侵入し、聖域を血で汚した者がいたはずだ!」
「そんな奴は知らない! 俺はそんな指示は出していないし、そんなことができるヤツもいなかったはずだ!」
「とぼけるな! リーダーなら覚えがあるだろう! 言え!」
声を荒げるのは、禿げた頭に神官の帽子をかぶった中年の男。
額には包帯を巻いている。
「知らないわけがあるものか! 神聖なる神殿内部にて4人もの兵を殺害し、あまつさえこの私に暴行を加えた男! 高貴なる神官を足蹴にしおった、あの不届き者だよ!」
イスメトは、ケゼムが血相を変えて自分を呼びに来た理由が分かった気がした。
「神殿内で暴行……ま、まさかと思うけど、セト?」
周囲に悟られぬよう努めて小さな声で、イスメトはセトに確認する。
【あァ~。そういや、俺がぶっ倒した奴らの中に神官が混ざってたような気も……しかし、あの包帯は大げさだろ。脳でも溶け出してんのか?】
悪びれもせず笑うセト。イスメトは頭を抱えたくなった。
イスメトの焦燥など知ったことかと言わんばかりに、神官たちは熱を上げていく。
「おい! この者の家族を連れてこい!」
「はっ!」
「……! おい待ってくれ! 子供たちは関係ない!」
神官の号令で、神兵たちがアッサイの妻子へと詰め寄る。そして、幼い末っ子の少年を捕まえると、アッサイの前まで連れてきた。
アッサイの妻が悲鳴を上げる。
「やめて! その子に手を出さないで!」
「ほっ! それは、この男の態度次第だな」
神官は意地汚く笑った。
「お前がどうしても言いたくないというのなら、仕方がない。この子供の指を一本ずつ折ってやろう。指が終わったら腕だ。腕が終わったら……ほっほ! それが嫌なら誰でもいい、仲間を売るんだな――!」
「ッ……! 外道が……!」
イスメトは血が沸き立つような感覚を覚えた。
早く自分が名乗り出なければ、アッサイたちが酷い目に遭う。そうと分かっているのに、足がすくむ。何も見なかったフリをして、後ろに下がってしまおうかとさえ考える自分がいた。
そのことに、血が熱くなるほどの怒りを覚えた。
理不尽な正義に父親を奪われ、何もできない子供。まるでどこかで見た光景じゃないか。
父さんだったらどうする。
こんな状況に立たされて、勇気のある男なら、何をする――?
イスメトは父の首巻きをギュッと握りしめた。
「……っ、僕だっ! 僕がやった!」
心が答えを吐き出すと同時に、イスメトはそう叫んでいた。
人々がざわつく。ある者は驚きを、ある者は疑いの念を込めた目でイスメトを見た。
「な……っ」
アッサイまでもが、言葉を失う。
当然だ。なにせ名乗りを上げたのは、これまで目立った騒動もケンカも起こしたことがないような、人一倍おとなしい少年。親友ですら、彼が誰かに噛みつく姿を見たことはない。
だが、この時ばかりは様々な状況が普段とは異なっていた。
「イスメト……!」
ケゼムは何か感じるところがあったのだろう。驚いたというより、確信したような語気で友の名を呼んだ。
【ほォん? お前、意外と肝が据わってんなァ。嫌いじゃねェぜ】
「僕を助けるためにセトがやったことなら、僕の責任だ……それに……こんなの納得いかない」
【足、震えてんぞ。ククク……】
「う、うるさい……!」
バクバクと音を立てる心臓を押し殺すように拳を握りしめ、イスメトは神官の前に進み出る。
「馬鹿なことはよせ、イスメト!」
そう叫ぶアッサイには、イスメトが自分たち家族のために犠牲になろうとしているように見えたことだろう。
だが、実際は違う。これは紛れもなくイスメトの問題だ。
「神殿に侵入し、戦ったのは……僕です」
「こんな少年が……?」
神兵たちですら、半信半疑な様子で顔を見合わせていた。
が、神官だけはイスメトの顔を見るなり目を見開く。
「はっ――! この顔、この赤い首巻き! まさしくあの時の……!」
いつも身に着けている砂避け用の色褪せた首巻き布が、神官の印象にはくっきりと残っていたようだ。
「ええい、コイツを縛り上げろ! それと、そいつらも一緒に連行だ!」
神官はアッサイの家族、そして長老とその家族にも兵を差し向けた。
ケゼムとその父親が長老を庇うように前に出る。
「なっ、なんで……!」
【ま。そう来るだろーな】
動揺するイスメトをよそに、セトは平然と呟く。
【さて、どうする? 全員仲良く捕まるか、それとも……】
兵士に腕を掴まれる中でイスメトは、右の手の平が急に熱くなっていくのを感じた。
【いっちょ、暴れてやるかァ――?】
直後、イスメトの手の中に現れる長杖。
それを握りしめたイスメトは、ほとんど反射的に――あるいはセトに操られてか――自分を後ろから縛ろうとする神兵の横腹めがけ、振り向きざまに力一杯その金属棒を叩き付けていた。
「ごぁッ――!?」
あっけなくなぎ倒される男。
自由になったイスメトの体は次に、子供を人質に取る兵へとすぐさま肉薄する。そして、肘をアゴへ、杖先を腹へと、同時にめり込ませるように体当たりをかました。
瞬く間に二人の兵士が地に転がる。泣きわめく子供は、母親がすぐに抱き留めた。
騒然となる広場。
イスメトですら、自分が何をしたのか半ば信じられないままに戦杖を構えていた。
「き、貴様……!」
「ど、どこに武器を隠し持っていやがった!?」
途端に色めき立つ神兵たち。
その高まる敵意を代弁するかのように、神官が声高に叫んだ。
「ヤツを取り押さえろォッ! 殺しても構わん!」
「ひっ」
イスメトは息を呑む。
どうして僕は武器を持っている? どうしてこんな状況になっている?
