巡る一年花弁の如く
高校二年の春。桜が満開の公園で、二人はシートを広げていた。弁当箱を開けると、笑花が作った卵焼きと、暦が握ったおにぎり。コンビニで買ったお菓子と、缶ジュースが並ぶ。風が吹くたび、桜の花びらがひらひらと舞い落ちて、シートの端に積もっていく。
笑花が桜を見上げて、大きく息を吸った。
「今年の桜、ほんとに綺麗だね」
暦は隣で、膝を抱えて座っていた。
「……うん」
小さな声。でも、その口元には、笑みが浮かんでいた。
控えめで、静かな笑み。笑花はそれを見て、胸が熱くなった。
「暦ちゃんと来られて良かった」
暦は、笑花の前でだけ、少しずつ笑うようになった。
笑花は、暦が自分にだけ見せるその小さな表情を、ちゃんと知っている。
暦は、笑花が他人を馬鹿にしない笑顔を、ちゃんと信じている。
夏祭りの日。浴衣服を着た二人は、りんご飴を手に並んで歩いた。
花火が上がる前、射的の屋台で。笑花が銃を構えて、外しまくって。
「うわー、また外れた!」
と大げさに悔しがる。暦は隣で、静かに銃を構えて、一発で景品を落とした。
「……当たった」
笑花が目を輝かせて叫んだ。
「すごい! 暦ちゃんかっこいい!」
暦は、少しだけ口角を上げた。
「……そんなにすごいことじゃないよ」
でも、嬉しそうだった。花火が上がった。どーん、と大きな音がして、空に大輪の花が咲く。
二人は並んで、空を見上げた。笑花が、ぽつりと呟いた。
「きれいだね」
暦は、小さく頷いて。
「……うん」
そして、ふと。自然に、口元が緩んだ。小さな、小さな笑み。笑花はそれを見て、心の中で思った。
ーあ、また笑ってる。
…私の前でだけ。
それが、無性に嬉しかった。
秋のショッピングモール。試着室の前で、笑花が服を持って出てきて訊く。
「どう?これ似合う?」
暦は真剣に見て、首を振った。
「……んー…悪くはないけど、多分、着回しが難しいと思う。」
笑花は笑う。
「そっか!じゃあこっちは?」
別の服を出して、また試着。二人は何度も繰り返して、やっと納得のいく服を買った。
お互いの服を笑ったりはしない。
「変だよ」とか「似合わないよ」と馬鹿にしたりしない。
代わりに、「こっちの方がかっこいい」「きっと素敵だと思う」と褒め言葉の形で伝える。
ただ真剣に、相手のことを考えて選ぶ。
それが二人のやり方だった。
冬の初め。初めての落語会に行った。寄席の席で、笑花が興奮して小声で解説する。
「この人、すごいんだよ!見てて!」
暦は最初は無表情だったけど、だんだんと目を細めていった。
ある落語の落ちで、思わず小さく息を吐いた。笑花が、横目でそれを見て、にこっと笑った。終わった後、寄席を出て。
「……面白かった」
暦が、ぽつりと言った。笑花は満面の笑みを返す。
「でしょ!また行こうね!」
暦は、少しだけ頷いて。
「……うん」
そのとき、街灯の下で。暦が、はっきりと笑った。小さな、でも確かに、笑顔だった。笑花はそれを見て、胸が熱くなった。
少しずつ、少しずつ。他の人たちの前では、相変わらず無表情のまま。前髪は少し短くなったけど、まだ顔を半分隠している。
でも、笑花の前では違う。だって、笑花だけは信じられるから。笑花だけは、他人を馬鹿にして笑ったりしない。
笑花だけは、自分の笑みを嘲笑ったりしない。
暦の強さは、ずっと「孤高」という名の人間不信で支えられていた。誰も近づけない高い塔。
でも、その塔の壁に、一筋だけ、笑花へと降りていく階段が建てられた。細くて、脆そうで、でも確かにそこにある階段。
笑花はその理由を正確にはわかっていなかった。
ただ、暦が自分との和解をきっかけに、少しずつ笑顔を見せてくれるようになったこと。
それが、無性に面映ゆかしくて、嬉しかった。
桜の花びらが暦の髪に落ちた。
笑花がそっと手を伸ばして取る。
「……ありがと」
暦が小さく呟いて、笑花を見た。
その瞬間、二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
そして、巡って、高校生としては二度目の春。
笑花が弁当の卵焼きを、ずいと入れ物ごと差出した。暦はもらって、食べた。そして、小さく笑った。
「美味しい?」
「……うん」
春の陽射しが、二人の肩を優しく包む。
桜がまた一枚舞い落ちて、二人の間に落ちる。
二人の笑顔は、ただ静かに咲き乱れていった。




