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「まったく、ゆゆちーったら……」
放課後となっても、蜜愛は文句たらたらだった。
「あ~あ、鼻の穴が完全に広がっちゃったじゃない……」
店先の窓ガラスに映った自分の姿を見つめ、人差し指で鼻を押し上げて確認している。
しかし、そんなことはない。
単純に、もともと鼻の穴が大きめというだけだ。
蜜愛は一旦家に帰り、制服から普段着へと着替えたのち、この春空のもとへと繰り出していた。
それは彼女にとって重要な活動の一環となっているとも言える。
なぜならば、蜜愛が書いてブログにアップしている小説『かこまれたちきゅう』のアイディアは、放課後や休日を使った散歩の中で浮かんでくることが多いからだ。
昔から行き詰った作家というものは、原稿用紙をぐしゃっと丸めたあと、「散歩に行ってくる」と言って部屋を出るのが相場と決まっている。
蜜愛はべつに行き詰っているというわけでもないし、今は原稿用紙に小説を書くような時代でもないわけだが。
「天気のいい日は、風が気持ちいいわね~」
大きく伸びをしながら、蜜愛はゆっくりと河川敷を歩いていく。
川の上流のほうへ視線を向けると赤い鉄橋がかかっていて、通過していく電車の鮮やかな色が目に映り込んでくる。
空は抜けるように青く、いくつか浮かんでいる雲は綿菓子のように真っ白だった。
そうやって空を漂う雲を眺めているだけでも、イメージというものは膨らんでいくものだ。
「あの雲、ふ菓子みたいね。あっ、隣の雲はラムネのビンみたい。さらに隣は、練り上げた水飴だわ!」
蜜愛の想像力は、少々膨らみすぎのようだが。
練り上げた水飴型と称される雲とは、はたしてどんな形状なのか……。
謎は残るところだが、空を眺め、川を見渡し、町並みに視線を送りつつ、春先の散歩を楽しむ蜜愛本人は、見るからにとても楽しそうだった。
春だけに限らず、季節を問わず、蜜愛はこれまでの人生を通して散歩を続けてきた。
まだブログをスタートしていなかった頃から、こうやって散歩するのが大好きなのだ。
若干たれ気味で二重まぶたの目、女子の平均よりも高い身長、さらりと伸ばして大きなリボンで留めただけの髪の毛。
そんな見た目も相まって、ぬぼーっとした印象のある蜜愛には、実にお似合いの趣味と言えるだろう。
「前回小説をアップしたときは、有力な三つの宇宙人部隊のあいだでケンカが起こりそうになったけど、どうにか回避するって展開にしたんだっけ。それじゃあ、続きとしては……やっぱり今度は、小規模な争いくらい起こしてみるべきかな?」
視線を周囲に散らしながら独り言をこぼす蜜愛。
その左手には手帳、右手にはシャープペンが握られている。
デジタル世代の女子高生ではあっても、好きなときに好きなように書けるアナログなアイテム類を使わないというわけではない。
蜜愛の場合、むしろ自然な感じで書けるのが心地よいとすら思っている。
携帯電話を持っているのだから、メモ帳の機能を使って入力しておき、メールでノートパソコンへと転送、という方法を取ったほうが効率はいいのかもしれない。
だが蜜愛としては、どうしても紙とペンでないと上手くイメージできない部分があるらしい。
それに、イメージする内容は、なにも文字で書けるものばかりとは限らない。
紙とペンであれば、当然ながら絵として描いておくことも可能となる。
最近のタブレット端末であれば、絵だって記録しておけるかもしれないが、ケータイを親に買ってもらい、使用料まで払ってもらっている身分で贅沢は言えないだろう。
蜜愛はふと、川原へと視線を向ける。
子供たちが川岸に並んで、なにやら騒いでいるようだった。
