18.腐れ縁の二人
今日の仕事は、ベリンダ様の魔法の特訓の指導役だった。
私はもう光の魔法を十分に使いこなせているし、今魔法省にいる職員の中で一番ベリンダ様と年の頃が近い女性ということもあって、この仕事が回ってきた。
訓練室では指導役と二人きりになる可能性が高いということもあって、貴族の令嬢である彼女の指導役は女性か、あるいは親しい男性がいいと、そう上司が判断したのだ。
しかしギルバート様はどうしても外せない他の仕事があったし、アンドリュー様はそもそも魔法が使えない。
そしてそもそも、魔法省には女性があまりいなかった。ここは変人の巣窟と言われていて、しかも仕事がやたらとバリエーションに富んでいてハードだからか、普通の女性には敬遠されがちらしい。
でも私は、ここでの仕事が気に入っている。退屈しないし、飽きないし、やりがいもある。それに先輩たちも、みんないい人たちだし。
そうやって首をかしげていたら、レイに「君も変人の一人だからじゃない?」とからかわれた。なので「あなたも同類でしょ」と返して、二人で大いに笑った。こんな軽口を叩き合える相手がいる私は、やっぱり幸せ者だと思う。
ともかく、今ベリンダ様は魔法省の別棟にある訓練室で、魔法の練習をしていた。かつて私とレイがそうしていたように、壁にはめ込まれた石に、次々と魔法をぶつけていく。
「……水よ!」
真剣な顔をしたベリンダ様が叫ぶと、その指先から細い水の糸が何本も伸びていき、石に吸い込まれていった。よし、普通に成功している。
と思ったのもつかの間、ベリンダ様が急にあわてふためき始めた。
「と、止まりませんわ!」
ベリンダ様がそう叫ぶと同時に、水の糸が空中でぶわんと暴れた。そうして次の瞬間、丸太くらいある水の柱に形を変える。
彼女の小さな手のひらからは、景気良く大量の水が噴き出していた。まるで噴水のようだ。あっという間に、ひざ下まで水がたまってしまった。
「あ、暴走ですね。大丈夫です。この訓練室には、暴走に対する備えもありますから」
真っ青な顔でおろおろするベリンダ様をなだめるように優しく言って、マニュアルを思い出す。
ええっと、確か魔法が暴走した時は、壁の取っ手を引いて、魔法吸収装置を起動させて……。
そんなことをつぶやきながら壁に向かったまさにその時、いきなり入り口の扉がばたんと開いた。床にたまった水が、勢いよく廊下に流れ出てしまう。
「うむ? な、なんだ、この水は!」
そこに立っていたのはアンドリュー様だった。流れ出る水に踏ん張って耐えたものの、あっという間にびしょぬれになってしまった。
どうにかこうにか魔法を止めることに成功したらしいベリンダ様が、アンドリュー様に歩み寄る。床に残った水がはねて、ぱしゃぱしゃという音を立てていた。
「アンドリュー様、表にかかっている使用中の札が見えなかったんですの? ここは様々な魔法が飛び交う部屋ですから、うかつに開けてはならないと、そう教えられましたでしょう? それに危険ですから、あなたは単独での出入りを禁止されているはずでは?」
いつもふわふわとしているベリンダ様が、ちょっぴり頼もしい口調でそう言った。やっぱりお姉さんっぽい。
「だが、シンシアがここにいると聞いて……シンシアと合流できれば、単独での出入りには該当しないだろうとも思ったのだ。まさかお前もいたとはな」
不服そうに口をとがらせて、アンドリュー様が反論する。
しかしそこまで言ったところで、アンドリュー様はふと口をつぐんだ。とっても難しい顔になって、それからまた口を開く。
「いや……お前の言う通り、今のは私の落ち度だな。部屋の中がどうなっているか分からない以上、不用意に扉を開けるべきではなかった」
「……まあ、分かってくださいましたの?」
あっさりとおとなしくなったアンドリュー様に、ベリンダ様が目を丸くした。それからそっと私のほうを振り返る。
