それ、どこで売ってる?
翌朝。
杏々が冒険者ギルドへ着いた時には、東へ向かう商隊の荷車がすでに表通りへ並び始めていた。
全部で八台。
布をかけた荷車には、王都から東部へ運ぶ布地や道具、加工品が積まれているらしい。
護衛は杏々を含めて四人。
昨日聞いていた盾役と弓使いのほかに、最後の一人として槍を使う赤ランクの冒険者が加わっていた。
顔合わせと簡単な役割確認を済ませる。
前方。
中央。
後方。
杏々は中央寄りを担当することになった。
「荷車から離れすぎないこと。異常があっても、まず隊列維持を優先する」
商隊側の責任者が念を押す。
杏々は頷いた。
「分かってる」
「何か見つけても?」
「追わない」
「川に魚がいても?」
「……見るだけ」
「昨日ギルドから聞いたぞ」
杏々が受付嬢の方を見る。
受付嬢は視線を逸らした。
◆
出発してしばらくは、王都近郊の見慣れた街道が続いた。
荷車の速度は遅い。
杏々一人ならとっくに先まで歩いている距離を、牛と馬に合わせて進んでいく。
それでも護衛の仕事では、この遅さが普通だった。
周囲を見る。
前を見る。
荷車の車輪を見る。
道端を見る。
たまに後ろも見る。
特に何もない。
「暇」
小さく呟く。
隣を歩いていた盾役が笑った。
「何もない方がいいんだよ」
「分かってる」
「顔が分かってないぞ」
「お昼まだかなって思ってる」
「そっちか」
◆
昼前。
商隊が街道脇の休憩地へ入り、荷車を寄せた。
簡単な昼休みになる。
商隊側から支給されたのは、硬めのパンと塩気の強い干し肉だった。
杏々は受け取る。
見る。
食べられないものではない。
むしろ旅の食事としては普通だ。
「今日はこれか」
干し肉を一口かじる。
硬い。
塩気も強い。
杏々は何度か噛んでから、自分の鞄を開いた。
「出たな」
同じ護衛の槍使いが言った。
「何?」
「朝から気になってたんだよ。その鞄」
「ご飯」
「やっぱりか」
◆
杏々が取り出したのは、自分で作った薄切りの保存肉だった。
今日は香草入り。
商隊の干し肉より薄く、噛み切りやすい。
支給されたパンへ挟む。
そこへ少量の乾燥野菜を水で戻し、さらに少しだけ香草を加えた。
「ずいぶんちゃんとしてるな」
弓使いも見ている。
「自分の」
「毎回そういうの食うのか?」
「同じの続くと飽きる」
「旅でそこ気にする奴、あんまりいないぞ」
「気になる」
杏々はパンを一口食べた。
支給された干し肉も捨てない。
細く裂いて、少しずつ一緒に食べる。
「そっちは食わないのかと思った」
「食べるよ」
「じゃあなんで自分の出したんだ」
「味違うから」
それだけだった。
◆
少し離れたところで食事をしていた商隊の一人が、杏々の手元を見ていた。
三十代くらいの男で、荷の管理を担当しているらしい。
「嬢ちゃん、それ何だ?」
「肉」
「それは見れば分かる」
男が近づいてきた。
「ずいぶん薄いな」
「乾かした肉」
「保存食か?」
「うん」
「自分で作ったのか?」
「うん」
杏々がもう一枚出して食べる。
男はしばらく見ていた。
「……そんなに噛みやすいのか?」
「普通のより」
「何日持つ?」
「ちゃんと乾かして、袋も分けてる。今回くらいなら大丈夫」
「ふうん」
男はそれ以上聞かなかった。
ただ、戻る時にもう一度振り返った。
◆
午後も順調だった。
途中、小さな群れの角兎が街道脇から飛び出してきたが、荷車へ近づく前に逃げていった。
それ以外は何もない。
夕方になると、一行は予定していた宿場へ到着した。
