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其の6


 しばらくして悼矢は目を覚ました。時計を見るともう十時を指している。ふと『ザアァァ』という音が外から聞こえカーテンを開けてみる。外は大雨だった。


(雨か……。あいつ、大丈夫かな……。どこかで雨宿りしてればいいが……)


 そう思ってハッとなってしまう。


(俺は何を考えているんだ。あいつのことはもう忘れるんじゃなかったのかよ!)


 思わずため息を吐き、首を振る。


(矛盾してるぜ、まったく)


「悼矢ちゃん起きたの?」


「ああ。ご飯もう食べたか?」


「まだだよ。悼矢ちゃん全然起きてくれないんだから……」


 腰に手をあててぷくっと頬を膨らませるこより。


「俺に気にせず食べても良かったのにな。こよりはそういうとこ律儀だよなぁ」


「二人だけの家庭だから一人で食べるのは寂しいもん。それじゃあすぐ机に並べるね」


 こよりの言うとおりだ。両親は生きているとはいえ、この家に住んでいるのは悼矢とこよりの二人だけ。だから悼矢はしっかりと“お兄ちゃん”してやらないといけないのだ。


「いただきまーす」


 二人で食事を始める。


「そういえば……」とこよりは何かを思い出したかのように言葉を紡ぐ。


「悼矢ちゃん。リタさんと何かあったの?」


 内心ドキリとする。しかし悼矢は平静を装って返した。


「どうしてだ?」


「だって変だよ。リタさんが何も言わずに出て行っちゃうなんて」


「…………。そうか?」


「そ・れ・に、悼矢ちゃん、寝言で言ってたもん。ごめんって。それってリタさんに対する言葉じゃないの?」


 まさか寝言でそんなことを言っているとは思いもしなかった。いや、違う。それもそうなのだろう。気にせずにいようとは思うがどうしても気になってしまうのだから。


(外は雨だしあいつには寝床さえない。助けてやれる奴だっていない……!)


「? どうしたの?」


 悼矢の手が止まってしまっていることにこよりは箸を咥えたまま首を傾げる。


「いや……なんでもない」


 かろうじて悼矢はそう言うことができた。


「うーそ」


「あん?」


「悼矢ちゃん嘘ついてる」


「ついてない」


「ついてるよ。悼矢ちゃんは嘘つくの下手だからすぐ分かるもん。リタさんと何があったか知らないけど、謝りたいならちゃんと本人に会って言った方がいいと思うなぁ、こよりは」


「いや……でもな……」


「でもも何もないのっ! リタさんがいなくなってから悼矢ちゃん変だよ!」


 そんなことは悼矢自身も分かっちゃいるんだ。本当はリタのことが気になって仕方がないこと。それに加えて何か言い知れぬ不安が込み上げていた。それは第六感とも言うべきか。それが何からくる不安なのか……。掴もうとしても雲か霧のように自分の手をすり抜けていくのだ。不安の根源が分からないからこそ余計に不安になる。


(こよりの言うことももっともだ。不安になるくらいなら自分の側において見守ってやればいい……。そんなこと分かってる! 俺だって助けてやりたいさ!)


 自然と悔しさから手が拳を握っていた。そう、悼矢の中にある感情は悔しさだった。


(でも仕方ねぇだろ! 俺には無理なんだよ! 俺が禍魂と戦うことになったらこよりはどうなる……! どちらかを切り捨てるしかないじゃねぇか!)


 ――アンタは勝手に人のせいにして逃げてるだけじゃない。


 リタに言われた言葉が頭の中に蘇る。


(……っ! ちくしょう! そういうことかよ! 俺は逃げてるのか……!?)


