9話
門を抜けたすぐ先は、広大な牧草地帯となっていた。
上下ゆるやかな勾配を走る一本の土道と、細い丸太を組んだ低い柵。
森近くの放牧地には肉牛が多いのか、分厚い皮膚をした黒牛が我が物顔で草を食み、時折、日除けの人工林に置かれた塩の塊を舐めにゆく。
中には柵の破れ目を利用して、森へノコノコと帰ってゆく者もいた。
彼等は乳牛と違って、基本的に自由である。
視線を何気なく空へと移すと、細長い千切れ雲が、彼方の頭上を間断と流れていた。
そよ風が吹いて、足下をサラサラと揺らす。
魔王のよく知る、在りし日のサンセベリア大陸が此処にはあった。
だが、こうした長閑な場所ばかりではないことも魔王はよく知っている。
人を拒む急峻な山岳地帯。潮風に吹き曝された荒野。不意に暴れだす火山帯。
そして、まだ解明の済んでいない地下迷宮に古代遺跡。
世界はまだまだ広く、人の手が及ばぬ所は多い。
だとすると、ニルスの村が他の地域から孤立して発展したとは考えにくい。
魔王は、広大な野原を軽く見回してから、ニルスに当然の疑問をぶつけてみた。
「此処ってさ、やっぱり何処かの国の領土なのかい?」
「うん、そうだよ。あっちにお城があるんだけど、そこの一部なんだって。村長さんが、前にそう言ってた」
遠く北方に目をやると、城壁らしき物の輪郭が霞越しにボンヤリと見えた。
「あれか……。あの城、なんて名前なんだい?」
「ンストゥルって言うんだって」
「ええっ!? 『ン』が頭文字だなんて、なんて非常識な名前なんだ!」
他人の事は言えないが、という指摘は置いといて、田衛文が、魔王の右隣りで思い出したように口を開く
「そう言えばボク達、この村の名前すら知らないよね」
「ハッ、そうだよ……!! あのオッサン、確かに村の名前を教えてくれなかったぞ。普通、入り口に一番近いヤツが、『ここは××の村です』って言うのが定番なのに……」
(あのオッサン、村人A失格だい!)
「否、ソレは魔王が不審者っぽかったから、警戒して言わなかっただけでしょ……」
「田衛文は僕のせいだって言うのかい? むしろ僕の方こそ、被害者だって言うのに……」
気分はさながら、悪徳政治家といった所である。
こうした二人の掛け合いを気に入ったのか、ニルスは眩い笑みを田衛文に向けた。
「ボク達の村はね、ビストゥスって言うんだよ、妖精さん」
「フ~ン、ビストゥスって言うんだ……。ソレじゃ機会があったら、今度はンストゥルの方にも行ってみようかな♪」
するとニルスは、急に俯いて素っ気なく呟く。
「あんな所……、行きたくなんかない」
田衛文がニルスを気遣うように尋ねた。
「ナニかあったの?」
それに返すニルスの声は、歳の若さに似合わず重苦しかった。
「なんでかな……。お城の人達ってさ、僕達に冷たいんだ。田舎だとか、汚い格好だとか……」
悔しさとやるせなさが、ニルスの語尾を握り潰す。
――こればかりは、今の自分がどうこう出来る問題じゃない。
経済格差が個々人の寛容さを超えた時、その格差分だけ、考え方に偏りが生じる。
差別という名の侮蔑は、そうした論理で幾らでも出来上がる。
経済を実力に、実力という単語を外見に置き換えれば、それだけで事足りる。
足りてはいけないが、世の現実はそれを平然と受容することを、統治者経験の長い魔王はよく知っていた。
「それに黒ローブの人達も、なんか不気味なカンジだし……」
「うん? なんだい、その黒ローブってのは?」
魔王の質問に答える形で、ニルスの口から、不快な単語が偶然発せられる。
「それがね……。お城の方でたまに見掛けるらしいんだけど、頭から黒いローブをスッポリ被ってて、ときどき譫言みたいなのを唱える変な人達なんだって……。僕、なんとなく思うんだけど、その人達ってアルメリア教じゃない気がするんだ」
「いぃ! あ、アルメリア教ね、うん……」
魔王は不意にトラウマを刺激されて、言葉少なげに動揺をひた隠す。
前大戦の敗北要因に、改宗を目的とした宗教論争。
おまけに魔族呼称のでっち上げなど、嫌な思い出を挙げればキリがない。
いっぽう、それらに直接関わりのない田衛文は、気楽に話題を継ぎ足した。
「服装やお祈りの仕方がチガウの?」
「分かんない。僕達の村、教会とかないから」
「えっ、教会がないのかい? 良かった……」
