今日の味
新人二人の随伴をした翌日、杏々が朝の依頼を探していると、受付嬢から一枚の伝言を渡された。
「保存食の試作品、最初の分ができたそうですよ」
「できた?」
「はい。今日の昼過ぎに来てほしいとのことです」
「食べる?」
「そこまでは書いてありませんけど……たぶん食べるんじゃないですか?」
「行く」
昨日までとは明らかに反応が違った。
杏々は伝言を受け取ると、午前中に終わる近場の依頼を一本だけ選んだ。試作品ができたと聞いた以上、午後までかかる仕事を受ける理由はない。
「こういう時は判断が早いですね」
「大事だから」
「保存食が?」
「試食」
「そっちですよね」
依頼そのものは薬草の運搬だったため、昼前には問題なく終わった。報酬を受け取った杏々は市場で軽く腹へ入れてから、一度家へ戻る。
商会へ持っていく約束をしていた、遠征で実際に一週間以上持ち歩いた保存肉を取り出した。
香草入りを二枚。
作った日と、鞄に入れたまま旅をしたこと、雨の日に野営したことを書いた紙も一緒にしてある。
「二枚」
昨日までは自分で食べる予定だった。
だが買い取ってもらえる。
それなら問題ない。
杏々は袋を鞄へ入れ、商業区へ向かった。
◆
商会の部屋へ入ると、三日前と同じ商人と食品担当の男、それから肉屋が待っていた。
ただし、今日は机の上が違う。
紙や空袋だけではなく、小さく切った肉が何種類も皿へ並んでいた。その隣には、乾燥野菜と肉を一緒にまとめた小さな袋も置かれている。
「ある」
杏々の目が少しだけ開く。
「来て最初に見るのがそこなんだな」
肉屋が言う。
「食べていい?」
「待て。まず説明する」
「うん」
杏々は素直に椅子へ座った。
今回作った薄切り保存肉は三種類だった。最初に基準となる塩だけのもの。そこへ香草を加えたもの。そして比較用として、少量だけ作った辛味入り。
肉の部位はできるだけ揃え、厚さも杏々が自分用に作っていたものより均一にしてある。塩も目分量ではなく一定量にし、乾燥させる時間も記録したという。
「同じの作れる?」
杏々が聞く。
「少なくとも、お前の『これくらい』よりは作れる」
「よかった」
「悪かったな」
肉屋は少し不満そうだったが、杏々に悪気はない。
食品担当の男が続けた。
「今日食べる分とは別に、同じ日に同じ条件で作ったものを分けてある。三日、七日、十日、それより先まで残す予定だ」
「今日のも食べる?」
「食べる。今日の状態を知らないと、後でどう変わったか比べられないからな」
「大事」
「そこは分かるんだな」
「味だから」
「理由はともかく合ってる」
ようやく食べていいと言われ、杏々は最初の一枚を取った。
何も足していない基本の薄切り肉だ。
噛む。
「……固くない」
自分で作ったものより、少しだけ柔らかい。
もう一口食べる。
「塩、弱い」
「足りないか?」
「そのままならこれくらいでもいい。でもパンと食べるなら、もうちょっとあってもいいかも」
肉屋がすぐに聞く。
「どのくらい?」
「これくらい」
「だからそれをやめろ」
「……ちょっとだけ」
「最初からそう言え」
杏々は気にせず、次の香草入りへ手を伸ばした。
こちらは口へ入れた瞬間から香りがある。自分で作っていたものより香草の量が揃っている分、味も分かりやすい。
「美味しい」
「それだけか?」
「前より香り同じ」
「同じ?」
「一枚目と二枚目で、ばらばらじゃない」
杏々はもう一枚取って確かめる。
「うん。同じくらい」
肉屋が少し笑った。
「そこを揃えるために量ったんだよ」
「すごい」
「褒められてるんだよな?」
「うん」
杏々にとっては十分な褒め言葉だった。
辛味入りは、最初の一口で少しだけ目を細めた。
