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神の要求

 目が覚めると、イスメトは長老の家の寝台に横たわっていた。


「あ、れ……僕は……」

「おぉ、目が覚めたか」


 上体を起こすと、壁際に腰掛ける長老の朗らかな笑顔が目に入る。

 その後ろの部屋からはケゼムが顔を覗かせた。


「だ、大丈夫か!? ちゃんと生きてるか!?」


 ケゼムは慌ただしく駆け寄ってくる。


「う、うん……。えっと……僕は?」

「こっちが聞きたいくらいだって! お前、たった一人でどうやって脱出したんだ!?」

「脱出……?」

「そうだよ! しかもあの状況で!」

「おお……太陽神ラー様の思し召しじゃ……」

「じいちゃんは黙ってて! 話がややこしくなるから!」


 ケゼムの話だと、自分はどうやってか追っ手を振り切り、神殿の塀を跳び下りて出てきたらしい。

 塀の高さは軽く20キュビトはある。にわかには信じがたい話だった。


「ったく! お前、いっつも大人しすぎるくれぇなのに、時々スゲぇ無茶するよな。マジ死んだかと思ったぜ。服は血まみれだしよ」

「血まみれ……?」


 イスメトはハッとして背中に手を回した。

 痛くない。どころか、傷もない。確かに矢を射掛けられたはずなのに。

 服は着替えさせられたのか、別のものに変わっている。


「神……さま」


 イスメトは段々と昨夜の出来事を思い出してきた。


「は?」

「か、神様だよ。死にかけて、でも変な祭壇があって、そこで神様が助けてやるって……! それで、代わりに心臓を取り出して……」


 ケゼムは口をあんぐりさせ、しばし固まる。


「……頭でも打ったか?」

「そう……かもしれない」

「だよな……お前までじいちゃんみたいなこと言うなよ」


 イスメトも我ながら変なことを言っている自覚はあった。


「まあ、あれだ。とにかく、大丈夫そうなら一度家に帰れよ。お袋さんも、その……心配、するだろ?」

「あ、うん……ありがとう」


 ケゼムがイスメトを自宅に運び込んだのは、こちらの家庭事情を慮ってのことだったらしい。


「すみません、お世話になりました」


 イスメトは帰る前にケゼムの両親にも挨拶に行った。


「おお、元気そうだな。何よりだ。お袋さんにもよろしく伝えてくれ」

「ああイスメト、ほら首巻き! 洗って干しといたよ」

「あ……っ! ありがとうございます」


 父の形見と、昨日の戦利品を少し受け取って、イスメトはひとまず帰路につく。

 本当は夜襲の成果なり被害なりについて、もっと詳しく聞きたい気持ちもあった。しかし、いかんせん家を空けてからそこそこ時間が経っている。

 今はとにかく母を優先することにした。


「あ、疫病神……!」


 道中、ジタの取り巻きに見つかり、心底げんなりしたのだが……


「……行くぞ、お前ら」

「え? お、おう……」


 ジタは何も言わずに、取り巻きを連れて去っていった。

 正直、ほっとした。

 昨日の一件はさすがのジタにも応えたらしい。イスメトは今日一日を晴れ晴れしい気分で過ごせるような気がした。


【ククク……】


 その奇妙な声が頭の中に響いてくるまでは。


【よぉ坊主。調子はどうだ……?】

「……っ!?」


 イスメトは辺りを見渡した。

 しかし、目に入るのは道端の茂みやシュロの木ばかり。この辺りには民家もない。坂を下った先にイスメトの家があるだけだ。


「だ、誰だ……!?」

【あァ? おいおい、またその下りをやるつもりか? さすがに面倒だぜ】

「……! も、もしかして……あの時の、神様……?」


 イスメトは半信半疑ながら、誰もいない空間にそう問いかけた。


【セト様だ! 自分を救った神の名くらい、ちゃんと覚えやがれ!】

「セ、セト……さま……?」


 聞き覚えのない神名だった。

 少なくともこの辺りでは信仰されていない神だと思われる。


「君が……僕を、助けてくれたの?」

【そうだ。お前の体を操って窮地から救ってやったのも、お前の傷を癒やしてやったのも、この俺様だよ】

「ほ、本当に……?」


 じゃあ、やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。

 イスメトは死の淵で見た光景を鮮明に思い出す。


「で、でも……心臓は、ちゃんとここに……」


 あの時、心臓を取り出したはずの胸にそっと手を当ててみる。

 規則正しい振動を感じた。


【あァ……? お前、まだ俺様を死神アヌビスの眷属か何かだと思っていやしねェか? 別にナマの心臓なんざ欲しかねェんだよ。あんな酒のアテにもならねェもん】


