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「ここから始まったんだよね~」
遠い目をしながら、ひとりの少女がつぶやいた。
場所は彼女の自室。
部屋全体が白や淡いピンク、もしくは淡い水色や黄色など、薄めのトーンで統一されているようだ。
背中まで届くほどの長い髪が微かに揺れる。
洗った髪を乾かしたあとではあるが、まだ水分が残っているのだろう、ぺったりと肌に張りついている部分が多く見受けられる。
普段、外出する際には大きなリボンで束ねているのだが、今はお風呂上がりということもあり、重力に引っ張られるのに任せて下方へと自然に流されている。
彼女の名前は姫鷺蜜愛。
近所の県立高校に通う一年生で十五歳。
彼氏いない歴は年齢と同じ十五年。
ぱっと見、長い髪の毛以外に特徴の見えてこない、この部屋の色調と同様、印象の薄い感じの女の子といったところだろうか。
若干たれ気味の目は、二重まぶたも相まって、少々眠そうにも思える。
お風呂から上がり、パジャマにも着替えている状態――すなわち就寝準備万端という状態から考えれば、実際に眠気に襲われていても不思議ではないのだが。
蜜愛は今、水玉模様のパジャマに身を包み、ランランと輝いた瞳でノートパソコンの液晶画面をのぞき込んでいる。
彼女が見ているのは、自分のブログだ。
『板姫の小部屋』
そう題されたブログに書かれている、自作の小説の記念すべき第一回目を読み返したところだった。
遥か昔を懐かしむかのように、とても遠い目をしてはいるが、このブログを開始したのは今からたった一ヶ月ほど前の出来事でしかない。
日記部分は毎日更新しているものの、ごくごく普通でちょっと地味な女子高生の日常を、とくに飾ったりすることもなく、つらつらと綴っているだけでしかなかった。
板姫と名乗っているブログ主の人柄がよくうかがえる、とは言えるが、それだけならば学校の友人くらいしか見ない、寂れたブログとして存在し続ける結果になっていただろう。
蜜愛は他人のブログなんかを渡り歩いてコメントを残し、自分のブログにも来てくださいと誘導するような、そういった活動すらしていない。
当然ながら、訪問してくれる人が増えるはずもない、といった感じだった。
ただ、日記とともに不定期でアップしている自作小説が、ある意味好評となっていて……。
気に入ってくれた人が自分のブログなどで紹介でもしたのか、あれよあれよという間にアクセス数は増えていった。
とはいっても、芸能人のブログのように毎日数千人、数万人レベルで見てもらえているわけではない。
ブログのアクセス解析機能で表示されるデータが正しいとしても、今のところの訪問者は一日あたり百人を越えるかどうか、といった程度だ。
それでも、まだ開始一ヶ月で、好評を得ている小説のアップ回数としては十回にも満たないことを考えれば、それなりの人数になっていると言えるだろう。
このまま訪問者が増えない可能性もあるし、蜜愛本人としても、どうしてこんなブログを見に来てくれるのか、疑問に思っている部分があったりはするのだが。
読んでくれる人がいる。
それだけでモチベーションは上がるものだ。
もっとも、モチベーションが上がったとしても、小説をアップする頻度はあまり変わらない。
蜜愛はマイペースな精神の持ち主でもあった。
「それにしても、私の描いた宇宙人の絵……。好評なのはいいんだけど、反応が微妙な気がするなぁ……」
蜜愛は再びつぶやきを漏らす。
彼女がアップしている自作小説は、『かこまれたちきゅう』というタイトルの作品だ。
柔らかな感じの語り口調で、地球を取り囲んでいる宇宙人に関する話を書いている。
どう考えてもありえなさそうな、女子高生らしくない内容もさることながら、一番好評なのは蜜愛が描いた宇宙人の絵だった。
「私としては爽やかなイケメンと、ワイルド系のイケメンと、お嬢様っぽい美人で、人間に変身しているって設定の絵を描いたつもりなのに……」
マウス操作に合わせて、ブログにアップした画像が画面上に表示される。
「そりゃあ上手くはないだろうけど、すごく一生懸命描いたし、私なりに満足のいく出来に仕上がってると思うんだけどなぁ……」
口を尖らせる蜜愛の前に表示されている三人の宇宙人の絵、それはおよそ人間に変身しているとは思えないものだった。
友人から「これ本気で描いたの!?」と言われていたのも、素直に頷けてしまう。
ブログのコメント欄にも、「最高です! 神です! ある意味!」などと書かれてあった。
「最高とか神とか言われて嬉しかったけど、よくよく考えてみたら、全然褒めてなさそうなのかも……?」
コメントを読み返しながら、蜜愛は首をかしげる。
しばらく考え込んだのち、
「ま、いっか」
さくっと頭を切り替え、別の日にアップしたブログへと移動する。
つい二日前にアップしたばかりの、『かこまれたちきゅう』の最新話だ。
内容としては、有力な三つの部隊のあいだで睨み合いが発生するも、どうにか回避して事無きを得る、といった感じだった。
蜜愛はその話につけられたコメントを確認し始める。
と、すぐにマウスの動きが止まった。
