覚悟完了
「……ユリア、本当に悪霊なんかに取り憑かれちゃったのかよ」
声の大きさは独り言に近かった。だがユリアはまるで打たれたみたいに後退りした。竜仁はその距離以上に前へ出る。どうしようという具体的な当てなどなかった。ただ体が動いていた。
ユリアはさらに何歩か下がったのち、やがて見えない壁にぶつかったように踏みとどまった。一転、大上段に剣を振り上げると、気合とも怒りともつかない叫びを上げて突進してくる。
恐ろしい迫力だった。竜仁は咄嗟に木剣に霊力を流し込んだ。間一髪で受けが間に合い、だが勢いに負けて体ごと弾かれる。惨めによろめいた竜仁に、ホームランバッターのスイングみたいな追い打ちがかけられる。奇跡的偶然でかわしたというより単に尻餅をついた直上を、赤錆色の斬風が吹き抜ける。怖かった。ちびるかと思った。一息ついた竜仁は、次の瞬間本気でちびりそうになった。
目の前でユリアが剣を振り上げている。このまま振り下ろされれば竜仁は終了だ。逃れる図は描けない。
もし竜仁が死んだらおそらくユリアもただでは済まない。最悪消滅するだろう。だが正気を失ったユリアにそんな理屈が通じるはずもない。
せめて二人で一緒に終われたら。来世も一緒になれるだろうか。
意味のない妄念にとらわれながら見上げた先で、文字通り必殺の刃を繰り出そうとする間際、ユリアは突然壊れてしまったみたいに固まった。
ユリアの死角に移動していた賀茂が、生まれた隙に乗じて扇を一閃、金色に光る玉が横合いから撃ち出される。
悪霊に憑かれていながらも、戦士としての本能に導かれたような反応でユリアは即座に打ち払った。罠だった。刹那、光弾が爆裂する。
衝撃波は皆無、しかし破壊的な眩しさに曝されて、ユリアが腕で顔を覆う。賀茂は竜仁に合図を送った。竜仁は頷いた。
「……すいません、助かりました」
物陰に退いた竜仁は、大人しく賀茂に頭を下げた。今のところ、ユリアがこちらに追い込みをかけるような素振りはない。赤錆色を帯びた剣をだらりと下げて、暗闇にひとりぽつねんと立ち尽くしているばかりだ。何を考えているのか分らない。むしろ何も考えていない可能性もあった。
「弱過ぎる」
賀茂は単刀直入だった。遠慮や気遣いのかけらも感じられない。竜仁の方を見てさえいない。しかし事実なので否定もできない。
「僕はただの学生なんです。あんまり期待されても困ります」
「違う。ユリアのことだ」
呼び捨てだ。竜仁はむっとしたが、睨みつけたところで賀茂の秀麗な顔に変化はない。
「いくら精神が本来の状態にないとはいえ、彼女の有する力は桁外れだ。比べればお前は象に対する蟻に等しい。適当に剣を振るうだけでも簡単に潰せるはずだ」
「ああそうですか」
やはり事実だろうが大変に嬉しくない。
「だが現に未だ仕止めきれていない。それどころか持て余しているようにさえ見える」
「要するに何が言いたいんですか。だいたい僕を呼んだのはそっちじゃないですか。自分一人じゃ手に負えないからって、鷹司さんに泣きついて」
「お前は彼女のために命を懸ける覚悟はあるか」
竜仁の嫌味を遮って賀茂が問う。
「か、彼女って、僕とユリアは別にそういうんじゃ……」
場違いにうろたえかけたが、賀茂の鋼のような視線に射られて沈黙する。どこか迷子を思わせる雰囲気で佇むユリアを見やり、竜仁は腹を決めた。
「覚悟ならある。僕はユリアの主だ。傍にいて仕えてもらう代わり、全力で守る義務がある。そのためなら命だって惜しくない……とは言わないけど、でも」
心が変わり果てたユリアを忘れ、自分だけで無為に生き続けることなどできそうにない。綺麗事ではなく、そう思う。
こそこそ逃げ隠れするのはやめにした。竜仁は息を整えると物陰から歩み出た。ぴくりと反応したユリアにびくりと反応しそうになるのを気合と根性とやせ我慢で抑え込み、おもむろに木剣を構える。
対してユリアはわずらわしそうに、片手持ちした剣を振り上げた。刀身の纏う赤黒い光が重く揺らめく。
焦らぬよう気持ちを強く保ちつつ、竜仁は距離を詰めていく。ほんの数センチずつ、下手をすればミリの単位だ。しかし消費する精神力は十キロマラソンするよりも多かった。額に絶え間なく汗が滲み出し、頬を伝わり、おとがいから床へと滴り落ちる。
ふいにユリアが動いた。躊躇なく竜仁に背中を向けると、逆側に回り込んでいた賀茂の放った光弾をことごとく打ち落とす。連射による奇襲を防がれた賀茂は、すぐさま後退を図った。ユリアは賀茂を追って踏み込み、竜仁はさらにユリアの後ろから、木剣を振り上げ突っ込んだ。




