↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/33

温かいお茶を淹れる魔法と、古い石橋

雨上がりの午前。

ぬかるんだ街道を避けるように、蓮たちは古い石橋の袂(たもと)で馬車を止めて休憩を取っていた。

川のせせらぎと、濡れた葉が擦れ合う静かな音が響いている。

「ねえ、蓮。ちょっとこれを見てちょうだい」

シルフィが嬉しそうに、道端に咲いていた小さな青い花を摘み上げ、その手の中でそっと息を吹きかけた。

ふわり、と柔らかな光が花を包み込む。

次の瞬間、シルフィの手元から香ばしい湯気が立ち上り、摘み取ったばかりの花が、小さな素焼きのカップの中で「淹れたてのハーブティー」へと変化していた。

「見て! 『摘みたての花を温かいお茶に変える魔法』よ。昔、南の果ての小さな村にいたおばあさんから教えてもらったの」

自慢気に向日葵のような笑顔を向けてくるシルフィ。

「……またそんなもん探してきたのか。旅の目的、12の神造遺物の回収なんだろ? もっと戦いに役立つ術を練習しなよ」

手綱を直し伸ばしながら、蓮は呆れたように息を吐く。

「バカねぇ、蓮。魔法っていうのは探求の歴史なの。こういう『くだらない魔法』の積み重ねこそが、人生を豊かにするのよ。5分で冷めてしまうお茶より、魔法で淹れた温かい一杯の方が、旅の夜は遠くまで行けるでしょう?」

「……まあ、言いたいことは分からなくもないけどさ」

「おい下僕! 我の分はどうした! 我にもその『温かいお茶』をよこせ!」

馬車の陰から、大きな毛布をすっぽりと被ったルチアがノコノコと現れた。雨上がりの冷気で寒かったのか、身を小さく縮めている。

「ルチア、あなたにはまだ早いわ。これは大人のお茶よ」

「なにを!? 我は『黒薔薇の天秤』の優秀な刺客だぞ! 子供扱いするな!」

「はいはい。ルチアにはこっちの温かいミルクな」

蓮が鍋で温めておいた干し肉の出汁入りミルクを差し出すと、ルチアは「む……まあ、これなら許してやる」とあっさり受け取り、ハフハフと幸せそうに口を付けた。

数百年を生きるエルフが語る魔法の理(ことわり)も、お腹を空かせた元・刺客の少女の前では、ただの「美味しいおやつタイム」の口実に過ぎない。

蓮は小さく笑いながら、自分の分のハーブティーを一口飲んだ。

ほんのりと甘く、驚くほど身にしみる温かさだった。

お茶を飲み終えたシルフィが、川に架かる古びた石造りの橋の欄干(らんかん)にそっと手を触れた。

苔が生え、ところどころが欠けたその橋を、彼女はどこか懐かしむような愛おしい目で見つめている。

「……この石橋、まだ残っていたのね」

「知ってるのか? この橋」

「ええ。ちょうど50年くらい前かしら。腕の良い人間の石工(いしく)が、一人でコツコツと作っていたのよ」

シルフィは遠い目をして、ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せる。

「当時、私はこの近くの森に住んでいてね。毎日泥だらけになって石を削る彼に『そんな頑丈な橋を作っても、人間の寿命じゃ数十年で見届けることもできないでしょう』って聞いたの。そしたら彼、なんて言ったと思う?」

「なんて言ったんだ?」

「『俺はいなくなっても、俺の作った橋はここに残る。いつか誰かがこの川を渡る時に、足元が冷たくないようにするんだ』って……自慢そうに笑っていたわ」

シルフィはそっと撫でる。

50年前に一人の人間が刻んだノミの跡。石工の男はすでにこの世にいないだろう。だが、彼が残した想いは、こうして今も蓮やルチアの足元を支えていた。

「……そっか」

「人間の創るものは、儚いけれど……残っていくものは、とても温かいのよ」

シルフィが柔らかく目を細めた、その時だった。

ゴオォォォォォン……ッ!!