 その時、リタが出て行くときに放った言葉が思い返される。言葉としては聞こえなかったが、唇の動きで何と言ったか悼矢は分かっていた。


 ――いくじなし


「悼矢ちゃん?」


 こよりがずっと箸を止めたまま深刻な顔をしている悼矢を怪訝そうに呼ぶ。


「すまん。こより、俺少し出てくる!」


 そう言うと立ち上がって玄関へと走っていった。


「あ! 待って、悼矢ちゃん!」


 靴を履き、既に扉のノブを掴んでいる悼矢をこよりは呼び止める。


「何だよ。今急いで――」


 振り返るとこよりは笑顔で上着をさしだしていた。


「がんばってね」


 何をとは言わない。こよりは悼矢が何をしに出かけるのか気づいているのだろう。だから悼矢も上着を受け取ると『ああ』とだけ答えた。

 雨はまだ衰えていなかった。風も強いせいで雨は斜めに降っている。こんな雨じゃ傘もあまり意味をなさないだろう。


「行くか」


 そう言葉にすると悼矢は雨の中に飛び込んでいった。


 


 状況は最悪だった。

 まず雨というのがまずい。

 雨のせいで体力は奪われ、傷も痛むし、視界も鮮明ではなかった。

 あれからリタはあてもなく街を彷徨った。だが目立つ格好をしているせいもあり、人目を気にして人気のない路地へと入った。そんな場所にちゃんとした屋根なんてあるはずもない。業務員用の出入り口なのか、ちょっとした屋根があるにはあるが何せこの豪雨だ。斜めに降る雨に成す術もない。冷たい壁に背中を預け、ただ雨風に曝されること数時間。服も濡れ、体は凍えるように冷えていたし、吐く息も白かった。

 本当に最悪な時というのは悪いことが重なって起こったりするものだ。

 そんな時だったのだ。

 禍魂がリタの姿を見つけたのは。

 禍魂という奴らはよほど鼻が利くのか、それともリタの運が悪いのか。

 まさに最悪の状況。最悪のタイミング。

 リタを見つけた禍魂の殺気とエーテル・エネルギーが一瞬で膨張する。その激しい敵意にリタが気がつかないわけがない。

 リタは路地の奥。その闇の中に獣のような赤色の鋭い目を見つけ、すぐに臨戦体勢に入った。

 禍魂が奇襲のつもりで手の平から光の球を放つ。だがそれをリタは上空へ跳んで避けた。その光球は雨を蒸発させ、白い煙をあげて突き進み、ビルの角に当たった。


 ドゴォオオオンッ!


 爆発し、その一角が砕け散る。リタは空中でビルの壁に拳を放ち、腕をめり込ませて張り付く。そしてキッと禍魂を睨む。


「ルクライルゥ! 決着をつけようじゃないか!」


 その禍魂は悼矢の家で戦った禍魂だった。

 表通りにいた人々はいきなりの爆発にパニックになっていた。


「なんだ!? 爆発!? 事故か!?」


「消防車を呼べ! 火の手が広がるぞ!」


 燃え上がる一角。群がる人々。だが彼らは彼らが注目しているその炎の奥で起きていることにまでは気づいていないようだ。


(こんな人の多いところでやる気なの!? これだから禍魂って奴は……! これ以上被害が広がらないうちにどこか人気のない場所に移動しないと……!)


 リタは壁を蹴ってさらに上を目指す。ビルの屋上、そこならば戦うのに十分な広さがあって人気もない。被害も少なくなるはずだと考えてのことだった。


「逃げるのか、ルクライル!」


 禍魂がリタを追って跳躍する。

 リタが屋上に着地してすぐに禍魂も着地した。

 周りを見回しフンと鼻を鳴らす禍魂。リタの狙い通り屋上には人っ子一人いなかった。


「この状況で他人の心配とはな。お優しいことだ」


 ピシャーン!


 雷が鳴った。相変わらず豪雨が続いていて地面はぐしょぐしょだ。こういう状況の中での戦闘はやりにくい。滑る足場、悪い視界、奪われる体力。だがそれは相手とて同じこと。決して不利というわけではない。


「うるさいわね。さっさときなさいよ」


 リタの周りを仄かな赤色が包む。


(昨夜の一撃で与えた傷はまだ癒えてないはず……。今ならあるいは……!)


