↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/105

ここにする


 翌日の午後、杏々はもう一度、西市場近くの長屋を訪れていた。


 今度はリネットも一緒ではない。


 場所を書いてもらった紙は持っているものの、途中からほとんど見なかった。西市場へ近づくにつれて人通りが増え、焼いた魚と肉、それにパンの匂いが混じり始めたからだ。


「こっち」


 杏々は迷わず角を曲がる。


 魚を焼く屋台。


 その向かいに干した香草を売る店。


 少し先には土玉芋や葉野菜を積んだ露店がある。


 そこを抜けた先が、昨日見た長屋だった。


「分かった」


 昨日、受付嬢から住所で覚えろと言われたばかりだが、杏々にとってはこちらの方が分かりやすかった。


     ◆


「また来たね」


 扉を叩くと、昨日案内してくれた家主が出てきた。


「もう一回見る」


「構わないよ。まだ他には決まってないからね」


「うん」


 杏々は昨日と同じ部屋へ入った。


 一度見ているので、今度は入口から順番に眺めるのではなく、気になっていた場所を確認していく。


 まず寝台。


 次に収納。


 それから調理場。


「火、ここ?」


「そうだよ」


「鍋置ける?」


「置ける」


「大きい鍋も?」


「何人分作る気だい?」


「私の」


「……なら普通の鍋じゃ足りないのかもしれないねえ」


 家主は杏々の小さな身体を見て首を傾げた。


「よく食べるのかい?」


「いっぱい」


「見えないねえ」


「よく言われる」


     ◆


 調理場の横には、壁に作り付けられた小さな棚がある。


 杏々は扉を開けた。


「ここ何入れる?」


「食器でも、乾物でも。好きに使いな」


「お米みたいなの入る?」


「袋なら下に置いた方がいいね。鼠除けの箱を置く人もいるよ」


「肉は?」


「生のまま置いちゃ駄目だよ」


「知ってる」


「ならよし」


 次に、寝台と反対側の壁際を見る。


 昨日、剣や旅道具を置けそうだと思った場所だ。


「ここ、物置いていい?」


「部屋の中なんだから好きにしな」


「剣」


「倒れないようにしてくれればね」


「分かった」


「冒険者なんだろ?」


「黄」


「色で言われても私は詳しくないけど、仕事はちゃんとしてるんだね?」


「毎日してる」


「なら家賃さえ遅れなきゃ文句はないよ」


     ◆


 杏々は部屋の中央へ戻ると、一度目を閉じた。


 普段の身体なら十分に広い。


 本来の身体に戻った場合はどうか。


 昨日も頭の中では考えたが、もう少し正確に見ておきたかった。


「ちょっといい?」


「何がだい?」


「大きくなる」


「……何?」


 家主が聞き返した時には、杏々はすでに身体の圧縮を緩めていた。


 小さく丸かった身体が、本来の成人した姿へ戻っていく。


 背が伸び、手足の長さも変わり、身体つきそのものが一気に大人の女性へ戻る。


 家主は口を開けたまま固まった。


「……あんた」


「これが元なんです」


「元?」


「普段は小さくしてます」


「そういうことできるのかい?」


「できます」


 成人状態の杏々は、部屋の中央へ立つと腕を広げた。


「この状態でも、ここなら十分動けますね」


「いや、ちょっと待ちな」


「はい?」


「今の、魔法かい?」


「違いますよ。身体を小さくしているだけです」


「それを普通はできないって言うんだよ」


「まぁ、そうですね」


「そうだよ!」


     ◆


 驚いている家主をよそに、杏々は部屋の確認を続けた。


 寝台へ腰を下ろす。


「少し短いですね」


「さっきは寝られるって言ってなかったかい?」


「小さい方なら余ります。本来の身体だと、少し足を曲げれば大丈夫です」


「……あんた、ずっとその身体じゃないんだね?」


「普段は小さい方です。そちらの方が燃費がいいので」


「燃費?」


「食べる量が少なくて済みます」


 家主はしばらく杏々を見て、それから妙に納得したように頷いた。


「いっぱい食べるって、そっちの話かい」


「小さい時もいっぱい食べますよ」


「余計分からなくなったよ」


 杏々は立ち上がり、調理場の前にも立った。


「ここも大丈夫そうです」


「大きい方だと少し低くないかい?」


「少し低いですけど、使えます。普段は小さいので、むしろ高いくらいですね」


「面倒な身体してるねえ」


「よく言われます」


     ◆


 確認が終わると、杏々は再び身体を圧縮した。


 成人の姿から、いつもの小さな身体へ戻る。