見たところ、男の子四人に女の子三人、といった感じか。
子供たちは、川に向かってなにかを投げていた。
石だ。
なるべく平べったい石を見つけては、川の水面すれすれにアンダースローで投げ込んでいく。
石は水面に何度も弾かれ、川のちょうど中ほどくらいの場所にまで飛んでいった。
「あ~、私もよくやってたな~。小さい頃は、近所の男子とも一緒になって、泥んこになって遊んだりもしてたもんな~」
そういう子供っぽい遊びから足を洗ったのは、いつ頃のことだっただろう。
男子と一緒に遊ぶのを恥ずかしく思うようになったのは、いつ頃のことだっただろう。
「ずっとあんなふうに男子と一緒になって遊んでいたら、彼氏いない歴十五年なんて状況にはなってなかったのかな~?」
寂しげなつぶやきをこぼしながらも、川原で繰り広げられている光景を眺め続ける。
子供たちは次々と石を川に投げ込んでいった。
女の子も一緒になって、スカートがめくれ上がるのも気にせず、ひたすら石を投げている。
どうやらみんな、小学校低学年くらいのようだ。だからこそ羞恥心も薄いのだろう。
そんな中、一番体格のいい男の子の投げた石が勢いよく水面を滑るように飛び跳ね、対岸まで届きそうな場所まで水しぶきを上げ続けていった。
「行っけぇ~~~~~~~!」
ひときわ大きな声援。
他の六人の男女も、それぞれに声を上げて、石の勢いを後押しする。
とはいえ、それで速度が増すほど現実は甘くない。
石は対岸まで届く前に力尽き、最後に少し高めの水しぶきを上げて沈んでしまった。
「あ~~~~~~……」
思わず嘆息の声を漏らしたのは子供たちだけではなく、蜜愛もまた同じだった。
「残念……」
沈んだ表情の蜜愛に反して、子供たちは大はしゃぎ。
「すっげ~~~~!」
「もうちょっとだったよ~!」
「次こそやってやるぜ!」
「うん、絶対に届くよ!」
やる気を何倍にも増した子供たちの姿が、蜜愛には輝いて見えた。
「みんな、楽しんでるな~」
蜜愛は笑みをこぼす。
「地球は宇宙人たちに囲まれて、絶体絶命のピンチなのに……」
声に出してしまってから、はっと気づいて口もとを手で押さえる。
河川敷には、他に人はいない。川のすぐそばまで近づいている子供たちとも、それなりに距離があった。
独り言を聞かれなかったことに、蜜愛はほっと安堵する。
「小説の中の世界と現実をごっちゃにするなんて、私、ちょっとおかしいのかな……? コメントをくれる人たちの呼び方みたいに、痛い女の子なのかな……?」
爽やかな川べりの風を全身と長い髪の毛に受けながらも、そして澄み渡ったスカイブルーの大空に頭上を覆い尽くされながらも、蜜愛はくすんだブルーの気分に包み込まれてしまう。
「はぁ……。こんなんじゃダメだな~。楽しい小説を書こうとしているのに、楽しい気分になれないなんて……」
蜜愛の視線の先では、子供たちが再び石を投げ始めていた。
総勢七名の子供たちが石を投げ入れる。
次は自分が対岸にまで届かせるんだと言わんばかりに。
みんな、前向きに元気に生きている。
自分も、前向きにならないと。
蜜愛は気持ちを切り替え、手帳にペンを走らせた。
「そうだ、有力な部隊のあいだで三つ巴の争いが起こったことにしよう! あまり大きな規模の争いじゃないけど、それぞれが激しく主張して、一歩も譲らない感じで! それで……うん、こうしよう!」
スラスラと勢いよくペンが進む。
ほとんど真っ白だったページが、あっという間に黒い文字で侵食されていく。
小説のアイディアを次から次へと書き出していく蜜愛は、心の底から楽しそうに笑顔をきらめかせていた。
その小説の内容的が前向きと言えるかどうかは、微妙なところかもしれないが。