ランク上がった
翌朝、杏々が冒険者ギルドへ入ると、妙に視線を感じた。右を見ると冒険者がこちらを見ていて、目が合うとさっと逸らされる。左を見ると、酒場で朝食を食べていた男たちが何か小声で話していた。
「昨日の……」
「本当にあの子?」
「セリアが言ってたぞ」
「森爪熊の突進を素手で……」
杏々は少し考えてから、ぽつりと言った。
「なんか見られてる」
「そりゃ見るだろ」
「あ」
声をかけてきたのはセリアだった。
「おはよ」
「おう。昨日ぶり」
「怪我ない?」
「私はな。盾持ってた腕はちょっと痛いけど」
「そっか」
「それより、自分の心配をしろよ」
「ないよ?」
「知ってる。それがおかしいんだよ」
セリアは呆れた顔をした。
「昨日一緒にいた連中、帰ってからずっとお前の話をしてたぞ」
「なんで?」
「森爪熊の突進を逸らす新人なんて、普通いねえからだよ」
「避けただけ」
「その説明は昨日聞いた!」
杏々が首を傾げると、セリアはため息をついた。
「まあいい。ガルドが待ってるぞ」
「ランク?」
「たぶんな」
杏々の顔が少し明るくなる。
「上がる?」
「まだ決まってないって言われてるんだろ?」
「今日決まる」
「そうだけど……」
「赤角牛近づく」
「お前、本当にぶれないな」
◆
ギルドの奥にある、普段は職員が打ち合わせに使っている小さな部屋へ杏々は通された。中にはガルドといつもの受付嬢、それから見覚えのない年配の男性が一人いた。
「おはよ」
「来たか」
「うん」
杏々は空いている椅子を見た。
「座る?」
「そのための椅子だ」
「そっか」
杏々が椅子に座ると、足が床に届かず、ぷらぷらと揺れた。年配の男性は、そんな杏々をしばらく見つめてから口を開いた。
「……この子か」
「はい」
受付嬢が答え、机の上に置かれた書類を示す。
「登録から現在までの記録はこちらです」
「誰?」
杏々が尋ねると、ガルドが答えた。
「ギルドの王都支部で、冒険者の昇格審査を担当してる人だ」
「偉い人?」
「まあ、俺よりは偉い」
「ガルドさん偉くない?」
「お前な」
年配の男性が少し笑った。
「私は昇格審査を担当している。それだけ分かっていればいい」
「分かった」
「名前は?」
「……覚えなくていい」
「助かる」
「本人の前で言うな!」
ガルドが頭を抱えた。
◆
「さて」
審査担当の男が書類を開いた。
「杏々。登録からまだ日が浅いな」
「うん」
「それにもかかわらず、昇格審査を行うことになった」
「ランク上がる?」
「審査だ」
「まだ?」
「まだだ」
「そっか」
「話を聞け」
「うん」
男は最初の記録に目を落とした。
「初回。薬草採取。規定十株に対して十五株。品質良好。採取区域違反なし」
「取った」
「翌日、赤露実採取。二十五個。こちらも品質に問題なし」
「お菓子おいしかった」
「そこは記録にない」
「ジャムも買った」
「それも関係ない」
「そっか」
「次」
男が書類をめくる。
「食堂への運搬補助。問題なし」
「川鎧魚食べた」
「市場倉庫での商品仕分け及び状態確認」
「月蜜果食べた」
「北西牧草地での緊急移送支援」
「牛食べた」
「……全部食事と結びついているな」
「うん」
「そこは自信を持つところじゃない」
受付嬢が横で口元を押さえていた。
「そして」
男の声が少し変わる。
「北の森における大型魔物の痕跡発見」
「うん」
「追跡せず帰還し、報告」
「行っちゃダメって言われてたから」
「森爪熊との最初の遭遇時も、接触を避けて後退」
「うん」
「緊急救助時は、ギルドの許可を得た上で現場へ向かい、現場指揮者の指示に従った」
「セリア」
「そうだ」
「名前覚えてる」
「そこに驚くな」
セリアのことは、さすがに覚えたらしい。審査担当は最後の報告書を手に取った。
「森爪熊の成獣を殺傷せず足止めし、幼獣解放及び負傷者救助の時間を確保した」
「止めた」
「ここだけ読むと、到底最低ランクの冒険者の実績とは思えんな」
ガルドが腕を組む。
「身体能力だけなら、もっと上でもおかしくねえ」
