36話
業を煮やしたエルドラが、魔力探査の短縮詠唱を放つ。
「アド・エステラ、エステバイーナ……!」
胸の前へと腕を回し、自身を抱き寄せるようにしてから身を開くと、全身から
無数の小さな球体魔力が発散された。
魔力探査とは、自身の魔力を広域放射し、反射情報から敵の位置を探り出す探知魔法の一種である。
結論から言うと、魔力探査は完全に失敗した。
零魔力状態の魔王の身体は、全方位へと拡散放棄された魔力を反射せず、そのほとんどを体内へと吸収して、疲労回復の効果を高める。
(こいつは良いや……。あとちょっとで、一回くらいは魔法が使える!)
しかし、安堵の笑みはすぐに緊張へと変わった。
エルドラの足裏が石畳へと触れた瞬間、魔王の位置が特定される。
「そこか!」
「くそっ。結局、どうなってるんだ?」
魔王は慌てて横に半回転し、石畳を押し退けるようにして立ち上がる。
全力疾走を始めると、風を切って前後する手刀から、白く細かい石英の粒が剥がれ落ちた。
傾斜の緩い屋根の上、両目を深く閉じた冥箒が、脳内記憶の整理に努める。
現在と過去。
左右同時に再生される映像が、魔王発見直前の足捌きに拡大して自動停止する。
「どうやらエルドラは、足下から極小魔力を伝導させて、同じ素材の上にいる敵を感知している模様です」
だとすると、逃げる距離に意味はない。
焦る魔王がバランスを保って走りながら、首を動かし振り返る。
脚を肩幅に広げてまっすぐに立つエルドラが、両手を向かい合わせにして魔力を練った。
「追い詰めろ、ゴルドランス!」
詠唱のあと、両手を払って魔力球体を地面に落とすと、石畳が大きくうねって
寄り集まり、石の大蛇を形成する。
地を這う石蛇は速度に欠ける。
しかし、縦横自在に追尾を重ね、背中の錐で魔王を執拗に狙う。
錐一本につき、長い刺が数本枝分かれした忌むべき形状。
その一本にでも貫かれたが最期、確実に命はない。
(このままでは、体力を奪われるだけだ……)
覚悟を決めた魔王は、黄金の右手をワキワキさせて、リュンの胸に触れた感触を脳内で再現する。
「3……、2……、1……。おどりゃあぁぁ!!」
石蛇が真下に来るのを計算し、道端の荷車を足掛かりにして大きくジャンプ。
身体を宙に舞い躍らせて、奇妙な波形にくねらせた。
するどい石錐が跳躍した魔王へと延びるが、肉の裂ける音は続かない。
「一体なんですか、あの変態的なポーズは……」
魔王の執った気持ち悪い波形姿勢が、大小全ての錐から回避を実現。
その代わりに、常軌を逸した骨格変動を初めて目にした冥箒が、強い脱力感を催した。
牧草地帯の広場では、追跡対象を見失った石蛇が、存在意義をなくしてバラバラと崩壊する。
「ふう、危なかった……」
草の上へと着地した魔王は、食堂北部と解体小屋のあいだへ駆け込み、壁際に身を寄せて、大きな平石の上で立ち止まった。
エルドラの探知法の弱点は、踏み台を利用されること。
同じ足場上の踏み台だけは把握できても、そのまた上に乗っかっている物体までは分からない。
その好例が、瓶の中の村長である。
「こうなったら曲がり角を利用して、不意討ちで関節を叩き斬るしかない」
体内魔力の残量は、さっきの回避運動に消費して空である。
魔王は剣を握りしめつつ呼吸を整えて、エルドラが来るのをジッと待った。
しかし、エルドラは動かない。
魔王に執着する戦士の瞳に、知性の光がギラリと光る。
「待てよ……。そうか、読めたぞ! 貴様ら、なんらかの方法で奴を手助けしているな!」
エルドラが片手を挙げる動作に合わせて、空中に浮かび上がった周囲の石が、
一斉に細かく振動する。
食堂屋根に、冥箒の警告が鋭く走った。
「総員散開!!」
田衛文と冥箒は南北方向へと即座に分散し、リュンは東側の斜面へと逃れ、身体が小さいニルスは、道具袋を盾にして身を固める。
「まずは貴様らから、血祭りにしてくれるー!」
「止めろー!」
堪らず魔王が、食堂の角から路上へ飛び出す。
視界の端に突如として映り込む魔王の姿。
エルドラは一瞬、地上と空のどちらを攻撃すべきか迷ったが、本来の目的をすぐに思い出して、左前方の敵へと狙いを定める。
「仕留めたぞ、魔王!」
無数の魔弾が、標的を目掛けて降り注ぐ。
魔王は踵を返して再び退避を試みるが、確実に間に合わない。
「くっそぉぉぉう!!」
礫の嵐が背中に突き刺さるのを予感して、魔王は反射的に目を閉じた。
――痛みがない……。音も、衝撃すらも感じない。
これが『死ぬ』という事なのか?