僕は一体、何をやっているんだ?
【悪ィが、俺も本調子じゃねェ。いくらかはお前も自分で動けよ】
「えっ……?」
【武器の扱いは任せろ。だが体を動かすのは、お前自身だ】
「い、言ってる意味がよく分からないんだけど……!?」
【なら、動きながら慣れな……!】
セトの声と呼応するかのように、イスメトの腕は知るはずのない動きで華麗に杖を振り回し、兵たちを牽制する。
「えっ、えっ……!?」
【さァて、坊主。初めての共同作業といこうじゃねェか……ッ!】
イスメトはなぜ自分にこんな芸当ができるのか困惑しっぱなしだった。が、セトの言うとおり、自分が動くしかない状況であることだけはなんとか理解した。
【オラッ、右足を引いてお辞儀しなッ!】
「は、はい!?」
イスメトが言われるがまま動くと、その頭上を間一髪で神兵の剣が薙ぎ払っていく。
目の前には隙だらけの脇腹。
【ほらよっと三人目ェ……ッ!】
すかさずセトが、退いた右足をバネに体重を乗せた刺突を繰り出す。
兵は身にまとっていた鎧の一部をばらまきながら、派手に後方へ吹き飛んだ。まるで突風にさらわれたかのようだった。
「な……なんだよこの怪力……っ!」
「ば、馬鹿げてる……」
それを見た他の兵士たちは及び腰になる。
その隙を、セトはけして見逃さない。
【走れ!】
「はい!?」
【いいから走れ! こいつらの間を縫うように!】
イスメトは、もうどうにでもなれとセトの声に従った。
意識していたのは、本当にただ走ることだけだ。それなのに自分が通り抜けた先々で、男たちはばたばたと倒れていく。
一方、周囲の村人たちにはこう見えていたことだろう。
イスメトが驚くべき体捌きで敵の攻撃を避けながら、巧みな棒術によって兵士を次々に無力化していっている――と。
「な……な……!?」
神官は驚愕に言葉を失った。
十数名いた神兵たちがたった一人の、それもどこか頼りない風貌をした少年によって制圧された。
立っているのはもはや自分一人である。
「【よォ、ゲス野郎】」
そしてついに、少年の矛先は神官へと。
「【コイツら連れて出直すか、全員ここでオッ死ぬか、好きな方選べやァッ!】」
「――~~~~っ!!」
神官は腰を抜かしたのか、言葉もなくその場に尻餅をついた。
「うっ――!?」
直後、イスメトは顔面の違和感に思わず口元を押さえる。
――いま、セトが僕の口で喋らなかったか?
【テメェじゃ、気の利いた脅し文句も出てこねェだろ?】
「き……気持ち悪い……」
意図しない言葉がつらつらと自分の口から吐き捨てられる様をただ聞いていたイスメトは、自分の中に別の魂がいる事実を再認識した。
言葉だけでなく、なんだかものすごく『悪い』顔をしていたような気もする。
「お、覚えていろォッ!? この村に、か、か必ず、しし神罰が下るぞッ!」
【ハッ! こっちが神だっての!】
尻尾を巻いて逃げるという表現がこれほどぴったりな状況もそうそうないだろう。雨が降ったわけでもないのに、神官の立っていた場所には小さな水溜まりができていた。
「ま、マジかよ……」
「あのイスメトが……?」
「う、嘘だろ……?」
その場に残されたのは、ただただ呆気にとられる村人たち。
そして広場に横たわる静寂。
しかし、その静けさが保たれたのはほんの一瞬のことだった。
「うおおぉぉぉっ! アイツやりやがったああぁぁっ!」
「あの顔、見たかよ! スカッとしたぜ!」
「マジすげぇ! すげぇぞおおぉぉっ!」
たちまちにイスメトは、駆け寄ってくる人々に揉みくちゃにされる。
「お前、そんな体術どこで覚えたんだ!?」
「い、いや……その、なんて説明したらいいか……」
「酒だ酒! 誰かビール持ってこい! 祝杯だぁっ!」
「バカ、んな蓄えどこにあんだよ! がははっ!」
喧噪は、しばらく収まりそうになかった。