「もしかしてこれは、こないだのシンシアさんのお説教の効果かしら? こんなに変わるだなんて……驚きましたわ」
「愛しい人の心からの苦言を、しっかりと受け止めずして何とする」
目を真ん丸にしてリスのようにきょろきょろとしているベリンダ様と、やけに優雅に、そして堂々と胸をそらしているアンドリュー様。彼の成長については喜びたかったが、その前にやるべきことがあった。
「……色々と聞きたいことはあるんですが、ひとまずこの後片付けをしてしまいましょうか……」
ちょっぴり疲れた声で、辺りを見渡した。訓練室の中も廊下も、すっかり水浸しだった。
折悪しく、他の水の魔法使いたちは手が空いていなかった。水魔法を使えれば、すぐに片付くのだけれど。という訳で、私たち三人で後片付けをすることになった。
アンドリュー様に手伝わせていいのかなとは思ったけれど、彼がいきなり扉を開けたりしなければここまで被害は大きくならなかったのだし、まあいいか。
「まずは、廊下にあふれ出た水を蒸発させてしまいますわね。廊下でしたら水蒸気の逃げ場もありますから、何も問題は……あら?」
真剣な面持ちで水の魔法を使っていたベリンダ様が、呆然と立ち尽くす。
さっきまで水浸しだった廊下一面に、氷が張ってしまっていたのだ。なんだか前にも、こんなことがあったのだったかと思いつつ、べそをかいているベリンダ様をなぐさめる。
「あ、あの、ベリンダ様。廊下は後回しにして、部屋の中を片付けてしまいませんか? 水の魔法で、周囲の水をかき集めてください。私がこれで吸い込んでいきますから」
そう言って、さっき借りてきた魔導具を見せる。短いステッキのような形の棒で、起動することで水を吸い込んだり吐き出したりできる。
何となくだけれど、これをベリンダ様に使わせるのは危ないような気がした。魔導具は暴走しづらいけれど、万が一ということもあるし。
なので彼女には水を集めてもらって、私が魔導具を使うことにする。魔法の素質を持たないアンドリュー様には、これは使えない。
「アンドリュー様、氷を解かす魔導具を借りてきてもらえませんか? 火の魔法でもなんとかなりそうな気もしますけど、今から手の空いている人を探すより、魔導具を使ったほうが早そうですから」
「うむ、任された」
「あ、廊下は滑りますから気をつけて……」
私がそう言い終わらないうちに、アンドリュー様はつるっつるに凍ってしまった廊下を優雅に滑るようにして駆けていった。見事な運動神経だ。
ベリンダ様はため息をつきながら、凍っていない水を魔法でせっせとかき集めている。
「ちょっとだけ水を出すつもりが、こんなに大量の水を出してしまって……わたくし、いつになったら魔法を制御できるのでしょうか……」
私たちの服を濡らしていた水や床の水たまりがふわりと空中に浮かび上がり、ベリンダ様の手元に集まっていく。
「でも、水を操ること自体はすっかり上達されたのでは?」
「そうかしら。でしたら、嬉しいのですけれど……」
ベリンダ様のすぐ前の空中に浮かんでいる水のかたまりに魔導具を突っ込むと、水はそちらに吸い込まれて消えていく。集めて、吸い込んで。それを何度か繰り返していたら、水はすぐになくなった。
「おや、もうそちらは片付いたのか」
ちょうどその時、氷を解かす魔導具を手に、アンドリュー様が廊下を滑ってきた。やはり華麗な動きだ。ちょっと、ダンスに似ているような。どうも彼は、この氷滑りを楽しんでいる節がある。
彼の手から新しい魔導具を受け取り、ひざまずいて廊下の氷を解かし始める。頭の上から、二人の声が降ってきた。
「あの、シンシアさん、廊下を凍らせてしまったのはわたくしですから、ここはわたくしが……」
「そうだな。私に魔導具が使えれば、君の代わりをすることもできたのだが……」
そんな二人に、作業しながら言葉を返した。
「大丈夫です。すぐに終わりますから。ベリンダ様は、解けた後の水を集めていてください」