魔王が諦めの境地から、深く息を吐く。
しかし、肉体はいつもと同じ活動を求め、肺が自然と空気を求めて膨張する。
おかしい。
何もかもが、普段と同じ反応すぎる。
魔王はゆっくりと瞼を開けて振り返ると、視界を遮る人影が、苦悶の形相で
血を吐いた。
「うっ、ごぶぅ……」
魔王を庇った村長の身体が、右膝から斜めに崩れ落ちる。
「ジイさーん!!!!」
苦痛に痙攣する村長の身体を、魔王が片膝立ちに抱きとめた。
手放した剣が足下を跳ね、傷口から流れ出る血が刃を染める。
血は桃色と見紛う紅色。
石弾は内臓にまで達していた。
「ジイさん……。ジイさん! なんだって、こんな事を……」
治療する者もなく、その時間すらも許されない。
死の恐怖が意識を切り裂く中、村長の瞳は不思議な程に澄んでいた。
「ぐっ……。ま、おうよ……」
長年の経験も、残酷な現実の前では何の役にも立たない。
魔王はこんな時、自分がどうするべきかも分からずに、周囲へ必死に救けを求めた。
「ジイさん、喋っちゃダメだ……。みんな、みんな来てくれよ! ジイさんが!!」
魔王が止めるのも聞かず、村長は命の炎を削りながらも語り紡ぐ。
「儂は、多くの罪を犯した。圧政に屈し、強要に従い、誘拐の隠蔽まで……。邪教にも手を染めた」
自嘲気味に笑おうとして、しかし……、それをするだけの力は残されておらず、村長はヒクヒクと口端を震わせた。
「そんな儂に女神アルメリアは……。やはり、何もしては呉れなんだ……。この魂、すでに闇に堕ちたも同然なのじゃからな。ぐうぅぅ……!!」
魔王は涙を溜めて首を振り、村長の後悔を否定する。
「それはアンタの所為じゃない。全部、こんな時代がいけないのさ! アルメリアなんて奴も居ないに決まってる。みんな……、みーんな嘘なんだ! ジイさんは悪くない!!」
「フフフフフ……」
ボンヤリと開いた村長の眼に、神の祝福は映らない。
ボロボロと涙を零す魔王の顔と、星が燦めく真っ暗な空だけが、村長を見詰め返していた。
「そうか、神は居らんか。ならば儂は、魔王に祈ろう……。魔王よ、戦えぃ。戦って、あの子達を守ってくれ……」
魔王と村長の掌が重なり合い、その手から力石が2個、魔王へ託される。
その時、彼の手は震えていなかった。
幼子の震えに似た全身の痙攣は完全に収まっている。
別離の瞬間が近付いていた。
「「村長さん!」」
屋上から、リュンとニルスが駆け付ける。
いつの間にか、田衛文と冥箒が道具袋を携えて、魔王のそばに寄り添っていた。
「リュン、ニルス……。お前達にも苦労を掛けた。儂の親代わりも、重荷になっただけじゃったな……」
――こんな事になるのなら、どうしてもっと信頼してあげられなかったのか。
リュンは悔しげに唇を噛み、涙を堪えて告白する。
「好いんです……。私、村長さんがどんな想いで接してくれてたのか、本当は全部……、分かってました。分かってたけど、それを失うのが恐かった!!」
「村長さん、死んじゃ嫌だ!」
ニルスが村長の手を握る。
握る強さは想いの強さに等しい。
しかし、どれだけ強く握り締めようと、その魂、繋ぎ止めること敵わなかった。
「フフフフ……。可愛い子達……。儂の可愛い、子供達……」
老齢に萎む手が、ニルスの両手から滑り落ちた。
「「おじいちゃん!!」」
もう、その言葉も届かない。
行き場をなくした愛情が、絆を求めて広場を彷徨う……。
項垂れる5人を前にして、エルドラは構えをとらずに悠然と佇む。
だがそれは、情に絆されたからではない。
彼は戦士にして、破滅教の忠実なる僕。
死と苦痛の念を引き出すために、村長が事切れる瞬間を待っていたのだ。
「まさか、村長が近くに潜んでいるとは思わなかった……。しかし魔王よ、これで分かっただろう。これが戦争だ」
破滅を信奉していながら、心の何処かで人間同士の争いを憎んでいる。
そうした複雑な感情の片鱗が、平坦に強調された一言に表れていた。
エルドラは両手を前へと左右に広げて、厳かに訴える。
