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今しがた美容室から帰ってきた私達は、バトミントンのラケットを持ってテラスで座り込んでいた。私は茜色の空を見上げ、綺麗ねと呟く。楓もそうだなと相槌を打つ。
私のテンションはだだ下がりだ。というのも、椿さんが美容室で話した内容が原因だ。彼女の言うお手伝いとは、前の学校のバスケ部のマネージャーの代打を務める事だった。マネージャーがどうやら夏風邪でダウンしていて手伝ってくれる人が欲しいらしい。
本当についてない。バスケ部には攻略対象者がいる。人質さえ取られなければ、丁重にお断りするとこだ。
それに私がわざわざ手伝わなくても、攻略対象者の一人である西園寺恭平がいる部活なら、お手伝いをしてくれる女子は引く手数多だろう。だが、セレブが通う高校だけあって、仕事はまともにやれず、西園寺目当ての者ばかりで迷惑を掛ける事が多いらしい。なので代役を見つける事はそう簡単ではないそうだ。
私なら大丈夫なのかと聞きたいが、彼女の事だから悪ふざけが10割を占めているのだろう。
明日から3日間、私はマネージャーの代役をし、楓は私のフォローも兼ねてバスケ部の練習に参加する事になった。
「ねえねえ、楓さん。本当に上手くいくと思う?」
「今の見た目だけなら、麗華だと暴露る心配はないと思う」
「まあ、楓さんが言うなら信じるけど……」
私は大きく溜め息を吐くと、うだうだ言っても仕方がないからバトミントンでもしようと楓を誘う。
「その前に着替えてきたらどうだ。1着しか服がないから汚したら大変だろう」
それもそうかと、急いで部屋に戻り体操服に着替え庭でバトミントンを始める。椿さんから子供は外で遊ぶものよと手渡されたバトミントンセット。彼女曰く、夕飯まで外で遊べだそうだ。
楓は私の下手くそな打ち返しにも上手く合わせてくれて、陽が沈むまで黙々とラリーを続けた。
不安なんていうものは、容易く拭い去るなんて無理だ。そんな私を察してか、楓も何時もの軽口はなかった。私達は二言三言会話をする程度で明日を迎えた。
「おはよう西園寺くん。今日から3日間お手伝いをしてくれるレイレイだよ。よろしくしてあげてね」
椿さんがなんとも軽い私の紹介をした。私は私で堅苦しく、よろしくお願いしますと深々と頭を下げる。懐かしの学校の体育館。バスケ部員に囲まれ、いつバレるかヒヤヒヤしながらの挨拶は緊張する。
校内は部外者立ち入り禁止なのだが、神白家のご意向で学校指定の制服着用でなら手伝う許可を出してくれたみたいだ。神白家は本当に何でもありだ。
8ヶ月ぶりの懐かしの制服かーー良い想い出が無いから、本当は着たくなかった。
「マネージャーの仕事は大変だけど、仕事の内容はこのノートに取りまとめてあるからよろしく頼むよ」
西園寺から私はノートを手渡され、中身を見ると中々どうして簡単そうだ。私はわかりましたと返事をすると早速仕事に取り掛かる。
楓は半袖体操服の裾を捲り、下は膝近くまでジャージをロールアップさせて練習に参加している。
私は仕事を淡々とこなしながら、暇になったら練習風景をぼんやりと眺めていた。そんな風に過ごしていたら、あっと言う間に1日目が終了した。帰り際、西園寺は私に感謝の言葉を掛けてくれた。
彼は私と同じ歳で、いわゆるスポ根野郎だ。多分、脳筋ではない。バスケの時以外は、比較的穏やかな人で攻略対象者の中でも影は薄い。バスケもそこまで上手い訳ではないが、部内では一番上手いとされている。ゲーム内でも攻略し易く、難易度はジャブみたいで人気のないキャラだった。実際の彼もゲームと一緒だが、当たり障りのないイケメンだ。背が高い佐藤くんと言えばわかり易いかも。
