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続き

「さて、もうずいぶん時間も過ぎてることだし、議論の続きはまた次回にしよう。今夜は七夕だね。もし大切な人との約束に遅れたら、遠慮なく僕のせいにしてくれていいよ」

 彦坂はゼミの終わりを告げた。くすくすと小さな笑い声が上がる。


 既に夜の七時に近い。定刻は五時三十五分だから、確かに焦る人がいてもおかしくない。

 そして竜仁もまた穏やかな気分からは遠かった。すぐにも確かめたいことがある。せっかく同じ空間に彼女がいるのだ。詳しい事情や真意を直接聞きたい。彼女の方も竜仁に話をしたいと思っているはずだ。


 視線が合った。端整な容貌を程良いメイクで彩り、夏らしく涼し気なカットソーを纏った鷹司凛子が、竜仁に雅な微笑を向ける。

 だがそれだけだった。アメリカンフットボール部所属の二年男子が鷹司に声を掛ける。鷹司は礼儀正しく応じて、談笑しながら二人はゼミ教室を出て行った。竜仁はただ黙って見送った。鷹司は振り返らなかった。


 竜仁はユリアの主だ。それは鷹司も承知しているはずだ。だがユリアの新しい「仕事」について、あえて相談するつもりはないということらしい。

 それならそれでいい。竜仁が怒る必要はない。ユリアと主従として魂の契りを結んだのは事実だが、竜仁の所有物になったわけではない。ユリアはユリアで、竜仁は竜仁だ。


「ぶーだいくんっ」

 建物の外に出た瞬間、後ろから腕に抱き付かれた。甘い香水の匂いに息が詰まる。

「びっくりした……なんですか?」

 ぎこちなく返すと、花見沢恭子はさらに近く身を寄せてきた。不意打ちの成功に気を良くしている風情だが、おかげで竜仁は動悸がひどい。


「今日でいいかな。いいよね?」

「だから、何がですか?」

「約束したじゃない。今度絶対続きしようねって」

「あ……」


 頬に湿った息がかかる。柔い膨らみが腕に当たる。握られた手に指が絡む。

 約束。続き。覚えている。先週の飲み会のあとだ。

“休んでいこう。ベッドのある静かな所で”

 頭がぼうっとしてくる。体の芯が揺れている。まずい。このままでは流される。


 まずい? どこが? なぜ?

 だってそうだ。もし花見沢とそういうことをして、ユリアにばれてしまったら。

 別に構わないはずだ。ユリアは竜仁の恋人というわけではない。誰とつきあおうが竜仁の勝手だろう。


 しかしまさに行為のさなかに、悪しき竜のかけらを宿した魔物が現れたらどうする。対応できるのか?

 できなくたって問題ない。ユリアは竜仁がいなくても戦える。逆に足手纏いがいない分、単独の方が強いだろう。ユリアと共に戦うならもっとふさわしい者がいる。竜仁よりも腕が立ち、ついでに顔もいい黒スーツの男だ。


「どしたの?」

 花見沢が首を傾げた。

「なんか深刻そうだけど、あたし武大くんのこと困らせちゃってる? 気が乗らないなら断ってね。こういうのはお互い楽しくなかったら意味ないし」

「大丈夫です。なんでもないんで」


 竜仁は早口で否定した。繋いだ手が汗ばむのを感じる。花見沢を不快にしていないかと心配になる。

「実は僕こういうのってあんまり慣れてなくて……だから、優しくしてください」

 花見沢は暫し竜仁をぽかんと眺め、そののち盛大に吹き出した。


     #


 遅い。まるで重代の仇にでも対するみたいに時計を睨む。いつもならもうとっくに帰宅している頃だ。

 まさか竜仁の身に何かよからぬことでも起きたのか、と考えたりはしない。

 もしも主が生命の危機に瀕していれば、魂で繋がったしもべであるユリアには必ず分る。


 竜仁は確かに無事だ。それなのにどうしてまだ帰って来ない。

 無論、竜仁には竜仁の生活がある。縛って制約する権利などユリアにあろうはずもない。だが二人は共に暮らしているのだ。普段と違う行動を取る場合には、連絡の一つも入れるのが筋というものだろう。


 ユリアは座卓の上に置かれた平たい機械に手を伸ばした。凛子にもらったスマートフォンだ。これを使えば、離れた場所にいる相手と簡単に連絡を取り合える。この世界ではごくありふれた道具であり、竜仁も当然のように持っている。


 基本的な扱いは既に習得済みのユリアだが、自分から誰かに発信したことは未だない。

 今こそ使う時だろう。たどたどしく画面を操作して、登録されている竜仁の番号を表示させる。そして発信ボタンを押そうとした寸前、ユリアの指先は止まった。

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