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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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これは私の


 勇者ではなかったかもしれない昔の召喚者について聞いた翌朝、杏々はいつも通り身体を整えてから家へ戻った。


 今日は本来の身体を少し長めに維持している。


 以前ほど急いで小さく戻る必要を感じなくなってきたこともあるが、それ以上に、昨日買った青背魚が一匹残っていたからだ。


「せっかくだし、今日は少し手をかけようかな」


 杏々は袖をまくった。


 昨日は塩焼きにしたので、今日は違う食べ方にする。


 魚を三枚に下ろし、骨を外す。半分には香草と塩を馴染ませ、残りは野菜と一緒に煮ることにした。


 包丁を動かしながら、棚の二つの壺へ目を向ける。


「醤油ができたら、こういう魚にも使いやすいんだけど」


 まだできない。


 味噌もまだ。


 待っているものばかりだった。


     ◆


 煮込み用の鍋を火へかけ、焼く方の魚を休ませている間に、杏々は昨日の日記を開いた。


『昔の呼ばれた人』

『勇者って書いてない』

『水路変えた』


 そこだけを見ると、ずいぶん重要そうな内容だった。


 そのすぐ下には、


『青背魚 皮おいしい』

『海行きたい』


 と書いてある。


「まあ、どっちも覚えておきたいし」


 杏々にとっては、それで問題なかった。


 日記を閉じたところで、扉が強く叩かれた。


「杏々! いるかい!」


「あ」


 声だけで誰か分かった。


「いますよ」


 大人の声で返すと、扉の向こうで少し間が空いた。


「……杏々?」


「私です」


「入るよ!」


     ◆


 布細工の婆さんが扉を開け、まず杏々を見上げた。


 小さい時とは逆だった。


「本当にあんたかい」


「そうですよ」


「何度見ても慣れないねえ」


「最近はこの姿でいる時間も少し増えてきましたから、そのうち慣れると思います」


「見た目もそうだけど、喋り方まで変わるのが一番ややこしいんだよ」


「考えていること自体は同じなんですけどね」


「それが余計に混乱するんだよ!」


 婆さんはぶつぶつ言いながら部屋へ入り、すぐに床を探した。


「それで、あれは?」


「どれです?」


「細長いやつだよ!」


「ああ。ちくわアザラシなら、そこです」


「名前を聞いても相変わらず分からないねえ!」


     ◆


 ちくわアザラシは、ハンバーガー猫の隣で横たわっていた。


 杏々が普段脚を乗せているため、作ったばかりの頃より少しだけ形が馴染んでいる。


 婆さんはそれを持ち上げると、縫い目や綿の入り方を確認した。


「使ったね?」


「毎日使ってます」


「やっぱり少し潰れたか」


「脚を乗せるために作ったので、このくらい柔らかくなった方が私は使いやすいですよ」


「売り物なら、もう少し戻りやすくした方がよさそうだね」


「これは売らないですからね?」


「分かってるよ」


 婆さんはすぐに返した。


「これはあんたのだ。今日は、使った後にどこが変わるのか確認したかっただけさ」


「それなら大丈夫です」


     ◆


 杏々自身、似た発想の商品が売られることには抵抗がない。


 ハンバーガー猫も、ちくわアザラシも、自分が欲しくて作ったものだ。


 そこから形や構造の考え方を使って、別の商品が生まれること自体は構わない。


 ただし、自分が作ったものをそのまま複製されるのは少し違う。


「私が作ったこれは、私のところに一つあれば十分なんです」


「分かってるって」


「似たものを商品にするのは大丈夫ですけど、そのまま同じものを増やすのは嫌なので」


「妙なところではっきりしてるねえ」


「自分のものなので」


     ◆


 婆さんは持ってきた布包みを開いた。


「それで、試しに一つ作ってきたよ」


 中から出てきたのは、平たいクッションだった。


 灰色を基調にしている。


 形は細長い。


 両端だけ少し色が濃く、中央には簡単な顔がついている。


 ただし、杏々のちくわアザラシそのものではない。


 身体はもっと短い。


 前脚もない。


 顔つきも少し違う。


「かなり簡単にしたんですね」


「そうしないと数が作れないからね」


 婆さんは床へ置いた。


「綿も少なめ。部品も減らした。縫うところも単純にしてある」


 杏々はしゃがんで触った。


「少し硬めですね」


「座布団にもできるようにしたんだよ」


「なるほど。それなら、このくらいの方が潰れにくそうです」


「どうだい?」


 杏々はしばらく形を見た。


「顔が少し整いすぎてる気がします」


「整ってて何が悪いんだい」