そんな彼から手際がいいのでマネジャー経験者か聞かれた。正直、ユニフォームやタオルの洗濯、粉末を入れて作るスポーツドリンク、汗で滑らない様に床を拭いたりボールを磨いたり他にも色々仕事はあるものの、どれも簡単なものばかりだと思う。こんなんで、手際がどうこうなど関係ない。この程度の仕事がこなせないで、これからを担う富裕層の女生徒達は本当に大丈夫なのだろうか。
そんなくだらない心配をしていると、西園寺がバスケ部の詳しい内情を教えてくれた。彼は3年が引退したあとキャプテンになり、夏休み中に部員のレベルアップを計りたいと画策しているそうだ。2年の部員は彼を含め5人と少なく全員がレギュラー。新入部員は多いものの全員が初心者だったとかで、本来なら代役マネージャーは1年にやらせるらしいのだが、技術の底上げをするのに少しでも時間が欲しいと言うのが、彼たっての希望だった。
「偉そうに語ったけど、実はうちの部は県内でも後ろから数えた方が早いほど弱いんだよ。だから、1年にはバスケの楽しさを教えたいだけなんだ」
西園寺は熱く語っ後、そう付け加え少し照れくさそうに笑った。
「西園寺くんなら、きっとバスケの楽しいさを1年生に伝えられるよ」
「そう言って貰えると嬉しよ」西園寺は頭をかきながらはにかんで見せた。こうして私のお手伝い1日目は無事終了した。意外にも蛇窟麗華だと気づかれないもので、この調子で行けば残りも大丈夫かも。
淡い期待を胸に臨ん2日目に事件は起ってしまう。私が部員達のユニホームとタオルの洗濯を終え、体育館に向かうと座り込む一人の部員を他の部員が疎らに囲んでいる光景が目に入った。
「楓、何かあったの?」
楓のシャツを後ろからグイグイと引っぱると、振り向いて少し困った表情を浮かべている。
「2年の池上が、転んだ拍子に足を捻ったんだよ。どうも明日の練習試合に出れないみたいだ」
「えっ⁉︎ディフェンスに定評がある池上くんが」
「レイレイさん、池上はオフェンスの方が得意だよ」
さり気なく会話に混ざり西園寺はツッコミを入れる。
「で、西園寺はどうするつもりなんだ?」と楓が西園寺に疑問を投げかける。彼は少し困った顔をしている。
「1年を入れたいのは山々なんだが、うちは元より弱小だから素人どうぜんの彼等を入れば試合にするならないだろう。相手の高校にも失礼になるだろうから」
確かに、素人目から見ても1年生は下手くそだ。西園寺の言うように本当に試合にならないだろう。皆んなして頭を抱えていると、「はい、はい、はーい」と明るい声が響いた。
声のする方へ皆んなして振り返ると、手を腰に当て椿さんが偉そうに立っていた。
「神白先輩、どうされたんですか?」
「どうされたとは、なんだい西園寺くん。折角、良い案を授けに来てやったのに」
これは良からぬ事を考えているなと楓と顔を見合わせる。なんて言ってもラスボス様だからね。
「それで、案とはなんでしょうか?」
「聞きたいかい、西園寺くん。案と言うのは、とても簡単な話しで楓が代わりに試合に出ればいいのだよ」
「確かに神白なら俺たちとレベルは変わらないからありかもしれないが、神白はそれでいいのか?」
西園寺よ。人質を取られている今の私達には拒否権はないのだよ。
「俺は構わないが、部外者が試合には出ても問題にならないか」
「弟よ。練習試合に一人部外者が混ざった所で何も問題ないわよ」
椿さんが言うまでもなく、楓はそんな事は理解しているのだろう。多分、彼なりの最後の抵抗だったと思う。抵抗は虚しく終わり、明日はよろしく頼むなと西園寺は楓の肩に手を置いた。それを見て満足気な椿さんは何かを思いついたらしらしく、楓を手招きで呼んだ。
二人の会話は聞こえないものの、楓の様子から厄介ごとだとわかる。戻ってきた楓の表情はいつになく硬い。
「ちょっと、楓どうしたの。椿さんに何を言われたの?」
「別に大した事じゃないから気にしなくてもいい」