「うん」
「自分で頷くな」
「ほんとなんでしょ?」
「……そうだけどよ」
◆
「だが」
審査担当の男が続けた。
「冒険者のランクは、戦闘能力だけでは決まらない」
杏々が男を見る。
「依頼内容を理解できるか」
「うん」
「危険を判断できるか」
「うん」
「自分が知らないものを、知らないと認識できるか」
「…………」
「そこは少し怪しいな」
ガルドが言った。
「知らないよ?」
「何が?」
「魔物」
「それは知ってる」
「文字も」
「知ってる」
「地図もちょっと」
「それも知ってる」
「いっぱい知らない」
「……自覚はあるんだな」
杏々は頷いた。
「リネットちゃんに聞く」
「それだ」
審査担当が言った。
「分からないことを聞く。指示を守る。無理な依頼を勝手に受けない。危険を発見すれば報告する」
登録したばかりの頃、杏々に最も足りていないと思われていたものは、この世界の常識と冒険者としての判断だった。それらはまだ十分とは言えない。だが、少なくとも自分の強さを理由に勝手な行動をするタイプではないらしい。
「ダメって言われたら行かないよ」
「『たぶん』が付かなければ、もっと信用できるんですが」
受付嬢が言った。
「最近つけてないよ」
「確かに減りましたね」
「えらい?」
「えらいです」
「また言われた」
「だから最初どれだけ心配されてたんだよ」
ガルドが呆れた。
◆
「問題は」
審査担当が一枚の紙を出した。
「どこまで上げるかだ」
「いっぱい」
「希望は聞いていない」
「赤角牛受けれるところ」
「無理だ」
「えー」
「即答だな」
「当たり前だ」
ガルドが言う。
「お前の戦闘能力がどれだけあろうが、赤角牛の依頼は単純に殴り合えば終わりじゃねえ」
「火使うんだよね」
「覚えてたか」
「うん」
「大型魔物だ。魔法も使う。依頼場所も王都近郊だけとは限らねえ。討伐したあと、素材の処理や帰還経路まで考える必要がある」
「お肉も運ぶ」
「そこだけじゃねえ」
「でも大事」
「まあ大事だけどよ」
審査担当が続けた。
「結論から言えば、飛び級は認めない」
「飛ばない?」
「通常通り、一段階だけ昇格させる」
杏々は少し考えてから尋ねた。
「上がる?」
「ああ」
「ほんと?」
「正式決定だ」
杏々の顔がぱっと明るくなる。
「やった」
椅子から降りる。
「赤角牛は?」
「まだだ」
「川鎧魚」
「まだ単独では無理です」
「えー」
「昇格したばかりですよ!」
受付嬢が思わず声を上げた。
◆
杏々の冒険者証が机へ置かれ、受付嬢が専用の道具を使って表面の登録情報を書き換えた。
「これで、正式に一つ上のランクです」
「見せて」
杏々が受け取って眺める。
「…………」
「どこ?」
「ここです」
「読めない」
「そうでした」
「前と違う?」
「違います」
「ほんと?」
「疑わないでください」
受付嬢は紙を出し、杏々にも分かるように印を書いた。
「昨日までがこちらで、今日からはこちらです」
「おー」
「覚えておいてくださいね」
「うん」
「自分のランクくらいは読めるようになりましょう」
「リネットちゃんに教えてもらう」
「ぜひそうしてください」
杏々は新しくなった冒険者証を何度も見た。
「上がった」
「嬉しそうですね」
「うん」
「赤角牛まで近づきましたからね」
「うん」
理由が分かりやすかった。
◆
杏々は冒険者証を首へ戻し、ガルドに尋ねた。
「何できるようになった?」
ガルドが答える。
「まず受けられる採取依頼の範囲が広がる。街道沿いの護衛補助も受けられるし、危険度の低い区域なら単独での行動制限も少し緩くなる」
「おー」
「それから、低危険度の魔物討伐依頼だ」
「魔物」
「ああ」
杏々の目が輝いた。
「食べれる?」
「種類による!」
「角兎は?」
「受けられる」
「ほんと?」
「ああ」
「森猪は?」
「依頼内容次第だ」
「牙鼠」
「そいつもいける」
「川鎧魚」
「だからまだ早い!」
「硬いから?」
「それもある」
杏々は考えた。
「じゃあ剣いるかな」
