クリーンヒット
ユリアの様子がどこかおかしい。手にした木剣を振り回しながらも、竜仁は昨日から幾度も感じたことを頭から拭い去れない。
それでも実力差は圧倒的だ。仮に悩み事で一晩中寝ていなかったとしても、ユリアは竜仁より桁違いに強い。
「くっ、うわっ!?」
胴を薙ぎにきた攻撃にかろうじて剣を合わせ、だが勢いを殺せずそのまま軽々と吹き飛ばされる。
地面に転がった衝撃に息が詰まるが、痛がるのは後回しにしてまずは立ち上がることを優先させる。ユリアは加減はしても容赦はしない。ぼやぼやしていたらすぐに二の太刀三の太刀を浴びせられてしまう。
だが竜仁が再び剣を構え直しても、ユリアはまだこちらを見ていなかった。胴払いを放った直後の体勢のまま、心ここに在らずといった風情でいる。
誘いか?
一見して隙だらけだ。だが竜仁にあえて不用意に仕掛けさせ、したたかに逆撃を喰わせるつもりかもしれない。竜仁はできるだけ呼吸を静かに抑えた。すり足で距離を詰める。ユリアはなおも動かない。
びびったら負けだ。いってやる。
達人の域にはほど遠い、しかしユリアに鍛えられたおかげでそれなりの威力を備えた一振りが、目にも鮮やかな白金色の頭部に迫る。だがその間際、しもべを自称する少女がついに振り向く。
やはり罠だったかと戦慄しても、今さらもう止められない。竜仁の精一杯の打ち込みを瑠璃色の瞳が捉え、そしてあろうことか慌てたように揺らめいた。
ごつっ。
木剣同士が打ち合わさるのとは、明らかに異なる手応え。
「あぐっ」
「うわっ」
竜仁は思わず柄から手を離した。地面に落ちた木剣が乾いた音を響かせる。全身の血の気が引いていた。自分はいったい今何をした?
「ユリア、大丈ぶはぁっ!?」
とにもかくにもぐらついた少女を支えようと腕を伸ばした刹那、顎が猛烈な勢いで突き上げられた。倒れそうと見えた姿勢から一転、身を翻したユリアによる後ろ回し蹴りが炸裂したのだ。
文字通り体が浮いた。仰向けになって宙を飛ぶ。
「はっ、しまった、つい! 我が君、お気を確かに! 我が君!!」
遠くなっていく意識の中で、可憐な声音が悲痛な叫びを上げていた。
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またやってしまった。
ユリアは重い吐息をついた。
かつてこの世界の騎士達の間では、己の不始末を償うため腹を切る風習があったという。
その心情が、今のユリアには理解できる気がした。
主に対して全く合わせる顔がない。というかその合わせるべき先の顔を、ユリアは危うくひしゃげさせてしまうところだったのだ。
戦いのさなかに別のことに気を取られて不覚を取った。それならばただの自業自得である。しかしわずかに傷を負った程度のことで度を失い、体の動くに任せて大切な主をぶちのめすなど慚愧に堪えない。
竜仁の振るう剣が貧弱だったのはせめてもの幸いだった。おかげでユリアの反撃もごく控えめなものにとどまって、主の頭を粉砕せずに済んだのだ。
竜仁はほどなく目を覚まし、朝の鍛錬は途中で切り上げたものの、そのあとは普通に過ごして大学へも行っている。
体の方は心配ない。だから今こうしてユリアが竜仁の様子を見に向かっているのは、ただの念のためだ。ちょっと顔を見て安心できればそれでいい。
他に気にすべきことなどありはしない。野島のことなど忘れてしまえ。
そう、野島だ。あの長身の男はやはりタツヒトではなかった。
当り前だ。天剣騎士にしてユリアの師、ユギ・タツヒトはこの世界のどこにも生きてはいない。悪しき竜を打ち倒す代償に、その肉体は四散して宇宙の塵に還り、魂のかけらは次元を超え竜仁の中に宿って静かな眠りについている。
確かに野島は歩き煙草の痴れ者を易々と沈めてみせた。鮮やかな手並みだったと言っていい。
だがあれは相手が弱過ぎた。竜仁と比べてもなお劣る。ユリアが初めて出会った頃ならいざ知らず、朝晩の鍛錬をわずかなりと重ねた今ならば、喚くだけしかできない相手などほとんど敵ではないだろう。
竜仁だってそれなりに頑張っているのだ。生来の体格や身体能力に恵まれず、見た目も冴えず、気概も足りない。けれどユリアと共にあることを選んでくれた。黒騎士との戦いで危険な目に遭ってなお、ユリアを受け入れてくれている。頼りにはならなくても、勇気と誠意を持っている。
昨日出会った野島は、外見上はタツヒトに似ていた。整った細面のわりに鋭い目許は苛烈な意志を感じさせ、丈高く引き締まった長身はかなりの強靭さを備えているはずだ。そして初対面のユリアのために即決で拳を振るう果断さは、自らの武勇を恃む心を持つゆえだろう。
聖騎士のユリアからすれば、常人の素質の差などさして意味がないようにも思える。だがこれから長く研鑽を積むうちに、開始時点でのわずかの違いがのちに巨大な懸隔を生じないとも限らない。
それにだ。サイズの合わない色褪せたシャツの上からユリアは胸の真ん中に手を当てた。野島には何かある。ユリアの心をざわつかせるものを持っている。今はまだその正体は掴めてはいないが――いや。
だからこそ、近付いて確かめてみるべきではないのか。
“へぇ、お前すごい美人だな。俺とつき合えよ”
ユリアの涙を拭いたあと、野島はいきなり言った。
“……断る。助けようとしてくれたことには感謝するが、しかし”
“野島だ。お前は?”
“ユリア”
“いい名前だ。またな、ユリア”
それっきり、特に約束を交わすこともなくその場は別れた。だがもし同じ街で生活しているのなら、再会する可能性はあるだろう。
その時は返事を変えてみるのもいいかもしれない。
「……馬鹿な。何を考えているのだ、私は」
ユリアは下を向き、己の頬を張った。
竜仁とは既に主従の誓いを交わした間柄だ。それは即ち身も心も捧げたということである。このうえさらに別の人間と契るなど、考えることさえ不実だろう。
たとえ少しぐらい、いや大分もの足りないとしても、今のユリアにとって竜仁は唯一無二の主なのだ。その気持は向こうにも絶対に伝わっているし、竜仁は思っているに違いない――ユリアはこの世界で最も大切な相手だと。
「ユリア? どうしたんだよ」
「我が君!?」
ユリアは驚いて顔を上げた。まだ大学には着いていない。なのにこうして図ったように行き会うことができた。
やはりユリアと竜仁は深い運命の縁で結ばれている。共鳴する想いがいつでも互いを呼び合っているのだ。
だがそんなユリアの確信は一秒後に霧散した。
不審そうな視線を向ける竜仁の傍らで、凛子がにこやかに微笑していた。