せっせと氷を解かしながら、二人の会話に耳を傾ける。
「しかし、見事に凍ったものだな。廊下を滑るというのも、中々に珍しい体験ではあったが」
「……わたくしは、水を蒸発させたかっただけですわ」
「そして、また暴発させたのか。お前は子供の頃からそれはもう口うるさく、あれをするなこれをしろと説教していたものだが……そんなお前にこんな弱点があるとは、な。ふ、ふふ」
「笑わないでくださいまし。わたくしはこの弱点を克服すべく、努力しているところなのですから」
おかしそうに笑うアンドリュー様と、不満げな声のベリンダ様。その気安いやり取りに、確かにこの二人はとても親しいのだな、と感じた。
ただ、そこに恋慕の情はかけらほどもないようだと、鈍い私にも分かった。
「克服、か……別に、それはそれで使い道があるのではないか?」
アンドリュー様のそんな言葉に、ふと手が止まりそうになる。こっそりと二人のほうに目をやると、ベリンダ様がぽかんとしているのが見えた。
「お前はどうやら、大量の水を操ることに適性があるように思える。ならば、治水を手伝えばいいだろう。いずれギルバートは魔法省の職員として治水工事に関わることになるだろうから、あいつの手伝いをしてやればいい」
ギルバート様の名前を聞いて、ベリンダ様がちょっとはにかんだように口元をきゅっと引き締めた。可愛い。
それはそうとして、アンドリュー様の提案は理にかなっているように思えた。
ちょっとだけ水を出そうとして辺り一帯水浸しにしてしまうのだから、ベリンダ様が本気を出せばかなりの水を出せる可能性が高い。花の水やりには向いていなくても、大がかりな工事の手伝いには使えそうだ。
もしかしてアンドリュー様って、第一印象よりはしっかりとものを考えているのかもしれない。普段の言動がおかしいせいで軽く見ていたけれど、彼は一応王太子なのだから。
「それと、先ほどの氷滑りは面白かった。夏場は難しいだろうが、それ以外の季節であれば、氷もしばらくもつだろう。今度、どこか平らなところ……そうだな、練兵場辺りを凍らせてくれ。また滑りたい」
前言撤回。やっぱりアンドリュー様は単純だった。
「その時はシンシア、君も一緒に滑ろう。安心するがいい、私が手取り足取り滑り方を教えてやろう」
「ええと……それは遠慮します。それより、片付け終わりましたよ」
「でしたら、あとは魔法の暴発について報告書を書いて終わりですわね。……はあ、報告書の書き方ばかり上達している気がしますわ」
ため息をつくベリンダ様を、あわてて励ます。
「あの、魔法省の人たちはみんなそうみたいです。ギルバート様みたいな方のほうが少ないですから」
この魔法省では、魔法の暴発など、事故の記録は全て報告書として残すことになっている。処罰というよりは、後々のために記録を残すという意味合いが強い。
そんなこともあって、みんな割としょっちゅう報告書を書いているのだ。私とレイも、魔法の練習中に何枚か書いたし。
しかしギルバート様は、まだ報告書を書いたことがない。今魔法省内では、彼がいつまで報告書を書かずにいられるか、こっそりと賭けが行われているとかいないとか。
そうやって一生懸命ベリンダ様を励ましていると、アンドリュー様がうっとりと言った。
「ああ、本当に君の心は美しい……不幸な行き違いのあったベリンダに対しても、そのように親切に……」
「……何と言いますか、アンドリュー様のその語りを聞いていますと、細かなことで悩むのが馬鹿馬鹿しく思えてきますわね」
その場違いにうっとりとした声音が、ベリンダ様に落ち着きを取り戻させることになったらしい。
アンドリュー様は訳が分からないといった顔をしていたが、それでも私と目が合ったらにっこりと笑ってきた。
本当に、ここでは毎日が退屈しない。魔法省に来てよかった。
……アンドリュー様たちと知り合えたのも、まあ……悪くはなかったのかな? などと思い始めている自分がいた。