16.王子様は気づいた
「甘え、か…………そうかもしれない」
しばらく沈黙が続いた後、アンドリュー様がぽつりと言った。
「ギルバートは七年前に、私の側近兼友人としてやってきた。同い年とは思えないくらい堅苦しくて生真面目で、どこへいくにもついてきた」
独り言のように、彼は語る。
「王立学園を卒業後、見聞を広めるために一時私のもとを離れ、魔法省で働くことになっていたが……結局、私が追いかける形になってしまったな」
私とベリンダ様は、身じろぎ一つせずにそんな言葉を聞いていた。
「ベリンダは十二年前、婚約者だと言っていきなり引き合わされた。当時は私より背が高くて、そのことが気に入らなかったのを覚えている。あと、小言が多いのもうっとうしかった。いきなり姉ができたらこんな感じかと、そう思っていた」
その言葉に、ベリンダ様がちょっと目を丸くしていた。それにも気づかないのか、アンドリュー様はしみじみと語り続けている。
「私たちの間に、心震わせるような美しく強い絆があるようには思えない。だが、言われてみれば……私は二人に対して、心を許しているのかもしれないな」
アンドリュー様が、ふっと切なげに目を細めた。思わずどきりとしてしまいそうになる、そんな表情だった。
そうして彼は、ベリンダ様に向き直る。
「……ベリンダ。みなの前で恥をかかせてしまって、すまなかった。あの時の私は、お前がシンシアに嫌がらせをしているとばかり思いこんでいたが……それでも、もっと他にやりようもあったと思う」
それを聞いて、ベリンダ様が微笑んだ。花がほころぶような、見事な笑顔だった。
「謝罪の言葉、ありがとうございます。けれどあなたが目的に向かって全力で突き進む方だということはよく存じておりますから、そう気に病まれなくても大丈夫ですわ」
「そうか、恩に着る。……だが、婚約破棄についてはまだ撤回できない。誤解から生まれた思いとはいえ、私はシンシアをまだあきらめきれない」
「ええ、それも分かっておりますわ。一年間、頑張ってくださいませ」
いつになく真面目なアンドリュー様と、ほんの少し苦笑しつつもおっとりと返答するベリンダ様。そんな二人の姿は、やっぱり仲の良い姉弟に見えていた。
レイに会いたいな。二人を見ていたら、ふとそんなことを思った。いつものようにレイとくだらないことをお喋りして、笑い合って。
そう思って、考え直す。私とレイがいつまでも同じ道を歩けるとは限らない。だから一人でもやっていけるように、しっかりしないといけないんだ。
……どのみち、学園に来る前はずっと一人だったんだもの。また、一人に戻るだけ。
和やかに話し合っているアンドリュー様とベリンダ様を見ながら、そんな言葉をお茶と一緒にのみ込む。
やはり香り高いそのお茶は、なぜかほんの少しだけほろ苦くなっているように感じられた。
そうして、ついにレイの謹慎が解けた。その日の朝一番に、支度を整えてレイの部屋の前で待つ。やがて、レイが姿を現した。いつも通りに、魔法省の制服をまとって。
「おはよう。あんまり久しぶりって感じでもないね」
「そうね。毎日扉越しにお喋りしていたから」
一週間ぶりに顔を合わせた彼は、むしろ前よりも元気そうだった。ゆっくりと休めたからなのか、たくさん本を読めたからなのか。
「でも、やっぱりこうやって直接顔を見て話せるほうがいいわ」
「……ふと思ったんだけどさ、君って友人とかいないの? その、僕の他に。この一週間、毎日のように僕の部屋に通い詰めてたけど」
一緒に廊下を歩きながら、レイが言い出しにくそうな顔で尋ねてくる。
「いないわね。顔見知りとかならそこそこいるけれど」
「それって、堂々と言うこと?」
「だって、仕方ないじゃない。事実なんだもの。その、他の令嬢とは昔から話が合わなくて……ベリンダ様と話すのは楽しいけれど。だいたいそれを言うなら、あなたはどうなの?」
「いないね。……一人で本を読んでるほうが気楽だし」
「だったらお互い様じゃないの」
「確かにね」
そう言って笑い合いながら寮を出る。すぐに、笑顔のアンドリュー様に出くわした。
「おはよう、愛しのシンシア、それにレイ。……ああ、別にレイのことは愛していないからな、念のために」
そのまま三人一緒に魔法省に向かって歩く。私の左にはレイ、右にはアンドリュー様。
「言われなくても分かっていますよ。しかしアンドリュー様は相変わらずですね。わざわざ寄り道して、シンシアを迎えに来たんですよね?」
「その通りだ。私はこの一年の間に、シンシアを振り向かせなくてはならないのだから。多少の早起きや寄り道など、どうということはない。仕事の間はろくに話もできないし、そもそも別の仕事を割り振られてしまうことも多いしな」