「あっ、またこの人だ」
蜜愛が視線を向けている先には、ひとつのコメントが表示されている。
「痛姫様! 今回も面白かったです! いや~、あそこでケンカにならなかったのは、よく回避したな~と思います! でも、次にわだかまりを残しそうな感じでしたね! 次回の更新も期待しています! もちろん、痛姫様の描く神がかった絵も含めて!」
コメントを書いた人の名前は、『宇宙王子』。
当然ながら本名ではなく、ネット上の名前だ。
もしかしたら、このブログだけで使っている名前かもしれないが。
「宇宙王子さん、毎回しっかりコメントしてくれるのよね~。他の人も書いてくれてはいるけど……。この人が一番熱く語ってくれているように思えるのは、びっくりマークを多用してるからなのかな? 私なんかのつたない小説と絵だし、実際にはそれほど気に入ってくれてはいないのかもしれないけど」
そんな言葉をこぼしながらも、顔には自然と笑みが浮かぶ。
お世辞を含むコメントである可能性も高い上、神がかった絵というのは、少々バカにしているようにも思えるが。
たとえそうであっても、ここまで賞賛され、期待しているとまで言われれば嬉しいものなのだろう。
「でも……痛姫様って呼ぶのはやめてほしいな。私は板姫なのに……。確か最初に痛姫様って呼び方をしてきたのも、この宇宙王子さんだったよね」
板姫などという名前で、宇宙人を題材にしたちょっと痛い内容の小説を書いているのだから、それはある意味自然な流れだったと言えるのかもしれないが。
蜜愛本人としては、自分の通っている高校――県立板ヶ谷高等学校から『板』を取り、自分の姫鷺という名字から『姫』を取って『板姫』と名づけただけだったのだ。
「それに最近じゃあ、板みたいにペッタンコな胸だから板姫なんだ、なんて新たな説まで唱える人が出てきて……。そんなことはない! 絶対大きいに決まってる! 爆乳なはずだ! って反論してくれる人もいたけど……」
ぺたぺた。
蜜愛は無意識なのか、自分の胸の辺りに両手を当てる。
そこは板のようなペッタンコな胸ではない。
ちゃんとそれなりの弾力が存在していて、手のひらを控えめに押し返している。
「爆乳なんて、お世辞にも言えないけど……。というか、ちょっと小ぶりだけど……」
思わず、といった様子で両手をむにゅむにゅと動かし、蜜愛は自らの胸を揉み始めた。
「もう少し大きくなりたいな~……」
しばらく経ったのち、はっ、私ったらなにしてるの、と我に返る。
蜜愛は微かに頬を染めたまま、引き続き画面を目で追い、前回更新分のコメントをすべて読み終えた。
たまに『板胸様』なんて呼ぶ人のコメントには、素っ気ない返事を書くのみに留めた。蜜愛のささやかな抵抗だ。
とはいえ、そんなコメントはごく少数。
コメント欄での呼び名は、やはり『痛姫様』が圧倒的に多い。
痛い姫などと呼ばれ、しかも『様』をつけているのも小バカにしている意味合いが強いと考えられるため、細かいことをあまり気にしない蜜愛でも、ついつい不満で口を尖らせてしまう。
だが、不満を感情に任せてぶつける、といったことは絶対にしない。
なぜなら蜜愛は、いつもニコニコとたおやかに微笑む、女性らしいお姫様を振る舞いながら、このブログをやっているつもりだからだ。
日記のほうの地味な内容から考えれば、実際にはお姫様っぽい雰囲気ではないというのが丸わかりなのだが。
それでも、痛姫様はとても可愛らしい人ですね、好きになってしまいました、なんて告白まで受けたことがある。
告白……とは言えないかもしれない。
しかし、彼氏いない歴生まれてこのかた十五年の蜜愛にとっては、初めて向けられた好意の言葉と言える。
「ありがとうございます。でも、ごめんなさい。私、あなたのことをまだよく知らないので……」
焦りまくってそんなコメントの返信をしてしまい、他の人から「痛姫様、超真面目!」と囃し立てられる結果となってしまった。
好きになってしまいました、と書いた当人としても、べつに恋愛感情的な好きというつもりではなかったようで、「そんな痛姫様がやっぱり大好きです、これからも陰ながら応援し続けます」というコメントを残していた。
ちなみに、そこら辺のやり取りを読んだ学校の友人からは、頭ごなしに「あんたバカぁ?」といった言葉を浴びせかけられた。
ちょうどそのことを思い出したのだろう、蜜愛は尖らせた口からぼやき声を吐き出す。
「む~、私バカじゃないもん……。たぶん……」
そしてそのまま、パソコンの電源を落とし、素早くベッドへと潜り込んだ。
「寝よ寝よ」
バサリと大きく音を立てて、布団を頭までかける。
それが蜜愛の就寝スタイル。頭まですっぽりと布団をかぶらないと眠れないのだ。
季節は春で、随分と暖かくなってきている。
翌朝には汗びっしょり……というほどではないものの、かなりの水分が下着やパジャマに吸収されているに違いない。
それなのにお風呂に入るのが夜だけでは、普通の女の子であれば汗のニオイを気にしそうなものだが。
細かいことをまったく気にしない蜜愛が、朝にシャワーを浴びるなんて考えに至るはずもない。
おそらく、朝起きたらそのまま制服を身にまとい、意気揚々と学校へ向かうことになるだろう。