ガルドが杏々を見る。
「剣?」
「川鎧魚、殴ったら手痛いって言ってた」
「……受付でそんな話をしてたな」
「硬い魔物、これからいるんでしょ?」
「ああ」
「殴るより剣の方が楽そう」
ガルドの表情が少し変わった。
「お前、剣使えるんだったな」
「使えるよ」
「訓練用の木剣は重いって文句を言ってたけどな」
「重かった」
「普通はあれくらいだ」
「もっと細いのがいい」
「どのくらい?」
杏々が手で示す。
「細くて、軽くて、こう……」
片手を動かす。
「先までちゃんと動くやつ」
「刺突剣か?」
「ちょっと違う」
「曲刀?」
「違う」
「じゃあ何だ」
「名前分かんない」
「使ってたんだろ!?」
「向こうでは分かった」
「こっちにはない形か……?」
ガルドが腕を組む。
「まあ、武器を持つのは悪くない」
「買える?」
「安い初心者用ならな」
「お金ある」
「お前、ちゃんと残してんのか?」
「あるよ」
「食い物に全部使ってると思ってた」
「まだある」
「いくら?」
「…………」
「分からねえのか」
「数えてない」
「一回数えろ!」
◆
審査が終わり、杏々が部屋を出ようとしたところで、ガルドが呼び止めた。
「待て」
「なに?」
「昇格には条件が一つある」
「条件?」
「しばらく討伐依頼は、できるだけ他の冒険者と組め」
「一人ダメ?」
「禁止ではない」
ガルドは続けた。
「でも、お前は魔物の知識が足りなさすぎる。強さでどうにかできるからって、毒持ちを素手で殴ったら終わりだ」
「毒あるの?」
「いる」
「食べれない?」
「まずそこから離れろ」
「でも毒抜いたら食べれるのもある?」
「あるけど!」
「じゃあ覚える」
「食い物に繋げると本当に早いな!」
ガルドはため息をついた。
「とにかく、魔物を見て、種類、危険性、癖、討伐後の処理まで判断できるようになれ」
「分かった」
「冒険者は、倒せるだけじゃ足りねえ」
「うん」
「生きて帰るところまでが仕事だ」
「ご飯食べるまで?」
「……お前の場合は、それで覚えとけ」
「分かった」
◆
部屋を出ると、リネットが待っていた。
「どうでした?」
「上がった」
「本当ですか?」
「うん」
杏々が冒険者証を見せると、リネットは顔を輝かせた。
「おめでとうございます!」
「やった」
「登録してからかなり早いですよ」
「熊止めたから?」
「それだけではないと思いますよ」
リネットは冒険者証を見る。
「これまでのお仕事も、全部きちんと達成していましたから」
「薬草」
「はい」
「赤露実」
「はい」
「荷物」
「はい」
「牛」
「牛?」
「守った」
「ああ、牧草地ですね」
「熊」
「それは仕事というより緊急救助ですが……」
「いっぱいやった」
「そうですね」
リネットは笑った。
「ちゃんと冒険者になってきましたね」
「最初から冒険者だよ」
「登録上はそうでしたけど」
「今もそう」
「……はいはい」
杏々は冒険者証を見た。
「リネットちゃん」
「なんです?」
「これ読めるようにして」
「ランク表記ですか?」
「うん」
「もちろんです」
「あと」
「?」
「剣買う」
「剣?」
リネットの表情が固まった。
「どうして急に!?」
「硬いやつ殴ったら手痛そうだから」
「そういう理由ですか!?」
「ガルドさんもいいって」
「ガルドさんが!?」
リネットは審査室の扉を見る。
「ちょっと話を聞いてきます」
「なんで?」
「杏々さんに刃物を持たせると聞いて、何も確認せず帰れると思います!?」
「使えるよ」
「知っています! だから心配なんです!」
◆
その頃、ギルドの別室では森爪熊についての話し合いが続いていた。
「親子は森へ戻った」
ガルドが地図を見る。
「だが、餌がない以上、また人里へ来る」
「今度はどうします?」
受付嬢が尋ねる。
「当面は監視を続ける」
「討伐は?」
「保留だ」
「またですか?」
「ああ」
ガルドは少し考えた。
「ギルドの解体所に、売り物にならん低級魔物の端材が出るだろ」
「骨周りや内臓ですか?」