(なにせ今の僕には、祈りの言葉ひとつ取っても、魔法攻撃みたいなものだからね……)
結局、ンストゥルの話はそれきりで終わり、いつしか三人の道行きは、広大な牧草地を後背に、多くは畑地が、稀には資材小屋と人家が占めるようになっていた。
ここにきて魔王は、手前勝手と知りながら、自分の期待が裏切られた事を自覚した。
庶民は人の暮らしを映す鏡であり、家屋は街の質を示す手引きのような存在である。
それなのに、見える住居のほとんどは、質素を通り越した飾りっけのない無地の白壁。
場所によっては玄関先の水瓶が破損し、雨戸の一部が朽ちている。
サンセベリア大陸では、都市部を除けば、ガラス素材は高価な代物である。
ビストゥスのような農村部の場合、窓といえば壁を四角く刳り抜き、雨除けに板を立てただけの、蓋の付いた風穴である。破れていては用を為さない。
遠目に魔王の姿を捉えた農夫が、頭の藁帽を片手に何処かへと駆けて行った。
恐らく、他の村人に触れ回るつもりなのだろう。
一瞬の出来事とはいえ、魔王は去り行く男の日焼け顔に、わずかな怯えと疲労の色があるのを見逃さなかった。
疲れは農作業の為だけではあるまい。
怯えは、初対面の動揺からが理由ではないだろう。
こうした一種の殺伐とした雰囲気が、直前の牧歌的な風景とは如何にも不釣り合いに思えて、魔王の中に小さな失望を産み落とす。
(う~ん……。思ったよりも生活は厳しそうだなぁ)
やがて、靴裏の感触が固く乾いた物へと変わる。
歩くは村の主要道。
足下は石畳の隙間を安価なレンガ材で埋めた、俄か仕立ての不揃いな路面。
店舗には、鉄骨などの最先端技術は用いられず、要所に太い材木を使い、空洞を石やレンガで埋め、隙間を石膏でタップリと繋いだ単純な仕上がりである。
この分だと、石造りの神殿なんて高尚な物は国外の事になりそうだ。
こうして文字にすると、何やら粗末な感じだが、実際には修復が容易なうえ、
外観は暖かみに溢れている。
村の中心部へと進むに連れて、衣服や靴など日用品を主とした店舗が並び、店構えも清潔感と遊び心が窺えて、魔王の心証も大いに良好な向きへと傾いた。
その代わりといっては何だが、魔王と田衛文は、村人から好奇の視線に曝された。
彼方にも此方にも野次馬の群れ。
皆、口許に手を添えて、噂話に囂しい。
そのお祭りみたいな空気に当てられて、田衛文も好奇心をエスカレートさせる。
「うわあぁぁ……。ホラ、見て見て! アッチにもコッチにも、人がイッパイ居るヨ……。アッ、あのお店は?」
田衛文のウキウキとした問いに、ニルスも笑顔で答える。
「あれの事? あれはパン屋さんだよ」
「じゃあ、アレは? アレアレ」
「えっと、あそこは……」
そんなやりとりを六遍ほど
さすがの魔王も、田衛文の浮かれっぷりに呆れてしまう。
「ホラホラ、田衛文。もう少し行儀よくしてないと、みんなに笑われちゃうぞ」
「エーッ、そんなコトないよ。みんな、絶対にボクの事、『カワイイ♪』って言ってくれてるもん!」
フフン……。その余裕、いつまで保つかな。
どれ。それなら一つ、耳を澄ませてみるか。
「デモンズイヤー、全開っ!」
魔王は盗聴に走った!
『ねえねえ、見て。あの、空を飛んでる娘……』
『ウソッ!? あれってもしかして、妖精?』
『可愛い……。コッチ向かないかしら♪』
リンク越しに結果を知って、田衛文が誇らしげに胸を張る。
「どうだ! みんな、ボクの魅力にメロメロでしょ♪」
くそう、悔しいぞ……。
「フン、そいつは認めてやるさ。でも、僕の人気の方がずっと上だい! さあ、心して聞くが良いさ」
ニルスと田衛文の聴覚神経が、魔王に関する村人の評判を捉える。
『一体なにかしら、あのキッタナイの……』
『イヤねぇ。あんなのが村に来るの?』
間違いなく、圧倒的な話題性と人気である。
「デモさ、コレって明らかに貶されてるヨ?」
ブンブン! (力一杯に首を振る魔王)
「で、デモ……」
心配なので、もう一度聞いてみる田衛文。
『大丈夫なのかしら……。もしかして、この前あった誘拐事件の犯人って、まさか……』
『あんな風に貶されたい……。ボクチンも、あんな風に罵倒されたいんだな……。フンガ、フンガ!』
ブンブン! (誰だ、最後のヤツ!!)