初日は野営ではない。
馬と牛を休ませ、荷車を柵の内側へ入れる。
護衛も順番に食事を取ることになった。
宿で出たのは、麦の粥と野菜の煮込み、それに少量の肉だった。
「普通」
杏々は一口食べる。
悪くない。
ただ、味が優しい。
「辛いの入れたい」
自分の小袋を出す。
乾燥させた辛味をほんの少し。
煮込みへ加える。
「お」
味が締まった。
◆
「また何か出したな」
昼に杏々の保存肉を見ていた商隊の男が、向かいへ座った。
「辛いの」
「調味料まで持ち歩いてるのか?」
「いる」
「いるか?」
「いる」
即答だった。
男は笑う。
「ちょっとだけくれないか?」
「辛いよ」
「分かってる」
杏々はほんの少し渡した。
「それだけ?」
「十分」
男が煮込みへ入れる。
一口。
「……おお」
もう一口。
「これ、結構いいな」
「でしょ」
「でも思ったより辛い」
「入れすぎるとだめ」
「先に言えよ」
「少しって言った」
◆
それを見ていた別の商人も寄ってきた。
「昼の肉も、この辛いのも嬢ちゃんが用意したのか?」
「うん」
「他にもあるのか?」
杏々は少し考える。
「ある」
「見せてくれ」
「食べる?」
「見るだけでいい」
杏々は鞄から、今日使う予定ではないものまで全部出すことはしなかった。
代わりに、小分けしてある袋をいくつか見せる。
「香草の肉。辛い肉。スープ用。魚。芋と豆のやつ。甘いの」
「ずいぶん種類あるな」
「一週間だから」
「全部保存が利くのか?」
「今回の間は」
男が袋を持ち上げる。
「軽いな」
「重いと邪魔」
「なるほど」
◆
杏々は食事を続ける。
商人二人はそのまま袋を見ていた。
「小分けしてあるのもいいな」
「日ごと?」
「だいたい」
「毎回全部開けなくて済むのか」
「うん」
「水気のあるものは?」
「持ってない」
「傷むもんな」
「だから乾いたの多い」
商人の表情が少し変わった。
ただ美味しそうだから見ている顔ではなくなった。
「これ、自分で考えたのか?」
「自分が食べる用」
「いや、そうじゃなくて」
男が袋を指す。
「旅で食いやすいように種類分けしたり、使い方を変えたりしたの」
杏々は首を傾げる。
「食べたいから」
「それでこうなったのか」
「うん」
◆
商人はしばらく黙った。
杏々はその間に煮込みを食べ終えた。
「おかわりあるかな」
「話聞いてる?」
「聞いてる」
「俺たちみたいに長距離を移動する商人ってな、保存食には困ってるんだ」
「持ってるじゃん」
「あるにはある。干し肉、硬いパン、乾燥豆、干した果物。保存だけなら十分だ」
「じゃあいいじゃん」
「毎日それ食うの、飽きるんだよ」
杏々が止まる。
「でしょ?」
「そこだけ急に分かり合うな」
◆
商人は笑った。
「保存できることが一番大事なのは変わらない。でも、何日も同じ味だと嫌になる。だから途中の町で別のもの買ったり、宿で食べたりする」
「うん」
「ただ、野営が続く道もある。そういう時に、こうやって味が違う保存食をいくつか選べたら、悪くない」
杏々は自分の袋を見る。
「普通じゃない?」
「普通じゃないから聞いてるんだよ」
「そうなの?」
「旅慣れした奴でも、ここまで分けて持ってるのは少ない」
盾役が横から笑う。
「杏々は食うことにだけは手間を惜しまないからな」
「だけじゃない」
「じゃあ何に?」
杏々は少し考える。
「寝るのも大事」
「ほらな」
◆
商人は袋の一つを指した。
「この薄い肉、どこで売ってる?」
