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「ねぇねぇ、昨日のあれ、見た?」
背後から駆け寄ってきたゆゆが、蜜愛の胸を揉みしだきながら尋ねてくる。
「って、ちょっとゆゆちー、やめてよっ……あんっ!」
朝の通学区路に、この辺りの朝の風物詩、女子高生の艶かしい声が響く。
「だってほら、昨日も言ったっしょ? 毎朝揉むって!」
「そりゃあ、毎朝必ず揉まれてるけど~……。でもゆゆちー、おっぱ~って挨拶、忘れてるよ~? その挨拶がなかったら、単なる痴漢でしかないよ~!」
挨拶があればOK、とも取れる発言をしていること自体、蜜愛が少々ズレていることを示していると言えなくもないが。
対するゆゆは、まったく動じることもなく反論を返す。
「なに言ってるかな! あたしとミッツのあいだには、いつでも揉み合っていいって盟約が結ばれてるんだから、問題なっしんぐだよ! ブイッ!」
「そ……そんな盟約なんて、結んでない~~~~! あふっ……!」
悲痛な叫び声を発するも、そのあいだもゆゆの手は激しく動かされていて、蜜愛は思わず吐息を漏らす。
場所は蜜愛たちが通う県立板ヶ谷高校の通学路。
蜜愛やゆゆは、ここからさほど遠くない中学校出身で徒歩通学だが、電車通学の生徒も駅から歩いてきてすでに合流している地点となる。
そのため周囲には、ふたりと同じように制服を着た学生たちが、何人も歩いていたりするのだが。
そんなのはお構いなしに、絡み合うふたりの女子高生。当然ながら視線を向けられてしまう。
それらはたいてい、「あいつら、またやってるな」といった生温かい視線だった。
やがて蜜愛の胸を揉むことに飽きたのか、ゆゆは密着させていた身を離す。
「もう、ゆゆちーったら毎朝毎朝……。しかも盟約だなんて……」
「にゅふふ、でもほら、盟約は揉み合っていいってことなんだから、ミッツがあたしのを揉んだっていいんだぞ? ほれほれ!」
文句を口にする蜜愛にゆゆはそう言うと、制服の上からでもしっかりとわかるほどの胸を張り、その豊満な膨らみを突き出す。
「む~、ゆゆちーの、ほんと大っきいよね。羨ましい……っていうか、恨めしい……」
「う……恨めしいって、ミッツ……」
だんだんと目が虚ろになっていく蜜愛の様子に、ゆゆのほうが若干引き気味になる。
「そうね。これを吸い取れば、ちょっとは私のも大きくなるかも……?」
「な……なんか、おかしなこと言ってない!?」
蜜愛はゆゆの大きな胸を凝視してぶつぶつとつぶやきながら、両手を掲げて指をもにもにといやらしく動かしていた。
「それじゃあ遠慮なく、揉ませてもらうね~」
完全に形勢逆転。攻めに転じた蜜愛の両手がゆゆの胸に迫る。
「って、ほんとに揉もうとするなぁ~~~~~っ!」
すぱーんと大きな音が鳴りそうなくらいの勢いで、ゆゆの平手が蜜愛の頭をはたく。
というか、叩き落とすといった印象すら受けるくらいの強烈な一撃だった。
「痛ったぁ~い! なにするのよ~? 自分で揉んでいいって言ったのに~!」
「そうだけど! でも、ダメなんだ!」
ゆゆは異常なほど真っ赤になっている。揉むのは抵抗なくとも、揉まれる側に回るのは慣れていないのだろう。
もっとも、まるで幽霊かなにかのようにおどろおどろしげな様子で迫られたら、誰でも無抵抗のままではいられないと思うが。
一方の蜜愛も、自分らしからぬ行動が今さらながらに恥ずかしくなってきたのか、ゆゆと同様、真っ赤になってうつむいてしまっていた。
「と……とにかく、歩こう!」
「そ……そうね!」
通学途中だということをかろうじて思い出したふたりは、ゆっくりながらも足を動かし始める。
「そういえば、ゆゆちーがさっき言ってた、昨日のあれってなに?」
どうにか話題の種を見つけた蜜愛が問う。
その顔はまだ真っ赤なままだったのだが。
「あ~……。えっとさ、昨日の夜、空が光ったじゃない? あれ、見たかな~って」
「え……?」
空が光った?