 家主はそれを今度は最初から最後まで見ていた。


「……本当に小さくなったね」


「戻した」


「どっちが戻ったんだい?」


「今は小さくした方」


「ややこしいねえ」


「うん」


 杏々自身も説明するのが面倒になったのか、それ以上は話さなかった。


「で」


 家主が腰へ手を当てる。


「今日は本当に部屋を見るだけかい?」


 杏々は部屋をもう一度見回した。


 市場は近い。


 ギルドにも通える。


 料理ができる。


 魚も肉も焼ける。


 剣を置く場所もある。


 本来の身体でも問題なく動ける。


「ここにする」


「決めるのかい?」


「うん」


「分かった。じゃあ契約の話をしようか」


     ◆


 契約書は、当然ながら杏々一人ではすべて読めなかった。


 数字は分かる。


 家賃も、保証金も分かる。


 ただ、細かい条件になるとまだ難しい。


「長い」


「契約ってのは長いもんだよ」


「読めないところある」


「じゃあ誰か呼ぶかい?」


「リネットちゃん」


「知り合いかい?」


「研究の人」


「冒険者じゃないんだね」


「森の人でもない」


「何の話だい?」


 杏々は答えず、魔術院へ使いを出してもらうことにした。


 幸いリネットはその日の研究を終えかけており、それほど待たずにやってきた。


「本当に決めたんですね」


「うん」


「一人でもう一度見るだけじゃなかったんですか?」


「見て、よかったから」


「それならいいですけど」


 リネットは契約書を受け取り、最初から確認した。


     ◆


「家賃は昨日聞いた通りですね。保証金も同じ。退去する時に大きな破損がなければ、一部は返ってきます」


「返ってくる?」


「はい」


「全部?」


「修繕が必要ならその分は引かれます」


「壊さなければいい?」


「基本的には」


 家主が横から言う。


「壁に穴開けたり、床割ったりしなきゃ大丈夫だよ」


 リネットが杏々を見る。


「戦闘訓練は外でしてくださいね」


「しないよ」


「成人状態で動くだけでも少し心配なんですけど」


「そんなに暴れない」


「普通の人ならその言葉を信用するんですけどね」


 杏々は少し不満そうだった。


     ◆


「それから、家賃は毎月この日までに」


「分かる」


「遅れると?」


「困る」


「そうですけど、契約上は追加で――」


 リネットが説明を続ける。


 杏々は真面目に聞いていた。


 全部を一度に覚えるのは難しいが、家賃を払う日付だけは帳面へ大きく書いた。


「そこだけ大きいですね」


「忘れたら家なくなる?」


「すぐにはなくなりませんけど、忘れないでください」


「じゃあ大きく書く」


「それは正しいです」


 杏々はさらに、その横へ市場へ行く日とでも思ったのか、小さく印をつけた。


「何です、それ」


「家のお金の日」


「分かりやすいならいいです」


     ◆


 問題は、最初に払う金だった。


 家賃の前払い分。


 保証金。


 そして契約のために必要な最低限の費用。


 杏々は帳面を開いて、自分の所持金と比べる。


「払える」


「そうですね」


「でも減る」


「かなり減ります」


 リネットも横から計算する。


 これだけなら問題はない。


 ただし、数日中には注文した剣も完成する予定だった。


「剣のお金、これ」


 杏々が別の数字を指す。


「そこを引くと……」


 リネットが少し考える。


「生活できなくなるほどではありません。でも余裕はかなり小さくなりますね」


「ご飯のお金は?」


「残してますよ」


「ならいい」


「杏々さんの場合、それを残さない計算はありえませんけど」


「大事だから」


「知ってます」


     ◆


 家主は二人のやり取りを聞きながら、少し笑った。


「冒険者なら仕事あるんだろ?」


「ある」


「だったら働きゃいいさ。毎月きちんと払ってくれれば、こっちはそれでいい」


「働く」


「無理しすぎるんじゃないよ」


「大丈夫」


 杏々はそう答えてから、契約書の最後にある名前を書く欄を見た。


「ここ?」


「はい」


 リネットが頷く。


「自分の名前を書いてください」


 杏々は少し時間をかけて、この世界の文字で自分の名前を書いた。


 まだ慣れた日本語ほど綺麗ではない。


 それでも、読める形にはなっている。


 書き終えた杏々が顔を上げる。


「できた」


 リネットがその文字を見る。


「ちゃんと書けてます」


「褒めた?」