「売ってない」
「……売ってない?」
「自分で作った」
「じゃあ誰かに頼めば買えるものじゃない?」
「たぶん」
「作り方は?」
「肉屋に聞いて、自分で変えた」
「その肉屋は売ってないのか?」
「普通の保存肉は売ってる」
「嬢ちゃんのこれは?」
「私の」
商人が黙る。
「なるほど」
「何?」
「いや」
少し笑った。
「帰りまでに、もう少し見せてくれ」
「食べたい?」
「それもある」
「じゃあちょっとなら」
「助かる」
◆
夜。
護衛は交代で見張りにつく。
杏々の番は少し遅い時間だった。
宿場の柵の外を歩く。
暗い。
王都よりずっと静かだった。
遠くで虫の音がする。
家畜の寝息。
荷車の軋み。
問題はない。
杏々はゆっくり歩きながら、小さい身体の中で気の流れを確認する。
遠征中なので、本格的な調整はしない。
呼吸。
足裏。
腰。
肩。
少し整えるだけ。
「平気」
身体の感覚も悪くない。
◆
見張りを終えて寝床へ戻る前、昼間の商人がまだ起きていた。
帳簿をつけている。
「寝ないの?」
「これ終わったら寝る」
「大変」
「商売だからな」
「仕事増えるね」
「増やしてるのは自分だ」
「リネットちゃんと同じ」
「誰だ?」
「仕事増える人」
「ひどい分類だな」
◆
杏々は少し考えた。
「昼の肉、売れると思う?」
「いきなりその話するのか」
「聞いてたから」
商人は筆を置いた。
「物としては面白い」
「美味しい?」
「そこも大事だ。ただ、売るなら他にも見ることがある」
「何?」
「値段。材料。作る手間。どれだけ持つか。大量に作れるか。同じ品質で作れるか」
杏々は少し黙った。
「いっぱいある」
「商売だからな」
「面倒」
「だから俺たちがいる」
商人は笑った。
「嬢ちゃんが商人になる必要はない」
「ならない」
「即答だな」
「冒険者だから」
「そこはちゃんと覚えてるんだな」
◆
商人は帳簿へ戻った。
「今はまだ、旅の途中だ。何日か見て、実際にどう食べてるかも見せてくれ」
「うん」
「帰りまで問題なく保存できてたら、王都で少し話を聞くかもしれん」
「お金になる?」
「なるかどうかは、その後だ」
「そっか」
「でも、もし売れるなら」
男が杏々を見る。
「作った奴に何も払わないなんてことはしない」
「それならいい」
「そこは早いな」
「食費になる」
「やっぱりそこか」
◆
杏々は寝床へ戻った。
今日は一日目。
まだ六日くらいある。
食料もたくさん残っている。
甘い焼き菓子は一個食べた。
残り七個。
「予備まだ二個」
計算は崩れていない。
◆
日記を開く。
『一日目』
『何も出なかった』
『昼 香草の肉』
『夜 辛いの入れた』
その下へ、
『商隊の人 保存食いっぱい聞いた』
『売れるかも?』
『まだ分からない』
と書いた。
少し考えてから、
『帰ったら話するかも』
と足す。
最後に、
『甘いの あと七個』
と書いた。
「よし」
そちらの方が大事そうな顔で日記を閉じる。
◆
翌朝。
商隊はさらに東へ進む。
王都から離れるほど、街道の景色も少しずつ変わっていく。
畑が減り始める。
遠くの地面が緩やかに持ち上がり、その向こうには低い山並みが見えていた。
杏々は歩きながらそれを見る。
「山近くなった」
隣を歩く商人が答えた。
「明日の午後には、もっと近くなるぞ」
「羊いる?」
「たぶんな」
「楽しみ」
「護衛の仕事だからな?」
「分かってる」
杏々は前を見る。
知らない土地へ向かう二日目が始まった。