そう言って、練習に戻る楓は少し焦っているようにも見える。彼の提案で余った時間は、ほぼセットプレーの練習に回され2日目は終了した。
帰った後は、相変わらず夕飯まで外で遊べとの椿さんのご命令だ。あれから楓はどうも様子が変で、バトミントンをやろうと言う雰囲気にならずテラスで二人して涼んでいた。
私はパタパタと団扇を仰ぎながら、夕焼け空を見上げる。団扇は椿さんから貰ったもので、市内の花火大会の日付が書かれたものだ。
「楓、調子はどうよ?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「私は私で頑張るから楓も試合頑張れよ」
「ああ」とだけ返事をした楓は遠くの空を見上げた。彼の夕日に当てられた金髪が、少しオレンジがかり風でいつまでもなびいていた。
お手伝い最終日、私が試合の準備を終えると対戦校と楓達がコートを半分づつ使いウォーミングアップを始めている。何がどうなっているのか、ギャラリーが異常に多い。「西園寺様かっこいい」とか「神白様がバスケをなさっているなんて素敵」など黄色い声援が多い。SNSで拡散でもしているのか?ギャラリーが多いと、蛇窟麗華だと暴露る確率が上がるのは困る。楓を見ると声援などまったく耳に入っていないらしく、入念にウォーミングアップをしている。かたや、対戦校はリア充爆ぜろと言わんばかりに、ギャラリーと楓達を睨むと、キャプテンらしき人物が、お前ら気合いを入れろと怒声を飛ばしている。あちゃあ、対戦校に変なスイッチを入れてしまったみたいだ。
西園寺は対戦校には5回に1回勝てればいい方だと言っていたから、対戦校に勝つには相当厳しみたいだ。
コートの中心にウォーミングアップを終えた選手が集まり、お願いしますと挨拶が体育館に響いた。いよいよ、試合の始まりだ。
開始早々に、対戦校に先制点を入れられる。あまり、状況は芳しく無い。
試合は対戦校が有利な展開が続き、楓はちょこちょことミスが出ていたと思う。バスケは素人だからそう見えただけかも。ただ、やっぱり今日の楓は変だ。
「おっ、やってるねぇ。どれどれ、12対20かうちが劣勢だけど中々良い勝負をしてますなぁ」
椿さんが私の横に来て、何とも楽しげに試合を観戦し始めた。
「椿さん、見に来たんですね」
「漸く生徒会の引き継ぎが終わったからね」
なるほど、椿さんが夏休み何時も学校へ来ていたのはそう言う訳か。
「ところで、椿さんに聞きたい事があるのですが」
「いいよ。お姉さんに言ってごらん」
「実は楓が椿さんと会話してから、いつもと違うと言うか焦っていると言うか」
「ん?もしかしてレイレイは、楓でから何も聞いていないのかい」
「何をですか?」
「レイレイのフォローだけだとつまらないから、楓には練習試合で負けたら、夏休み中ゲームは没収って言っておいたのよ」
「楓のだけですか?」
「当然、レイレイのものもよ」
はあ?そんな話しきいてないよ。リアルのラスボス様もどうやら鬼畜仕様らしい。私は椿さんの衝撃的な一言から呆然としていたが、前半戦終了のホイッスルが鳴り我に返った。
コートから帰ってくる選手達に、タオルとキンキンに冷えたスポーツドリンクを渡す。楓は相当疲れていたのだろう、タオルとドリンクを渡すと壁に寄り掛かって座り込む。頭にタオルを被り表情は伺えない。
「楓、ちょっといい?」
「ああ」と返事をする彼の声は、何処と無く力が無い。
「椿さんから試合の話し聞いたよ」
「隠すつもりは無かった。けど、要らぬ心配を「バカ、あんたが責任感じる事なんてない」
私は楓の目の前に座り、言葉を遮る様に話す。多分、パンツが見えていると思うが気にしない。
「ゲーム機を取られたぐらいで、そこまで気を張る必要はないよ。一生返って来ない訳じゃないから。今の必死な楓も好きだけど、あんたは飄々としているぐらいが丁度いい。それに私がゲーム機ごときで恨む人間に見える?私は楓が頑張ってくれてる、ただそれだけで充分よ。でも、もし負けたら責任はとってもらうわよ」