「……褒めました」


「一回」


「こういう時でも数えるんですね」


「うん」


     ◆


 契約が終わると、家主から鍵を渡された。


「今すぐ住み始めてもいいけど、支援期間が残ってるなら、荷物は少しずつ運べばいいよ」


 杏々は手のひらに乗った鍵を見る。


「これ私の?」


「部屋の鍵だよ」


「なくしたら?」


「困るね」


「もう一個ある?」


「私のところには予備がある。ただ、なくさないでおくれよ」


「分かった」


 杏々は鍵を握る。


 これまで城の部屋に鍵がなかったわけではない。


 けれど、意味は少し違った。


 これは王宮から一時的に与えられた部屋ではない。


 自分で選んで、自分で金を払って借りた部屋の鍵だった。


 杏々はもう一度、部屋を見る。


「ここ、私の家?」


「借りてる間はね」


「お」


 少しだけ嬉しそうな声だった。


     ◆


「何から運びます?」


 帰り道、リネットが尋ねた。


「服」


「それほど多くないですよね」


「うん」


「日記と、冒険者用品。それから……」


「食べ物」


「城から勝手に持っていかないでくださいね」


「私のあるよ」


「ならいいです」


「あと熊いない」


「フィアさんのですからね」


「うん」


「家具はどうします? 寝台はありますけど、机がありませんよ」


「床で書ける」


「腰痛くなりますよ」


「小さいから平気」


「成人状態では?」


「その時考える」


「絶対後回しにする人の言い方ですね」


 杏々は気にしていなかった。


     ◆


 二人は西市場を通って帰った。


 途中で杏々が突然足を止める。


「これ」


「今度は何です?」


「さっきの家の近く」


 杏々が指したのは、魚を焼いている屋台だった。


「昨日も見ましたよね」


「うん」


「食べるんですか?」


「家決まったから」


「お祝いですか?」


 杏々は少し考えた。


「たぶん」


「そこはたぶんなんですね」


 焼いた魚を二本買い、一つをリネットへ渡す。


「え、私も?」


「手伝った」


「契約書を読んだだけですよ」


「大事だった」


 リネットは少し笑った。


「じゃあ、いただきます」


 二人で市場の端に立ち、焼きたての魚を食べた。


 皮はぱりっと焼けていて、中の白身には塩がよく効いている。


 杏々は骨の間の身まで綺麗に食べた。


「ここ近い」


「もう店の場所まで覚えたんですね」


「うん」


「部屋の住所は?」


 杏々が止まる。


「魚の店から、二本目曲がる」


「住所で覚えてください」


「行けるよ」


「そういう問題じゃないんです!」


     ◆


 その日の夕方、杏々は城へ戻る前にギルドへ寄った。


 翌日の依頼を確認するためだったが、受付嬢が杏々を見るなり声をかけてきた。


「あ、杏々さん。ちょうどよかったです」


「なに?」


「武器屋から伝言が来てます」


 杏々の動きが止まった。


「剣?」


「はい」


「できた?」


「完成したそうです。明日以降、都合のいい時に確認に来てほしいとのことですよ」


 杏々の顔がぱっと明るくなる。


「できた」


「よかったですね」


「うん」


「楽しみにしてましたもんね」


「明日行く」


「依頼は?」


 杏々は少し考えた。


「剣取ってから仕事」


「そのまま使う気ですか?」


「使えるか見たい」


「まず店で確認してくださいね」


「うん」


     ◆


 その夜。


 杏々は日記を開いた。


 まず今日の仕事と報酬を書く。


 次に、家へ払った金。


 新しく覚えた文字で、


『家』


 と書いた。


 その横に、


『西市場 魚の近く』


 と書き足す。


 さらに家賃を払う日付を、もう一度大きく書いた。


 少し下には、


『剣 できた』


 と書く。


 そして最後に、日本語で、


『家きまった』

『魚ぱりぱりだった』

『塩ちょうどいい』

『骨のとこもおいしい』


 と続けた。


 家を決めたことより、やはり魚についての方が詳しかった。


 杏々は帳面を閉じると、今日受け取った鍵を机の上へ置いた。


 明日は剣を受け取る。


 そのうち、城から荷物も運ぶ。


 来月からではなく、もう少し早く新しい部屋で暮らし始めてもいいかもしれない。


 杏々は鍵を指先でつまみ上げ、もう一度眺めた。


「家」


 小さく呟いてから、今度こそ大事に袋へしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。