 禍魂が床を蹴った。なんという脚力だろうか。それだけで床はヒビ割れ、水飛沫が飛び散る。戦車のようなガタイが猛スピードでリタに迫る。


「潰れろォ!」


 禍魂が右拳を握ってハンマーのように振り下ろす!

 人間が受ければぺしゃんこにされてしまうような強烈な攻撃。だがそれをまともに受けるほどリタは馬鹿ではない。

 リタは禍魂の腕にぷらさがるように、絡みつくようにして腕の下から上へと体ごと回転して回避した。驚異的な身体能力だ。生半可な運動神経では真似事もできないだろう。


 ズゴォオゥウゥゥンッ!


 禍魂の手が地面を叩き割る。コンクリート破片が辺りに撒き散らされる。


(俺の腕を軸にしていなした……!?)


 そしてその回転を利用して踵を禍魂の顔側面めがけて繰り出す!


「だが甘い!」


 その踵を禍魂は背中を反らすことで避けていた。踵が禍魂の鼻先をかすめていく。そして左手で通り過ぎたリタのか細い脚を掴む。


「!?」


「いくらすばっしこいとは言えこうして捕まえられちゃ逃げられないだろう!」


 再度、右拳を天高く振り上げる。


「ええ、そうね。アンタもこんな至近距離からじゃ避けられないでしょ!」


 禍魂はそこで気づいた。リタの左手に光り輝く紅い球が出現していることに。


「くらいなさい!」


 リタが光球を放った。


「ぬぅっ!」


 ズドォオォンッ!


 禍魂の上半身を爆発が包んだ。爆風にあおられリタは濡れた地面に叩きつけられる。だがすぐに起き上がって体勢を立て直した。

 見ると禍魂の上半身から白い煙がもくもくと立ち上っている。あれぐらいでやられる禍魂ではないだろうが、果たしてどれだけのダメージを与えられたか。

 しばらくして煙が晴れる。そこには焼きただれた顔の禍魂の姿。


「許さんぞ、エーテルごときがァ!」


 禍魂は鬼のような形相で吼えた。


 


 悼矢は大通りを走っていた。

 するといきなり騒がしい一角を見つける。


(なんだ?)


 見てみるとビルの一階が炎上していた。

 周りにはざわざわと野次馬たちが群れている。その野次馬たちの話している言葉に耳を傾けてみる。


「いきなり爆発したんだってな」


「俺、何か光ってるのがあそこにぶつかって爆発するのを見たぜ」


「なんだよ、それ。ミサイルか?」


 不安が更に増す。


(まさかリタか……?)


 思って辺りを見回す。だが野次馬しか視界に入らない。


(ちくしょう! どこにいやがるんだよ!)


 と天を仰いだ時、そこから見える緑のフェンスの屋上に影が見えた。

 黒い獣のようなものと赤い人型が躍っている影が。あの赤い影は間違いなく――


「リタッ!?」


 


 禍魂が地を蹴った。蹴った床が吹き飛び土埃が舞う!


(さっきより速い!)


 これが禍魂の本気なのだろうか。降り注ぐ雨を弾き飛ばして突き進んでくる。その予想外の脚力にリタですら目で追うことしかできない。かろうじて禍魂が右腕を振りかぶったのが見えた。反射的にリタはしゃがむ。リタがかがんだすぐ後を鋭い爪が生えた豪腕が通り抜けた!

 当たれば真っ二つに切り裂かれる。リタはそう確信した。その荒ぶる力故か禍魂は踏みとどまるこができず、右腕を振りぬいた格好でリタに背中を見せる。


(チャンスッ!)


 しかし次の瞬間、リタの左わき腹にかつてない衝撃とともに鈍痛が走った!

 一瞬、何が起こったか理解できなくなる。


(これは…………尻尾!?)