「悪くはないです。ただ、もう少し力の抜けた顔の方が、この形には合うと思います」


「変な顔にしろってことかい?」


「変というより、きれいにしすぎない方がかわいいです」


 婆さんの勢いが少し弱くなった。


「……熊の時も、そんなこと言って売れたんだよねえ」


「そうでしたね」


     ◆


 杏々はクッションを持ち上げ、横から見た。


「端はもう少し丸くした方が、抱えた時に当たりが柔らかいと思います。中央は少しだけ細くしてもいいかもしれません」


 婆さんが杏々を見る。


「今のあんたに言われると、妙に説得力あるね」


「小さい時も同じことは考えてますよ」


「言葉にしないじゃないか」


「小さい時は、ここまで説明するのが面倒なので」


「本当に同じなんだねえ……」


 婆さんは布の端へ印をつける。


「端を丸く。真ん中を少し細く。顔は整えすぎない、と」


「あと、座ることも考えるなら、今より少しだけ横幅があった方が安定すると思います」


「抱き枕じゃなかったのかい?」


「抱えても座っても使えるなら、その方が便利じゃないですか?」


「作れるならね」


     ◆


 杏々は自分のちくわアザラシと、婆さんが作った試作品を床へ並べた。


 元になった発想は確かに似ている。


 しかし、こうして横に置けば違いもはっきりしていた。


 自分のちくわアザラシは、細長い胴体に前脚があり、脚を乗せたり抱えたりすることを前提に作ってある。


 一方の試作品は、形も顔も簡略化され、座布団としても使えるよう構造そのものが変えられている。


 自分が作ったものをそのまま複製したというより、特徴を一部だけ借りて別の用途へ作り直したものに見えた。


「これなら大丈夫です」


「最初からそうするって言っただろ」


「実際に並べて確認しておきたかったので」


「妙なところでは慎重だねえ」


「後から違うって言う方が面倒でしょう?」


「それはまあ、そうだけどね」


     ◆


 婆さんは試作品を包み直した。


「直したら、店に一つだけ置いてみる」


「まず一つなんですね」


「一つだよ。熊だって最初は五つだったんだ。何でもかんでも大量に作れるほど暇じゃないよ」


「売れたら増やすんですか?」


「様子を見てね」


「私にもお金入ります?」


「売れたら、熊と同じように案を使った分は払うよ」


「それなら嬉しいです」


「その辺は素直だね」


「食費になりますから」


「結局そこかい」


     ◆


 杏々は少し考えてから聞いた。


「でも、実際に商品を作るのはお婆さんですよね?」


「そうだよ」


「材料も縫う時間もそっちが出す」


「当然だね」


「なら、私がもらうのは案の分だけでいいです」


「最初からそのつもりだよ」


「熊の時と同じですね」


「ようやく繋がったかい」


「熊は熊で覚えてたので」


「金の仕組みまで熊ごとに分けるんじゃないよ!」


     ◆


 そこで鍋から匂いが立った。


 婆さんが鼻を動かす。


「……何作ってるんだい?」


「魚の煮込みです」


「海の魚かい?」


「青背魚です。昨日は焼いたので、今日は煮たらどうなるか試してみようと思って」


「ずいぶんいい匂いじゃないか」


「食べます?」


「いいのかい?」


「感想をもらえるなら助かります」


「最近あんた、料理もやたら本格的になってないか?」


 杏々は鍋の蓋を開けながら答えた。


「前から自分で食べる分は作ってましたよ。ただ、この身体の方が複数の作業を同時に進めやすいので、最近は身体調整の後にまとめて仕込むことが増えました」


「なるほどねえ」


「頭も整理しやすいですし」


「それで魚煮ながらクッションの商品相談までしてるのかい」


「別々にやるより早いでしょう?」


「そういうところだけ妙に合理的だね」


     ◆


 煮込みを二人分よそった。


 青背魚の身は火を入れても柔らかく、野菜には魚の旨味が染みている。


 お婆さんが一口食べた。


「うまいじゃないか」


「よかった」


「これ、料理屋に持ってったら売れそうだね」


 杏々は一瞬だけ鍋を見る。


「これは自分で食べますよ」


「料理そのものを持ってけって話じゃないよ!」


「ああ、料理の案ですか」


「今日ずっと『私の』って話してたせいで、警戒しすぎじゃないかい?」


「少し引っ張られました」


     ◆


 食べながら、杏々は棚の二つの壺を見た。


「これに醤油ができたら、もう少し違う味にできると思うんですけど」


「ショーユ?」


「豆を使って試してる調味料です」


「また何か作ってるのかい」


「まだ完成してません。もう一つ、味噌もあります」


「いつできる?」


「正確には分からないです。結構待たないといけないらしくて」


「味は?」


「元の世界で食べていたものは美味しかったですよ。ただ、こっちの材料で近いものになるかは、開けてみないと分かりません」


「よくそんな状態で仕込んだね」


