狼煙
都市国家群が存在する平原は人族に見捨てられた土地だ。痩せた土地には家畜の飼料にもならない草しかなく、地下資源などもない。
だからこそ、亜人が集まって占有出来たわけだ。
雲に覆われた夜空に星影はなく、雲の切れ間から唯一月だけが姿を見せていた。大地には動物はおろか虫の姿さえ存在しない。
そんな寂しい風景に、突如として亀裂が走った。空間がずれたように見えるその亀裂から、無造作に小柄な少女が落ちてくる。
人形のように生気なく地面に投げ出された少女、ミレイユは仰向けに倒れて浅く息を吐き出す。
逃げのびた安堵感は皆無で、あるのは自身を焦がす復讐心と悔しさ。使いこなせていないとはいえ、闇の精霊魔術を使ってなおかなわなかった。
闇の精霊魔術を習熟すれば勝てる可能性もあるが。
彼女は右手を月にかざす。月光が僅かに右手を透過する。
本来、自然が少ない街中で精霊界に入るのは不可能に近い。入れるとすれば精霊くらいで、つまり彼女の精霊化が相当に進行しているということだ。
残された時間はあと僅か。ならば単独で挑むのは愚策。かといって、誰が共に復讐を果たしてくれるというのか。
彼女の脳裏に一人の少年の姿が浮かんだが、無理やりに霧散させる。
それは駄目だ。それだけは駄目だ。それをすれば私はきっと。
だが、裏をかえせば彼以外であれば利用しても何とも思わないという事でもある。
彼女は震えながら立ち上がる。ゆっくりと踏み出した彼女を支えてくれる者は誰もいない。
フレデリックは割られた窓ガラス越しに夜空を見上げた。天上に輝く月ですら太古の姿とは異なるというのに、地上では太古より脈々と争いが続いている。
変わらない物は確かにある。フレデリックが抱く野心もまた、ずっと変わらない。
エルフをもう一度大陸の覇者に。
かつて精霊魔術によって大陸を平定したエルフは技術革新を起こしたドワーフに追い落とされ、やがて一部族にまで落ちぶれたあげく、人族には魔族呼ばわりされて迫害の日々。
フレデリックの幼少時代は、最も迫害の激しい時代であった。教会の亜人狩り部隊の影に怯えて森の奥に引っ込み、草や土で腹を満たす毎日。フレデリックが隠れた森に恵みなどなかった。何故なら豊かな森は人の出入りがあって発見される危険があったから。過酷な環境に耐えられずに倒れていく同胞達。
母と父は飢えて死んだ。
友は魔物に殺された。
幼馴染は病気で死んだ。
最早これまでかと絶望感に支配された時、武装したエルフ達が現れた。
フレデリック達が隠れ潜んでいた間に状況は激変していたのだ。
エルフ族の強者達は魔族と戦うことで、人族から信頼を勝ち取り、迫害を沈静化させることに成功していた。外に連れ出されたフレデリックを待っていたのは温かい食事と安全な寝床。
仲間達は安堵していたがフレデリックは愕然とした。
人族と魔族の戦争なぞ、エルフには全く関係ない話だ。勝手に殺しあっていればいいものを、あらぬ疑いをかけて亜人を迫害しておいて戦力を提供されれば手のひらを返す。
あまりにも身勝手で、恥知らず。
しかし、当時のフレデリックはみすぼらしい子供でしかなく、どうする事も出来ない。
故にフレデリックは権力を求めた。エルフが安全に暮らせる国家を樹立するだけの権力を。
フレデリックは目的のために何でもやった。それこそ人族にすら媚びへつらい、魔族の甘言に乗って情報共有もした。
全ては、今は亡き同胞の無念を晴らす為。
「時は来た」
ミレイユはあらゆる手段を持って復讐をなすだろう。
フレデリックと同じように。ならば、向こうが動く前に先制すべきだ。
フレデリックが振り向くと数人のエルフが緊張の面持ちで待機していた。
「オルドヌング共和国に宣戦布告を通達しろ。あれも使って一気に攻め落とす」
開戦の狼煙は夜の静寂を乱すこともなく、静粛に上っていく。
お洒落なカフェにいくと窓際の席に案内される。
そういう人に私はなりたい。




