聖女の抱擁
「あー、手が痛いなあ」
わざとらしい大きな声が宿の食堂に響く。彼ら勇者が貸し切りにしているとはいえ、高級宿には相応しくない態度に給仕が顔をしかめる。
「食べにくいなー。誰か食べさせてくれないかなー」
テーブルを挟んだ向かい側に座る犬飼凪に佐久間はいやらしい視線を向ける。
佐久間が犬飼に手をはらわれて怪我をしたのは自業自得でしかないのだが、あれ以来、佐久間はしつこく犬飼に絡んだ。佐久間の手は魔法ですぐに治されたにも関わらずだ。
女勇者達は何度も抗議したし、男勇者にもうんざりして注意した者もいるというのに、佐久間は態度をあらためない。
「いい加減にしてよ」
昼食をとるには少し早い時間なので、食堂に人影はまばらだ。いつもなら止めに入る久宝やフィリーネもいない。佐久間に会わないために早めに来たのが裏目にでた。
「ああ? 怪我させた奴がなに言ってんだよ」
佐久間はニヤニヤと笑う。魔力の影響で容姿は整っても、中身までは伴わない典型的な例である。むしろ、容姿の良さで注目を集めたことで中身が崩れたとも言えるかもしれない。
むっつりと黙り込む犬飼。わざとではないとはいえ、怪我をさせた後ろめたさはあった。
「なあ、ちょっと食べさせてくれるくらいいいだろ?」
チャンスとばかりに畳み掛ける佐久間。確かに、食べさせるくらい大したことではないだろう。犬飼が少し我慢すればすむことだ。佐久間は同じようなことを白鷺鈴にもやっていた。
最初にちょっとした頼み事をする。相手が応じれば少しずつ要求をエスカレートさせていくのだ。あくまで佐久間は感覚的にこれをやっているとはいえ、だからこそ悪質とも言える。
「いいわけないでしょ」
すっぱりと犬飼は拒絶した。
「なんであんたなんかに食べさせなきゃいけないの? 気持ち悪い」
犬飼とてこんな言い方はしたくない。しかし、犬飼は何度もやんわりと断ってきたのだ。それでもからんでくるなら厳しい言い方もやむおえない。
「はあ? てめえ、こっちが優しくしてればつけあがりやがって」
顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がる佐久間。座っていた椅子がはね飛ばされて大きな音をたてる。注目が集まるものの、女勇者は見守るだけ、男勇者は我関せず。護衛騎士はこの場にはいないし、誰も止めに入らない。
「つけあがってるのはあんたでしょ!」
犬飼も負けじと大声をはりあげる。実際、佐久間を含め、ほとんどの男勇者はつけあがっていた。女勇者達をまるでメイドのようにしようとする者までいる。
その姿は元の世界にいた頃、雑用を白鷺鈴に押し付けていたクラスメイト達と同じだった。
犬飼は雑用こそ押し付けなかったものの、見て見ぬふりをしていた。いざ、自分が同じ立場に立たせられると白鷺がどれ程お人好しだったかよくわかる。彼は何時もにこにこと頼み事を引き受けていた。利用されているだけなのに笑っている白鷺を、犬飼は内心の深いところで馬鹿にしていた。
彼はたぶん、馬鹿なのだ。でも同時にとても優しい少年。
「はっ! だったらもう知らねえ。俺達は探索に参加しねえからな」
探索というのは教会からの依頼だ。ティマイオスに数多ある遺跡の一つ、『呪いの洞窟』にて聖鎧を探すというものだ。『呪いの洞窟』は常に霧状の呪いに満たされていて今までは攻略する手段がなかった。
古い時代の記録から、ほぼ確実にあるとわかっている強力な兵器である聖鎧を何とか手にいれようと、教会は長年研究を重ね、やっと呪いに対抗する手段を発明した。
強力な古代兵器の聖鎧を、勇者達が手に入れる。教会としてはこれ以上ないプロパガンダが今回の依頼である。
参加するもしないも自由ではあった。半井は早々に依頼を断って別行動しているし、ローゼンタール学院に残った勇者も何人かいる。ティマイオスまで来た勇者は依頼に応じた者達なのだ。
今さら参加しないでは、信頼を失うのは確実。果たして佐久間は気づいているのか。
「なあ、もうやめようぜ。金ならあるし、こいつらに全部任せりゃあいい」
佐久間が呼び掛けると何人かの男勇者がこれに同意する。
「何を馬鹿なことを、正気なの?」
「参加してほしけりゃ土下座して謝れよ」
勝ち誇る佐久間に、犬飼は二の句が告げない。
「ふん、全部お前が悪いんだからな。ちゃんと認めて謝りにこいよ」
目の上のたんこぶだった犬飼を追い詰めて楽しいのか、佐久間は犬飼を嘲笑して食堂から出ていく。それに続いて幾人かの男勇者もいなくなった。
犬飼の頭の中はぐちゃぐちゃだった。この世界に転移してきた当初は、凄い力があるから大丈夫だと楽観視していた。だが、先の戦いで死の恐怖を味わい、考えが反転する。
勇者は、ちょっと強いだけのただの人間だ。決して、魔族を一捻りにすることなんて出来ない。
久宝はマニアス聖国の騎士団長を倒したと自慢していたが、今から思えば、あれは所詮訓練だ。殺しあいで勝てるかは怪しい。勇者達より遥かにステータスで劣るであろう魔物だって、勇者達に傷をつけることはできるのだ。
久宝が魔物に小さな傷を負わされるのを何度か犬飼は見ている。
つまり、弱い魔物であろうと、勇者を殺せる。
今回の依頼だって命がけなのだ。頭数が減れば死の危険が増す。
犬飼のせいで誰かが死ぬかもしれないのだ。
私が謝りさえすれば、と犬飼は鈍くなっていく思考で考えた。土下座くらいでみんなの命が守れるならば、すぐにでも謝るべきだと、それが一番いいことなんだと思い詰めていく。
「凪! 顔が真っ青だよ。どうしたの」
食堂に駆け込んできたのは来栖風香だった。震える犬飼の手を、来栖は優しく両手で包みこむと心配そうに犬飼をじっと見つめる。
「風香、私、私、ごめん」
犬飼の両目から涙が溢れだす。来栖は驚きつつも、そっと犬飼を抱き締めた。犬飼が落ちつくまでの間に、来栖と一緒に帰ってきたギャル達が周りの人達に事情を聞く。
「凪は悪くない」
来栖は断言した。
「でも、私が謝れば」
「駄目、謝らなくていい。絶対駄目」
謝れば、佐久間は絶対に次々と要求を重ねてくる。白鷺にだって似たようなことをしていたのを来栖はよく知っていた。
「でも、でも」
「いいの。いいから。こんな酷いことする人なんかと一緒に戦えないよ。だからいいの」
わんわんと泣き続ける犬飼を来栖は優しく、強く、抱き締めた。
一字下げ入れたんですけど、入ってないですね。
次の章までにはやり方を調べておきます