はて、いつそんなことがあったのか。
蜜愛にはわからなかった。
昨日の夜、家に帰り着くまでには、そんなことはなかったはずだ。
ならば、自分の部屋にこもってノートパソコンに向かっているときか、夕飯を食べているときか、お風呂に入っているときか……。
いずれにせよ、空が光ったというほどの状況であれば、たとえカーテンを閉めていても、窓から入ってくる光で気づきそうなものだ。
とすると……これはまた、ゆゆが自分を担ごうとしてついた嘘、という可能性が高いのかもしれない。
そんな考えを抱いてゆゆを問い詰めようとする蜜愛だったのだが。
「ん!」
蜜愛の「また嘘ついて~」という雰囲気を感じ取ったのか、すかさずゆゆがケータイを操作して画面を見せてくる。
それは、ネット上のニュースサイトのページだった。
空が真っ白く光っている写真が載せられ、『謎の発光現象!』と題された記事が書かれている。
その記事によれば、昨日の夜十一過ぎ、突然空が真っ白く輝いたのだという。
光は数秒程度で収まり、すぐに何事もなかったかのような夜空に戻ったが、あれはいったいなんだったのだろうか、といった文章でニュースの記事は締めくくられていた。
「朝のテレビとかでも、この話題一色だったじゃん!」
「そうなんだ。うち、朝はテレビを見る習慣がないからなぁ……」
ともかく、謎は解けた。
いや、発光現象の謎はもちろん解けていないのだが。
発光現象が起こったのは昨夜十一時過ぎ。蜜愛はすでに布団に入り、熟睡している頃だった。
だから気づかなかった。
短い時間だけとはいえ、昼間だと錯覚するくらいの強烈な光だったみたいだから、カーテンをすり抜けて明かりが差し込んでいたに違いない。
だが、眠りが深いため一度眠ったら朝までぐっすりの蜜愛にとっては、その程度の光なんて問題にもならなかったのだろう。
どうやら友人の話は事実らしいということ、そして自分はそのとき眠っていたということを、蜜愛は悟る。
「私、この時間だとブログの小説をアップし終えて、もう寝ちゃってたから。全然気づかなかったよ~」
昨夜の状況を伝える蜜愛の言葉に、ゆゆは違った方向で食いついてきた。
「あんた、またあのバカみたいな小説を書いてたのね!」
「バ……バカみたいなんて言わないでよ~!」
蜜愛は眉をつり上げる。
自分でもちょっと普通ではないかもと思ってはいるのだが。
バカみたいとまで言われれば、気分を害してしまうのも当然というものだ。
「あ~、ごめんごめん! ブイッ!」
「ブイッ、じゃない! 私、頑張って書いてるのに~!」
「頑張ってるんだ、あれで……」
「あれでとか言うな~! だいたいゆゆちー、全然コメントもくれないし~。もしかして、見てくれてないの~?」
「コメントはしない主義だからね、あたしは! ブログは見に行ってるよ!」
「そうなんだ! よかった~!」
「ごくごくたまぁ~~~~~に、だけど!」
「もっとちゃんと見に来てよ!」
「あ~、ま~、気が向いたらね!」
「来てくれないと、ゆゆちーの悪口を書いちゃうよ? 実名も出して!」
「こらこら、やめなって! だいたい、そんなことしたらミッツ自身の素性までバレちゃうでしょうが!」
「うっ……」
「おーい、みんな~! 痛姫様なんて呼ばれて舞い上がってる女子高生が、ここにいるぞ~~!」
「ちょ……っ!? ゆゆちーやめて! 人を集めないで~! それに私、舞い上がってなんかない~~~!」
なんだか昨日の朝と同じような展開へとなだれ込んでいるが。
ただ、昨日とは少々状況が異なっていた。
周囲にあったはずの人影が、すっかりなくなっていたのだ。
そこへ追い討ちをかけるように無情にも響き渡る予鈴のチャイム音――。
「うげっ! ミッツがバカなせいで、遅刻しちゃうじゃん! 走るよ!」
「うん! でも私バカじゃないし、私のせいだけでもないし! それに、うげっ、なんて女の子が言うもんじゃないよ~!」
スカートを振り乱しつつ大急ぎで走りながらも、ツッコミは忘れない。
それが姫鷺蜜愛という女の子の日常だった。