「これ好き」
「辛すぎないか?」
「旅ならこれくらいある方がいい」
「毎日食うなら?」
「毎日は別のも欲しい」
「なるほどな」
商人が紙へ書き込んでいく。
杏々は三種類をもう一度少しずつ食べ比べた。最初はただ美味しいかどうかだけ見ているようだったが、二周目になるとパンと一緒に食べた時のことまで思い出していた。
「普通のは朝でもいい。香草は昼。辛いのは疲れた時いいかも」
「時間帯で分けるのか?」
「別に朝食べてもいい。でもずっと同じ味より楽」
「旅の途中で飽きるかどうかって話か」
「うん」
商人はそこを特に丁寧に記録した。
薄切り保存肉の売り方として考えているのは、普通の干し肉を置き換えることではない。いつもの食事に少量加えて、長い旅の単調さを減らすためのものだ。
杏々が遠征中にやっていた使い方そのものだった。
「三種類全部最初から売る必要はないと思う」
食品担当の男が言う。
「まず基本と香草。辛味は好みが分かれるだろうから、試験結果を見てからでいい」
「辛いのなくなる?」
杏々が聞く。
「試す分は作る」
「ならいい」
「商品にならない可能性は?」
「私が食べる」
「本当に強いな、その理屈」
◆
次はスープ用だった。
こちらはまだ乾燥させた状態をそのまま食べるものではないため、商会の裏にある小さな調理場で実際に湯を沸かすことになった。
試作は三つ。
入っている肉と野菜の量は同じで、違うのは主に塩気だった。
鍋も水も同じ量にして、三つを順番に煮る。
杏々は調理場の横で待っていたが、匂いが立ち始めると少し前へ出た。
「いい匂い」
「まだ食うなよ」
「分かってる」
「さっきから信用が薄いんだよ」
最初にできたのは、最も塩気を弱くしたものだった。
小さな器へ取り分けてもらい、杏々が飲む。
「薄い」
「やっぱりか」
「でも芋とか入れないなら、これでもいい」
「旅人が何を追加するか分からないからな」
次は少し塩を増やしたもの。
杏々は一口飲み、今度はすぐに頷いた。
「これいい」
「そのままで?」
「うん。豆入れてもたぶん平気。水ちょっと増やしてもいい」
「一番使いやすそうなのはこれか」
最後は、杏々が自分用に作っていたものに近い、かなり濃い味だった。
杏々が飲む。
「これも好き」
「お前の好みじゃなくて商品としてどうなんだ」
「そのままだと濃い。でも芋とか豆いっぱい入れるならこっち」
「最初から具を足す前提になるな」
「荷物に食べ物余ってる時はいいよ」
「なるほど」
三つとも失敗ではなかった。
使い方が違う。
それが今日分かった。
杏々は二番目のスープをもう一口飲んでから、鍋を見た。
「これなら、雨の日に一袋だけ出しても食べられる」
「そこは重要だな」
商人が頷いた。
「予定通り宿へ着ける日なら、パンと普通の保存食でもいい。だが遅れたり、野営になったりした時に、湯を沸かすだけで温かいものが食える。その用途なら値段が少し高くても持つ奴はいるかもしれん」
「私持つ」
「お前は試験対象として分かりやすすぎるんだよ」
「美味しい方がいい」
「それは全員そうだ」
「なら売れる?」
「そこから先は値段次第だ」
ここだけは、杏々が美味しいと思うだけでは決まらない。
肉の値段。
香草。
乾燥野菜。
袋。
作る手間。
保存できる期間。
全部を合わせて、旅へ持っていける値段になるかを見なければならない。
杏々も三日前の話で、それは少し分かっていた。
「じゃあ、今日美味しくてもまだ途中」
「そういうことだ」
「長い」
「商品にするならな」
杏々は少しだけ残念そうだったが、器に残ったスープは全部飲んだ。
◆
試食が一段落したところで、杏々は持ってきた袋を机へ出した。