「どんな?」
「夏休み中、暇になるから偶に遊びに連れて行って貰おうかな」
楓が黙って頷く。私はそれを見て、ヨシッ!と言って立ち上がると彼がタオルを取り見上げた。
「麗華、ありがとうな」
私はサムズアップをすると、西園寺らの方へ向かった。
いよいよ、ハーフタイムが終了しコートへと戻って行く選手達。最後に立ち上がってコートへ向かう楓は私の前で立ち止まった。
「失ったものを取り返しに行ってくる」
おう!と私は返事をして彼を見送った。コートに立つ楓は落ち着いている様に見え少し安堵する。「頑張れよ楓」私はそっとエールを送った。
後半戦も終始対戦校が有利な展開を見せるかと思いきや、一進一退の攻防が続く。
やがて、楓達は36対40とその点差を縮めていく。試合はすでに4クウォーターに突入しており、残り時間は5分もない。攻めあぐねていた楓達は24秒が経過するぎりぎりに、西園寺はなんと3ポイントを決めた。この試合初めての3ポイントシュートである。
よっしゃあ、と思わずガッツポーズをする私。39対40、一回でもシュートが決まれば逆転勝ちだ。だが、上手い事行くはずもなく簡単に対戦校にシュート態勢に入られてしまう。
もうダメかと思った瞬間、またまた西園寺のファインプレーでシュートをブロック、ボールを奪い返す。
歓声が上がる中、速攻と私が力一杯叫ぶと楓だけがそれに反応し敵ゴールに走り出す。それを見た西園寺は、楓に目掛けてパスを出す。難なくボールを受け取った楓は、ゴールへ真っ直ぐ向かう。ゴールを守るのは1人だけ。一騎打ちだ。相手はそう易々とシュートを撃たせてくれない。焦れた楓が強引にシュート態勢に入り飛び上がる。
レイアップシュートは完全にブロックされる。そう思った瞬間、楓はシュートする手を一旦戻し、逆の手にボールを持ち替えシュートを決めた。
ダ、ダブルクラッチだと⁉︎思わず声が出る。あいつ、なんて器用な事をするんだ。私が驚きの声を上げていると同時に試合終了のホイッスルが鳴った。41対40逆転勝利だ。
湧き上がる歓声、流石の楓も興奮しているのか歓声に応えるように拳を上げる。楓さん、かっこよすぎだろう。
私は挨拶を終えコートから戻る選手達に労いの言葉を掛けタオルを渡す。そしてコートから帰ってくる楓にもタオルを渡す。
「取り返して来たぞ」
楓は拳を私の前に突き出し微笑む。私も笑顔でそれに応える様にコツンと拳を合わせた。
「しかし、ダブルクラッチを決めた時は本当に驚いたよ。ポジションだってスモールフォワードだしモノホンの楓さんが降臨みたいな」
「ダブルクラッチ?俺が降臨?また、お前は訳のわからない事を」
こいつ、まじか⁉︎ダブルクラッチを意識しないであの土壇場で決めたのか。どんだけ高スペックなんだよ。
「楓、そこは『どあほうが』って言うと所よ」
そう言うと、楓はネタが分かっていなくてもノッてくれて「どあほうが」と言って私の頭をチョップする。どうやら完全に何時もの楓に戻ったみたいだ。
私達が戯れついていると、西園寺がやって来てお疲れさんと声を掛けて来た。
「今日は2人ともありがとうな。1年も今日の試合を見て感化されたみたいで、自分達もバスケ上手くなりたいですって言ってくれて嬉しかったよ」
歯を見せて嬉しそうに笑う西園寺は眩しいかった。不毛な動機で試合に臨んだ私と楓は、お互い顔を見合わせ苦笑いを浮かべてしまう。西園寺が去った後、いつまでも喋っている訳にはいかないので、片付けを始めようとすると楓が私をさり気なく背に隠した。
「久しぶりだな楓」
この声には聞き覚えがある。透き通る爽やかイケメンボイス。目の前に居たのは、私の元婚約者天凰寺司だった。