「どうだ。みんな、僕の魅力にメロメロだろう!」
魔王が必死に強がるが、田衛文とニルスは、今では普通に聞こえるそれら罵倒にジッと耐えて、憐れみに目を細める。
「可哀想な魔王……。ドンナに頑張った所で、『ゆるキャラ』にすら成れないのに」
「ごめんなさい。おじさん、ホント御免なさい……」
(哀しくなんか無いよ? 僕は人気者だよ?)
それから無言で歩くこと五分。
魔王一行は村の中央、集会所らしき建物の前に到着した。
普通、こうした人の集まる場所に教会はあるのだが、ニルスの言う通り、辺りにそれらしき聖堂は見当たらない。
やおら先頭のニルスが立ち止まり、目の前の大きな建物を指差して紹介する。
「着いたよ。ここが村長さんのお家」
それを聞いた田衛文が、驚きに一層高く飛び上がる。
「ふえっ!? ココが?」
一般家屋と同じ木造平屋建ての造りだが、広さはその十倍はある。
加えて、傍目には何処にも草臥れている様子はない。
土塀の仕切りに、青い上薬の清潔な軒瓦。
枯山水を思わせる石並びの中庭が、トレント杉の緑と調和して風雅である。
歩くほどに情緒深さを増してゆくビストゥス。
その究極系とも言える建築に出会って、魔王が感嘆の声を漏らした。
「ほかの家と比べて、ずいぶんと立派だなぁ……。一瞬、村役場かと思ったぞ」
「うん、そうだよ。村長さん、昔からこの村の村長さんだったからね」
禅問答のような返事を聞いて、魔王の思考が一瞬だけ混乱する。
「ああ、そういう事か! 村長って滅多に変わらないものだから、いっその事、ここを自宅兼作業場にしてるって訳だな!」
続いて田衛文が事情を察し、新たな出会いに胸を躍らせる。
「とすると、ココにこの村のボスが住んでるんだね? 一体どんな人なんだろう」
玄関先でそんな遣り取りをしていると、役場の中から、いかにも村長的な老人が姿を現した。
さてこうなると、お決まりの村自慢が滔々と語られる…………、
「ようこそビストゥスへ。私が、この村の村長です。どうですかな、この村は。実に良い……」
……筈だったが、
「な、何じゃあ、この浮浪者は!!」
見るも無惨な魔王の姿に、村長の目玉が驚きに飛び出る。
んで、魔王の鉄拳もガツンと飛び出る!
「テ、テメエ……。僕が今、一行足らずで簀巻きにされてしまったのを好い事に、バカにしてるなぁ!」
あっ、違った……。
大人しいのを好い事に、の間違いだった。
(ムグムグッ……。う~ん、解けないや。誰か助けて~)
魔王が一人芝居に熱中してる間、村長は殴られた箇所を摩りつつ、足下の巨大太巻き(魔王入り)に文句を垂れる。
「ううっ……。いったい何なんじゃ、此奴は……」
「ハイハ~イ♪ ソレについては、ボクが説明するヨ」
と、これは田衛文。
ビシッと宣誓のポーズを決め、楽しそうに解説役を買って出る。
「おおっ、妖精とな……。神話などで良く耳にするが、よもや実際にこの目にしようとは……」
良いよなぁ、田衛文は……。
精霊ってだけで、みんな、目を輝かせるんだから……。
「よぅし……。田衛文、言ってやってくれ。この僕の素晴らしさを!」
……でないと悔しいよぅ。
「ウン。ボクに任せて♪ なんたってボクたち精霊には、色んな事情をたった一言で説明できちゃう『幻の言葉』があるんだから!」
田衛文が自信満々に告げると、村長は敬服の念を顔に湛えて、恭しく頭を下げる。
「ホホウ、それは頼もしい。是非ともお願いしますぞ」
「よぉし、イッくよー!」
気合いと共に、田衛文が大きく息を吸い込む。
「かくかくしかじか!!」
若者には一切、理解不能な死語が、場の空気に強烈な静寂を生み出した。
いっぽう、地べたに這い蹲ったままの魔王は、端から感性が常識外の存在なので、滂沱の涙を流しつつ、心の底から感銘を受けていた。
「そ、そうかぁ……。『斯く斯く然か然か』と来たかぁ。僕としたことが、こいつはウッカリしてたよ」
「デショデショ? 生きてるうちに、一度は決めてみたかったんだよネ~。コレ♪」
盛り上がる二人を余所に、村長の目はとっても冷酷だ。
「は、はぁ、然様ですか……。(ニルス、ちょっと向こうで説明してくれんか?)」
「はい、分かりました……」
あれれ、どうしたんだ? ニルスと村長のヤツ、なにやらヒソヒソと話をして、どっかに行っちまったぞ……。