川の上流から、不気味で重苦しい魔力の濁流が押し寄せてきた。

「……っ! この不快な気配……!」

ルチアが即座に毛布を脱ぎ捨て、腰のハサミを構える。

川の清流が途端に黒く濁り、水底から冷酷な殺気を孕んだ水塊が浮き上がってきた。

「――見つけたぞ、落ちこぼれのエルフ。そして裏切り者のルチア」

水煙の中から現れたのは、帝国の刺客――水流の魔導士だった。その腕には、川の水を自在に操り腐食させる神造遺物『水蛇の壺』が抱えられている。

「この美しい石橋ごと、貴様らを濁流の底へ沈めてやる……!」

刺客が壺を掲げると、濁流が巨大な大蛇の形を成し、橋を支える柱へと飛びかかろうとした。

「壊させないわよ。……この橋は、あの子が命を削って遺したものなんだから」

シルフィの足が、咄嗟に動く。

彼女の瞳から、先ほどまでの穏やかさが消え去る。静かで、恐ろしいほどに澄み渡った魔力の奔流。

「蓮!」

「分かってる!」

蓮は瞬時に片目に『神の単眼鏡』を当てた。

『――【神の鑑定眼】起動――』

視界に広がる水の大蛇。その流速、密度、そして刺客の抱える『水蛇の壺』から伸びる細い魔力のライン(呪導線)が、鮮やかな緑色の数式となって浮かび上がる。

「シルフィ! 水の蛇を叩くんじゃない! 刺客の足元、流木に隠れてる『水流の支点』を狙え! あそこの水圧を散らせば、壺の魔力が逆流する!」

「了解……!」

シルフィは静かに、ただ細い指先を一本、すっと天にかざした。

詠唱はない。ド派手な大技でもない。

洗練され尽くした【局所指向性・風切(エア・スライサー)】。

シュン――――。

空気がかすかに震えた。

放たれた一筋の風は、水の大蛇を無視し、蓮の指示した「足元の支点」を一寸の狂いもなく正確に穿った。

「な……なに……ッ!?」

カチィン!と甲高い金属音が響く。

支点を破壊されたことで水圧の均衡が崩れ、大蛇を形作っていた大量の黒い水が、一瞬にしてただの水飛沫となって刺客自身へと逆流した。

「グアァァァァッ!?」

自らの放った高圧の水流に飲み込まれ、刺客は壺もろとも川の遥か下流へと押し流されていった。

あとに残ったのは、静かな川のせせらぎと、雨上がりの爽やかな風だけだった。

「……ふぅ。お茶を飲んだ後で良かったわ。お腹が冷えていると、風の精度が落ちるもの」

シルフィは何事もなかったかのように手繰り寄せた袖を元に戻し、ホッと息をついた。

石橋は、傷ひとつなく、変わらずそこに佇んでいる。

「ふん……相変わらず容赦のない戦い方だな、貴様は」

ルチアがハサミを収めながら、呆れたように、けれど少しだけ誇らしげに呟いた。

「さあ、蓮。馬車を出しましょう。次の街まで、まだ少し距離があるわ」

「ああ、そうだな」

蓮は御者台に上がり、馬の手綱を握り直した。

石橋を渡る時、車輪がコトコトと心地よい音を立てる。50年前にこの橋を造った石工の男のぬくもりが、確かに自分たちの足を未来へとおし進めてくれているようだった。

「ねえ、蓮」

「ん?」

「次の街に着いたら、また何か美味しいものを教えてね」

「はいはい。……今度は、温かいシチューでも作るよ」

「わーい! 蓮のシチュー! ルチア、楽しみね」

「ぬ……我は別に楽しみなどではない!……が、残したら勿体ないから食ってやるだけだ!」

ガタゴトと音を立てて、小さな荷馬車が夕空の向こうへと進んでいく。

途からもない時を生きるエルフと、限られた時間を懸命に走る人間たち。

彼らの旅路には、今日もささやかで温かな「くだらない魔法」と、愛おしい日常が満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。