存在理由
早まるな。もう一度考えろ。帰りが遅くなっているのは竜仁の方だ。よって連絡の義務は当然竜仁の側にある。ユリアが電話を掛ける必要などはない。
あるいは竜仁は今勉強中かもしれない。家ではユリアが集中の妨げになるからと、どこか別の場所で励んでいるのかもしれない。ならば邪魔をしてはいけない。特に緊急の用があるわけでもない。
そう、用はないのだ。竜仁の日常にはユリアがいるべき理由はない。
ユリアはスマホを置こうとした。だがちょうどその時、電子音が鳴り響く。即座に視線を向け直す。
違う。画面に表示された名前は鷹司凛子だ。舌打ちとため息を同時に洩らしたくなったのをこらえ、通話を受ける。
「はい」
「こんばんは、ユリアちゃん。早速だけど、あなたの力が必要なの。これから時間を取れないかしら?」
唐突な申し出に眉をひそめる。凛子の家には昨日行ったばかりだ。特にいつもと変わった様子はなかったと記憶している。
「何かあったのか? まさか黒騎士が再び現れたというのではあるまいな」
悪しき竜の気配は感知していない。しかしあの時の男に影響が残っていないとは言い切れない。一抹の不安をいだいたユリアだったが、凛子はあっさりと否定した。
「いいえ、私の方は大丈夫。ユリアちゃんにお願いしたいのは昨日言った件よ。賀茂を助けてあげてほしいの。今現場に行ってるんだけど、一人じゃ手に負えないみたいなの」
賀茂とは黒スーツの男のことだ。ごく小さいとはいえ、悪しき竜のかけらから生まれた魔物を瞬時に滅却してのけた。ただの人間にしては相当な力量の持ち主だと言える。それが救援を求めている。
ユリアは再び時計を見た。深夜というには早いが、帰宅した竜仁がユリアがいないと知れば不審を抱くのは間違いない。
「明日では駄目なのか? それならばおそらく行けると思う」
「間に合わないわ。賀茂は無事では済まないでしょう。もちろんそうなってもユリアちゃんには何の責任もない。助ける義務も義理もない。だけど」
「私が必要なんだな」
ユリアは自ら踏み込んだ。凛子が息を呑む音が聞こえる。
「……ええ。あなたが必要なの」
「まずは話を聞かせてくれ。行くかどうかはそれから決める」
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「せっ!」
闇に沈む廃墟に、凛とした気勢がほとばしる。
建設が途中で中止され、それから何年も放置されているという建物だ。鉄筋コンクリート造りの本体は出来上がっているようだが、内装はほぼ手つかずで、ところどころ資材らしきものが雑然と積み残されている。
当然電気が通っているはずもなく、非常灯の明かりさえない暗闇の中に、異形の影達が蠢いている。
そのうちの一つ、空中をクラゲのように漂う化け物をユリアは瞬時に両断した。
たわいない。ほとんど戦いと呼ぶにも値しない。だがもちろん気を緩めたりはしない。
巨大な虫とも小さな獣ともつかぬ魔物が、潜んでいた陰から這い出して逃げていく。存外に素速い。距離が開くにつれて、もともと曖昧模糊としていた輪郭がさらに捉え難くなっていく。
ユリアからすれば取るに足らない小物だが、魔物には違いない。普通の人間にとっては危険な存在となり得る。逃がすわけにはいかない。
すぐにあとを追うとしたユリアだが、視界から消え失せてしまう寸前、紫の光が化け物を包み込んだ。ぎゅっと押し縮まり、火花のように弾ける。魔の気配は消滅し、逆に奥の陰から現れたのは黒いスーツを纏った男だ。左手に奇妙な品を携えている。細い木の板を連ねた扇である。淡く紫の光を帯びているのは、先に魔物を屠った残り火だ。これが男が魔物と戦うための武器なのだ。
名を賀茂忠正という。鷹司凛子にゆかりある者で、悪霊退治をなりわいとしているらしい。
賀茂がこちらに顔を向ける。常人なら自分の足元さえおぼつかないだろう暗闇で、しかも十余歩の距離を隔てていながら、確実にユリアの瞳を捉えている。
顔の作りは端整だが、同時に冷たさをも感じさせる。己の為すべきことを知る一方で、他の全てを瑣事として切り捨てるような、非情な雰囲気を纏っている。ユリアのことも単なる道具の一つぐらいに考えているのかもしれなかった。
それならそれで構わない。ユリアも好きに戦うだけだ。