「世界は、緊張と憎悪に満ちている。これ以上、多くの者が傷付けあい、そして死ぬのだ。それを最小限に食い止めるには、メリカ様の統治が必要なのだ。時代はメリカ様を欲し、貴様は、この世界の全てから拒絶されている。ならばせめて、世の安寧のため、メリカ様の糧となるのだ、魔王!」
「それは違います!!」
リュンは激情に駆られて立ち上がり、思いの丈をエルドラにぶつける。
「世界では、今も多くの人が亡くなってるかも知れない。憎み合ってるかも知れない! でも、誰もが嫌っているだなんて嘘です!」
リュンは自身の胸に手を当てて、嘘偽りのない想いを告白する。
「だって私は、魔王のことを必要としてるのだから……」
失意に固まる魔王の手を、リュンはしっかりと握り締めた。
その手から、両親の形見が託される。
「魔王さん、戦って……。たとえそれが、どんな残酷な結末であっても、私達は、貴方のことを信じます」
フェリオスが ― 幼馴染みの親友が、同じような事を言っていた。
『お前が同胞に未来を示してくれるってんなら、俺達はいつだって、納得して死ねるんだ……』
死んではならない。
本当は誰も失ってはならないから、あの戦いを止めたのだ!!
「魔王……」
地面に両膝をつき、肩を上下に震わせるニルスが、泣き腫らした目を魔王へと向けた。
「村長さんの仇を……、おじいちゃんの仇を討って!」
右手に重なる力石とペンダント。
魔王の脳裡では、かつての同胞の声援が蘇り、田衛文と冥箒の期待が、逆境に抗う闘志を燃やす。
魔王はそれら全てを蔵い込み、右手に剣を、左手に力石一つを残して立ち上がる。
「みんな……、下がっててくれ!」
4人は魔王の強い気迫に押されて、村長の亡骸と共に、食堂の壁際へと後退した。
「面白い……」
エルドラは興味ぶかく目を細める。
腕組みと共に発せられた一言からは、絶対優位の慢心と、好敵手への微かな敬意が含まれていた。
「魔王よ。貴様はそんな状態で、まだ戦えるというのか?」
誰も守れぬ非力な魔王を、戦士エルドラは憐れんだ。
血塗られた剣は役に立たず、魔法も使えず、戦いの腕はからっきし。
王者の風格は遙か前のこと。
服は汚れて泥まみれ。身体は細かな擦り傷まみれ……。
だがしかし、それでも彼は、二十年前のように退いたりはしない!
人の意思と魔術の導きに従い、この戦いに終止符を打たんとする。
故にこそ彼は王、魔王なのだ!
(そうだ……。みんながくれた、この勇気。この想いだけは嘘じゃない!!)
魔法の王は叫ぶ。
「エルドラ……。お前は力石を破壊して、放出魔力を吸収したな!」
「その通り、よく分かったな……。しかし、それがどうしたと言うのだ?」
直後、ザスッと、剣が地面に突き刺さる音。
魔王は右手を自由にすると、左手の力石を前へと翳す。
握る片手に力を込めると、掌中の力石に無数の罅割れが走った。
「なら、こうは思わないか。お前にそれが出来るんなら、僕にも同じことが出来るんじゃないかってね!」
復讐心を殺意に変えて、魔王が力石を握り潰した!
すると、掌から吹き出した蒼い火の粉が周囲を艶やかに舞い、膨大な可視魔力が魔王を包む。
「まさか……。まさかそんな……」
エルドラは無意識に後退り、身体の前へと残した両手を、身震いに任せて大きく薙いだ。
「有り得ん!! 常人に、私と同じ芸当が出来るはずはない!」
魔王は背筋を丸めて腰を落とし、握り拳に力を込めると、筋繊維が引き締まった肩と太腿から放電魔力が放たれた。
「戦えるかだって? だったら今度は、僕から訊いてやる……」
魔王は準魔法・魔力活性を行使。
吸収した全ての魔力を、自身の身体強化へと回す。
【蒼き魔力が闘気となって漲る時、魔王の内に眠る潜在能力が呼び覚まされる!】
腕を振り、外套がはためく。
変わらぬ背丈に素朴な素顔。
しかし、蒼い火の粉が華咲く様こそ、彼の本来在るべき姿である。
「エルドラ、この魔王に挑めるか!!」
「黙れぇい。この、生きた化石がぁ!」




