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Scene8.『裏切り者』−2

※まことに勝手ながら、つじつまを合わせるため一部内容を変更しました。

 車は西に向かって走っていた。途中で北に折れ、テムズ川上流へと向かった。車内で会話が交わされることはなく、沈黙の走行が続く。やがてその景色の奥に、アーチ型の橋が見えてきた。テムズ川に現存する橋の中で最も古いとされているリッチモンド橋だ。それが見渡せる川の畔で車は停止した。 

「降りろ」と運転手の男が顎をしゃくった。ウイングスは黙って車を降りる。上着を着ていなければ身震いするような冷気を帯びた風が吹きぬけ、全身を総なめにした。その闇の中から人影が現れ、小さく靴音を響かせながら歩み寄ってきた。

「よく来たな、ウイングス」

 その声は昼間電話口から聞いた声と同じだった。暗闇に順応した目がその姿を捕らえる。身長はやや高めで、シャツとズボンにベージュのハーフコートを羽織った紳士風。表情は闇の帳にぼやけているため朧気ではあるが、その声の調子から笑みを浮かべていることが窺える。ウイングスは数歩の距離を置いて男と対峙した。

「早急に済ませろ」

 ウイングスが先に切り出す。

「ふふ……分かっている。今のお前は半身――いや、それ以上が裏の世界から抜け出し、片足だけが浸かっている状態だ。その経歴を暗黙の闇に封印し、普段は平穏な暮らしに住まう人間に同化している。輝かしい経歴のみで塗り固めた慇懃な執事を演じ、“表の人間”に成り代わっているのだからな……私の可愛い甥、“ブラッド”の」

 グラスに入れたワインを転がしてテイスティングするように、じっくりと自分の言葉を堪能しながら話す男をウイングスは一瞥した。

「そんな前置きはいい。それよりお前は何者だ?」

「ふふ、電話で言った通りだ。私はカドマスの兄――

 いや、“マドック”の兄と言ったほうがわかりやすいかな」

「マドック?」 

 不可解な台詞に困惑するウイングスに男は言った。

「そう、お前の主人であるブラッド・クリザリングの父親のマドックだ」 

「それではカドマスとマドックは……」

 男は手を前に出してウイングスの言葉を遮り

「それを今、説明する」と自分が話の主導権を握った。

「マドックには双子の兄弟がいた。瓜二つの一卵性双生児の兄が」

 ウイングスは軽く眉を潜めた。

「それなら知っている。持病の喘息を患って幼くして他界したと」

 男は意味を持たせるように、間を置いてから言った。

「その兄は本当の兄弟ではない。生後まもなく病院側の手違いで取り違えられた、赤の他人だ」

「取り違えられた?」

「まぁ、三十年以上も昔のことだ、証拠を見付けるのは難しいだろう。当時の責任者を探し出して訴えを起こそうという人間もいないだろうしな」

 男は懐に手を入れて煙草とライターを取り出すと、片手で風避けを作って点火した。馴れた手捌きでオイルライターをカチッといわせて蓋を閉じ、懐にしまう。

「それはいつわかったことだ? オレが調べた時はそんな事実などなかった」

 マドックの兄弟は、長兄のリチャード、次兄のルパート、三兄のダグラス――持病の喘息を患って幼くして他界した――書類上ではそうなっていた。

「そうだな。“表向き”は」

「マドックはそのことを知っていたのか?」

「さぁ、どうだろう……」

 男は勿体振るような口調で呟いた。

「お前は何故そのことを知っている?」

「後で調べたからだ」

「?」

 ウイングスは目を細め、訝る眼差しで男を見詰めた。

「ふふ、カドマスが取り違えられたことに私が一枚噛んでいるとでも思っているのか? それはない。私とカドマスは歳の離れた兄弟だが、カドマスが産まれた当時、私はまだ八歳だ。そんな子供に何ができる?」

「……」

 ウイングスは沈黙に落ちた。しかしまだ疑問が残る。彼はさらに問い詰めた。

「調べた理由はなんだ?」

「ふふ……理由か。そうか、お前は見たことが無いんだな、マドックの顔を。あれは“そっくり”だぞ」

 ニヤリとして男は付け足した。

「“カドマス”に」

 男はカドマスを初めて見かけた時のことを熱く語った。

「あれだけ似ていれば、学者でなくとも興味惹かれるだろう。それだけではない。考え事をするときの癖まで一緒だった。こうやって指でトントンとやる」

 男はそれを真似してピアノの鍵盤を叩くように、二本の指を交互に動かして自分の腕を叩いて見せた。

「それを見て、私はどうしてもカドマスのことを他人とは思えなくなった。もしかしたら? そう思い、彼のことを詳しく調べてみたくなった」

「裏の人間であるカドマスとそうではない“はず”のお前がどうやって接触した?」

 その質問に男はにんまりとした。嬉しそうに経緯を語る。

「私の兄、リチャードは刑事だ。警察の人間は情報収集など、何らかの形で裏の人間と関わっている。それを利用すればマフィアと接触するのも容易い。それを使って私はカドマスに接触した。最初はまずマドックの写真を見せ、『私の弟があなたにとてもよく似ている』と言い。そして説得の末、頭髪を採取させてもらうことに成功した。さっそく二人のDNAを調べてみると面白い結果が出た。二人のDNAが一致したのだ。くくく……驚いたよ。まさに奇跡の邂逅だ。双子が互いを引き寄せ合ったのかもしれない。実に感動的な実話ノンフィクションだと思わないか?」