「食べたいものがあるなら、試してみた方がいいでしょう?」


「結局そこなんだね」


「そこは大事です」


     ◆


 婆さんは壺を遠くから眺めた。


「出来上がったら持ってきな」


「食べてみたいんですか?」


「そうだよ」


「いいですよ」


「妙な味になってたら嫌だからね?」


「私も嫌ですよ。それなら作り直します」


「そりゃそうか」


 杏々は煮込みをもう一杯よそった。


     ◆


 食事を終える頃には、杏々の腹もだいぶ落ち着いていた。


 お婆さんは帰る前、もう一度ちくわアザラシを確認する。


「これは持ってかないから安心しな」


「はい」


「試作品を直したらまた見せるよ」


「お願いします。実際に使った方が分かりやすいので、持ってきてもらえれば座ったり抱えたりして確認します」


「今度は小さい時に来ようかね」


「どちらでも考えてることは同じですよ」


「説明の量が全然違うんだよ!」


 杏々は少し笑った。


「それは違いますね」


     ◆


 お婆さんが帰ると、杏々はまだ本来の身体のまま部屋を片づけた。


 食器を洗う。


 残った煮込みを夕食用に取り分ける。


 調理台を拭く。


 保存食の状態も確認する。


 それでも以前ほど、「そろそろ小さく戻らないと消耗する」という感覚は強くなかった。


「今日もまだ余裕あるな」


 腕を軽く回し、呼吸を確かめる。


 重さはない。


 息も乱れていない。


 腹は減っているが、先ほど食べた分で十分収まっている。


「やっぱり、前より無駄が減ってるのかも」


 まだ断定はしない。


 ただ、最近同じ感覚が何度か続いている。


 それを確認してから、杏々は身体を圧縮した。


     ◆


 いつもの小さな姿へ戻る。


 視線が下がり、部屋が広くなる。


「終わり」


 急に言葉も短くなる。


 杏々は床へ座り、ハンバーガー猫へ背中を預けると、ちくわアザラシを引き寄せて脚を乗せた。


「これは私の」


 さっき確認したばかりなのに、もう一度言う。


 満足した。


     ◆


 午後、ギルドへ依頼だけ見に行った。


 赤ランクの掲示板を一通り確認したが、川鎧魚はない。


 海方面もない。


「ない」


「今日は何を探してるんです?」


「海か川鎧魚」


「二択になったんですね」


「うん」


 受付嬢が苦笑しながら、新しく届いた依頼書の束を整理する。


「沿岸までは行きませんけど、明日貼る予定の依頼に少し長めのものがありますよ」


 杏々が反応した。


「どこ?」


「東へ三日ほど進んだ地方都市までの商隊護衛です」


「三日?」


「片道です」


「長い」


「往復と滞在を含めれば、一週間前後でしょうね」


 杏々の表情が変わる。


「赤?」


「赤ランク以上を複数名。まだ条件確認中です」


「ご飯何日分いる?」


「そこからですか」


「大事」


     ◆


 受付嬢は依頼書を軽く持ち上げた。


「正式に出せる状態になったら、明日の朝には貼ります」


「海近い?」


「王都よりは近づきますが、海まではまだありますよ」


「そっか」


「でも、今後沿岸方面の仕事へ行きたいなら、これくらいの日程に慣れておくのはいいかもしれませんね」


 杏々は掲示板を見る。


 一週間。


 今までより長い。


 保存食ももっと必要になる。


「やるかも」


「まだ貼ってませんからね」


「明日見る」


「はい」


     ◆


 家へ戻ると、杏々は早速棚を確認した。


 保存肉。


 魚。


 芋と豆の携行食。


 乾燥野菜。


 香草。


 辛味。


「一週間」


 足りるか考える。


 支給食もあるだろう。


 全部自分で用意する必要はない。


 それでも、同じものばかり食べるのは嫌だった。


「もうちょっといる」


 まだ依頼を受けるとも決めていないのに、準備だけは始めることにした。


     ◆


 夜、日記には、


『ちくわアザラシの平たいの 試す』

『私のは売らない』

『売れたらお金少し入る』


 と書いた。


 その下へ、


『大きい身体 今日も前より楽』

『前ほど急いで戻らなくていいかも』


 さらに、


『明日 一週間くらいの仕事出るかも』

『海にはまだ着かない』


 と続ける。


 杏々は最後の一行を見て、少し残念そうにした。


「まだ海じゃない」


 それでも、歩ける距離は少しずつ伸びている。


 王都の中。


 近郊。


 一泊。


 三泊四日。


 そして次は、一週間。


「そのうち海」


 杏々は日記を閉じた。


 ちくわアザラシへ脚を乗せる。


 ハンバーガー猫へ沈み込む。


 遠くへ歩く準備をしながら、家の中は少しずつ杏々のもので埋まっていった。


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