13話
私はプールの中で悲鳴をあげた。勿論、声なんか出ない。かわりに口からでる泡がぶくぶくと溢れ出た。それに比例して私の酸素が急減する。私は口を閉ざすが、脈は乱れ既に息が苦しい。
黒髪で青白い女の顔を見て私は直ぐに過去の記憶が起こされた。
忘れる筈がない。あの女だ。
長い黒髪のせいか顔は細く見え、唇は顔色に反して赤い。口紅だ。瞳は鋭い眼光が私を突き刺し今にも襲いかかりそうな勢いのある敵意を感じる。それが全身を震わせ、硬直させる。金縛りだ。女の長い髪に意志があるかのようにプールの底を覆い闇をつくり出すと、数本の髪の束が私の硬直する両足首に絡んできた。そして、強い勢いで掴んだ両足を引っ張り闇へ引きずり込もうとする。その先は死だ。私は恐怖に反し生きたいと強い意志で私は動いて! と強く両足に念じた。両足はピクリともしない。まるで、私の足が石になったように私の志向に反して足は動こうとしなかった。自分の足でないみたいに。
直感した死が本当に近くなる。
どうして私が、と私は今起きていることを否定した。否定し続け、これが現実でないことを願った。だが、その間にも私は闇の底へ沈んでいく。引っ張られる足先から水が冷たく感じ始め、底が冷たいのだと分かる。いや、私が冷たく、死に近づいているからだった。そして、底に沈むにつれ更に怪奇現象が私を襲う。それは、底に沈むにつれその沈む勢いが鈍化し、私の意識の外側だけ流れがまるで時が遅くなっているように感じた。その不思議体験が走馬灯を見る時に起きる現象と似たようなものなのか分からないけど、とにかく長く感じた。その不可思議な体験は私が自分の死を観察するみたいに。
いや、私は死にたいくない! 死ぬわけにはいかない。
私は敵意の視線を女に向けた。
だが、女はゆっくりと口元を緩め、それが私には笑われているように見えた。
何が可笑しいのか。私を道連れに死ぬことがか? それとも生きている人間に対する嫉妬か? 他人が絶望し不幸に落ち死ぬことがが?
私の心臓はまだ冷えていなかった。まだ、生きようとする意志が存在する。
お前だけ地獄に落ちろ!
その時、ようやく足が動き、水を蹴った。だが、その勢いも鈍化している。いや、私の意識が徐々に朦朧とし体が上手く動かないだけかもしれない。直ぐに私は切り替えて僅かな体力を脱出することに専念する。バタ足をし、早くプールから出ないと……だけど、勢いのないバタ足はただ溺れる時のそれと同じように緩やかに沈んでいくだけで、絶望は直ぐ背後まで迫ってきていた。
死ぬ! 死ぬ! 死ぬ!
私はお母さんに祈った。
助けてお母さん。
私はあらゆる自分が出せる取引条件が思いついてはそれが無駄だと知る。
お母さんはここにはいない。現実がそれを教える。
上を見上げる。プールの天井がボヤけて見えない。その手前も。希望も薄れ、途切れ途切れになる。いや、意識が途切れそうになっている…… 。
バタ足する足が止まる。直立姿勢のまま私は死に沈んでいく。
ごめん、お母さん。
私は最後に謝っていた。
その時だった。誰かがプールに勢いよく飛び込んだような音がした。
すると、入れ替わるように私の体が浮上を始めた。私の意識が徐々に取り戻す。そして、すれ違いざまに私はかわりに沈んでいく相手を見て驚愕した。
プールから顔を出すと、酸素を沢山吸って、それから沈んでいったもう一人を見る。
プールの底へと沈みながらこちらに顔を向けている少年の目と合った。
「なんで!?」
少年は成仏していなかった。彼は自分から飛び込み、そして私のかわりに底へと落ちた。
「駄目! お母さんはどうするの? お母さんを置いてっちゃ駄目!」
だが、少年は首を横に振った。
自分は既に死んでいて、本来行くべきところへ行く。今までそれが出来なかったのは少年の方だった。少年は最初こそ泣いて、それから最後は受け入れた。
少年は女の霊と一緒にその暗闇の中へと消えていった。
そして、その暗闇も徐々に薄れ空気のように消えていった。
残ったのはいつもの知っている青色のプールの底だった。