 黙って聞いているウイングスに向かって男は続けた。

「ところがそれは怨念を生む、復讐までの序章となってしまった」

 男は新たに煙草を一本取り出してオイルライターの火を付けるが、今度は風に苦戦して体の向きを変えた。やっとタバコに火を付けてから向き直る。

「皮肉にも二人は同じクリザリングという姓の家庭に育てられ、片や裕福な一般家庭。もう一方は犯罪組織として、闇に潜むマフィア一家という全く別の世界を生きる運命を辿ることとなってしまった。そのことを知ったカドマスは、マドックに強い憎しみを抱くようになった」

「つまり」

 ウイングスが冷い声で切り出した。

「“そうする”ようにお前が仕向けたというわけか」

「ふっ、人聞きの悪い……」

 男は悪びれもせず、おどけたように掌を上に向けた。

「私はただ“真実”を伝えただけだ」

 悪びれもせず笑顔で言う。その直後――

 表情と声が暗く沈んだものに変わった。

「弟のマドックは通り魔によって殺害された。可愛そうに、即死ではなかった。痛かっただろう。どんなに苦しかったことか……病院で生と死の狭間を彷徨したに違いない。意識のない精神の中で虚空を掴み、その手を白い布切れを身体に巻き付けた金色の巻き毛の天使が、白い翼をはためかせ、彼を天へと導いたのかもしれない」

 男は感情を込めてそれを語り、しばし思いを馳せるように天を仰いだ後、肩を落として嘆くようにかぶりを振った。そうした直後――

 その表情が闇の中で一変した。悲観に暮れて潤んでいた目が、邪悪な嘲笑いの半月刀に変わる。

「“誰”が殺したのだろう」

 低い声音で紡いだその言葉は冷たく響き、そこから笑いが聞こえてくるようだった。

「殺される前のマドックは何かに怯えているようだった。誰かに付け狙われていたらしく、長兄のリチャードが相談を持ち掛けられたと言っていた。彼の推理では、マドックは何か知ってはいけないことを知ってしまったのかもしれないということだった。……知りすぎることは危険でもあるからな」

 含みを持たせて男はそう付け足した。ウイングスは呆れたように頭を傾け、気怠そうな嘆息を漏らした。

「お前の推理などどうでもいい。話が済んだならオレは帰る」

 延々とこんな事実か作り話か分からないような話を聞かされるのにはうんざりしていた。慌てて男が彼を呼び止める。

「まぁ、そう先を急ぐな。時間のことを気にしているのなら、大丈夫だ。話はもうすぐ終わる。終わったらうちの車で屋敷の側まで送ってやるから安心しろ」  

 ウイングスは腕を組み、「続けろ」とだけ低声で言った。機嫌を損ねた彼の様子を喜ぶように、男は淫猥な笑みを浮かべた。

「カドマスは弟への恨みをはらしたことで目的意欲を無くしてしまった。そうなった今、彼は喪失感からボスの座を降りたいと思っており、構成員ファミリーの連中もそのことに薄々気付いているはずだ。カドマスは闇の業界には向かない平凡な人間だからな、大した悪知恵も働かない。今のウルフガング一家は闇のまた奥に潜む闇を徘徊するハイエナと化している。そしてカドマスは既に次代のボスに成り替わる人材を探している。実の息子ではないレッドに執着心はなく、ファミリーではなくても構わないとも思っているくらいだ。そこであいつが目を付けたのがウイングス、お前だ。

 ところが、お前はこの業界から去ろうとしている。ならばそのDNAだけでも――とあいつは考えた」

「DNAだと? それを使って何をしようというんだ。その遺伝子を受け継いだ子供でも作るのか?」

 男は頭を振った。

「それよりもっと効率的に使用する。遺伝子の必要な情報だけを組み合わせる、または組み替える。遺伝子組み替え食品のように」

「そんなことが可能なのか!?」

「医学は進歩している。人間の遺伝子操作はその技術の応用だ。人間も遺伝子組み替え食品と一緒というわけだ。

 そのうちこの世界は、美男美女、秀才、天才しかいなくなるだろう。――そうなる日もそう遠くはない」

「何を根拠にそんなことが言える?」

 そう問われた男の口の端が、不気味にじわじわと上がっていく。どす黒い愉悦の形に歪んだ口で男は言った。

「――私がその研究を成功させた“第一人者”だからだ」

「……」

 ウイングスは小さく片眉を上げて驚きを示す。

「そこでだ。ウイングス、お前に協力してほしい」

「何をだ?」

 ウイングスは訝しげに眉を潜めた。

「あいつはウルフガングのボスとして相応しくない。そして、弟のマドックを手に掛けた身内殺しの悪魔だ。ウイングス――あいつを始末してくれ」

「……」

「私の弟の分“も”、かたきを討ってくれ」

「?」

「ふふ……お前の“母親”の仇と一緒にな」

「何故そのことを……!?

 ウイングスの秀麗な眉目が警戒心で歪む。

「ふっ、マフィアの情報網を甘く見るな。お前の過去を洗いざらい調べさせてもらった。母親とカドマスのこともな」




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