「これ、約束の」
遠征で持ち歩いた香草入りの保存肉二枚と、その条件を書いた紙。
肉屋がまず紙を見る。
「ちゃんと書いてきたのか」
「書けるとこは」
『旅の前に作った』
『香草』
『ずっと鞄』
『雨の日あり』
『昼も夜も鞄』
『宿と外で寝た』
短いが、必要な情報はある。
「十分だ」
食品担当の男が言った。
「作った日も分かる?」
「日記見た。ここ」
杏々が書き足した日付を指す。
肉屋は新しい試作品と古い保存肉を並べ、見た目を比べた。古い方は色が少し濃く、表面も乾いている。
「食べる?」
「いきなりは食わん。まず状態を見る」
「そっか」
「お前はこれ、昨日まで普通に食うつもりだったんだよな?」
「うん」
「強いな……」
「お腹壊してない」
「それと商品にできるかは別だって、もう分かってるだろ」
「分かってる」
今回はちゃんと理解している。
古い方は、今日作った試作品と同じ基準で保存期間を測るためのものではない。杏々が実際の旅でどう扱っていたのかを知るための参考品だ。
食品担当の男は袋の状態も確認した。
「袋自体は?」
「途中で開けた」
「何回くらい?」
「香草のは……三回くらい」
「その度に空気に触れてるわけだな」
「うん」
「そういうのも次の旅で見たいな」
商人が言う。
「同じ袋を何度も開ける場合と、一食分ずつ分けた場合でどれくらい違うか」
「また持ってく?」
「商品候補がそこまで進めば頼みたい」
「食べていい?」
「試験分はな」
「やる」
返事は早かった。
◆
今日作った試作品の一部は、それぞれ三日後、七日後、十日後に開けることになった。
杏々が次に呼ばれるのは三日後。
「三日後も食べる」
「それが仕事だからな」
「いい仕事」
「お前にとってはな」
商人は笑いながら、今日の試食分についても簡単な謝礼を出した。
「これも?」
「時間を取って来てもらってるからな」
「食べてお金もらった」
「そういう言い方をすると急に羨ましく聞こえるな」
杏々は受け取った硬貨を眺め、満足そうにしまった。
「また三日後」
「ああ。ただし、その間に普通の依頼もやれよ」
「やる」
商会を出る頃には、昼をかなり過ぎていた。
杏々はすでに保存肉とスープをかなり食べている。普段なら市場へ寄るところだったが、今日は珍しくそのまま家へ向かった。
「お腹いっぱいじゃないけど、まだいい」
試食なので量そのものは多くない。
それでも味の濃い保存肉を何種類も食べ、スープまで飲んだので、今すぐ別のものを欲しい感じではなかった。
家へ戻ると、棚の味噌と醤油の壺を横目で確認する。こちらはまだ待つ。
最後のローディン産チーズもまだ残っている。
保存食は三日後。
発酵はもっと先。
川鎧魚はいつになるか分からない。
「待つの増えた」
最近、本当にそればかりだった。
ただ、今日は待っていたものの一つが、初めて形になった日でもある。
杏々は日記を開き、
『保存食 最初の試作できた』
『薄い肉 三つ』
『普通 香草 辛い』
『香草おいしい』
『辛いのも好き』
と書いた。
スープについては少し考え、
『真ん中の塩が一番そのまま使いやすい』
『濃いのは豆とか芋入れるならいい』
と残す。
さらに、
『今日の味覚えた』
『三日後また食べる』
と続けた。
杏々は筆を止める。
保存期間を見るということは、今日の味を覚えていなければ意味がない。
そこは得意だった。
人の名前は怪しい。
商会の食品担当の名前も、すでに少し怪しい。
けれど今日食べた三種類の肉と三種類のスープの味は、かなり細かく覚えている。
「大丈夫」
杏々は自信を持って日記を閉じた。
少なくとも、この仕事に必要なものだけは、たぶん忘れなかった。