「食える部分で、人間用の商品にならんやつだ」
「それを?」
「森の旧生息域近くへ置いてみる」
「餌付けですか?」
「常態化はさせねえ」
ガルドが首を振る。
「親子を人里から離すための緊急措置だ。餌場を覚えさせるなら、街じゃなく森の奥にする」
「なるほど」
「その間に原因を調べる」
森の魔力低下と小型魔物の減少が解決しない限り、森爪熊を殺しても同じことが繰り返されるかもしれない。
「……あの嬢ちゃんじゃねえが」
ガルドが呟いた。
「腹が減ってるなら、ひとまず飯を置くしかねえか」
◆
夕方、杏々はリネットと一緒に、王都の武器屋が並ぶ通りを歩いていた。
「見るだけですよ」
「買うよ」
「まず見るんです!」
「お金ある」
「予算の確認が先です!」
「いっぱいあるよ」
「『いっぱい』では分かりません!」
杏々は小さな革袋を出した。中で硬貨がじゃらりと鳴る。
「ほら」
「……結構ありますね」
「いっぱい働いたから」
「食べ物に使っているわりには残っていましたね」
「王城でもご飯出るし」
「ああ……」
今のところ宿泊費と基本的な食事は王国側の暫定支援があり、その上で毎日の依頼報酬が入っているのだから、確かに少しずつ貯まっていた。
「剣買える?」
「初心者用なら買えると思いますけど……」
「じゃあ行こ」
「待ってください」
「?」
リネットは杏々を見る。
「本当に剣が必要なんですか?」
「うん」
「拳の方が強いですよね?」
「たぶん」
「じゃあ何で?」
杏々は少し考えた。
「手、怪我したらご飯食べにくい」
「…………」
「お箸持てない」
「この国ではお箸、ほとんど使いませんけど」
「スプーンも」
「……それは困りますね」
「でしょ?」
「納得させられたのが悔しいです」
二人の前に、一軒の武器屋が見えてきた。看板には剣と盾の絵が描かれている。
「ここ?」
「初心者向けの武器も扱っているお店だそうです」
杏々が扉を開けると、からん、と鈴が鳴った。店内の壁一面には、剣や槍、斧、弓など、様々な武器が並んでいる。
「おー」
杏々の目が動く。
「いっぱい」
そして、一本の細身の剣へ手を伸ばした。
「これ」
「触る前に店員さんへ聞いてください!」
「あ」
杏々は手を引っ込めた。
「えらい?」
「それは普通です!」
店の奥から、鍛冶師らしい男が顔を出した。
「なんだ、嬢ちゃん。剣が欲しいのか?」
「うん」
「初めてか?」
「こっちでは」
「……こっち?」
「気にしないでください」
リネットが即座に答えた。
杏々は壁の剣を見る。太くて重そうなものや、長いものが多い。
「…………」
「気に入らねえか?」
「もっと細いのない?」
「細い?」
「軽くて」
杏々が手を動かす。
「先までちゃんと動くやつ」
「……なるほど」
男が杏々を見る。
「嬢ちゃん、一回、握ってみるか?」
「いいの?」
「ああ」
男は棚の奥から、比較的細身の安価な片手剣を一本取り出した。
「初心者向けだ」
杏々が受け取り、握って軽く振る。
「重い」
「これで!?」
リネットが驚く。
「重さじゃなくて」
杏々はもう一度振った。
「ここ」
剣先を指す。
「先が遅い」
店主の目が少し変わった。
「……重心か?」
「たぶん」
杏々には、まだ理想の剣を説明する言葉がなかった。それでも、自分が欲しいものだけははっきりしていた。
「もっと使いやすいのがいい」
「初心者が随分と注文多いな」
「冒険者ランク上がったよ」
「今日ね」
リネットが補足する。
「今日かよ!」
「うん」
杏々は剣を見た。赤角牛、川鎧魚、そしてまだ知らない魔物。これから先、拳だけでは面倒な相手もきっと出てくる。
「これじゃない」
杏々は剣を店主へ返した。
「他見る」
「……面白え嬢ちゃんだな」
店主は少し笑った。
「いいぜ。何本か出してやる」
「ほんと?」
「ああ」
「お腹すく前にお願い」
「何で時間制限が腹なんだよ」
こうして、ランクを一つ上げたその日、杏々は次のご飯へ近づくための道具を初めて探し始めた。