 リタはやっと気づいた。禍魂は右腕を振り抜いた後、そのまま体を回転させて尻尾で攻撃してきたのだと。決して踏みとどまれなかったわけではなかったのだ。

 声もあげずに吹っ飛ぶリタ。リタの体はそのまま一直線に吹っ飛び、濡れた床で何度かバウンドして屋上の金網にぶつかり、止まった。

 人間ならば骨を砕き内臓を破裂させ死に至らしめているだろう一撃。そんなものを受けてリタとて無事ではいられなかった。


(……った……まずいわね……あばらが折れたかも……)


 リタはやられた箇所を押さえ、凹んだ金網を支えにして立ち上がろうとする。しかし脚に力が入らず、膝をつく。


「……っく!」


 どうやらさっきの一撃でまたお腹の傷が開いたらしい。あの男が巻いてくれた包帯に血が滲むのを感じられた。

 あの男。片桐悼矢。前回、禍魂と戦った時に自分を奮い立たせて力を与えてくれた人間。


(あいつがいれば……!)


 だが浮かんだその望みは首を振ることで消し去る。

 禍魂がゆっくりとリタに近づいてきた。


(こんな時に何考えてるのよ! あいつは来ないのよ……! 自分で立つのよ……! 立たなきゃやられる……!)


 リタの呼吸は荒い。

 意識も朦朧としていて、視界がかすんでいた。


「気分はどうだ? ルクライル」


 リタは答えない。いや、答えられない。

 禍魂はリタの頭を掴んで持ち上げた。


「ぐっ……!」


「どこからちぎって欲しい? 右手か? それとも左足か? ああ、急ぐなよ……。頭は最後だからな」


 言って大笑いする。だがリタもにやりと笑った。


「やれるもんなら……やってみなさいよ……!」


 リタの眼はまだ死んでいなかった。

 そんな生意気な視線に禍魂は気に食わなそうな表情になる。


「そうか……それなら……」とリタの左手を掴んだ。ぎちぎちと力が加わって甲冑がみしみしと軋み、リタの左腕に伝わる痛みが強くなっていく。


 リタはぐっと眼を瞑った。

 思い浮かぶのはいけ好かない男の顔。

 なぜこんな時に何度もヤツの顔が浮かぶのか自分でもその理由が分からない。


(なに期待してるのよ……)


 来るわけはない。なぜなら今しがた決別したばかりなのだ。彼は日常の中で暮らすと決断したのだ。そう思っていながらも考えずにはいられなかった。

 あいつの驚いた顔が浮かぶ、あいつの怒った顔が浮かぶ、あいつの笑った顔が浮かぶ、あいつの真剣な顔が浮かぶ、奮い立たせてくれた凛々しい顔が浮かぶ。

 出会ってまだ二日も経っていないというのに、彼は様々な表情を見せてくれた。

 そしてそのどの表情もがリタの胸には深く刻み込まれていた。


「トウヤ……」


 いつの間にかその名がぽつりと口から出ていた。


「トウヤ? ああ、片桐悼矢……か。安心しろ。お前の後をすぐに追わせてやる。

 では、左手とお別れだ」


 禍魂が引き千切ろうとした。


「トウヤ……トウヤ……! トウヤ! トウヤアアァァァ!」


 リタがその名を叫んだまさにその時。


 ドギャ! ゴンガラガン!


 屋上の扉が勢いよく蹴り破られ、地面に大きな音をたてて転がった。


「ハァハァハァ……。大声で、人の名前、呼んでんじゃねーよ」


「む?」


 禍魂が振り返り、その人物を見て眼を見開く。

 リタもまた口をぽかんと開けて彼を見ていた。

 その青年の姿を。


「ったくよ、何してんだろうなぁ、俺は……。こんな雨の中……」


 彼は大雨と汗で泥まみれになっていた。何をそこまで急ぐことがあったのだろうか、ぜぇぜぇと肩で息をしている。

 リタが見間違うはずがない。彼の姿を見間違うはずがない。

 それはリタが待ち望んでいた者の姿だったのだから。

 リタは口をぽかんと開けて驚いた表情のまま固まっていた。そんな視線を受け、悼矢は荒い息のままニヤリと口元を歪める。


「呼んだか? 相棒」


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