得意げに言い切るアンドリュー様を見て、レイはこっそりと苦笑する。思いっきり声をひそめて、ささやいてきた。
「……相変わらず、君って愛されてるね……勘違いから始まる恋って、本当にあるんだ」
「……一年の間に、等身大の私を見て幻滅してくれるんじゃないかなって期待してたんだけどなあ……ちょっとずつ、地の自分を出してみたりもしてるし」
そんなことをこそこそと話していたら、アンドリュー様がまた堂々と言い放った。
「幻滅することなどあるものか! むしろ、惚れ直した! 先日の君の言葉は、実に強く心を打ったぞ!」
その言葉に、レイが小首をかしげる。何のこと? と言いたげな顔だ。
しかし私としては、あの話はレイには知られたくない。つい勢いで、アンドリュー様に説教してしまったなんてことは。
けれどアンドリュー様に釘を刺すより先に、彼はぺらぺらと喋ってしまっていた。
「そうか、レイは知らなかったな。彼女は私に教えてくれたのだ。私が、ギルバートやベリンダに甘えているということを」
アンドリュー様は、いつもにも増してうっとりとした目でこちらを見る。
「そうして私はシンシアの提案に応じ、ベリンダに謝罪したのだ。シンシアに求愛したいと思っていたからとはいえ、大勢の前で恥をかかせてしまったことを」
「……そんなことがあったのですか」
金色の目を真ん丸にして、レイがぽかんとしたままつぶやく。
「ああ。そしてその日のうちに、ギルバートにも礼を言ったぞ。いつも迷惑をかけてすまない、これからもどうか頼むと」
「ちなみに、ギルバート様の反応は?」
「今までに見たことがないくらいに驚いていたな。そういえば、少し涙ぐんでいたような……?」
「でしょうね。正気は疑われませんでした?」
「……実は、少しだけ」
私を挟んで、レイとアンドリュー様はそんなことを話している。妙に和やかなのが、なんだか面白い。
「ともかくも、そうして私は彼女への思いを強くした。こうなったら何が何でも、私の求婚を受け入れてもらわなくてはと、そう思ったのだ」
「……あの、そのことで一つ、気になっていたことがあるのですが」
「どうした、レイ? 妙にかしこまって」
今度はアンドリュー様が首をかしげる番だった。
それくらいレイは、真剣な表情をしていたのだ。やや線の細い、女性的な面差しが、いつになく凛とした雰囲気をたたえている。
「アンドリュー様は、勘違いでシンシアに求婚しました。そうして今、その勘違いを抜きにしても彼女のことを愛おしいと思っている。そうですね」
「ああ。彼女ほど素晴らしい女性を、私は他に知らない」
「……でしたら、必死になって彼女を振り向かせなくても、ただ命じればいいのではないですか。自分の妻となるように、と」
とたん、アンドリュー様が歩みを止めた。つられるようにして、私とレイも立ち止まる。
「……それでは駄目なのだ。私が欲しいのは、彼女の心なのだ。力ずくで彼女を手に入れても、意味はない」
いつもはちょっぴり軽薄にも見える派手目の美貌には、びっくりするくらいに力強い光がともっていた。思わず、目を丸くしてしまう。
そっと隣をうかがうと、レイも目を真ん丸にしていた。けれどレイはすぐに元の静かな表情に戻って、ゆったりと答える。
「……おかしなことを聞いて、すみませんでした。それと、ありがとうございます」
そう言って、レイが頭を下げた。そんな彼に、アンドリュー様がうなずきかける。このところ時折見せるようになった、穏やかで優しい表情だった。
落ち着かなさをこらえながら、無言でそんな二人を交互に見る。
なんだか、妙な雰囲気になってしまったなあ。どうしよう、これ。話の中心である私が余計なことを言うと、さらにややこしくなるような気もするし。
「ああ、アンドリュー様。こちらにおられましたか」
「おはようございます、アンドリュー様。今日も良い天気ですわね」
ちょうどそこに、ギルバート様とベリンダ様が通りがかった。この二人も、魔法省に向かう途中だったらしい。やった、救いの神が来た。
「おはようございます、ギルバート様、ベリンダ様。どうせならみんなで一緒に出勤しませんか?」
にっこりと二人に笑いかけると、二人とも快諾してくれた。そうして五人一緒に、またのんびりと歩き出す。
私はろくに友人もいないし、大勢でわいわいと騒いだ経験もない。でもこうしていると、みんな友人のようにも思えてしまうのだ。アンドリュー様ですら。
日々のちょっとしたことをあれこれと話しながら、私たちは進む。と、レイがさりげなくすぐ近くにやってきて、そっとささやいた。
「アンドリュー様にお説教だなんて、どんな流れでそんな話になったのかが謎だけれど……見違えたね、あの人」
「うん」
すぐ前でギルバート様と元気に話しているアンドリュー様の横顔を見ながら、短く答えた。