 まるで食べたことがあるかのような口ぶりである。が、あえてそこに触れる勇気はイスメトにはなかった。


【いいか、心臓イブはお前らニンゲンの意思、魂の象徴だ。あの儀式は、それを俺様に明け渡すっつゥ契約を結ぶためのモンなんだよ】

「意思……? 明け渡す……?」


 イスメトは何が何だか分からなくなってきた。

 あまりの超常的な出来事に、すっかり動転してしまっている。


【ハッ、この低能めが。要するにだ。お前の体に、俺の魂とお前の魂を同居させるための契約をしたってことだ】


 セトは辟易するように言い放った。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは、つまり……僕の中に君の魂もいて、僕の中から君が喋ってる……ってこと?」

【そう説明したつもりだが……?】


 イスメトは混乱しながらも、ようやく状況を把握し始める。


「えっと……そうか。その、つまり僕は……」


 ――神様に、取り憑かれた?


【そう解釈しても差し支えねェよ】


 セトは言葉を交わすようにイスメトの心の声に応えた。

 魂が同居していると言うのだ。そのような芸当は、むしろできて当たり前なのかもしれない。


「そ、そんな! こ、困ります! 出て行ってもらえませんか?」

【ハァ!? なに調子の良いこと抜かしてやがる。契約だっつってんだろ! お前も確かに同意したはずだ】

「そ、それじゃあ……ずっとこのまま……?」

【そうなるな】


 突きつけられた現実にイスメトは言葉を失う。

 このよく分からない状態が、この先、一生続くというのだろうか。

 寝る時も、用を足す時も、いつかどこかの女性と良い感じの雰囲気になった時も――ずっと、この声が傍らをついて回るというのか。

 なんと恐ろしいことだろう。


【ククク……だが、一つだけ自由になる方法があるぜ】


 イスメトの俗っぽい焦りを見通してか、セトは意地悪く笑った。


【俺の野望を叶えろ。そうすりゃァ、俺が現世に留まる理由はなくなる。喜んでお前の魂を釈放してやるよ】

「や、野望……?」

【一つは、すっかり廃れちまった俺様の信仰を蘇らせること。そしてもう一つは――】


 イスメトは固唾を呑んで神の言葉を待った。

 しかし、セトの二つ目の要求は、何の力もないちっぽけな少年にとっては到底受け入れられないものだった。


【俺が最も望むこと。それは、我が憎き仇敵・ホルスの一族を……この国の王侯どもを、一人残らずブチ殺してやることだ!】

「――え?」


 イスメトは一瞬、考えることをやめそうになった。

 しかしすぐに理解する。その途方もない要求の重さを。


「な……なッ!? 何言ってるんだ! む、無理だろそんなの! そ、そんなこと……ぼ、僕には……」

【できる、できないじゃねェ。望むか、望まないかだ】

「そ、そんなこと言ったって……!」


 イスメトは、なんとかしてこの横暴な要求を突き返そうと、あれこれ言葉を並べ立てた。


【ったく、小せェ野郎だな! だったら一生、俺様のために尽くしやがれ!】


 どうやら僕は、とんでもない神に目をつけられてしまったらしい。

 いや、助けを求めたのは僕なんだけど……。


「し、信仰を広める努力は……してみるよ。命を助けてもらって、何もしないのは嫌だし……。で、でも! 王朝の打倒なんて、そんな大それたこと……僕にはできないからな!?」

【ハッ、まァいい。いずれ、お前も思い知るだろう。この国そのものを根本から変えなければ、〈砂漠の民〉に安寧など訪れないとな】


 その名を出され、イスメトの頬がピクリと動いた。

 〈砂漠の民〉とは、特定の一族の呼び名ではない。古い時代にこの国の外から来た者たちの末裔――異国由来の血を持つ民たちの総称だった。

 ナイルシア土着の民である〈太陽の民〉と区別する意図で、差別的に用いられることもしばしばある。


「〈砂漠の民〉を、知ってるの……?」

【あァん? 知ってるも何も、俺は元々、お前らの守り神としてあの神殿に祀られたんだ。大昔の話だけどな】


 ――この粗暴な神が、僕らの守り神?


 イスメトはなんともいえない気持ちになった。

 頼もしいと思うべきなのか。恐ろしいと思うべきなのか。


【今に見ていろ。その時が来たら、お前は自ら求めるさ。この俺様の力を――必ずな】


 下卑た笑い声が耳の奥にこだまして、気が遠くなった。

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